34.衝撃
その日は朝からなんとなく城の雰囲気が違うと感じていた。
夜半過ぎに降り出した雨が地面に鋭く叩きつけ、湿った空気が漂っている。身体を動かすことを億劫に感じる日である。
ブリジットはいつものように食堂でひとりきりの朝食を済ませてから一旦部屋に戻って身支度をすると、クロードの部屋へとひとりで向かった。
いつもはなにげなく回すドアノブが、なぜか重く感じる。
そして、部屋の中に複数の者の気配を感じるのは気のせいだろうか。いつもはクロードの世話係の誰かがひとり居て、ブリジットと交代する形になっているのだ。
この扉を開けてはいけない。
なにか確固とした理由があるわけではない。だが第六感ともいえる感覚がそうブリジットに告げていた。こういうときの予感は当たるのだ。
そうだ、クロードの部屋の天井にある秘密の覗き穴から部屋の様子を確かめてから部屋に入ればいいと考え、ドアノブから手を放した瞬間に突然内側から扉が開き、伸びてきた手がブリジットの手首を乱暴に掴んだ。
そしてその手はブリジットを室内へと引き込こみ、急にその手を離した。ブリジットは床に叩きつけられ、倒れこんでしまった。
「……そこまで乱暴にする必要はないのではないか?」
そんな声にそちらを見ると、シモンがそこに立っていた。
そしてその横にはフィリップの姿があった。恐らくはブリジットの手首を掴んで引いたのは彼であろう。彼にはあまり好かれていないとは思っていたが、そこまでされる意味が分からない。
見ると、そこにはなんとエリーズの姿があった。困ったような表情をしてブリジットを見つめている。
「そんな手加減をする必要はないだろう……! この者はクロード様に毒を盛っていたのだぞ!」
なんの話か分からずに、ブリジットはただ戸惑って冷たい床に上半身だけを起こした状態で倒れこんでいることしかできなかった。
「……ブリジット様、失礼いたします」
エリーズはそう言うと、ブリジットの身体を確かめて、そして解毒剤が入った小瓶を取り出した。
「……ありました」
そしてそれをフィリップへと渡す。
彼は憎憎しくそれを見つめ、そしてズボンのポケットにそれをしまった。
「まったく、クロード様に毒を盛るなんて神をも畏れぬ所業だ」
「毒……それは毒ではありません」
「では、なんだと言うのだ?」
フィリップに厳しく問い詰められ、ブリジットは答えに窮した。それは解毒剤だと言えば、どうしてそんなものを飲ませていると聞かれるに決まっている。そして、誰かがクロードに毒を盛っているのだとブリジットが知ったと分かれば、どんなことになるか分からない。
「答えられないのか? 当然だろう」
フィリップは侮蔑するような瞳でブリジットを見て、鼻で笑う。
「ブリジット様……どうしてそのようなことを? 信じておりましたのに……」
エリーズに哀れみに満ちた表情を浮かべられ、そう言われると弱い。
「エリーズ、違うの。私は毒なんて……」
「ああ、シモン様、フィリップ様、どうか慈悲あるご沙汰をお願いいたします。ブリジット様はきっとお寂しかったのです……。女性にとって結婚とは一大事なのです。それが、身体を動かすことも話すこともできない男性に嫁ぐなんて。たとえ相手がクロード陛下であっても、耐え切れなくなってしまったのでしょう……」
「だからと言って、夫に毒を盛る妻がいるか?」
「ああ……」
エリーズは涙をいっぱいにためてブリジットのことを見つめる。
無実の罪を責められているように感じて、ブリジットはどうしていいか分からなくなった。突然のことに、事情を上手く説明することが、あるいは上手く誤魔化すことができない。
「ブリジット。いくら寂しかったとはいえ、陛下を殺そうとは恐れ多い。まさかそんな企てをする者だとは思わなかった」
シモンは愁いに満ちた表情をこちらに向けてきた。
「ブリジットをクロード陛下に嫁がせるようにと皇太后陛下に働きかけたのは私だ。私の責任だ……」
そして悔いるように唇を噛む。
「……少しふたりで話をさせて欲しい。どうしてこんなことをしたのか聞きたい」
「いいか、シモン。この女は罪人だ。いくら自分の親戚だとはいえ、情けをかけるようなことは……」
「そんなことはしない。なにしろ、我々が敬愛する陛下を殺そうとしたのだぞ……残念ながら」
そう言って、恨みがましい瞳をブリジットに向ける。そんなことはしていない、と叫びたかったが言葉が詰まり、喉から先に出て行かない。
「……我々がいない隙に逃がそうなんてしても無駄だからな。この城は鉄壁の守りだ。ねずみ一匹逃しはしない」
「分かっている。そんなことはしない」
その言葉にフィリップとエリーズは顔を見合わせた。まずはエリーズが哀れむような瞳をブリジットに向けながら部屋から出て、それからフィリップが怒りに満ちた瞳をこちらに向けながら部屋を出た。
残されたのは……ブリジットとシモン、それからもの言わぬクロード。彼は窓際の椅子に座らせていた。こちらには背を向けさせられていて、彼の横顔が僅かに見える。
「……まったく、とんでもないことをしてくれたものだな」
座り込んだ状態のままのブリジットの前に腕を組んで立ち、鋭い視線で見下ろしている。
「ちょっと待ってシモン、違うの。あれは毒なんかでは……」
どういったら自分の無実が分かってもらえるのかと、ブリジットは必死だった。
こうなったらシモンにだけでもクロードが毒を飲まされていた、という事情を明かすべきだろうと考えていた、のだが。
「……もちろん知っている。お前には毒の入手手段などないだろうしな」
「え……」
驚くほど冷たい口調に、背筋を悪寒が駆け上がっていく。
★気に入ってくださったら、評価、ブックマーク、いいね、いただけると励みになります。




