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8.図書館での出来事

「ブリジット様は本を読まれるのがお好きなのですか?」


 図書室へと向かう通路の途中、不意にエリーズが話しかけてきた。


 図書室は城の北側にある建物の一階にあった。

 この城は主に三つの建物からなっていて、それぞれは回廊で繋がっている。城壁に囲まれているこの城は外から見るととても大きな城に見えるが、そのほとんどは中庭や前庭が占めていて、居住空間はさほど広くない。国王の居室は東側の建物にあり、ブリジットの居室は西側にある。図書室がある建物はブリジットの部屋がある建物から一番離れている。大きな城なので少し距離があり、ゆっくり歩くと四半刻ほどもかかるだろうか。


「ええ、そうね……。いえ、好き嫌いに関係なく私ができることと言ったら寝ていることと、ぼんやりと外の風景を見ていることと、気分のいいときに本を読むことくらいだったから」


 幼少期からずっと病弱だったブリジットである。

 外に遊びに出掛けることは許されず……というよりもとてもそんな体調ではなく、散歩をすることすら三ヶ月に一度、とびきり体調がよいときにできるくらいだったのだ。


 本を読むのも疲れてしまう。

 だから本は読み聞かせをしてもらうことも多かった。寝る前に母に読み聞かせをしてもらったことは、懐かしい思い出だ。


「まあ……、そうでしたのね」

「でも、今は身体がかなり丈夫になったから心配はいらないのよ。読書だって散歩だって特に支障はないの。自分の生まれ育った土地から、こんな遠くまでもやって来られたのだから」


 それが、幼い頃からほとんど外出もままならなかったブリジットの安心材料になっていた。体調がよくなったとはいえ、少しの不安はあったのだ。こちらで来る途中で急に体調を崩してしまって、またしばらく寝たきりになってしまうのではないか、と。


 しかしそれは杞憂であり、病弱なブリジットのためと余裕をもって取られた旅の予定は大幅に繰り上がることとなった。


「それでも、どうかご無理はしないでくださいね。お体の具合が悪いときにはすぐに私にお知らせください」

「ええ、ありがとう」


 こちらに来てよかったことのひとつが、エリーズのような侍女を得られたことだった。

 図書室はあまり日の入らない場所にあった。部屋全体がひんやりと冷たい。壁一面に書棚があり、部屋の中央にも書棚が並んでいたのでかなり蔵書があるようだが、古い本が多いのか、かび臭さが漂っていた。


 ただでさえこの城は、敵の攻撃から耐えることを意図して作られたせいなのか窓が小さく、そのほとんどに鉄格子が嵌められている。改築したと聞いていたので、そのときにこの鉄格子は外せばよかったのにと考えてしまう。城全体が、なんとも物々しい雰囲気なのだ。


「私が読める本があるかしら?」


 苦笑いを漏らしながら中央に三列並んだ書棚の一番手前から、なんともなしに赤い背表紙の本を引き抜いた。その途端に埃が舞い、少々咳き込みつつも本を開いてみる。


「そうですね、古い城ですし、娯楽になるような本はないのかもしれません」

「ならばどうしてフィリップは私に図書室のことを教えたのかしら?」


「あまり深い考えはなかったのかもしれませんね。フィリップ様は元は騎士団の方で、あまり本を読む機会もなかったのではないでしょうか。クロード陛下の王妃となられる方は物静かで、本を読むのがお好きだと聞いていたから勧めただけで、ブリジット様が好むような本があるかどうかはあまり考えていなかったのではないでしょうか? フィリップ様がこの図書室に出入りする姿を見かけたことはありませんわ」


「ああ、言われてみればそうね」


 ブリジットは手に取った本を書棚に戻した。経済学に関する本で、あまり興味を惹かれなかったからだ。

 隣の書棚に移動し、自分の目の高さにある本を手に取ってみるが、今度は植物学に関する本だった。経済学よりは楽しいかもしれない、とぱらぱらと頁をめくっていく。


「あのぅ……ブリジット様?」

「なにかしら?」


 本に目を落としたままで声を上げる。


「この本を持ってクロード陛下の部屋でお読みになると、先ほどお話していたようですが」

「そうね」


「おやめになった方がよろしいのでは? 本を読みたければご自分のお部屋か、ほら、そちらに椅子とテーブルがございます。そちらでお読みになっては? 少し肌寒いので、暖炉に火を入れさせますので」


 言われて見ると、窓際に凝った文様が盤面の横に刻まれたテーブルと、猫足の椅子があった。すぐ近くには長い間使われていないようだが、暖炉もあった。


「どうして?」

「クロード陛下のお部屋に居てもなにもないかと思われるからです。ご意識がない状態では……」


 エリーズはそう言うが、クロードは目を開いて椅子に腰掛けている状態であった。

 話すことも見ることも、指を動かすこともできないかもしれないが、もしかして意識はあるかもしれない。いや、そう期待したいだけなのだろうか。


「私がクロード陛下に嫁ぐ意味とはなんなのか、ずっと考えていたの。私が妻として、せめて彼にできることはあるかしら、と」

「それは……」


 エリーズは気まずげに瞳を伏せる。


「私ができることといえば、クロード陛下の側にいることくらいだと気づいたの。私ね、病気で伏せっているときに部屋にひとりにされたことが多くて、とても寂しい思いをしたの。誰でもいいから部屋にいて欲しかった」


「だから、クロード陛下のお側に、と?」

「ええ、そうよ」


 ブリジットが迷いなく言い切ると、エリーズは少々迷ったような表情になり、それから思い切って、というように口を開いた。


「畏れながら……クロード陛下が元に戻られることはもうありません。自分の妃がブリジット様だとも認識されぬまま、お亡くなりになってしまうでしょう。ならばいっそ、クロード陛下とは無関係であることを貫いた方がよろしいのでは?」


「無関係? それってどういうこと?」


「陛下のお世話は別の者がしております。ブリジット様がすることはなにもありません。ですから陛下のことはいないようにお思いになって……いえ、恐れ多いことだとは思いますが、なにしろ陛下はあのような状態で……」


 それは死んでもいないのに死んだことにするということではないのか。


「心をお移しになると、お辛いのではないですか?」

「それで……陛下の存在をなかったことにしてこの城で過ごし、ある日突然、クロード陛下が亡くなったという知らせだけ聞くの?」


「……ええ。それがよろしいかと」


 困ったように微笑むエリーズを見て、どう答えていいのか迷ってしまう。

 エリーズはきっとブリジットのことを思いやって言ってくれているのだろう。それはきっと辛いことだろうと予想はつく。クロード国王はこれから回復することはなく、徐々に弱っていくだけだ。今は起き上がることができても、そのうち筋肉も衰え、骨も弱り、寝たきりになるのだろう。そして、そのまま静かに息を引き取る。


 それをずっと見守ることは、確かに辛いことのように思える。


「私はブリジット様がご不憫で」

「ええ、分かっているわ。私のことを思って言ってくれているのよね?」


「お話をしてみて……ブリジット様はとても心が澄んだ、お優しい方だと分かりました。そんな方に、このような状況は酷だと……」

「そうよね、酷な状況だわよね」


 だが、ブリジットは二十歳まで生きられないと言われ続け、自分の家から出ることは一生できないと思っていたのだ。


 それこそ、誰かと結婚することなどなく、短い一生を静かに閉じるのだと思っていた。そんな自分の身の上を考えると、この結婚はそう悪くないと思ってしまう。なにしろ、国王との結婚なのだ。形だけの結婚式は挙げたが、誰に祝福されるわけでもなく、ブリジットを自分の息子の花嫁にと決めた皇太后もブリジットの顔も見てくれなかった。しかも国王本人は結婚の事を知らずに死んでしまう運命である。それでも、自分にとっては身に余る結婚だと思う。


「エリーズの気持ちは分かるけれど、やっぱりしばらくは陛下と過ごしてみるわ」

「ですが……」


「それが辛いと思ったら、エリーズの言う通り陛下の部屋に通うことは辞めるわ。……実を言うと私自身も寂しいのよ。お友達がいるわけでもない、話せる相手がいるわけでもない、この城で暮らすことが。誰でもいいから一緒にいたい。ああ、誰でもいいなんて言ったら、きっと陛下はお怒りになるでしょうけれど」


 エリーズはブリジットの言葉に納得していないようで、それでもなにかを言いたげだったが、結局は口を噤んだ。

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