8.ギーの事情
クロードが元に戻ったからと、ブリジットの寝られない体質が元に戻るわけではない。
その夜も寝台に入ったはいいが眠れずに寝室を抜け出した。クロードには不用意に出歩くなと言われていたが、そうは言われてもこの長い夜を寝室で過ごすのは辛い。
かくしてその日も夜のリュートブルグ古城を歩いていた。以前と違うのは、ブリジットの夜歩きはもう人に知られていたので、誰かに出くわしても渋い顔をされるだけで、責められることはなくなったということだ。
意気揚々と歩いていくと、通路の先に誰かが立っているのが見えた。あれは……と思って近づき、その者の正体を知る。ギーであった。彼は通路の真ん中に立ち、じっと壁を見つめている。どうしたのかと思ってさらに近づくと、彼が壁にかかっている絵を見ていることが分かった。
「……ずいぶんと熱心に見ているようだけれど?」
そう話しかけると、ギーはそれでブリジットの存在に気付いたようで、驚いたように身体をびくりと震わせた。
「脅かさないでくれ」
「いえ、そんな脅かすつもりは……普通に近づいてきただけだけれど」
「こんな夜中に歩き回って……。夜中の徘徊はやめられないわけか」
軽い口調で言われ、ブリジットは薄く笑みを浮かべた。
「この絵、気になるのかしら?」
見るとなんの変哲もないような絵に見える。この城の中庭にある花のアーチとベンチが描かれていた。明るい色調の、柔らかな絵だ。
「ああ、昔は画家になりたいと思っていたのだ」
「え……?」
「家が貧しくてね、画家になる道は諦めて……紆余屈折あってクロードの元で働くことになった。実は幼い頃からあいつとは縁があって、絵が描けることを覚えていてくれて、それを重宝がられた。それがいつの間にか騎士団の副官なんて仕事を押し付けられた。そんな身分にありません、と真面目ぶって断ったのに、無理やりに」
苦々しい表情で不本意とばかりにそう言うが、ブリジットはその話に胸が熱くなった。
(クロード様は……画家を目指した者が画家になれるようにと……そんな国を作りたいと思っているのね)
そして、ふたりの奇妙な関係についても合点がいった。ギーが他の者がいないときにはクロードのことをあいつ呼ばわりすることも、ふたりの間にある特別な絆も。
「もう戦う必要がなくなったら、画家になれるのではない?」
「ああ……まあ、あいつが王都を奪還したら少しは余裕ができるかもしれないな。しかし、今更画家になることなんてできない」
「別に画家にならなくとも、好きに絵を描いて暮らせばいいのではない?」
そう言うとギーは目を細めた。なにか変なことを言ってしまったのかと思うが。
「なるほど、好きに絵を……。ああ、それがいいかもしれないな」
そして今まで見たことがないような、まるで少年のような無邪気な笑顔を見せる。今までどこか正体が分からなかったギーの、本当の顔を初めて見られたような気がした。
「そうか、なるほどな。皇太后様が勝手に決めた花嫁ではあるが、どうやらクロードにはぴったりの花嫁だったようだな。どうか、長くクロードを支えてくれ」
ギーはブリジットの肩に手を置いてから、通路を歩いてしまった。
ブリジットはその背中を見つめながら、言われるまでもなくクロードにとって特別な存在になれたらいいなと願った。
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