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敵はスタジアムにあり!(13)

 「ミラクルサユ」。その子は旧四季橋に生まれたサッカー界の奇跡の申し子で、その日までは私のことを指す、大船紗友の輝かしい第二の名だった。


 私はお父さんの影響で、小学生になるころにはサッカーボールを遊び道具にし、野っ原を駆け回っていた。ときには旧四季橋商店街でボールを蹴り、四方八方から怒られたりもした。瞬もゆくゆくは千藤さんの息子とあって自然とはじめただろうけれど、彼がサッカーに興味を持ったのは、私が四六時中ボールとばかり遊んでいて、構ってくれないことにスネだして、一緒に球蹴りをはじめたからだ。


 そんな大船紗友ちゃんは、とってもすごかった。四季橋小学校サッカークラブには四年生になるまで入れなかったけれど、瞬や慶人くんたちと一緒に入部するや否や、未熟であることが容認される小学生サッカーの環境下でも、お父さんたちサッカー好きの人の目から見ても、一人だけ飛び抜けて異彩を放った。

 得意なポジションはFW。得意なプレーは左右正面どこにだって騙して運べてしまうシザーズ。そうしてゴールを量産し、ごく自然にエースストライカー。


 四季小サッカークラブは見る見るうちにその質を変え、地域の小学生サッカー大会では優勝、こじんまりとした県大会でも優勝、果てはプロサッカーチームが擁するサテライトを含んだ都内交流会でもスカウトがバンバン。まあ、女子だって分かるとみんな「あーもったいない!」って顔で諦めていったけれど。


 そんなこんなで活躍して、西で東で先制点をバシバシ。ときには劣勢からの大逆転もなんのその。自慢の小賢しいドリブルとコントロール抜群のシュートは、男女の壁なくみんなから頼られ、キャプテンシーを胸に、まだ【四人デルタ】と呼ばれる前の瞬や慶人くん、湊くんと栄二くんを率いて、私は勝ちまくった。

 前評判では絶対に勝てないと思われた、地域の最強小学生にも、名門小の完璧小学生にも、プロチームに見込まれた無敵小学生にも、小悪魔のようにチャーミングで狡猾なマリーシアでからかい、交わして抜いて、大船紗友は誰よりも目立った。そうしたまさかの連発が、いつしかミラクルサユという名を生んだ。


 そんなんだから、旧四季橋商店街の人たちは誰も彼もがミラクルサユをかわいがり、愛してくれた。お父さんたちサッカーバカは、時間を見つけたら毎日自分たちの技術を教えてくれた。そのうち、サッカーを知らない商店街の住民たちも、私を通して四季橋の名が広がっていっていくことを実感するにつれ、私の試合を見に来ては、度肝を抜かれ、みんなしてミラクルサユの虜になっていった。


「紗友ちゃん、ほんとすごいのね!」

「今度も応援しにいくね、紗友ちゃん!」

「よっ、ミラクルサユ!」

「……すげーよな、紗友は」


 瞬も年々うまくなっていたけれど、同じフォワードとしての存在感は私のほうがずっと上。例えそれが、男女の性差が強く出はじめる成長期前だったからにせよ、男女混合の四季橋小学校サッカークラブでは私が最強。彼はそれをスネ気味に見つめてくるも、試合中のラストパスの先はいつも私を頼り、託してくれた。

 そして大船紗友は、ミラクルサユは、四季橋の誇りになった。


 そんな日々が終わったのは、なんともあっけない一瞬のことだった。


 四年生で頭角を現し、五年生で名を轟かせ、六年生でコイツはいよいよ本物だということを各方面に見せつけまくっていたその年。四季橋小学校サッカークラブでの練習後の帰り道のこと。私は一つ下の女の子で、サッカー好きの彼女がクラブに入ってきたその日から「この子はセンスあるぞ!」と見込んで仲良くしはじめた、いつしか私を親分のように慕ってくれて、まとわりついていた女子。


 ノノちゃんと二人で、夕日のかかる四季川の土手沿いを走って帰っていた。


「サユちゃん! 今日すごかったね! すごかったね!」

「へっへーん。まあまあまあ、それほどでもありますけど~」

「サユちゃん、カッコいー!」

「ふへへ~。ノノちゃんもニアのクロスよかったよ~」

「ノノはねっ、サユちゃんの相棒だからっ!」


 ノノちゃんはいつも「サユちゃーん!」「ねえサユちゃーん!」と、試合中に見せる快足とは真逆のぽてぽてな足取りで、私の後ろを追っかけてきた。

 彼女は私のプレーに憧れてくれて、よく見てくれて、しばらくすると息もテンポも合うようになっていて。中盤からミラクルサユを元気に動かし、ときにはボールの逃がし手としてイイ位置にいてくれる、無敵コンビになってくれた。


 ノノちゃんは学校の勉強にしてもこれで頭がよくて、本能的な野生のセンス任せな私に対して、相手を頭脳で揺さぶる駆け引きを知っていた。


「来年、私が中学生になったらさ~」

「やだっ! 私もサユちゃんと一緒にちゅーがくせいなるっ!」

「それはできないけど~、ねえ、女子サッカーチーム作ろうよ」

「女子ちーむ?」

「うん。たぶん男子とはサッカーできなくなるから、女の子だけで~」

「えー、なんでー」

「そういうものなの~。だから、ね? 一緒にやろ~」

「やるー!」

「それで将来は、二人でなでしこになろうよ~」

「なでしこー?」

「日本の最強女子サッカー選手のこと~」

「なるっ! ノノもサユちゃんと、なでしこなるっ!」


 旧四季橋を前に、ハシャぎだしたノノちゃんが元気よく土手から飛び降りた。

 それはたぶん、どちらが悪いとかではなくて。


 ちゃんと土手の壁沿いに降りたノノちゃんも、道路の車線があいまいな道だから、ちゃんと壁側に寄って走っていた黄色い車も、どちらも悪くはなくて。

 ただ、視界に入らない高所から、急に子供が現れてしまっただけで。


「ノノちゃんっっ!!」

「わっ」


 頭で判断することなく、とっさに動けた私はさすがミラクルサユなだけあった。ノノちゃんのあとを追って、土手から飛び降りて、着地でシビれた右足で思いっきり踏ん張り勢いづけて、プチンとなにかが弾ける音がして、彼女の背中のランドセルを両手で突き飛ばして、ノノちゃんは少し先の地面に転んでしまって。


 キキー! 覚えているのは黄色い車が視界いっぱいに近づいているところまでで、ギュッと目をつぶったあとに見えた光景は、真っ白な病院の壁だった。


「……んぅ」

「紗友っ!? 大丈夫かっ!? 意識はあるかっ!? お父さんが分かるかっ!!??」

 大きな大きなお父さんの声。すこしうるさく聞こえたのを覚えている。


「……おとう、さん」

「ああ、紗友……よかった、本当によかった……」

 小さな小さなお父さんの声。とても悲しく聞こえたのを覚えている。


 私はちゃんと最後まで、旧四季橋に奇跡をもたらすミラクルサユでいられた。

 だからこそ、ノノちゃんには転んだときの擦り傷を負わせた程度で、しっかりと助けられたらしい。その代償は、なぜだか動かせないでいる右足。


「おとうさん、私、足ケガしちゃった?」

「……ああ」

「わ~、大変! すぐ直さないと来月の大会が~」

「……紗友」

「? なぁに」

「…………いや、いい。とにかく今は、寝てろな」


 そのときはまだ、ノノちゃんを助けたヒーローになった高揚感で、病状にも関わらずただただ興奮していた。私ってばほんとすごい。えらい。だなんて。


 けれど、一日経っても、二日経っても、一週間が過ぎても。私の右足は思いのほか動かなくて。ベッドから移動させてもらえるのも車椅子だけで。

 お見舞いに来てくれたお父さんの仲間のサッカーオジさんたちも、瞬や慶人くんたちも、いつもの明るさをなくしたノノちゃんも、みんな第一声では普通なのに、私を前に座っていると口をつぐんだ。なにも言えない、みたいなその顔は子供ながらに勘づくものがあって、私だけが知らない不穏さが怖くなった。


 そうしていると当初の高揚感は次第に薄れていき、ジリジリとした切迫感を覚えはじめた。二週間をすぎたあたりで、歩行のリハビリをやらせてもらえることになった。久しぶりに動かした右足は、いつものような身軽さがなくて、錆び付いた機械のような、泥まみれの木材のような、ガラクタのような不快さがあった。

 それでも、そういう不純物を取り払えるのがリハビリだと思ってがんばった。


 けれども、リハビリから一日経っても、二日経っても、一週間が過ぎても。

 私の右足はいっこうによくはならなかった。

 それにイラつきが募って、お見舞いにきたお父さんに詰めかかった。


「……前十字靭帯損傷による機能障害、とのことだ」

「???」

 聞き慣れない言葉。スポーツ選手にはよくあるケガだと、お父さんは言った。

 とくに私は、成長期前の体でサッカーをしすぎたせいもあるとかで。


「紗友、よく聞け。おまえはもう今後……激しい運動はできないそうだ」

「??????」

「だから、な……サッカーはもう……そのな」

 お父さんが言いたいことは、スルッと胸のなかまで入ってきた。

 なるほど。私はもうサッカーをできない体になった、ってことだろう。


 どちらが良かったのかは分からないけれど。私の身体が車との交通事故で負ったケガは打ち身くらいのもので、右足の前十字靭帯損傷はあくまで、衝突事故とは関係なかった。あくまでノノちゃんを助けるときに、毎日楽しくフィールドで走り回り、女子にしては酷使しすぎていた右足の靱帯に、最後のきっかけを与えてしまっただけ。私よりも体の小さなノノちゃんが車とぶつかっていたらどうなっていたかも分からないと、自分に都合良く、己を慰めるように解釈するなら、私は確かに彼女を助けたヒーローでいられた。でも、ケガは自業自得みたい。


 それにそこまで知って、名実ともに旧四季橋のヒーローであるミラクルサユちゃんがすぐさまくじけたかというと、そうでもない。

 私の右足はしばらく調子を取り戻せず、大船紗友不在の四季橋小学校サッカークラブが参加した大会も、瞬たちがボロ負けしてしまう様子を車椅子の上で見るだけだったけれど、二か月もすると普通に歩けるようになった。


 だから、いつものように野っ原を走って、ボールを蹴って、ミラクルサユを取り戻そうとした。すると、最初の一時間くらいは右足に岩が食い込んでいるかのような多少の違和感を覚えるだけで済んでいたのに、ふとした瞬間にパタリ。右足がズキズキと痛みはじめ、また病院にいたときのように動かせなくなった。

 そのたびに明るい声で助けを呼ぶと、息急き切らしたお父さんが私を居酒屋おおふねまでお姫さま抱っこで連れ帰り、薬剤師ながらも簡単な治療はお手の物な瞬のお母さんに泣きついた。病院での治療は必要ない。というよりできない。


 この右足は治ることのない故障。運動以外の日常生活なら問題ないから。

 運動さえしなければ、私は普通の人として生き続けられた。


 前十字靭帯損傷の影響は、人によってそれぞれだと言われた。同じ靱帯損傷でも人によっては走れるし、人によっては歩くことすら困難。共通しているのは、一時の回復は見込めるが、完全な再発防止は不可能ということだけ。

 私の場合、日常生活で歩くくらいは問題ない。走るのは難しい。ボールを蹴るなんてもってのほか。そう何度もお父さんやお母さん、瞬の母親に病院の先生に叱られても、私は不屈でサッカーをやり続け、そのたびに右足を動かなくした。


 大船紗友には、サッカーを諦めないことが必要だった。

 私は違う。私はミラクルサユ。私は日本のなでしこになるのだ。

 だったら起こせない奇跡なんてそんなにないはず、って。


 だから奇跡の復活を前向きに願い、右足を何度も故障させた。その積み重ねはいつしか悪いツケになってたまっていき、小学校の体育の授業すらも困難になってしまった。けれど、私が求めるのはサッカーができるか、できないかだけ。

 それ以外の支障がこの先いくら増えようが、一向に構いはしなかった。


 そうしてこの右足には、何度も、何度も、無理な挑戦を強いた。


 だけど、さすがにね。事故から半年も経ったころには諦めたくなっていた。ダメだあ、私はこのままじゃおそらく、サッカーをできないんだあ、と。

 だから、いっぱい考えた。たくさん考えた。するとそのうち、天啓にも似た閃きのアイデアが脳裏に降りてきて「これだ! これしかない!」と喜び勇んだ。


 二階にある自分の部屋で思いついた瞬間、あまりに天才の発想だと思い、止められぬ満面の笑顔を浮かべて、すぐさま一階へ。お父さんに伝えにいった。


「お父さん! 私、右足を切断して義足でサッカーやるわっ!!!」

「紗友ッッッ!!!!!!」


 これ以上ないほどの最適解を考え出してしまったと、その年において最強最高の自信満々な笑顔で言うと、お父さんは初めて、私の顔を引っぱたいた。


 バチンと、ゴツゴツしたお父さんの手ではたかれた頬に、重たい痛みが残った。そのときお店にいた、十人のサッカー仲間のオジさんたちは声を失い、氷のように冷え固まった。最初は「なんで? なんで叩くの? いい考えなのに!」と不思議で仕方なかったけれど、おバカな頭は近々、おバカなりの答えを見つけた。


 あのころの私は、この体を傷つけることに人道的な観念などなに一つ持っていなかった。それよりもサッカーができるか、できないかが重要なのだから。

 けれど、私は引っぱたかれて助かった。仮に、この右足が邪魔だからと切断して義足をつけたところで、サッカー選手に求められる本気のフィジカルは取り戻せない。それにもし、そんな考えでアンプティサッカー(切断障がいサッカー)に潜り込もうものなら、選手として以前に、人として軽蔑されていただろう。


 そうして私は、この右足を一生どうすることもできないのだと知り、その日からすべてを、ちゃんと、しっかりと、諦めた。サッカーはもうやりません。やれないし、やりたくないし、なでしこにもなれないし……ううん。

 もしかしたら、ミラクユサユという地方で浮かれていただけの凡才少女が井の中の蛙だったって知ることになる未来もあっただろう。それも含めて、今までの人生はすべてはひとときの夢。夢はもう悪夢に変わったのだから、もうサッカーはしません、見ません、求めません。これ以上はもう、蹴りません。


 児童ながらも長らくサッカーをやっていたから、体が故障したプロ選手のそのあとの事例もいくつかは知っていた。私のように後ろ向きじゃなく、前向きに関わっていくことを決めた人たちの声をいくつも聞いた。それでも、私の身体の内側には、話を聞いて知るだけで理解して納得してやりたくない絶望があった。

 私はそれが痛くて、それに負けて、サッカーからは目を背けた。


 そのせいだ。お父さんたちがサッカーに関する話題を控えるようになったのは。私に気を使ったから。旧四季橋商店街の人たちもそう。サッカーをできない私を傷つけまいと、ミラクルサユの名は見えないゴミ袋に放ってどこかに捨ててくれた。そんなことがあっても、当たり前だけど瞬や慶人くんはサッカーを辞めなかった。それでも彼らは中学以降、サッカーの話題をほとんど口に出さなかった。


 でも、ノノちゃんだけは、私の右足が一生治らないことを知った日、四季橋小学校サッカークラブを辞めて、学校や近所でも私に近寄らないようになった。たまたま会ってしまったときは「……なんですか」と邪剣な女の子になった。

 そこに憤りはない。ノノちゃんにせよ、憧れ……くらいは言っていいはずの先輩にケガをさせた自責の念はあったのだ。そこに触れたことはないけれど、それくらいは分かる。もう一生、サッカーをやらないという決意が、彼女なりの禊だったのだろう。私も彼女の人生の重しになりたいとは思わない。ミスったのは私なのだ。ノノちゃんが傷つかずに余生を過ごせる姿勢がそれなら、納得を示す。


 だから、ノノちゃんを助けたあの日の大船紗友に思うことはない。

 だけど、ノノちゃんを恨んでしまう自分勝手な気持ちは、今も少しある。

 全部、自分でやったくせにね。「なんで私がこんな目に」って思っている。

 どうしようもなくバカなミラクルサユは、小さな八つ当たりのトゲを抜けない。


 それに、さっきだって。


『いえ、ほんとに。私はもうやらないし、やりたくないんで。安心してください』


 まだサッカーができるくせに、したいくせに、なぜかやらないでいる。

 なぜか? 決まってる。私がいるからだ。恨めしそうな妖怪がいるからだ。

 だから息が詰まっても言ってやりたい。「やりたいなら、やれば?」。


 羨ましいのは本当だけど、やりなよ。やってほしいよ。私のためにやめないでよ。私は平気だよ。ほら、今なんかこうしてサッカーの監督までできちゃってる。なんて、チームのためとは別の気持ちもあって、ノノちゃんをブリッジスのコーチに誘った。五年も経って平然とサッカーに関われるようになった私を見せつけて、ノノちゃんを入口まで追い詰めようとした。そして気付けばみんなに嫉妬し、我慢できなくなり、相棒のボールとともに夜に飛び出して、このザマだ。


 いろんな気づかいを見て見ぬふりして、みんなに気を使わせてきたのに。

 もうサッカーなんて大丈夫になったフリをしたら、大失敗したのが今。


「はい、ヨシっと。ひっさしぶりにやったわね、紗友ちゃん」

 居酒屋おおふねの二階。私の部屋のベッドで。

「えへへ、申し訳ないです紀子さ~ん」

 誠意のない謝罪をしているのが今。


 瞬のお母さんで、近所のよしみから私のかかりつけ医師的な存在の千藤紀子さんが、中学二年生の文化祭ぶりくらいだろうか? 数年ぶりにやらかした私の右足にいつもの気休め程度の軟膏と、本命のテーピングを施してくれる。


「感覚的に、何日動けないコース?」

「一週間くらいじゃないかなって。久々なんで分かりませんが~」

「あんたねえ、もう子供じゃないんだから。一生コースだってありうるわよ」

「ううう、すみませ~ん」


 明かりをつけただけの殺風景な自室にいるのは、私と紀子さん、お父さんと瞬、それと部屋のドアの外に突っ立っているノノちゃん。ほかのオジさんたちはわざわざ一階で待っている。深刻そうな顔でもさせちゃってるかもしれない。


「紗友ちゃん、明日って、あれなんだっけ。ジーサンズの試合じゃなかった」

「ブリッジスですね」

「そう、それよそれ。まったくいい年こいて、たまったもんじゃないわよ」


 そう言いつつも楽しそうな紀子さん。彼女もウチのお母さんと同じく、四季橋高校サッカー部の時代に、当時の千藤さんのファンになった女性だ。


「場所は近いんだっけ? 明日病院に松葉杖とりにいって、車で運んであげるわ」

 そういうサポートもデキる女。さすが腕前で総合病院に頼られる薬剤師。

 だけど、まあ、ごめん。


「ううん、いいや……ねえね、お父さん」

「っ、なんだ紗友」

 話を振られるとは思っていなかったのか、緊張顔のお父さん。

 その受け止め方は、あながち間違っていない。


「明日だけど、私さ、こんな足だから。迷惑かけるし、行くのやめとくね」

「っ、紗友、だがな……」

 持ち前のプレーの小賢しさを思い出し、自分の意地の悪さを披露する。


「ああ、ごめんね。ちゃんと言うよ。もう私、ムリだと思うから」

「…………」

「ブリッジスの監督も辞めさせてください。ずっと迷惑かけて、ごめんね」


 もう私のお役目は返上。失敗したし出番なし。これ以上、恨めし妖怪にサッカーを、みんなして楽しそうにやるサッカーを見せないでください。

 まるで興味がなくなるまで、我慢する必要すらなくなるまで、本当の意味でちゃんとした大人になれる日がくるまで、またサッカーからは離れるよ。


 そうしなきゃさ、ことあるごとに呪詛を吐く怪物のように、自分勝手な気持ちを抑えきれない。それでさっきみたいな事件を何度だって起こしちゃう。

 あれだね、これも一種のフーリガンってやつ?


「ノノちゃんも」

「――ッ」

 部屋入り口の外に立つ後輩を、ビクンとさせてしまいつつ。


「そういうわけだから、ごめんね。明日からみんなのことよろしくお願いします」

「……ハイ」

 それだけ言うと、ノノちゃんは両肩を落として一階に降りていった。


 さて。これにて久しぶりに思い出したサッカーの付き合いはおしまい。

 ブリッジスの今後の大健闘は、デキる後輩ノノちゃんに任せるとしよう。

 まあ、みんな続けてくれないかもだけど。せめて明日くらいまではね。


 いずれにせよ、私がいようがいまいが、みんなのサッカーに変わりはない。

 むしろ、私がいないほうが恨めし妖怪の視線を感じないで済むぶん、これまで以上に気持ちよくサッカーをして、今までのため込んだストレスを発散できるかもしれない。大船紗友はどうせ最初から、べつになにもしていないのだから。


「じゃあ、おやすみ。お父さんも明日がんばってね~」

「……ああ」


 あいまいま表情を浮かべる紀子さんが、沈んだ面持ちのお父さんが、私の部屋から出て行ったあと。「……紗友」瞬が私の名を呼んできたけれど。


「なに」

「…………いや、なんでもない」

 なんでもなくない顔で、出ていくだけだった。


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