再始動! 我らブリッジス!(4)
最後の交渉だけちょっと時間を取られたものの、家を出てから一時間もしないうちに、手際よく十人のオジさんたちの了承を得ることができた。
あとはトテトテと商店街を歩き、居酒屋おおふねに戻ることにする。
時刻は夕暮れ。旧四季橋商店街の出入り口には夕日が差し込んでおり、かまぼこ天井にはオレンジ色の街灯がともる。この光景が昔から好き。
早朝の爽やかな商店街も好きだけど、暖かな色に染められた夜の商店街も好き。おかげさまで自室の蛍光灯も長年、白ではなく茶色を使っている。
帰り道の途中、先ほど言い争っていた十塚さんと服部さんがあとを追っかけてきて、それを店内から目にしたのか八木原さんと末さんもついてきて、視界の先、向こう正面からはサンダーブラザーズと兼島さんもやってきた。
みんなお店番は奥さんらに任せたのだろう。悪いオジさんたちである。
まあ、こういう小さな貸しの積み重ねは、奥さまらの隠しメモに書き連ねられ、そのうち大きな負債となって高額ななにかを要求されるハメになるんだけど。
「ただいま~。千藤さん、みんなサッカーやるって~」
「大船、夜営業はじまってるか?」
「おっ、今日の大皿料理は豚の角煮やん」
「紗友ちゃん作だといいんだけどなあ」
「大船さんの角煮、しょっぱくて硬いんもんなあ」
「うるせえぞ。嫌なら食うな、ゴラァ」
七人のオジさんを背後に従える感じで帰ってきてしまったがために、店内はさっそくにぎやか。みんな気兼ねなく飲んで食べてする空気になっているから、きっと夕ご飯は家を出てくるときに「今日はいい」と言ってきたのだろう。
これが十年、二十年前なら夫たちとしては許されない所業だっただろうけれど、彼らはもう還暦前後。お子さんたちも自立しているし、奥さん方もこういう日ならではの楽しみを、のんきな男たちの数倍分のコストで味わっていたりする。
勝手しているぶんの負い目は、夫側が悪いことした感じで支払ってくれるのもあり、奥さん方は手の内さえ明かさなければ、みんな幸せになるのである。
「おおーっし! ってことたあ、大悟以外はみんなやるってわけだな!」
お父さん以外の全員が参加したと知り、千藤さんが歓喜する。
十対一なのは事実だから、お父さんは形勢が悪そうだ。
「おい大悟! ブリッジスはおまえ以外、全員やるってよ! どうだこら!」
「……だからなんだよ。ウチには関係ねえ」
苦々しい顔でお父さんがそっぽを向く。でもお店の都合上、割烹着を着終わり、髪をゴムでまとめ直した私が厨房に入るから。
ウェイターであるお父さんは、騒ぎの中心から逃れられないのだ。
「ガッハッハ! 大船、おめえさんも意地張ってねえでサッカーやろうや!」
「郷里さん、これは意地じゃなくて、その、お店とかの問題ですから」
「は~い、ししゃもの一味マヨ醬油、お待たせ~」
「大船、この店は私たちの拠点のままだ。売上の貢献は善処するさ」
「最上さん、それもそうですが……俺がいなきゃ紗友が一人になっちまうんだよ」
「は~い、ホタルイカの沖漬け。今日のは大ぶりですよ~」
「大悟。むしろおまえがいなくても、紗友ちゃんだけでやってけんじゃねえ?」
「ゴラァ! なめてんじゃねえぞ茜っ!」
「お父さんってば怒鳴らないの。はい梅水晶、手作りじゃないですけどね~」
ワイワイ、ガヤガヤ。みんなしてお父さんを弄りつつ、それでいてブリッジスへのお誘いを続ける。お父さんが渋っている理由は分かっている。
もし十一人でサッカーをすることになれば、多かれ少なかれ、居酒屋おおふねを私一人で切り盛りするしかない時間が生まれてしまうから。
私は大丈夫。べつにすることもないしね。監督だからって練習にまで足しげく通うつもりもないし。でも、お母さんもいない今、お父さんは私のためを思ってくれているから、サッカーはもうやらないと言い張っているのだろう。
そこはありがとうって思う。実際、お店の料理はほぼすべてに私が絡むけれど、だからといって私一人で切り盛りできるかと言われると、みんなの四分の一しか生きていない十六歳の女子高生には荷が重い。不安になっちゃう。
でもまあ、サッカーだしね。お父さんは今も大好きだろうし、やりたくて仕方ないに決まっている。私の手前、その素振りを見せないようにしているだけで、私がいないところではきっと昔のようにサッカー談義だってしているはずだ。
お父さんはブリッジスで、サッカーをやるべきだって思う。
私はできれば、これまで以上の足かせにはなりたくない。
ただでさえ、心配や負担をかけ続けてきたのだ。
「いい加減にしてくれ! だから俺はもうサッカーはやらねえって――」
「お父さん、いいって。やりなよ、サッカー」
ここは一つ、紗友ちゃんが大船をこいでやりますか。
「……紗友。いいや、俺はやらん。俺だけサッカーなんて、絶対やらん」
「いいよ、気にしないでさ~。お店のことだって、できる限りがんばるし」
「ダメだ。任せられねえ。未成年の娘に居酒屋を押しつけるなんざ、恥だ恥」
「べつにいいのに~。お父さんだってサッカーやりたいでしょ?」
「誰がサッカーなんざ、べつに、やりたくも……ねえ」
やりたそうすぎるんですけど。
「も~、強情だな~。お母さんだって好きにしたんだよ~?」
「その美奈もいねえんだ。なのにおまえの前で、俺だけサッカーなんざ……」
重たい表情で歯を食いしばるお父さん。そこに。
「大悟くーん、紗友ちゃーん、ただいまー」
ガラガラガラ。都合よく聞こえてきたのは、待ってましたな女性の声。
「あ、お母さ~ん! おかえり~、早かったね~」
「み、美奈っ!? 今回は五月くらいまでの滞在のはずじゃ!?」
「それがねー、奄美群島に台風が直撃して、みんな引き上げてきたのよー」
遠くにいっていた、日本の南西にある奄美群島に行っていた。
居酒屋おおふねの女将にして、昆虫専門の大学研究者のお母さんが。
なんともまあ、都合よく帰ってきたのだった。
「おー、美奈ちゃん! いいところに帰ってきた! ベストタイミングだぜ!」
「あらあ、茜くんたち、また夕方から飲んでるのー?」
「美奈さん、お帰りー」
「お酒いただいてまーす」
「美奈さんの料理が恋しかったんですよお。あっ、紗友ちゃんのも最高ですが!」
「ガッハッハ! 紗友ちゃんのあの、卵のやわっこいあれとかな!」
「はいはいはい、皆さんは相変わらずお元気でー」
ベージュ色のキャスケットの下からフワフワなパーマ髪をのぞかせ、生まれつきと言わざるを得なさそうな愛嬌のある笑顔でニコニコと笑いつつ、お母さんが白い大きめのスーツケースを店の奥、大船一家の住居スペースにあたる袖の向こうに置いてくると、長距離移動の疲れもなんのその。すぐにヘルプに入った。
娘から見ても、実にエネルギッシュなお母さんである。
「ここ半年ね、大悟の大皿料理は食えたもんじゃなかったですよ」
「あらあ? 大悟くん、もしかしてお料理作ってたの?」
「……うぐっ」
「大皿だけね~。私が教えたの。さすがに学校と両立はつらかったから」
「あらあ、さすが紗友ちゃん。私がなんべん言っても覚えてくれなかったのにー」
お父さんは「料理は女の仕事だ」などと時代錯誤な一面がある。それでも、愛しき娘の毎日を代償にできるほどのプライド強度じゃなかったわけだ。
お店に入ったお母さんは私の役割を奪うでもなく、お皿運びに注文受けにお皿洗いと、目についたできることをまず片づけた。要領がすごくいい。
ウチは厨房にお母さん、給仕にお父さん、忙しいときの間の子に私といった三人態勢が基本。でも、お母さんは学生時代に専攻していた昆虫研究の延長線で、わりと権威のある知り合いの大学教授さんからときどき「国内外の昆虫研究ツアー」のお誘いを受ける。そういうことはこれまでも年に二回、三回とあったから、私も中学生になってからはお店の手伝いに入るようになっていった。
だが、今までは一週間くらいの「居酒屋女将の息抜き小旅行」程度だったのが、今回は一部地域の生態系に関する本格的な論文更新に向けたプロフェッサー集団による遠征だったことで、およそ半年間という、初めての長期の留守になった。
それもあり、お父さんは余計にピリピリな日々をすごしていたのだ。
「それでー、今日は大勢いるけど、なにかお祝いごとー?」
「いやなあ、美奈ちゃんよう。実は俺らでサッカーチームを結成してな」
ニヤニヤと千藤さんが口にすると。
「あらあ、いいじゃない。うふふ、大悟くんの白銀の右足をまた見られるのねー」
「…………」
お父さんとお母さんの出会いは、四十数年前の四季橋高校でのこと。
昆虫マニアのお母さんに、お父さんが一目惚れしたのがはじまりだって聞いた。
「いやなあ、美奈ちゃんよう。大悟のやつ、俺はやらねえ! って意固地でよ」
「あらあ、もしかして紗友ちゃんに気を使ってたのかしら?」
「そんでまあ、タイミングよく店の大黒柱が帰ってきたってわけだ」
「あらあ、ベストタイミングー」
お母さんと千藤さんと服部さん、彼らの奥さんも高校時代から仲良しだから。
流れさえ読めれば、たくらみにはすぐに加勢して人数差を作る。
「紗友ちゃんは、へーき? 大悟くんいないと、お店も頼りにしちゃうけどー」
「うん、平気。べつにいいよ~」
お店のことはこの数か月でだいぶ学んだし。お母さんもいるならね。
「そう。なら大悟くん、サッカーやりなさいな」
「……いや、だが、俺は、紗友を店に置いてサッカーなんて」
「だって、あなたがサッカーしないほうが、紗友ちゃんだって心配しちゃうわー」
「……でもよお」
「うふふ。それに私、サッカーやってる大悟くんのこと、また見てみたいわー」
「…………」無言で口を閉じる。
「うぇーい! 野郎どもお! これで旧四季橋イレブンがそろったぞぉ!」
お父さんは無言だったのに、千藤さんは勝利の雄たけびを上げた。
「よっしゃー!」
「やるぞー!」
「マウントス、次こそぶっ倒す!」
「ガッハッハ!」
ほかのオジさんたちも、大船に乗ったかのように意気込む。
ここにいる昔なじみのオジさんたちには周知の事実なんだけど。お母さんが旧姓の半田美奈であったころから、今もなお大船美奈にベタ惚れしているお父さんは、彼女のこういった口説き文句に折れなかったことが一度もないのである。




