2.親しい人との別れ
こんな貧弱な身体では二十歳まで生きられるかどうか怪しい。もちろん誰にも嫁ぐこともできないだろう。
幼い頃からそう囁かれ続け、自分でもそのつもりでいたというのに、十九になる年にまさか嫁ぐことになるとは予想だにしていなかった。
そしてその相手が国王であり、しかも動くことも話すこともできず、意識があるかどうかすら怪しく、もう彼の魂が地上にあるのかどうかも分からない状態にある者であるなんて。
「……本当に行ってしまわれるのですが、ブリジット様……」
もう全ての荷物を馬車に積み終わり、後はブリジット自身が馬車に乗り込むだけだというのに、侍女のアニエスはブリジットの手をぎゅっと握ってなかなか放してくれそうもなかった。
「もう決めたことよ。それに、私は結婚したのだから夫と一緒に暮らすのは普通のことでしょう?」
さも当然のように言ってみたが、少し声が震えてしまった。鋭いアニエスには本当は迷っていることを気付かれてしまったかもしれない。
「普通ではありません……! 相手は話すことはもちろん、身体を動かすこともできないのです。まるで人形のような……」
「アニエス、そんな言い方はいけないわ」
ブリジットは緩やかに首を横に振る。
どんな状態になろうと、クロードは国王なのである。国王に対しては敬意をはらわなくてはならず、不敬罪は即刻牢に繋がれてもおかしくない罪なのである。
「ブリジット様が拒めば、きっと旦那様も考えてくださいます……! 国で一番の美女だといわれたお母様にそっくりだと評判のブリジット様です、他にもきっと嫁ぎ先があるでしょう」
「無理よ、お父様はこの結婚をとても喜んでいるもの。結婚を諦めていた娘が、この上ない尊い身分の方と結婚できた、と」
「旦那様はおかしいのです! この結婚が、ブリジット様の幸せに繋がるだなんてとても思えないのに!」
「考えてみれば、いい年をした娘がいつまでも結婚できずに実家にいるよりも、どんな相手でも嫁ぐ方が幸せなのかもしれないわ。このままでは私もここで肩身が狭い思いをしなければならないから」
「ですが……。ブリジット様はお身体が弱いのだからなかなか嫁げなかったのは仕方がないではないですか。静養のためだという名目のために、王都からは遠く離れた辺境の地にやられる国王に付き合って……ますますブリジット様のお身体が弱ってしまうのではと心配でなりません」
「アニエス、もう決まったことなのよ」
困ったように笑って見せると、アニエスはブリジットの手を取ったまま嗚咽をこぼした。
★・・◇・■・◇・・★
せめてアニエスが一緒に来てくれたら、不安しかないこれからの生活で支えになってくれるかもしれない。
ブリジットはカーテンを閉め切った薄暗い馬車の中で、そんなことを考えてしまっていた。
だが、こんな不穏な予感しかない結婚生活にアニエスを付き合わせるわけにはいかない。ブリジットがどうしてもと頼めば父はその申し出を受けてくれたかもしれないし、アニエスはむしろ自分が一緒に行くと言ってくれそうだが、それはしてはいけないと思っていた。
今は王妃という身分になったが、クロードが死んだらどうなるか分からない。彼は多くの陰謀と計略の中にいた国王である、政敵も多い。形だけの妻になった身でも、それを快く思わない者もいるだろう。王妃という身分があるうちはいいかもしれないが、それが失われたらどうなるか分からない。実家であるリシャール侯爵家にも戻って来られないかもしれない。弟妹のために働いているアニエスは、侯爵家の侍女という身分で居続けた方がいい。
(それに侍女ならば……用意してくれているという話だから)
ただしそれがどんな者かは分からない。
王妃という身分ながら、辺境の地にあるリュートブルグ古城にて仕えてくれる侍女はそうそういないだろう。城で働く使用人も、クロードの静養のために人数を限っていると聞いていた。
これからどんな暮らしが始まるのだろう。
今まで、身体が悪くほとんど起きられないような生活の中でもちょっとした楽しみはあった。調子がいい日に行く朝の散歩だとか、その途中で摘むベリーがちょっとすっぱくてでも美味しいこと、寝たきりの娘のためと父が用意してくれたノエルのプレゼント、体調がいいとき、姉たちと数回だけ出席したキラキラとした舞踏会での出来事。
これから向かう地でも少しでも心躍ることがあればいいなと思いながら、ブリジットは馬車の揺れに身体を預けて、いつの間にか寝入ってしまった。