四〇年ぶりの元サッカー少年たちよ!(1)
「ゴラァ! だったらやってやろうじゃねえかオモテ出ろ、茜ッ!」
私のお父さん。角刈りのコワモテと体格がイカつい。
「じゃかぁしい! 二度とツートップたあ言わせねえぞ、大悟ッ!」
父の親友のオジさん。線が細いけど短髪で気が強い。
「まあまあまあ。お父さんも千藤さんもそれくらいにしなよ~」
二〇四二年。うららかな四月の日曜日。時間は正午すぎ。
都内の古い商店街にあるウチの居酒屋は、今日もお昼から騒がしい。
「ガッハッハ! そうじゃそうじゃヤレい大船も千藤も!」
「ハハハ、勝ったほうはトップ下の僕が優遇してあげるよー」
昼間だからお酒は飲んでいないけれど、周囲の九人のオジさんもうるさい。
昭和と平成を貫き、令和の世もどうにか生き残っている旧四季橋商店街。
四季川にかかる四季橋の移設に伴い、商店街ごと「旧四季橋」扱いされた地方。
その一角には地元の皆さまに愛される――というより、そろそろ地元の中高年にしか愛されていない居酒屋「おおふね」で、二人のオジさんが言い争って、九人のオジさんがはやし立て、うら若き女子高生の私……大船紗友は困ってます。
「も~、郷里さんも服部さんも変にノらないでくださ~い」
「コラ、大船に千藤。紗友ちゃんの前でそうはしゃぐな」
最年長は六十五歳から、最年少は五十二歳まで。平均して六十歳前後の男性方。失礼ながら、俗に言う「オジさん」たちは無謀な戦いの火花を散らしていた。
きっかけは私のお父さんと、父の幼なじみの千藤さんの思い出話だ。
「大悟てめえ! 四季高サッカー部の十一期エースはオレだろがいッ!」
元気で小柄なオジさん。千藤茜さん。ポジションはFW。
体の線は細いけれど、逆立った短髪が男らしい。名前はかわいい。
「ぬかせ茜! おめえなんざ、俺がいなけりゃ0ゴールでしめえだッ!」
私のお父さん。大船大悟。ポジションはFW。
いかめしい角刈り頭とがっしりな体格は、ここ居酒屋おおふねの看板。
そんな二人と九人は町内会合と称しつつ、その実態は古なじみが集まってウチでお昼を食べるだけのランチ会で、ふとしたことから言い争いになった。
詳しくは厨房で料理していた私には分からないけれど、どうも「あのころのサッカー部でどっちが本物のエースだったか」でモメているみたい。
まあ……う~ん……。
だけどさ~? それってさ~?
「二人とも~。四十年も昔の話でモメないでよ~」
ズバリ、そういったわけでして。
今や五十八歳の二人が、四十年前に私の一つ上、十八歳だったころの。
彼らがまだオジさんではなく、元気なサッカー少年だったころの話。
よくもまあそれでケンカできるものだ。オジさんたちって不思議。
にも関わらず事態はどんどんと過熱していき、挙げ句の果てに。
「紗友、昼は店じまいだ! 茜はそこのボール取れ。野っ原いくぞゴラァ!」
「上等だあ! 図体だけのアシストマンにストライカーの神髄を教えたるわ!」
店内入口の神棚に飾ってある、古めかしいボールがつかみ取られると。
お父さんと千藤さんが仲良くお店を出ていってしまった。
「ガッハッハ! これが夜じゃったらマズい肴にでもなったんじゃがのう!」
「紗友ちゃーん、店の表札も準備中にしとくねえ」
「あっ、服部さん。ありがとうございま~す」
続けて残りの九人……お歴々の四季高サッカー部員たちも出ていく。
行きつけの当店への配慮も勝手知ったるコンビネーション。
昼明かりをふんだんに取り入れ、もとい真昼間の電気代をケチっているお店から十一人ものオジさんが一斉に出ていくと、ほかにお客さんはいなくなった。
テーブルのお皿は片付けて洗ったあと。私もとくにすることがない。
(……お父さんたち、サッカーやるのか~)
お客さんのいない日曜日の居酒屋のお昼は、当たり前だけど暇である。
次に忙しくなるタイミングは、お父さんたちが好き勝手に騒いで戻ってきたあとと、それから気をよくして家に帰った彼らが、奥さんたちに叱られた順にポツポツと逃げ込んでくるときくらい。その程度でもウチは大繁盛だけどね。
う~ん、今日はとくに友だちとの用事もないし。
だからまあ、まあ、私もちょっと見にいこっかな?
夜用に煮付けていた赤魚の火を止め、大皿料理のブリ大根、なすの辛味噌炒め、いろいろきんぴら、鶏胸肉の竜田揚げにサランラップをふんわりかける。
店内のかすかな電気を落とし、白い割烹着は脱いで戸棚へ。そのあとゴムで縛った後ろ髪を下ろすと、衣服に引っかかりづらいという私流テクニック。外出用のクッション性の高い運動靴に履き替え、お父さんたちのあとを歩いて追う。
ガラガラ。滑りの悪い木造の引き戸を開くと、その先は一本の大通りからなる、かまぼこ状の透きとおったアーケード天井がキュートな旧四季橋商店街。
ここ居酒屋おおふねは二階建てで、大船一家は商店街の住人らしく店の奥と二階を住居としている。だからこの大通りは、私が生まれたときから日常空間。
ついでに人通りがあまりないのも、物心ついたころにはいつもの光景。
旧四季橋商店街が賑やかになるのは、だいたいお祭りのときとかだけだ。
「おい紗友、どっか行くのか」
商店街に踏み出した直後、斜め向かいの家から男の子に呼び止められた。
下の名前を気安く呼んでくるその声は、よく知ってる瞬のもの。
「うん。瞬もどっか行くの?」
「学校にトレシュ忘れた。昨日洗うの忘れてて取りにいくとこ」
力強い目線でジッと目を見て話してくるのが、瞬のクセだ。
中学時代までは短髪だったサッカー少年も、近所の四季橋高等学校に入学してからはシャレっ気づいたのか、サラサラ髪を伸ばしはじめた。彼はお父さんといがみ合っていた千藤茜さんの息子で、斜め向かいに住んでいる私の幼なじみ。
旧四季橋の近辺ではけっこう有名なサッカー男子。
千藤瞬である。
「さっきね、お父さんと千藤さんがモメちゃって~」
「は? なんで」イイ顔でキョトンとする。
「昔、どっちがFWのエースだったか、今から野っ原で決めるんだって~」
「……アホかよ、あのジジイ。年齢わかってのか」
女子人気が高いとウワサの切れ長の目が、疲れたようにゆがんだとき。
瞬の背中から――ピョコンっと。
派手な髪色の美少女が、甘ったるい顔つきで生えてきた。
「サユせんぱぁーい? 隙あらば瞬くんとイチャつくのやめてくれませーん?」
「あれ、ノノちゃんだ。瞬と一緒だったんだ」
「もっ…………っっっちろん!!! 私と瞬くんの仲ですからねッ!」
「ふざけろ。今さっき来ただけだろが。こっちからは見えてんだよ」
「えー! 瞬くんってばヒドーーーイ! なーんてテヘッ」
明るめな茶髪のベース色に、垢抜けたハイカラーのグラデーションが目を引く、雑誌のモデルさんみたいなギャル味のあるワンサイドボブショートの後輩。
田舎な旧四季橋の町中でも野暮ったく見えないから、ふつーにすごい。
彼女は矢野乃々ちゃん。通称ヤノノノちゃん。高校二年生の私と瞬の一個下で、四月に同じ四季橋高校に入学してきた、小学生のころからの顔なじみ。
サッカー大好き女子で、瞬のことも大好きで、私のことがちょい嫌いだ。
「ノノちゃん、四季高でもサッカー部のマネージャーさんなんだってね」
「えー、まっさかー。サッカー部がダメダメすぎて二日で辞めてやりました」
ものすごくあっさり言われて、驚くまでに時間がかかった。
「え~、だって瞬たち、去年は準優勝だったし、普通に強豪じゃないの?」
「フンッ。私とはフットボールのチームフィロソフィが合いそうにないんで」
右顔にだけかかる姫髪を可憐になびかせて、ノノちゃんが豪語する。
「ヤノノノ、マネージャーのくせに戦術語るから、ウザくて監督に追い出された」
「瞬くぅん!? 違いますぅ! 監督が私の哲学を理解しなかったからですぅ!」
「入部早々、俺らスタメンにストーミングの説教してきたんだよ、コイツ」
ノノちゃんはプレイヤーではないけれど、サッカー好きだからね。
中学時代もマネージャーをやっていたし、悪く作用してしまったみたい。
「二人とも学校いくの? なら、野っ原まで一緒にいこ~」
「ああ。ついでに親父も連れ帰すわ」
「えー! おじいさんのフットボールとかぁ、私ぃ、見る気しないんですけどぉ」
分かりやすくツッマンネエな顔をしたノノちゃんに。
「おまえは誘ってねえぞ、ヤノノノ」
バッサリいく。さすがストライカー。
「えー! 瞬くんってばヒドーイ! ブーブー!」
ノノちゃんもかわいく膨れた顔で抗議する。
「まあまあまあ。瞬もノノちゃんもとりあえずいこ~」
関係性に変化はあるが、なんだかんだの古なじみ。
ノノちゃんが一人かわいらしくブーたれるなか、私たちは旧四季橋商店街の入口を抜け、四季橋高校に向かうまでの中間にある、二十五年前まで四季橋と呼ばれていた、都内の四季川をまたぐ「旧四季橋」の下。通称「野っ原」に向かった。
そして、そこで、私たち三人は見てしまった。
「う、うわ~……」
「さすがオヤジども……」
「こ、これが、まさか、フットボールなんですか……?」
それはもう、語るも愚かで壮絶なサッカーを目の当たりにしたのだ。