敵はスタジアムにあり!(2)
ツーンと言い放ったノノちゃんが場を乱して、郷里さんが「こんの小娘が!」と怒る、オジさんたちの爽やかな汗が飛び散る、旧四季橋直下の野っ原。
口の悪い女子高生コーチの受け止め方は人それぞれ。正面から怒るのは郷里さんくらいで、最上さんのようにとりあえず従う人、お父さんのようにまずは年上の威厳で受け止めるだけはしておく人など、出方はさまざま。
少なくとも、あまりに過ぎた無礼にも、大人な立場を振りかざす大人はいない。そのあたり、年功序列とは別口の体育会系的なナニかがあるのかも。
例えば「監督とコーチの命令は絶対」「紗友ちゃんの友だちだし」とかね。
もしもそうだったのなら、逆にとても申し訳ない。
「大概にせえよ小娘がっ! ワシらのどこが悪いってんじゃ! ええ!?」
「だから言ってるじゃないですか。お遊びで済まないなら解散してどうぞって」
「お遊びじゃないわい! ワシらにはサッカー選手としての誇りがなあ!」
「だぁから、誇りがホコリかぶってる考えなしのゴミチームだって言ってんの!」
「な、なんじゃとお!? ぐ、ぐんぬぅ!」
うん、ごめんなさい。私が悪かったんだと思う。
ブリッジスのメンバーも、後輩のノノちゃんも、どっちも悪いんじゃなくて。
結果的になんかこう、うまいほうに転がせられなかった監督の責任です。
「乃々さん、だったかな」
見かねた最上さんが、子猫と老猫の喧嘩に口をはさむ。
「年上男性からの名前呼びはセクハラなんで、コーチって呼んでください」
「……じゃあ、コーチ」渋々な顔。感情が複雑そう。
「なんでしょうか」
それに対するノノちゃんのこの堂々さよ。ようやく納得できたよ。
こりゃあ、サッカー部を数日で追い出されるわけだねっ!
「コーチのお眼鏡にかなわないのは、私たちの至らなさだと思う。実際、体の動きがついてこない不甲斐なさを全員感じているところだ。そのうえでもし、その、悪口とかではなく、俺たちが昔のように強くなれる方法があるのなら、君はどうやらサッカー通のようだから。話だけでも構わない。聞かせてくれると助かる」
なんとも真摯な最上さん。波風を立てない言葉選びの謙虚さにグッとくる。
ノノちゃんも悪い子じゃない。口だけが悪い方向に成長しちゃっただけで、今のブリッジスはなにを伝えて、なにをやらせて、なにを考えさせるとか、練習の土台にすら立っていないから、感想が感情のままバシバシ出ているだけなのだ。
だから現に、最初から順序立てて話しはじめると理路整然としている。
「今の皆さんは4-4-2という立ち位置で、足元にボールがきたら動いて蹴っているだけですよね? そこにはインテリジェンスがない。未成熟な時代のフットボールをそのまま持ち越してしまったような化石です。皆さん、昔はけっこうやれたんだろうと思わせてくれる動きはありましたが、いかんせん、体力不足のオジさんです。日ごろから運動すらしていないんだろう、ただのオジさんに見えます」
まったく言葉を飾らない、気持ちいいくらいの正面シュート。
ちょっとだけ褒めが入ってるところに話術のテクニックを感じさせる。
そしてオジさんたちも、言われたことが大当たりすぎて反論できない。
「数十年前の経験の延長線で、昔はこんな感じにやってた、こういうときああしてた、それでワキャワキャ楽しみたいのならそれもいいです。極論、フットボールはパスをつなぎ、ボールをゴールに入れれば勝てるスポーツですから。けれど、それというのは戦略のないスポーツ。単純なフィジカルだけで勝敗を決するケンカのようなもの。そのやり方で楽しんでボールを蹴って、先週やってたマウントスのオジさんとまたやりたいだけなら、どうぞ自分たちで勝手に楽しんでください」
彼女の言っていることはよく分かる。才能や技術は試合の流れを変えるもので、サッカーは野球などと違い、より一人だけでも点数をもぎ取れる。
一人の天才がいれば、一人でゴールを量産することだってできてしまう。
「ですが、フィジカルの否定こそが現代サッカーです。個々人の能力や才能を試合に勝つためのカギとせず、あくまで選手としての素養やシーンごとの選択肢にとどめて、組織と規律で勝利を目指す。それが一握りの天才が生まれることを願うだけのファンタジスタ時代を下した、ポゼッショントータルフットボールです」
お父さんたちの時代、サッカーはさまざまな才能と技術がフィールドを舞う、ファンタジスタと呼ばれるたくさんの天才プレイヤーが中心にいた。
けれど私たちの時代、サッカーは個々人の才能が試合全体の流れを左右するのをよしとせず、並のプレイヤーであっても己をシステムに規定することで、チーム全体の作戦や理念を遂行して勝つ、組織的スポーツとして見られていた。
おかげで、ファンタジスタなるスター的存在はもはや死語。若年層と中高年層とではサッカーに対する認識の隔たりがある。いわく「今のサッカーはこじんまりしててつまらん」とかね。お父さんたちも数年前はよくそう言っていた。
私たちからすれば、往年の天才プレイヤーもカッコいいのに。少し不公平。
「なにもフィジカルをなくせという話ではないです。フットボールがコンタクトスポーツである以上、体格は絶対の武器です。しかし、それを最大の武器としては天才の有無が勝ち負けを決めるゲームになります。それはもはやヤンキーの腕自慢と変わりない。だから現代のフットボールは才能や能力に任せてボールを蹴る前に、哲学と戦術に則って体を動かす。すると知性のない中学生でも、体力のない老人でもルール上の最適解で戦える。分かりますか、オジさんたちに? それがイヤなら楽しく遊んでてください。勝ちたいなら、私でイヤな思いしてください」
今と昔でサッカーが変わって見えるのは、単に戦術が固まっただけではなくて、個人の才能任せにするのではないシステムを構築し、誰もがチームという一つの生物として戦えるようにしたから。変わったのは順序。才能ありきのプレーではなく、組織ありきのプレーで、そのなかで選手たちは才能とフィジカルを競う。
ゆえに、無法な自由人のファンタジスタはもう求められない。現代の選手たちに求められるのは、チームに献身と貢献を尽くし、そのなかで想像を超えた輝かしいプレーをもたらす者。そしてシステムに身を投じつつも世界的な名選手というのは毎年生まれる。だからこの競技は、二〇四二年の今も世界中で人気がある。
やっぱりノノちゃんに頼んでよかった。私では思考も言葉もまとまらなそうなそれを、彼女は誠実なまでにきちんと伝えてくれた。
ブリッジスのスタート地点、足元にある土台を的確に揺さぶってくれた。
「なるほど、よく分かりましたコーチ。そういうことか」
コーチに恭順した最上さんには、しっかりと届いている。
「……コッホン。どうも」
高説を垂れたのが若干恥ずかしいのか、ノノちゃんは咳払いしつつ応える。
彼女らしからぬ殊勝な物腰に、私はちょっと安堵する。
なんだかんだ彼女はいい子だから、この先も安心して任せられそうだと。
だけど面倒なことに、郷里さんの次の言葉が、彼女の逆鱗に触れた。
「なあ小娘。なんじゃおまえ、サッカーをフットボールって呼ぶんじゃ?」
「ハァー?」
個人的には分かるニュアンスの違いなんだけど、ピンとこない人もいて。
「ワタシ、ハーフをミッドフィルダーって呼ぶようになったのが嫌いなのよ」
「ワイもそうや。しゃらくせえよなあ。ハーフはハーフでいいやんけ」
「ハァーー??」
MF陣の八木原さんと兼島さんが、燃料を注いでくれやがり。
「トータルなんちゃらとか意味分からんし、普通に最強サッカーでいくない?」
「……リベロ希望」
「ハァーーー???」
DF陣のサンダーブラザーズも、余計なことを言ってくれやがり。
事実、日本のサッカー界は活動年数と戦術意識の醸成に伴い、各所の用語がどんどん変化した。とくに英字との兼ね合いで横文字の造語も多い文化圏だったから、オジさんたちとノノちゃんの間には現在、言葉が指すものにも違いがある。
「ガッハッハ! のう小娘、こジャレれてないで分かるように話せ、ガハッ」
これぞまさしく、といった年季の入った上から目線が。
「っ! 最っっっ悪!!! 先輩、私もう耐えられません! 帰ります!」
ノノちゃんの繊細な感情をプチンッと断ってしまい。
「えー!? 待って待って、もうちょっと、もうちょっとだけでいいから!」
そのせいで、監督の私はコーチに情けなくすがりつくハメになるのだ。




