29.幽霊の困惑
その正体不明な彼の姿を再び見たのはその翌日、朝食を済ませて、ブリジットがクロードの部屋に行く途中だった。
エリーズが部屋まで一緒に行ってくれることもあったが、今日はひとりだった。王都から荷物が届いて、荷ほどきをしないといけないと言っていた。
通路を歩いていたら脇にある小部屋から手がはみ出していた。
誰かが倒れているのかとぎょっとしてその部屋に入ると、そこに居たのが彼だったのだ。
「……ちょっと、そんなところでどうしたの?」
問うが意識がないようだった。
彼はどうやらこの城で秘密裏に行動しているようだから、城の者に姿を見られたらまずいのではないのだろうか。咄嗟にそう判断して、ブリジットは仕方なく彼を引きずって自分の部屋に引き入れた。
寝室に彼を置いて、それからベルを鳴らしてエリーズを呼んだ。クロードの部屋に行ったのではと驚いたエリーズだったが、途中で気分が悪くなって引き返してきたのだと言ったら納得してくれた。彼女に薬湯を持ってきてくれるように頼むと、素直に応じてくれた。医師を呼びましょうか、と言われたのでそれは固辞した。
薬湯を受け取ると、自分はしばらく寝室で休むと言ってエリーズを辞去させて、それから彼の前にしゃがみ込んで、頬を軽く叩いた。
「う……」
呻き声が漏れて、目が薄く開けられた。
「よかったわ、意識が戻ったのね。ほら、これを飲んで」
そしてエリーズが持ってきてくれた薬湯を飲ませ、そのまま床に横たわらせた。
彼を寝室の扉からは見えない位置まで移動させて、彼の横に座って様子を見つめていた。やがて彼は身体は横たえたままで、瞳を開けた。
「うぅぅ、酷い目に遭った……」
「一体どうしたの? あんなところに倒れて」
「お前がすり替えたという薬を飲んだのだ……」
「ええ? まさか……」
そうか、自分と同じ行動をしたわけかと合点がいったが、それならばあれは薬ではないかと疑った彼に、自分が飲んでみたら具合が悪くなったのだと言っておけばよかった。
「まさか一包み全部飲んだの?」
「いや、少し舐めただけだ。それだけで身体が痺れて……なんだあの薬は?」
「とにかく……そうね、水をいっぱい飲んでしばらく休んだ方がいいわ」
そうして隣の部屋から水差しを持ってくると、それをコップに入れて彼に飲ませて、しばらく休ませた。
途中でエリーズがやって来て、なにか必要なものはないかと聞いたので、実は今朝食べたものを吐いてしまったので温かいスープかなにかあれば、と嘘をついてスープを持ってきてもらった。水差しの水も補充してもらうように頼んだ。
こういうとき、侍女がエリーズひとりきりで助かったと思う。そうでなければ誰かが付ききりに見ると言い出しただろう。そして、王妃が具合が悪いと言うのに誰も手伝いに来ないことにも感謝である。
しばらくしてエリーズが温めなおした朝食のスープを持ってきてくれたので、これを飲んでしばらく休むとまた寝室に引っ込んだ。心配なので付き添います、と言われたが、寝たいときに誰かがいると気になって寝られないからと断り、自分のことは気にせずに荷ほどきをするようにと断った。昼前にまた様子を見に来てくれると助かると告げる、それで彼女は渋々と承知して部屋を出て行った。
エリーズの足音が遠ざかったのを確かめてから寝室へと戻り、彼にスープを飲ませた。そして更に休ませると、徐々に体調が良くなってきたようで、頬に赤みが差した。そして昼前には昨夜のように話せるようになっていた。
「いや、助かった。お前は命の恩人だ」
壁に寄りかかって座りながら、彼は丁寧に礼を述べた。
明るいとこで初めて彼の姿を見たが、思ったよりもずっと若いように見えた。黒い髪に切れ長の銀色の瞳をした男だった。こけた頬と薄い唇が、彼を正体不明の、冷たい男に見せていた。
「では、その命の恩人に名前を教えてくれないかしら?」
「そんなことはどうでもいい。前のように幽霊さんとでも呼べばいい」
「知られたくないということね……」
なんの反応も示さないが、きっとそういうことなのだろう。警戒心を緩めないように、と心に言い聞かせた。
「では幽霊さん。その身を持ってそれが毒だと分かったところで、その毒を使った相手に心当たりは……?」
「これが毒だとは分かったが、もしかしてお前が自分の言っていることが事実だと示すためにすり替えたものかもしれない」
「……疑り深いのね」
「そういうところで暮らしてきたからな」
それは王宮とか、そういうことだろうかと勘ぐった。聞いても答えてくれそうになかったが。
「とにかく、裏で誰かが動いていることは分かった。調べる必要があるようだ」
その言葉はとても頼もしいものに思えて、自分にも味方が、と思いかけて……いやしかし、クロードが自分の意志を示せるとは話すのは止めておいた方がいいだろうと判断した。
「あの……ひとつだけ聞かせて。あなたはクロード様の味方なの? それとも、敵?」
「……さあな」
「煮え切らない返事ですね」
「逆に聞くが、お前はあいつの味方なのか?」
そんなことを問われるとは思っておらず、一瞬言葉に詰まってしまった。
私はクロード様の妻なのだからもちろん味方です、と言いかけたが、親同士が決めた結婚である。そんなもの、自分がクロードの味方であると示すことではないように思えた。
「そうですね、毒を飲まされているらしいと分かって、それをすり替えるくらいには……」
「そうか。ならばあいつの側に居ればいい」
そして、先ほどまで息も絶え絶えで青白い顔をしていた彼はすっかり元気を取り戻し、さっさとブリジットの部屋から出て行ってしまった。
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