呪術師の森
ぎゃあぎゃあという耳障りな鳴き声が、重なり合うようにして頭上から聞こえてきた。
だが振り仰いでも、黒々とした木々の枝に遮られ、声の主は見えない。
「災厄鳥が来やがった」
旅の戦士ドライオの前を歩いていた戦士フレンが、心なしか嬉しそうに言った。
「道が合ってたって証拠だ」
「ずいぶんと数がいるようだな」
ドライオの言葉に、フレンは振り返って皮肉めいた笑みを浮かべる。
「そう思うだろ? だけど、あいつはあれで一羽の怪物なんだよ」
ドライオが、相棒となった旅の戦士フレンとともにその森に足を踏み入れたのは、森の奥深くにあると噂される宝石を手に入れるためであった。
「冬の炎」と名付けられたその大ぶりの宝石は、核となる赤い宝玉を半透明の白い結晶が包み込むようにして覆ったさまが、まるで雪の降りしきる中で燃え盛る炎のように見えることがその名の由来だと言われていた。
古来、多くの人間の手に渡った「冬の炎」は、最後に手にした呪術師とともに、彼の終の棲家となった「黒の森」の奥深くで眠ると言われていた。
その名の通り、黒の森は、あまりに深く、暗い。
今までに数多くの者たちが宝石探しに旅立ち、そして失敗した。
偶然に酒場で同席したドライオに「冬の炎」の探索行を持ちかけたのは、同じ旅の戦士フレンだった。
彼は弓を得意とする戦士だったが、すでに三度、黒の森への冒険を敢行し、そして毎回、仲間を全て失って失敗していた。
「毎回、俺ばっかり生きて帰ってくるもんだから、誰も組んでくれる奴がいなくなっちまった」
フレンは唇を縦断するようについた古傷を歪ませてそう言うと、酒を呷った。
「俺だってただ失敗してたわけじゃねえ。次は絶対にたどり着ける自信があるんだ」
「冬の炎、か」
その名前は、ドライオも耳にしたことがあった。
「命知らずしか探そうなんて思わねえ名前だ」
「あんたほどの戦士でも臆するのか。ドライオ」
酒で充血した目で下から睨めつけるフレンに、ドライオは肩をすくめた。
「宝石は、半分には割れねえだろう」
そう言って、顎をしゃくる。
「分け前はどうする」
それを聞いたフレンがにやりと笑った。古傷が、別の生き物のように形を変える。
「宝石を大事に棚に飾っておくような趣味は、俺にだってねえよ。さっさと売りっ払って、分け前は半々でどうだ」
「いいだろう」
ドライオはジョッキを突き出した。
「裏切は無しだぜ、兄弟」
「当たり前だ」
そう言って、フレンがジョッキを乱暴に合わせた。
黒の森の探索は、暗がりから獲物の隙を狙う魔物たちも厄介だったが、それ以上に迷路のように入り組んだ獣道を踏破することが困難だった。
魔物の相手はドライオがほとんど受け持ち、フレンは正しい方角への道を選ぶことに全神経を注いだ。
さすがにすでに三度も来ているだけあって、フレンの先導は正確だった。
森に入って数日、二人は目的の場所に確実に近付いていた。
「最後の持ち主だった呪術師の洞穴があるんだ」
黒の森に入ってから二日目の夜、秘密主義のフレンがようやくドライオに言った。
「二回目の時に組んだ精霊使いが、精霊の力がでたらめになってる場所を見付けたんだ。その時はそこに着く前に精霊使いがやられて撤退する羽目になったが、場所はそこで間違いない」
「洞穴か」
ドライオは腹をぼりぼりと掻いた。
「そんなに深くなきゃいいがな」
「じじいが終の棲家にしてた程度の場所だ。大したことはねえだろう」
フレンは、それよりも、と声を潜める。
「問題はそこに着く前だ。災厄鳥の棲みかがある」
「災厄鳥」
ドライオは眉を上げた。
「嫌な名前だな」
「黒の森の主みたいな化け物だ」
フレンは暗い笑みを浮かべる。
「二度目と三度目は、そいつにやられた」
「今回はどうするんだ」
「秘策がある」
フレンは腰に提げた麻袋を軽く叩いた。
「災厄鳥の嫌う成分を、呪い師に調合してもらった」
「効くといいな」
「恐れていたって、始まらねえからな」
フレンはドライオの背後の闇に目を向けた。
「冬の炎を手に入れるためだ。危ない橋なんていくつだって渡ってやるよ」
不意に、ばきばきと音を立てて頭上の木の枝がへし折れた。
黒の森にほとんど差すことのない日の光が差し込んだ。
そこから顔を覗かせたのは、巨大なハゲワシのような猛禽類だった。
「来たぜ、ドライオ」
フレンが走り出しながら叫んだ。
「最初の何本かの首は、お前に任せるからな」
「おう」
ドライオは戦斧を構え、フレンの後について走る。
「できるだけ早めに頼むぜ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、先を駆けるフレンの前方の木の枝が砕かれ、災厄鳥が顔を出した。
「どけ、フレン」
言いながら、ドライオが前に出る。
突き出された大剣のように巨大なくちばしをかわし、戦斧をその首に叩きこむ。
だがさすがのドライオでも、一撃で首を両断というわけにはいかなかった。
「硬え」
ドライオは叫んだ。
「羽根じゃなくて鱗かよ」
だが、その一撃で災厄鳥は怯んだように首を引っ込めた。
安心したのも束の間、今度は二つの首が同時に顔を出した。
「はずれだ」
フレンが叫ぶ。
「こいつらじゃない」
「そうかよ」
ドライオは戦斧を振り回して、何とか二つの首を撃退する。
その間も、二人は走り続けた。
「あの岩を見ろ」
フレンが前方の奇妙な形の岩を指差す。
奇妙で邪悪な形のそれには、明らかに人の手が加えられていた。
「近いぞ、この先だ」
その言葉をかき消すように、四つの首が姿を現した。
「ちっ」
ドライオは前方を遮る首に飛びかかる。
一撃加えて、すぐに次の首に。
鋭いくちばしが何度も身体をかすめ、ドライオはたちまち血塗れになった。
四本の首を相手に奮戦するドライオの背後から、突然熱気が襲ってきた。
ドライオは目だけをそちらに向ける。
後方に現れたひときわ大きな首が、くちばしの間から炎をこぼしていた。
「あいつだ」
ドライオは叫んだ。
「あいつが当たりだろ、フレン」
「おう」
呼応したフレンは躊躇しなかった。
麻袋を括り付けた矢を、その首に向けてつがえる。
災厄鳥が、人ひとり吞み込めそうな巨大なくちばしをくわっと開いた。
その喉の奥から炎が噴き出す瞬間、フレンの矢が狙い違わずそこに飛び込んだ。
炎で焼かれた麻袋から、黄色い煙が上がる。
ぐぎゃっ、という耳障りな鳴き声を残して、災厄鳥の首が全て上に引っ込んだ。
「やったぞ」
フレンが歓声を上げた。
「あの呪い師め、大した腕だ」
「今のうちだ」
ドライオはフレンの肩を乱暴に叩く。
「あの程度でどうにかなる化け物じゃねえぞ、急げ」
「ああ、分かってる」
二人は駆けた。
頭上からは、災厄鳥の怒りの鳴き声が断続的に聞こえてきた。
だが、ある場所を境に、その声がなくなった。
古の呪術師の領域に入ったのだ。
「近いぞ」
ぜえぜえと荒い息を吐きながら、それでもフレンは走る速度を緩めなかった。
「この先だ。俺には分かる。この先にある」
「ああ、そう信じてえな」
だが、二人の前に現れたのは残酷な景色だった。
「……嘘だろ」
呆然と、フレンが呟く。
「ふざけるなよ」
確かにそこに、洞穴はあった。
だが、その入り口は長い年月のうちに朽ち果て、崩れ落ちていた。
とても二人程度の力でどかして入れるような状態ではなかった。
「こんなことが許されるか」
フレンが入り口をふさぐ岩を蹴りつける。
「開けろ。俺たちを入れろ」
「……いや」
ドライオは上を指差した。
「ツキはまだ俺たちを見放してねえぞ、フレン」
「なに」
顔を上げたフレンが目を見開く。
洞穴の上に、一本の大木が生えていた。
その太い幹の中ほどに、もはや木と同化するようにしてそれはあった。
筋張った木乃伊のようなもの。
古の呪術師の亡骸だった。
「洞穴の中で育った木が、でかくなる途中で呪術師の亡骸を巻き込んだんだ」
ドライオは言った。
「見ろ、あれは枝じゃねえ」
幹の途中から突き出した一本の枝。
それは、ただの枝ではなかった。
呪術師の腕。そして、その手が握るのは。
「……おお」
フレンが呻く。
「おお、おお」
フレンは洞穴の斜面をたちまちに駆け上がると、その木の下に立った。
ほとんど光の差さない黒の森にあって、なお怪しい煌めきを放つ赤い宝玉。
「ついに」
フレンが呟いた。
「俺の前に現れたな」
冬の炎。
伝説の宝玉。
ドライオはフレンの後に続いて、その木の下に立った。
「……なるほどな」
ドライオは頷く。
「こりゃあ、腕の立つ呪い師が二、三人は要るな」
「なに?」
フレンがドライオを振り向いた。
「何の話だ」
「だから、あの宝石を手に入れるのにだよ」
ドライオは、木の幹に埋もれる呪術師の顔を見た。
「あいつが離さねえだろ」
「ばか言うな、何をかったりいこと言ってやがる。ここまで来て」
フレンは腰からナイフを抜くと、木の幹に手をかける。
「やっとここまで来たんだ。今さら引き返せるかよ」
「フレン」
ドライオはその肩に手をかけ、呪術師に向けて顎をしゃくった。
「あいつは、まだ生きてる」
「離せ」
フレンは身をよじってその手から逃れた。
「びびったのか、ドライオ。なら俺一人でやるぜ」
叫びざま、猿のような敏捷さでフレンが木を這い上がる。
「フレン!」
ドライオの叫びは虚しく響いた。
「誰にも渡すか」
フレンが呪術師の腕に手をかける。その目が憑かれたような輝きを帯びていた。
「これは俺のものだ」
ナイフを、宝石を握る手に突き立てた、その瞬間だった。
突然、木の幹に埋もれた呪術師が目を開いた。続いて、その口が開く。
声はなかった。
だが、空気が揺れた。長き年月、封じ込められていたものが解き放たれた。
冬の炎の白い結晶の中で、赤い宝玉が原初の炎のように膨れ上がるのがドライオにも見えた。
「くそっ」
ドライオはとっさに斜面の下に身を躍らせた。
次の瞬間。
冬の炎は、周囲一帯を巻き込んで、巨大な爆炎と化した。
「ちっ」
ドライオは口から土混じりの唾を吐き出すと、周囲を見渡した。
明るい日の光。
周辺の木々が軒並み、なぎ倒されていた。
爆発の衝撃は主に上に向かったのだろう。斜面の下に飛び降りたのは正解だった。
ドライオは、近くに投げ出されたフレンの荷物を拾い上げた。
残りの水と、食料。
それを自分の荷物に放り込むと、小さく祈りの言葉を呟く。
そこがお前の終着地だったんだな。じゃあ、止めたって仕方なかったな。
自分の求めるものに、確かに手をかけることができたんだ。悔いの残る人生じゃなかったはずだ。
それから、ドライオはゆっくりと帰り道を振り返った。
差し当たって、あの災厄鳥をどうするか。その後の帰り道は覚えているのか。
考えなければならないことは山積みだった。