20.医師の往診
「うぅむ、容態に変わりありませんな」
そう言いつつ、クロードの目前で人差し指を動かしていった。
そして医師はクロードのシャツを戻し、聴診器を片付けていった。
「あの……少しよろしいですか?」
立ち上がり、恐る恐ると話しかけると、医師の目がこちらに向いた。
「正式なご挨拶がまだでしたね。私はクロード国王の妻で、ブリジットと申します」
ドレスの裾を持ち上げ、腰を屈めて挨拶をした。
「いつもと容態が変わらないのは分かりましたが、なんとか好転させる方法はないのでしょうか?」
「好転……と言われてもね、この状態では手の施しようがない」
年老いた医師はゆっくりと首を横に振った。
「ですが……なんとか少しでも楽に過ごせる方法はないですか? 例えばクロード様の足ですが、長く寝たきり座りきりの生活をしているせいか、紫色に変色していますが……」
「ああ、それは仕方がないことです。動かないことで血の巡りが悪く、身体の下方に溜まってしまうので」
「ええ。ですから、それを少しでも緩和する方法はないですか? なにかお薬を飲ませたり」
「薬など無駄です。今のクロード様に効く薬などなにもないのです」
「では、血の巡りをよくするためにさすったり、揉んだりして……」
ブリジットが言うと、医師は眉根に皺を寄せた。
「そんなことをしてもクロード陛下が動けるようにはなりません」
「それは分かっています。ですが、クロード様はまだ生きているのです。足があんなに赤黒く……きっと痛いのではないかと」
「クロード陛下は痛みもなにも感じておりますまい。そんなことを気にする必要はありません」
「いえ、ですが……このままでしたら、例えば足が壊死してしまうような可能性も……」
「……私の診察になにか不満でもおありですか?」
なにも知らない小娘が、という言葉が、そこには隠されているような気がした。医学の知識がなにもない者が医師に意見するなどと、と思われているような空気を感じた。
「そっ、そのようなことは……。私はただ、クロード様が少しでも長い間健やかにお過ごしいただければと」
「ブリジット、お前の気持ちは分からないでもない」
シモンはブリジットの肩に手を置いた。
「だが、なにをしても無駄なのだ。クロード様の容態が好転することなどない。王都にいる優秀な医師に何人も見せたが、誰もがどうしようもないと判断したのだ。……もう、死を待つしかないと」
シモンのその言葉には言いようのない無念さが滲んでいるように思えて心が痛む。
「お前が最近、陛下を外に連れ出したり、なにを思ったのか足をさすったりしているのは知っている」
「ええ、だってこんなに固くなってしまって……」
そう言いつつブリジットはクロードの足元にしゃがみ込み、彼の足をシモンと医師に見せた。
「長く身体を動かせないと身体は固まってしまう。仕方がないことだ」
医師は困ったような顔で首を横に振る。
「では、それをほぐしたほうがいいのかと思って。私も寝たきりだったときに……」
「そんなことをしても無駄だと言っているのです」
「無駄……」
医師にそう言われた衝撃は大きなものだった。体中の力が抜け、自分の無力さを思い知る。
「そう、このまま衰弱して命が尽きる日を待つだけでしょうな……。もうすぐこうして座ることもできなくなるでしょう」
「では、それまでの時間を少しでも長く……」
「ブリジット、こんなことは本当は言いたくないのだが……。クロード陛下を長く苦しめるつもりなのか?」
「生きることが……苦しみ?」
「そうだ。お前は知らないだろうが、陛下は誰よりも勇猛果敢な方で、じっとしていることなどない方だった。指先ひとつ動かせない身体で、こうして閉じ込められていることが苦痛以外のなにものでもないだろう。そこから早く解放して差し上げることが、なにより陛下のためだと思わないか」
「それは……」
ブリジットはクロードを見上げた。
その顔にはなんの表情も浮かんでいない。
自分の意志を伝えることもできず、感情を露わにすることもできず、こうしてただ座っているだけ。それで生きていると言えるのだろうか。そこから早く解放してあげることが……。それがいいことかどうか、ブリジットには分からない。
「お前の気持ちは分かる。しかし、私のように陛下に長く仕えている者はお前以上に苦しいのだ」
「ええ……そうでしょうね」
ブリジットは立ち上がり、そっとクロードから離れた。
「お前が考えているようなことは、クロード陛下の配下の者はみんな考えたことなのだ。だが、無理だと諦めた。だからお前を見ていると苦々しい思いになることがある」
シモンと同じような思いがあるから、この城にいる者はブリジットの行動を快く思わないのだろうか。
「でも、晴れた日に外に連れ出すくらい……」
「ええ、まあそれは悪くないでしょう」
ブリジットがあまりにも悲痛な声を出したからか、それを援護するように医師が言ってくれる。
「確かに部屋に閉じこもりきりになっているのはよろしくない。気分転換のためにもこの部屋から連れ出すことはいいことでしょう」
「……陛下はそんなこと分かっていない」
吐き捨てるように呟かれたシモンの言葉は、彼の無念さが滲んでいるようでブリジットはなにも言えなかった。
「もし許されるものならば、いっそのこと早く楽に……と考えてしまうこともある」
「え……?」
ぞっとするような言葉に、耳を疑ってしまう。それは、クロードをひと思いに殺してしまおうということだろう。
「そ、そんなことは許されません」
「もちろんだ。こんな状態であるがクロード様はこの国の王だ。そして、国民の中には奇跡にすがるように陛下の回復を願っている者もいる。だが……と、すまない。こんなことを言うべきではなかったな」
そう言うシモンの様子を見て、彼はクロードのことを心から敬愛しているのだと分かった。だからこそこの現状が辛いのだろう。
(私……それをまるで分かっていなかったのかもしれない)
シモンの深い思いに、返す言葉はない。
気まずい空気のまま、医師が辞去する旨を伝え、シモンと一緒に出て行った。
扉が閉まる音を聞き、そのまましばらく動けずにいた。
クロード本人のこと、そしてその周囲にいる人たちのこと、それから彼を敬愛する国民たちのことを考えてしまう。どうするのが一番いいのか、と。
(でも……やはり無駄……かもしれないけれど、自己満足かもしれないけれど、でも、私はできるだけのことをしてあげたい……)
ブリジットは人形のように微動だにせずに座っているクロードのことを、心が潰れそうな思いで見つめた。
こんな身体になった彼は、これ以上恥を晒すよりも死にたいと思っているのだろうか。
今までそんなことは思い至らなかった。ならば、自分は残酷なことをしているのかもしれない。
しばらくその場に立ち尽くし、それから自分がキルトを作ろうとしていたのだと気付いて、のろのろと準備を始めた。




