四〇年ぶりの元サッカー少年たちよ!(2)
私たちが到着したとき、旧四季橋の下にある野っ原にはまさに。
見るも無惨な、オジさん地獄が広がっていた。
「オエエェェ……」汚い。
「ゲホッ、ガホッ、し、死ぬぅ、死んじまうぅ……」
「オエェ……」汚い。
「た、たった数十年でワイはこんなにも……」
「オェ……」汚い。
「オエエエエェ……」すごく汚い……。
ネットのない枠だけのゴールポストが二つある、砂地の野っ原。お父さんと千藤さんは立っているが、最年長一人を除いたオジさんたちは全員えづいてる。
様子を目にした人たちの十人中十人が「オジさんらの死屍累々」みたいな題名を付けるであろう、その悲惨な光景は、枠だけのゴールを背後にした五人と五人が、「FW」(フォワード)、「MF」(ミッドフィルダー)、「DF」(ディフェンス)、「GK」(ゴールキーパー)と言えなくもないポジションの前後列を成していることで、かろうじて「サッカーの試合かもしれない……?」。
などと言えなくもない構図だった。
端的に、オジさんたちがはしゃいでサッカーをしたら。
運動不足の現実に打ちのめされているだけっぽかった。
「お、お父さん、だいじょ~ぶ~?」
心配になり、土手道の階段を降りて駆け寄る。
「さ、紗友……あ、あったり前だ! ゴラァ服部! 前入れろ前っ!」
気張って指示を出したお父さんの両足は、プルプルしている。
四十年前は“白銀の右足”と評されていたらしい、父の頑強そうな両足。
私が追いつくまで五分ほどだったはずなのに、今や生まれたての子鹿。
「親父っ! トップのくせして足止めてんなよ、このザコ!」
私の背にピッタリついていた瞬が、非情なアドバイスを飛ばす。
「しゅ、瞬……やろう! おい大サンダー! 最終ラインで止めろっ!」
千藤さんも全身ガックガクな感じで、完全に疲労しきっている。
十八歳で四季橋高校の名ストライカーだったらしい、瞬のオジさん。
頼りない足つきは、まるで挑戦的なロボットの失敗作を見ているかのよう。
「ガッハッハ! 情けないジジイどもじゃな、紗友ちゃんよお!」
一人、フィールド外にいたのは最年長の郷里さん。通称“OB大明神”だ。
「も~、みんなでサッカーしちゃったんですか~」
「ガッハッハ! ワシもやりたかったんじゃが人数がなあ!」
お店にいたときはサシの勝負みたいなノリだったのに、結局みんなして参加してしまったらしい。チーム分けもその場の空気で決めたのか、お父さんチームvs千藤さんチームに分かれてはいるけれど、これまで何度となく聞いた思い出話と照らし合わせるとポジション合わせも無理やりで、MFもDFもあべこべだ。
「最っ悪ですね。オジさんたちが過去の栄光だけでフットボールやる姿ってー」
ノノちゃんが毒づく。それを聞いた最年長、郷里さんがプチっとなる。
「おい小娘! こちとら年齢でも学校でも、おまえの大先輩やぞ!」
過去にサッカー部を栄光に導いたOB大明神のお叱り……だけれども。
「ハァー? だからなんですぅ? こんなプレイで褒めてほしいんですぅ?」
「ぐ、ぐんぬぅ。ワ、ワシらはこれでも昔、四季高イレブンとして――」
「それ過去の話ですよね? マウントやめてくれません? おじーぃさん」
「だ、だーれがおじいさんじゃい小娘! こちとらまだ六十五やぞ!」
不遜な小娘の無礼に怒って返すも。
「えー? なら合ってるじゃないですかー。ねえ、おじーーぃさん」
「ぐ、ぐんぬぅ、こんの小娘がぁ……」
OB大明神は、孫のような年ごろの美少女に言いくるめられてしまった。
「まあまあまあ、ノノちゃんも郷里さんも落ち着いて~」
「つーか紗友、そろそろ止めねえとおっさんたちイクんじゃねえ」
横合いから瞬が冷静にコメント。たしかに。
サッカーは体のぶつかり合いが激しいコンタクトスポーツのため、普段からろくに運動していないと知っているオジさんがやるには危ない。それに過去の経験があるだけに、変に調子にノって当時を再現しようとされるともっと危ない。
といってもだ。彼らはもはや伝える前から止まっている。
単純に息が絶え絶えで、もう動けるようには見えなかった。
「郷里さ~ん、スコアは何対何なんですか」
「2-2じゃぞ。最初の数分は動けてたんだがよ、このザマや。ガッハッハ!」
元ボランチの郷里さんによる、小気味のよい大笑いが響く。
クタクタになっても一応、歩きの速度でボールを追うオジさんたち。見かけからして体型がだらしなく、お腹のたるみや首元にしわに年齢を感じさせてくる。
お酒はほぼみんな飲むし、人によってはタバコの弊害もあるかも。
元気そうなのは、お父さんの二個上で根っからのGKな最上さんと、最上さんと同期で、人数合わせのGKを務めているMFの八木原さんの二人くらい。
ボールだけは軽やかにフィールドを飛び回っているものの、昔はもっとキレがあったのだろうシュートは、平凡な縦パスに見違えるほど精細さを欠いている。
なんか、見ているこっちがボールに対して「ごめんね」な気持ちになる。
「さすがにしまいじゃな。おうおう大船と千藤! ラスト三分じゃぞ!」
「そんだけ、ガホッ、ありゃ……オエッ、十分だ!」
「言って、オエ……ろ、大悟!」
お父さんと千藤さんが最後の気力を振り絞る。危ないからやめてほしい。
けれど、心配は杞憂に終わってくれた。そもそもお父さんたちは。
トスッ。「十塚さん、ゲホッ、走って!」五十三歳が、六十歳にパス。
ポンッ。「バカ言うな、若えのがいけ兼島!」六十歳が、五十三歳に戻す。
トンッ。「お願いします小サンダー!」最年少の五十二歳が、守りを指示。
ケリッ。「……むり」無口な五十三歳は、現状にギブアップ宣言。
攻撃陣はえづいて前屈みになり、守備陣はパスを回して他人に運動量を押しつけつつ、マンツーマンでもゾーンでもない斬新な固定位置待機で前屈み。
その光景はなんとなく、昔お父さんが買ってきた、選手を盤面についた棒でクルクル回すだけの木製おもちゃのサッカーゲームのことを思い出させた。
ピーッ! 無残な試合の終了の合図として、郷里さんが指笛を吹く。
わずか十五分足らずの試合。疑似ホイッスルが鳴りやむと同時に、フィールドのオジさんたちが思い思いに腰を下ろしたり、寝っ転がったりする。
「きょ、今日はこんく、らいで勘弁し、てやる、あかね……」
「こ、こっちのセ、リフだ、ろーがい、だいご……」
息継ぎが激しくともプライドだけは保つ、大の男たち。
「お父さ~ん、服汚れるから寝っ転がらないで~」
先に心配してしまったのは、お父さんよりも洗濯汚れのほうだった。
「親父、なっさけねえ姿だなあ」
ふがいない父の姿を見てか、瞬がため息を吐く。
「でも、瞬だって四十年後はこうなっちゃうかもよ?」
「……インハイ前に萎えること言うなよな、紗友」
「瞬くんはだいじょーぶでぇす。だってぇ、ワ・タ・シがいますもーん」
「はいはい。ヤノノノがいようがいまいが変わんねえっての」
クネクネしているノノちゃんのかわいこぶりっ子から目をそらして、息を荒げながらも、次第に満足そうに笑い合いはじめたお父さんたちを眺める。
ここ数年、ウチのお店で飲んでいるときはあまりサッカーの話をしていなかったけれど、みんな今でもサッカー少年みたい。すこしまぶしく映るね。
そんな感傷は、野っ原の上にかかる旧四季橋からの罵声に吹き飛ばされた。
「よお【大船頭コンビ】! ずいぶんとおめでたい姿を見せてくれたな!」
四季川に面する、野っ原の直上。橋の上から急なイキリ声。
これまたときどき見ることがある、隣町のオジさんだ。
「おまえ……見てたのか、江崎」お父さんの返答に。
「おい、江崎てめえ、こっちの町内は出禁つってんだろ!」千藤さんが追従。
「歴々の四季高の面々か……カカッ! さすが旧四季橋の旧式だ!」
旧四季橋の先にある渕山町の江崎勇さんは、五十八歳のオジさんで。
お父さんの同期で、他学校のライバルで、二人のお友だち(?)。
「【大船頭コンビ】も老いればこんなもんか。泣けるじゃないか、カカッ!」
「じゃかぁしいぞ、江崎。てめえだってどうせ似たようなもんだろがい!」
「なに言ってんだ千藤。おまえさんと違って、こっちは今も現役だよ」
「……なんだぁ?」千藤さんの怪訝な顔に。
「やってんのさ、またサッカーを。去年からな」
なでつけたロマンスグレーの髪を、橋の強風に煽られている江崎さんが。
「ちょうどいい。おまえらも数が足りてるようだ。俺のチームと勝負するか?」
お父さんたちに、突然の宣戦布告をカマしてきた。
「勝負だと!? サッカーでか!?」
「こっちは渕山高サッカー部の六期から十七期。年齢もイーブンだろう」
「……つってもよお、こっちは練習すらしてねえんだぞ」
「おいおいおい、まさか尻尾巻いて逃げるのか? あの【大船頭コンビ】が!?」
弱気になった千藤さんに、強風で髪がボサボサな江崎さんが追撃すると。
「や、やってやろうじゃねえか、やるぞ茜っ!」
「お、おう! 大悟! それにみんなもだ!」
【大船頭コンビ】が勝手に盛り上がる。無理してる感じもある。
「なら来週だ。最後の年の屈辱、今こそ返す。俺のチーム『マウントス』でな!」
ハジケ具合は微妙だけど、オジさんたちは勝手に熱くなっていった。
……ん~、男の青春時代に終わりはないってことだろうか。
さっきまでは愉快なオジさんたちの武勇伝ごっこだったのに。
偶然にも、それを見た同年代のオジさんに引火してしまったみたいで。
でもさあ、私たち若い世代からするとさあ。
「え~、お父さん、危ないからやめなよ~」
「親父も、普通にケガするからやめとけって。おふくろにどやされるぞ」
「瞬くぅーん、もうオッサンとかどうでもいいから早くデートしよー」
普通にケガが怖いので、やめてほしいんですが?
オジさんになったサッカー少年は、サッカー選手のままなのか?
一区切りまで書き終わっていますので、あとは毎日連載。
ひと夏のスポーツコメディにお付き合いくださーい!