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立ち上がれ、旧四季橋の旧式よ!(1)

「わっわっ、わわわっ!」

「暴れんなよバカ」

 無理をおっしゃる、このバカっ!


 瞬は、私の体を両腕ですくい上げると、ベッドから持ち去った。

 まさに誘拐。有言実行のパジャマ女子誘拐事件である。


 彼は私を抱えたまま部屋を出ると、両腕からはみ出している私の頭部や右足をあまり広くはない大船家の二階の壁にぶつけないよう、慎重な足取りで進み、階段もゆっくりと降りて、ゴソゴソ。ご丁寧に靴を履いてから外に出た。

 その間、とくに反抗できぬまま、大船紗友は緑のパジャマ姿で連れ去られた。


「走るぞ」

「へげ?」

 それから、瞬は私を抱えたまま本当に走り出した。


「待って待って待って! 超恥ずかしいんですけどっ!」

「着替えはあとで見繕ってやるから!」

「そっちもだけど、そっちじゃなくて~!」

 なぜ、曇りの旧四季橋商店街でお姫さま抱っこされ、爆走されているのか。

 意味不明である。


 日曜日の早めの朝。かまぼこ天井のアーケード街にお客さんの姿はない。

 けれども、商店街で自営業を営んでいる見知った顔のおじさん、おばさんたちが、シャッターを開けたばかりの店頭で腰をトントンしながらこちらを見ると。


「あらら紗友ちゃん、イイわねー」

「おっ、千藤の坊主やるじゃねえか」

「二人もそろそろかしらー」

「紗友ちゃんたちー、今日のサッカー? がんばってねー」

「わっ、あわわわわっ!」

 この気持ちをあえて一言で表すのなら、鬼恥ずかしい。


 上半身と太ももあたりをしっかりと持たれているおかげで不安定さは感じないものの、走られると振動でガクンガクン。抱えられ心地はよくない。


 とはいえ、男子の体にしがみついて安定を取るのはそれはそれで恥ずかしさが倍増しそうなため、両腕は胸元でアワアワさせるにとどまった。


「な、なんで私、ユーカイされてるの~!?」

「おまえ、楽しそうだったよ」

「はい~?」

「ツラいんだろうけどさ、サッカー見てる紗友、楽しそうだった」

「……それは、まあ」

 否定はしない。なかった感情ではないから。


 旧四季橋商店街の入口を抜けた瞬が、旧四季橋のかかる四季川の土手沿いを引き続き走る。両腕で抱えられたお荷物さまは、己の行く末を諦めはじめている。


「俺は好きだよ。サッカーやってた紗友も、サッカーができなくて苦しそうでも、こうしてまたサッカーに関わって、楽しくなれるおまえも。だから、あのな、そうだな。またこうしてアホやらかしてもいいから、サッカーとは関われ。監督でもなんでも、またおまえとサッカーで並んでたい。もしそれでまた我慢できなくて、こじらせてケガして動けなくなったんなら、今度から俺が世話する。本当の本当に歩けなくなるまでいったら、そんときは責任持って介護してやる。それまで何度もブチキレて、何度でも楽しくなれ。忙しいほうが紗友に似合ってる」


 なんてひどい幼なじみか。コイツは私に何度も絶望しろと言っている。

 それに求めているのも私の幸せではなく、ただの願望じゃないのさ。


「それ、私がどうこうじゃなくて、瞬がそうしたいって話だよね」

「……悪いかよ」

「一般的には、まあ悪い気がする。ほらだって、個人の意志を尊重しろ、的な?」

「そりゃそうだろうけど……いいよもう、めんどくせえからなんでも」


 早朝の川沿いをお姫さま抱っこで運ばれていると、どこかドラマのワンシーンのような絵面に思えてきて、自分たちを客観視すれば想像が膨らみそうだ。


 でもでも自分がただのパジャマ娘であることを考えると、そんなトキメキは霧散する。しかも、あいにくの曇り空。お似合いなのは喜劇の一幕じゃないか?


「……ぷっ、あっはは~!」

 おかげで、気付いたときには笑っていた。


 だから、今日のところは自分でもまだよく分からないけれど。

 彼のよく分からない奮闘に免じて、ちょっと大人になってやろうと思った。


「まあまあまあ、まあね。今回のところは、うん。そうしよっかな」

「あ?」


 いろんなことに折り合いをつけるのは相変わらず難しくて、今でも心が暴走することがこうやってしばしばあるけれど、瞬の言うとおり。

 すねて縮こまる季節はおしまいにして、自分本位になるのもいいかも。


 サッカーが好きだ。諦めたけれど好きだ。また関われる自分が好きだ。

 これからも何度も何度もキレて、ブチキレて、心をすり減らすかもしれない。

 そうして減ってしまったところは、またサッカーに関わって埋め直そう。

 なにもできない、いっそ邪魔者でしかない私にだって、みんなは。


「これでも私、ブリッジスの監督ですからね」

 大事なポジションを一つ、用意してくれたのだから。


「おまえ昨晩さ、監督辞めるって言ったじゃん?」

「あ~、まあまあまあ。あれはまあ、とりまなしってことで」

「俺はいいけど、親父たち今朝から顔面真っ白だったぜ」

「あ~……」ほんと、悪いことした。

「今もコンディション最悪だろうな。だからさっさと会場行くぞ」

「え? ま、まさか瞬さん、このままオーシャンスタジアムに行く気……?」

「当たり前だろうが」

「いやいやいや!」


 あのですね? 靴も履いていないパジャマ女のまま運ばれている羞恥心も無理だけど、電車なら曲がりくねって四駅、直線距離でも歩いて四十五分はかかるオーシャンスタジアムまでこのまま行くっていうのも、少し無理な気が……。


「任せとけっ! こんぐらい即行で連れてってやる!」

「いやいやいや……」

「現役の高校サッカープレイヤー、なめんなっ!!!」

 そうして瞬は、朝の四季川に負けない速度まで加速した。


――それから四分後。


「ゼェ……カハッ! ぜぇぜぇぜぇ……」

「だ~か~ら~、普通にムリだって~」

「う、うっせ、ハァハァ、ハァー、げほっ……」

 余裕でバテていた。


 普通のランニングだったら大丈夫だったろうに。両腕に軽くはない……とは言いませんが? 起き抜けのパジャマ姫を抱えて走ってきたわけだからね。上半身のトレーニングもおろそかにしていないんだろうが、いろんな意味で荷が重い。


 そんなわけでカッコよく駆けだした瞬くんは、わりと即行でバテた。

 ギリギリ褒めてつかわそうと思えるのは、私をまだ落とさずにいることだ。


「ねえね、私もう歩こっか?」

「ぜぇ、ぜぇ、い、いいっ。連れてく、からっ……」

 男の子の意地だろうか。カッコつけたいみたいだったが。


 ブゥーン、キキッと。後ろから見慣れた白い車が走ってきて。

 ウィーンと。パワーウィンドウが下げられた先から。


「ちょっと瞬、あんた紗友ちゃん連れて、こんなとこでなにしてんのよ」

「お、おふくろっ……」

「紀子さん、おはようございま~す」

「はい、おはよう。紗友ちゃん家に行ってもいないし、郷里さんの奥さんがね、『瞬くんが連れて向こうに走ってったよ』って言うし、意味分からないし」


 そこには私も同意する。口では言わないであげるが。


 瞬は瞬で、最近は爽やかサッカーイケメンのように気取っていたものの、彼は自分で言っていたとおり「私と同じくらいバカ」なのだ。ゆえに、こういう短絡的ななにかをしでかす率は、昔から私とそう変わらないのである。

 それでも「青春」の一言で済む思春期って、我々ながらお得な概念だね。


「うちのバカはどうでもいいけど、紗友ちゃんは試合行くことにした?」

「ええ、まあ、はい。これこれ、瞬のおかげで」

「あらそう。え……もしかして、それで、このバカが連れてこうとしてるの?」

「ええ、まあ……みたいです、はい」


 紀子さんの想像を絶するバカを見るような目に、居たたまれなくなる。

 青春の弱点とはかくも、現実感に近寄られるとお笑いになることだ。


「アホクサ。紗友ちゃんは車乗りなさい。ありえないでしょ、走ってくとか」

「あ、あっはは~……」

「ぜぇ、ぜぇ、ク、クソババア……」

「あんた今なんか言った?」


 こうして大船紗友ユーカイ事件は、犯人による約十分の逃避行で幕を閉じた。

 しかし、その道中での犯人の訴えが、被害者の心に届いたのは事実だ。


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