36.華麗なる復活1
「……先ほど黙って聞いていれば偉そうに。お前はいつからそんなに偉くなったのだ」
「え……?」
声がした方を見たのと、ブリジットの手首からシモンの手が離れたのは同時だった。ブリジットの手にあった小瓶が、床に叩きつけられて粉々に砕けた。
そこには信じられない光景があった。
「な、なんだと……」
シモンの背後には人が立っていて、その者は右手でシモンの首を締め上げていた。
それは……クロードであった。
今まで話すことも、指一本動かすこともできなかったはずなのに、今、彼は立ち上がり、その手でシモンの首を締め上げている。よほど強い力が込められているのか、シモンは声を上げることも困難そうだ。
「ま、まさか……クロード……へいか……」
「そうだ。随分と好き勝手にしてくれたな。俺に毒を盛るなんて、いい度胸だ。どうやって殺して欲しい? せめて死に様を選ばせてやろう」
シモンは首をいっぱいに曲げて背後に立つクロードの姿を見ようとしていた。
ブリジットは床に座り込んだままで、その様子を唖然と見つめることしかできない。
クロードは、思っていたよりもずっと背が高く、その声も想像していたよりも低かった。生きているのか死んでいるのか分からなかった目は鋭く輝き、見つめているだけで恐怖を感じる。
「ま、まさか動けるように……」
「ああ、俺は随分としぶといようだ。残念だったな」
そしてクロードはシモンの首から手を離した。シモンはそのまま床に叩きつけられる。
急に喉が解放されて空気が入ってきたからか、彼は喉に手を当てて苦しそうに咳を繰り返した。
「……ギー、上にいるんだろう? さっさと出て来い」
クロードの言葉に応じるように天井から物音が響き、間もなくギーが部屋にやって来た。天井の通路を通って階段の方からこちらへ回って来たのだろう。
「おおっ! クロード国王陛下! まさかそのように復活されるとは! このギー、嬉しさのあまりこの世の果てまで飛んで行きそうですぞ!」
「……白々しい。どうしてさっさと助けに入らない?」
クロードはチッと舌打ちをして、ギーを睨んだ。
「いえ、助けに入ろうとしたんですよ? ですがもう少しシモンが自白してくれないかと思いまして。例えば毒の入手先ですとか」
「そんなことを話そうとしている気配はなかった。まさか俺を試していたのか?」
「さあ、どうでしょうね?」
そう言いつつ、ギーはどこからか縄を取り出して、慣れた手つきでシモンの腕を背中に回させ、後ろ手を縛っていった。
「ギー……お前、いつの間に……」
シモンの問いに、ギーはすらすらと答える。
「いつの間に……ずっとですよ。あなたはまるで気付いていないようでしたけどね。この城が広い城で助かった。潜伏も楽だった」
「失踪したと聞いていたが……」
「ええ、長旅に出ようと思っていたのですが、主の行く末を見届けてからでも遅くないか、と。その結果、裏切り者を捕らえて、この通り主を見事死の淵から救うことになりました」
「お前が一体なにをしたというのか?」
不機嫌そうな口調のクロードに、もう彼はブリジットが知っている彼ではなくなってしまったと急に喪失感に襲われて、ブリジットの瞳から涙がぼろぼろとあふれ出した。
望んでいた結果であるはずだった。ただ、その訪れがあまりに急で、心の準備ができていなかった。
「……ああ、すまない。怖がらせてしまったか?」
クロードの視線がこちらに向いた。
まさかこんな日がやって来るとは。待ち望んでいた瞬間のはずなのに、戸惑いが大きくて受け止められない。
クロードは元のクロードに戻っただけだろうに、なぜかなにもかも変わってしまったような気がした。
「……立てるか?」
クロードの手がブリジットへと差し出された。
その手を取ってしまっていいのか迷い、なかなか手を伸ばせなかった。
怪訝そうに眉根を寄せられ、それで慌てて彼の手に自分の手をのせた。すると手を強く握られ、そのまま強い力で立ち上がらせてくれた。なんて逞しい、とブリジットは思っていたのだが。
「それにしてもまだ本調子ではないようですね。弱弱しくて見ていられません。以前ならばあなたが少し力を込めただけでシモンの首など難なく折れていただろうに」
「そうだな。急に前のようにはいかないようだ」
その会話を聞いていてぞっとしてしまう。そうなるとブリジットの手もなんなく砕いてしまうのでは、と畏れてそっと手を放した。
「あの……」
ブリジットは戸惑いを隠せず、発した声は震えてしまう。
「回復……されてなによりです」
ドレスの裾を持って腰を屈めて挨拶した。
「……なんだ、急にかしこまって。今まではそんな話し方はしなかったのに」
「ええ……。今思えば、数々のご無礼を致したことと存じます……」
まともにクロードの顔を見ることができず、ブリジットはじっと俯いてしまった。
気まずい沈黙が生まれ、なにか話さなければならないと思ったとき、不意に扉が大きく開け放たれた。
「シモン殿……! 大きな音がしたが一体なにが……」
フィリップはドアノブを掴んだままあっけに取られたように沈黙し、それから叫ぶような声を出した。
「ク、クロード様……! これは一体どういう……。どうしてクロード様がこのように立っておられるのか……! それから、シモン殿は……」
「……お前はシモンに協力していたのか?」
ぞっとするほど低い声で発せられた言葉に、フィリップは何度も首を横に振った。
「きょ、協力……彼が一体なにをしたのか分かりませんが、俺はクロード様のお世話をしていただけで」
いつもむっつりとした表情のフィリップがこのように狼狽することがあるとは意外であった。
「ギー、この城に居る者は誰も信用ならない」
「かしこまりました。手当たり次第に縛り上げて、厨房にでも集めます」
するとギーは素早い動きでフィリップの背後に回り込み、彼の手首を縄で縛り上げ、更に左右の腕と胸を縄でぐるぐる巻きにした。フィリップはなんの抵抗もなくそれを受け入れた。
「ク、クロード様……詮議はお受けいたしますが、俺は決してクロード様に危害を加えようなんてことは……! そうだ、あの女がクロード様に毒を!」
憎々しい瞳で睨まれ、 ブリジットとフィリップの間にクロードが立った。
「……我が妻をあの女呼ばわりとは、大した度胸だな」
「は……」
呆然とした声を上げるフィリップをよそに、ブリジットの胸はぽんっと跳ね上がった。
(妻……と認めてくれているの?)
じわじわと嬉しさが胸に広がっていく。
自分はここに居ていいのだと、彼の隣に居てもいいのだと認められたような気持ちになる。
「話は後でまとめて聞く。ギー、連れて行け」
「はい」
ギーはフィリップとシモンを連れて行ってしまい、部屋にはブリジットとクロードのふたりだけが残された。
気まずい沈黙が流れる。
雨はますます勢いを増し、まるで滝の中にいるような音が響いている。
今まではクロードと一緒に居ることが苦ではなかった、彼はなにも話さなかったから。今ではなにを言っても不興を買ってしまうような気がする。
だが、聞きたいことはたくさんある。
ブリジットは決意して、恐る恐ると話し始めた。
「その……少し伺ってもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
クロードは気だるげに言って寝台に腰掛けた。その座り方も今まではまるで違う。足を大きく開き、手を組みつつ前屈みになって油断ない目つきでこちらを見つめる。国王らしい、堂々とした座り方だった。
「いつから、そのように動けるように……」
「そうだな、つい最近だ」
「声も出せるようになったのですね」
「ああ、そうだ。まだ少し声が引っかかる感触が喉にあるが。長い時間、声を発することがなかったからだろう」
「なぜ……私に話してくださらなかったのですか?」
ここまでの回復を見せるとは思っておらず、そして、なかなか回復してくれないと肝を冷やしていたのだ。
「それは……」
「はい」
「こちらにも色々と考えがあってのことだ。誰が敵かも分からなかったからな」
それは、自分もその敵に含まれているということだったのかと考えてしまい、ブリジットの心は沈んでいった。
きっとクロードとは、そのような人なのだろう。誰のことも信じず、心を開くようなことはない。助けたはずのブリジットのこともきっと疑っているのだろう。
ここで、自分のことも疑っていたのか、クロードのことをとても心配していたのに、なんて酷い事をするのか、自分は命の恩人であるはずなのに、とはとても言えない。先ほど妻と言われたが、彼とはそんな信頼関係はない。
「どうした、浮かない顔をして? お前は俺に元のように戻ってもらいたかったのではないのか?」
「それは、そうなのですが……。すみません、突然のことで頭の整理が間に合わず」
「それは無理もないことだが……」
彼が続けてなにかを言おうとしたとき、ふと城の外から地響きのような音が聞こえてきた。雨音とは違う、まるで土砂が崩れて襲い掛かってくるような音だ。
「……なんだ?」
不穏な音にクロードは立ち上がり、窓から外を見た。ブリジットも気になったが、とても彼の隣に立って窓の外を見るなんて行為ができなくて、そのままなにもできずに立っていた。
やがてギーが戻ってきて、クロードに告げた。
「すみません。クロード様の危機だと、死神騎士団の奴らに声を掛けたのでした」
「あいつらが来たのか? しかし、この大騒ぎは?」
「恐らく門を壊そうとしているのではないでしょうか? クロード様は戦の怪我が原因で身体を動かせなくなったのではなく、薬を盛られて身体の機能を失わされている、クロード様を陥れようとしている者に囚われている、と知らせたので、クロード様を奪還しようと集まったのでしょう」
「なるほど。しかしこの城の門を破壊されるのはあまり好ましくないな」
「クロード様が行って、無事を知らせればすぐに止めると思われますが」
「……仕方がないな」
クロードは部屋を出て行き、その後をギーも追っていった。
と、思ったら、クロードが途中で引き返してきた。
「お前は部屋に戻って、内側から鍵をかけて大人しくしていろ。ギーがこの城に居る者は全て捕らえたと言っているから、危険はないだろうが。後で誰か行かせる」
一方的に言って立ち去ったクロードの背中を見つめつつ、その捕らえられた者の中に自分が入っていないということは少しは信用されているのかと思い、ここは大人しく自室へと戻ることにした。
(まさか……こんなことになるなんて)
覚束ない足取りで部屋までの通路を歩く。
ふと痛みを感じて、手首を見た。
先ほど掴まれたところが赤黒く変色していた。それから、身体のあちこちも痛む。こんな怖い目に遭うなんて、と思うと不意に目前が曇った。
いつもよりも随分と時間をかけて自室に戻ると、言われた通り内側から鍵をかけて、それから扉を背にしてずるずると床に座り込んだ。
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