3.夫が待つリュートブルグ古城へ
ブリジットが到着するよりも前に、クロードはリュートブルグ古城に戻っていた。
彼は既に三ヶ月ほどここに住んでいた。今回の結婚式のためにわざわざ王都にやって来て、結婚式が済むとさっさと帰った。
「……まったく、皇太后様のご意向とはいえ参ったな。結婚するのはいいとして、まさかあんな状態のクロード様の結婚式を執り行うとは」
リュートブルグ古城にてブリジットを迎えたシモンは、城の回廊を歩きながらそうぼやいて、深々とため息を吐き出した。
リュートブルグ古城は灰色の壁に囲まれた、堅牢だったが寒々しい雰囲気の城だった。数々の武勲を上げてきたクロードには相応しい城だったかもしれないが、なんの飾り気もなく、城というよりも修道院のような回廊を歩いていると、自分はもしかして尼になるためにここに来たのだろうかという気持ちになってしまう。
「そうね……お身体が不自由な身ではクロード様も大変だったでしょう。周りの方も」
「……ああ。国王の結婚を内外に知らせるためだ、とおっしゃっていたが、諸侯たちにお披露目の挨拶ができるわけでも、パレードができるわけでも、晩餐会が開けるわけでもないのに。でもまあ、君にとってはよかったのかな、ブリジット。こんな結婚であるが、結婚式を挙げることができた」
「ええ、そうね」
ブリジットは曖昧に微笑んだ。
シモンとブリジットとはいとこ同士であり、だからこそこんなふうに気軽に話すことができた。こんな見知らぬ辺境の地に来て、唯一の頼りはシモンである。
そしてシモンは今から六年ほど前からクロード国王の側近という身分である。
最初はクロードの妹であるシュゼットの家庭教師だった。それがこの国とその周辺の地理に詳しいことを見込まれて、側近となり、クロードの侵攻戦争に力を貸していた。
彼の黒髪とすみれ色の瞳は母親譲りで、ひょろりと高い背は父親譲りだ。ブリジットよりも六歳年上の二十五歳で、まだ結婚していない。元は学者を目指して学んでいたこともあり、国王の頼もしい側近にはあまり見えない。彼が纏っている灰色の外套も彼をそのように見せていた。
「まずは部屋に案内するから、夕食の時間までゆっくりと休むがいい」
「……それより先に、クロード様にご挨拶したいわ」
そう言うとシモンはふと足を止めて、ブリジットを振り返った。
「クロード様にご挨拶……。挨拶しても挨拶は返ってこないと思うが」
「知っています。ですが、こういうことはきちんとしておきたいのです」
「ああ、そうか。だが」
シモンは周りを気にするような仕草をしてから、声を潜めた。
「……無理をして夫婦のように振る舞わなくてもいい。クロード様はあのとおりであるし」
「それは分かっておりますが。でもせっかく縁があって夫婦となったのです。ご挨拶くらいはしたいと思います」
「君が望むならば、クロード様のことはこの城にいないように振る舞ってもらってもいいのだ。クロード様には付きっきりで面倒を見ている者がいる。この城は古いが広いから、クロード様は城の東で、君は城の西で暮らせばいい。そうすれば顔を合わすこともなく暮らせる。むしろ、そうすると思っていた」
「そのような……お気遣いは嬉しいですが、私たちは夫婦となり、同じ城で暮らすようになったのです。顔を合わせないように生活するなんて」
「……ものを言わない夫と暮らすのは辛いのではないか?」
シモンに鋭く言われて、確かにそうなのかもしれないと思った。
はなから形だけの夫婦であることは明白なのである。
「そうかもしれませんが……。それは後々考えます。まずはクロード様にご挨拶したいです。難しいでしょうか?」
シモンの顔色を窺うように聞くと、彼は少々迷ったような顔をしつつも頷いて、再び歩き出した。
★・・◇・■・◇・・★
「クロード様、ブリジットです。ただいま到着いたしました」
ブリジットは丁寧に挨拶して、親愛の情を示すように笑顔を浮かべた。
クロードは暖炉の近くにあるどっしりとした椅子に座り、うっすらと瞳を開けてこちらを見ていた。
しかしその瞳にブリジットは映っていないのだろう。瞳には生気がなく、頬はこけ、唇はかさかさだ。腕はだらりと下がり、自分の意志でそれを上げることはできない。
そしてその横に、いかにも不服そうな表情の男が立っていた。彼のことは、あの寂しい結婚式のときに見た覚えがあった。しかし挨拶はなかったから名前は分からない。三十そこそこの、銀色の髪と青い瞳の若い男だった。岩のようにごつごつとした輪郭とがっしりとした体つきからして、かつてクロードが率いていた死神騎士団の者ではないかと思われた。まるで主を護るグリズリーのようだ。
「……わざわざ挨拶しに来るとは殊勝なことだな」
その声は低く濁ったもので、彼にその気がなくとも敵意を向けられているように感じてしまう。
「残念だったな。僅か半年前ならば精悍な顔つきで覇気に満ちた国王に到着の挨拶ができたというのに」
皮肉めいた言い方に、あまり歓迎されていないことが窺えた。
「半年前だったならば、私が陛下に嫁ぐという状況もありえなかったでしょう。お会いすることも難しかったと」
「……それはよかった」
彼は唇を歪めてから肩をすくめ、ブリジットのことを見つめる。心なしか軽蔑されているような空気を感じた。
「なにがよかったのでしょうか?」
「いや、自分の立場をよく理解しているようだから、だ。今まで家に閉じこもりきりの寝たきりで、どんな世間知らずがやって来るかと冷や冷やしていたのだ。陛下の状況は横に置いておいて、王妃になれる、大きな権力を手に入れられる、と誤解した者が来たらどうしようかと考えていた」
「ああ、そのようなことでしたか。大丈夫です、この状況と、自分の身のほどはわきまえているつもりです」
そう言って眉尻を下げると、彼はこちらに手を差し出してきた。