四〇年ぶりの元サッカー少年たちよ!(5)
「大悟、まずは様子見しつつ、中盤から崩してくよ」
センターサークルからのショートパスを受けた、MF服部さんが指示。
試合は三〇分ハーフ。オジさんたちには長すぎる気がしたけれど、当人たちが「やるならハーフタイムありだ!」と過去の栄光を引きずるせいで、言っても聞かなかった。マウントスは相当鍛えられた雰囲気だけど、どうなんだろ。
ブリッジス側は服部さんがコンパクトにパスを回し、右MFの兼島さん、ボランチの郷里さん、左MFの八木原さんにそれぞれボールを渡してつなぐ。
続けて、八木原さんから右SBの十塚さん、サンダーブラザーズことCBの安田兄弟がワンタッチし、左SBの末さんがGKの最上さんに渡して郷里さんに戻す。
四十年、五十年ぶりのサッカーの試合でボールタッチを確かめるその儀式は。
なんとなく、心をファサッっとなでるものがある。
「おうおうブリッジス! 慎重すぎて年齢を感じさせんなあ!」
「じゃかぁしい! 郷里さん、こっちだこっち!」
千藤さんが一声して、鋭角的にダッシュ。
「ガッハッハ! 四季高のファンタジスタを見しちゃろう!」
郷里さんが豪快に笑って、前線の受け手を精査する。
「ハァー。今どきファンタジスタって、死語どころか死後ですよ」
隣のノノちゃんは、進化する現代サッカーの哲学に則り、鼻で笑う。
「――見さらせ! 渕山のわっぱども!」
郷里さんが一蹴したボールは……ダンッ! まさにスルーパス!
仲間を走らせて受け取らせるそのボールは……ヒュー、パシ。
「おっと、敵からのパスごっつぁんです」
「ちょっとお! 郷里さんってば角度きつすぎー!」
「うわ、八木原さん、ぜんぜん追いつけなかったね~」
最年長の五十年ぶりのスルーパスは、相手へのパスになった。
ここ一週間で見せてくれた基礎的なボール回しは、さすが元サッカー少年たちと感心できた我らがブリッジスだけど、いかんせん最大の課題はそこではない。
「ぜえ、ぜえ……」そんなに走っていないのに切れる息。「こなくそ!」強くぶつかりにいっているようで、無理すると危ないと分かっている年長者同士の配慮あるチャージ。そもそもドリブルするほうも当たるほうもキレがない、キレが。
「末ぇ! ロバルトに持たせんな! やってやれ【カミソリカッター】!」
「うおおぉぉおーーー!!!」
「出た! 末の十八番だ!」
相手ボールを刈り取るかのような鋭いスライディング。当時、末聡さんが呼ばれたその名は【カミソリカッター】。うちの店で何度も聞いた武勇伝。
……だったけど。一撃必殺を謳われたそれは。
チーム最年少とはいえ、五十二歳にはつらかったか。
「なんです、あれ。カミソリどころか、死にかけのウナギじゃないですか」
「…………」「…………」「…………」
ノノちゃんの辛辣な感想に、私を含めた選手数名が無言になる。
着地で腰をいわさないようにしたのか、飛び込みへの気概をいっさい感じさせない末さんのスライディングは、整えた砂地の野っ原ですらまるで伸びず、ズサーどころかストンと止まり、相手のボールには1ミリも触れなかった。
しかし、相手は相手で【東北の魔術】と呼ばれていた、血液型的な意味でハーフの殿方・ロバルト・祐二さんもすぐにドリブルで抜き去ったかというと、「あ」。足元のボールコントロールに失敗し、球を明後日の方向に飛ばしてしまう。
みんなボールを蹴ること自体は勘が働いていても、細かな精度が危うい。運動量でのカバーも難しいから、攻めと守りの分かれ目もハッキリしがち。
マウントスのほうも、ブリッジスよりか練習してきた形跡がうかがえるけれど、やっぱり体さばきがキビキビとはしておらず、どこか精彩に欠ける。
「なんだか、あれですね。小学生のフットボールから元気さと執着心を抜いて、ワールドカップで盛り上がってボール蹴ってみたオジさんたちみたいですね」
ノノちゃんの辛口が、目の前を通ったオジさんを「うっ」とヘコませる。
「ほら、嬢ちゃんにバカにされてんぞ。シャキッとやれ、服部!」
「もー僕だけじゃないでしょ! ほらっ、カッコいいとこ見せてよFW陣!」
全体的にゴチャゴチャするサッカーの中心にいた服部さんが、つたないターンで相手を振りきり、体を前方、右サイドに向け、すぐさま右足を振りきる。
「おっしゃナイスパス!」
お父さんが怪しいトラップでボールを止めつつ、相手ゴールに駆ける。
「わ~、抜けた抜けた~」
ゴール前は二枚のDFとGK。もう一枚のDFは逆サイドの茜さんをマーク。いずれも【三角終点】と呼ばれたらしい、郷里さん世代の強靱な壁だった人たち。
それでもお父さんはとくに小細工なしで、豪快な加速で正面からあたっていく。顔面も体格も厳めしい、私の年代の女の子なら泣いちゃうレベルだ。
「図体だけの四季高の小僧が。あまり調子に乗るなよ」
六十過ぎには五十八歳が小僧なのか、【三角終点】の一角が対峙。
「ジジイのディフェンスで俺を止められると思ったら――」
「げひゃひゃ! 足元のボールがフリーじゃぞ!」
もう一枚、横から迫ってきた二人目の【三角終点】がボールに足を伸ばし。
「――フィールドの大船はよう、最後は船頭に託すのさ」
ポンッ。屈強なガタイから、柔らかく繊細な右足で蹴られた浮き球が。
「渕山のジジイども見さらせ! これがオレたち【大船頭コンビ】だッ!」
逆サイドから鋭角に入り込んできた千藤さんが、ダイレクトで蹴り放つ。
相手GKは動くこともできず、ボールはゴールネットに突き刺さった。
ピーッ! ブリッジスの得点を、審判がホイッスルで伝える。
「わっ、やった~。ノノちゃん先取点だよ、先取て~ん」
「ちょっとぉ! 触んないでください! キモいしウザいです先輩っ!」
「あ~、ごめんごめん」
「フンッ!」かわいらしい後輩に叱られた。
四季橋高校サッカー部、十一期生の要。突破力の大船大悟と決定力の千藤茜によるツートップは、黄金コンビならぬ【大船頭コンビ】として地元で名をはせた。
コンビ名の由来は、二人の名字からきているとのこと。
「フゥー! どうだマウントスども! 今も最強はオレたちのようだな!」
「茜、やめておけ。おっさんが見苦しいぞ」
「じゃかぁしい大悟! てめえもおっさんじゃねえか!」
うるさいツートップが勝手に言い争いをはじめると。
「いいからいいから大船も千藤も、守備いくよ守備」
トップ下の支え、堅実なパサーの服部さんが仲介するのがお決まりの流れ。
「あん? アホか服部。FWが守備してどうすんだよ」
ゴールを決めた当人である千藤さんは、とても気持ちよさそう。
それからの試合は、マウントスが【三角終点】に加え、SB二枚も下げ気味に対応してきたことで、ポールポジションも徐々にブリッジス優勢になった。
ぜんぜん練習できていなかったのに、チームワークだけは抜群で、パスも次々と通していくブリッジス。でもそこはオジさんたち。球はつながるも、スムーズな攻めには転じられず、フィールドではしばらくグダグダな展開が続いていた。
走らずに息を整えている人も多くて、盤面の動きが全体的に少ない。
結局、形だけはそれっぽくもゴチャゴチャ、ノソノソと展開した前半戦三十分は1-0のまま、全選手の呼吸をゼェゼェ、ハァハァさせるだけにとどまった。
一応、お父さんや千藤さん、相手の江崎さんがシュートまで持っていくシーンもあったけれど、距離も精度も微妙で枠は捉えられず、スポットには遠い。
「ゼェ、ゼェ、おえっ、し、死ぬ……」
「ガハッ、ガッハハ、ワシャもう走れん……」
「まあまあまあ。そんなに実力差ないみたいでよかったですね」
みんな疲れている。でも先週と比べると余裕はありそう。
先日のサッカーは、みんな調子に乗って最初からフルパワーで走ったせいで死に体だったけれど、今日はそれを踏まえて適度に動かないことも選んだ。
もしここが学校のサッカー部なら「もっと走れ走れ!」と言われていただろうし、自分たちも過去に口にしていただろうけれど、今は仕方ないからね。
「あーもう最っ悪! こんなつまんないフットボール見せられるなんてー」
「おい小娘! 口がすぎるぞ! このワシが昔なんと呼ばれてたか――」
「いるいるぅ、こういう男の人ぉ。過去の自語りとかマジウザいんですけどぉ」
「ぐ、ぐんぬぅ、こんの小娘がっ!」
オジさん同士では権威のあるほうな郷里さんも、若い娘には通じず。
「お父さん、はいお水」
「紗友、助かる」
「疲れた?」
「……疲れてねえよっ」
肩の上下は激しいんですが。父親の意地ってやつかな。
「またゴール前でトップ三人が機能すれば、もう一点いけるよ~」
「当たり前だ。一点どころか百点いけらあ。茜ももっとバシバシ狙えや」
「んなもん当たりま……いや、わりいが、ゴール前があかねえとキッツいわ」
線は細くとも誰より勝ち気な千藤さんが、珍しく弱気に応える。
「なに言ってんだゴラァ。こんな試合、中距離からでも決められるだろが」
「オレもそう思ってたがよ。こいつぁ、ヘタにシュートできねえよ」
「茜っ、なにふぬけたことぬかしてんだ。たしかに【三角終点】は固いが――」
お父さんが、だらしない相方に食いかかったところ。
「やあな、オレらおっさんはな、打ちどころの悪いブロックでポックリ逝きそうでヤベえって。シュートきても反応遅いからよけらんねえだろうし」
「あ~……」
「そりゃ、そうだな……」
初めて聞いたけど納得せざるを得ない概念を前に、私とお父さんも黙る。
うん、怖いね。若いサッカー選手とはそのあたり事情が違うもんね。
その後、マウントス側との交渉で「アタッキングサード外でのシュート禁止」。つまりフィールドを三分割して見たとき、相手ゴール前のエリア以外では、双方無理筋な遠距離シュートを禁止するという口約束ができた。
それは厳密なペナルティを課すものではないけれど、シニアのサッカーはケガを考慮しすぎないと見ているこっちも怖いので、親族としては助かる。
「しっかし江崎。てめえら一年練習したにしては、冴えねえサッカーじゃねえか」
ついでに唯一の得点者な千藤さんが、したり顔で江崎さんを煽る。
「ふっ、バカめ。ここまではお遊びだよ。俺らも試合なんて初めてなんだ」
「あん? んなやる気満々なユニフォームまで用意しといて、初試合だあ?」
「普通はいないんだよ、六十近くのジジイどものサッカーチームなんて」
「……へっ、違えねえ」
マウントスは約半年、毎週末に練習してきたようだけど、周辺には高校サッカーチームしかなくて、相手してくれる若手もいなかったという。
そこに同世代、しかも因縁のある相手がチームで現れたら、はしゃぐよね。
試合が一番楽しいはずなのに、ずっと練習で我慢を……ううん、我慢はいっさいしてないかもだけど、ずっとサッカーをし続けていたマウントスは好感だ。
みんな、この年になっても、サッカーが大好きなんだろう。
そんなしみじみとした感傷は、次の言葉で蹴り飛ばされてしまった。
「でも、お遊びは本当にここまでだ。前半戦は、過去の俺たちを再現して戦えるかを試す時間だったからな。老いぼれ相手でもこうも厳しいと実感しちまったんだ。もう未練はない。だから次の三十分は本気で勝ちにいく。俺たちがマウントスが、過去を振りきる慶人直伝の現代サッカーで、旧式どもに地獄を見せてやる」