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18.幽霊との再会

 ブリジットはもう夜の徘徊には慣れたものになってしまった。


 城のどこに隠し通路があるかすべて把握できたと自信があった。誰も知らないだろう隠し部屋も見つけた。埃っぽくて、そこで長時間過ごす気にはなれなかったけれど。もし敵が攻めてきたとしても、逃げ切る自信があった。

 夜の散歩、のつもりで歩いていたが、城の人達の噂話を聞いてしまうことも多かった。話されているのは大概クロードのことであり、自分のことであった。


「あの女……あれはどういうことなんだ?」


 きっと酒を飲んでいるのだろうことはその口調からも、漂っているワインの匂いからも分かった。

 ワイン庫の隣にある小部屋だった。普段はあまり人がいないところだったので、明かりが漏れていることに気付いたときには驚いて足を止めた。そして小部屋の隣の部屋に入って、壁に耳を当てた。この部屋には秘密の通路があって、もし誰かに気づかれてもすぐに逃げられると思ってのことだ。


「あれ、とはなんだ?」

「陛下を中庭に連れ出して……」


「ああ、以前はお前もやっていたではないか。少しでも陛下が回復すれば、と」

「ああ、すぐに諦めたがな」


 そしてテーブルにワインの器を叩きつけたような音がした。


「それから陛下の足を動かしたり、さすったりしていた」

「? なんのためにそんなことを?」


「知るか。だが、奇妙な女だ。病弱で、きっとこちらに来ても寝付くことが多いだろうという話ではなかったのか?」

「ああ、シモン殿はそう言っていたな。大人しい女だから、クロード陛下の偽りの王妃に相応しいと」


 偽り、とはっきりと言われ、胸を衝かれたような痛みを感じた。

 確かに、正式な妻ではないかもしれない。なにしろクロードに認められたわけではない、彼の母が選んだ妻である。しかし、貴族同士の結婚では本人たちが望まないことはままあることであるし、教会で結婚式を挙げた。偽り、とまで言われる筋合いはない。


「なんのつもりなのだろうな、あの女。クロード陛下が回復することなんて決してないのに。なにをしても無駄だ」

「そうだな。なにかすれば自分の夫は話せるようになる、立って歩けるようにもなる、とでも幻想を抱いているのではないか?」


「そんなこと……」

「幼い頃から家に閉じこもって本ばかり読んでいた女なんだろう? そんな夢みたいな幻想の中に生きていてもおかしいくあるまい?」


 なるほど、自分はそんなふうに思われているのかと理解はしたが、受け入れがたい。本当は他の兄弟たちのように庭を駆け回り、仲のいい友達を作っておしゃべりに興じたり、舞踏会のためのドレス選びをしたりしたかった。それができなかったから本を読んでいただけというのが本当のところなのに。


 この身が惨めに感じられて、ブリジットはしゃがんでいた体勢から、ぺたりとその場に座り膝を抱えた。


「ああ、なるほど。ならば理解できる」

「あの女のことならば放っておけばいいだろう。目に余るようならば、シモン殿がなんとかするだろう。いとこなのだから」


「まあ、それはそうなのだが……」


 それきり一旦会話が途切れ、それからはかつてのクロードがどんなに素晴らしい人だったのかという思い出話が始まった。


 自分の噂話には落ち込んでしまったが、クロードの話になると違う。壁にますますぴったりと耳をつけて、話を聞くことに集中する。

 周囲の評判はよくないものが多かったが、クロードに仕えていた人たちは違うようだった。


 厳しい篭城戦になったとき、今後のことを考えて食料を食べる量を調整して兵はみんな疲弊していたが、クロードはそんな状況を由とせずにどこからか食料を調達して兵たちにたらふく食わせ、翌日に篭城していた城を捨てて敵軍へと一気に攻め入り、見事勝利をもぎ取っただとか。教会派の反対に遭って、もう一歩というところまで来ていた侵攻作戦を放棄せざるを得ない状況になったとき、クロードは教会派の使者を無視して攻め入っただとか。


 なにがあってもクロードならばなんとかしてくれるという期待があったようだ。

 自分の知らないクロード国王の話を聞くのは楽しくて、もっと城の人たちと打ち解けられたらこんな盗み聞きではなく、たとえば午後のお茶の席で、など、彼の話を語ってくれるようになるのだろうかと期待してしまう。


(でも……あの女呼ばわりされているようではその日は遠いかしら……。まともに話ができるのはエリーズだけで、他の人は私が話しかけてもほとんど応じてくれないもの)


 やがて男たちの会話はやみ、そろそろ寝るかという会話がなされて、椅子を引く音が聞こえた。

 彼らの足音が遠ざかったら自分もここから出ようと思って、隣の部屋の様子に集中していた。

 だから、自分の背後に迫る気配なんて、まるで気付かなかった。


「……お前はこんなところでなにをしているのだ……?」


 ふっと耳元で囁かれた言葉は、気のせいかと思えるほどか細いものだった。

 ふと視線を声がした方に向けて、そこに黒い影が立っていたときには心臓が止まりそうに。息をするのも忘れて、目を見開いて、正体不明の男を見上げる。


「……ああ、大きな声を出されては困る」


 黒い影はそう言ってブリジットの口を手で塞いだ。ひんやりと冷たくて、抵抗したらその手が首に伸びて、殺されてしまうのではと畏れた。

 ブリジットが小さく頷くと、それで大きな声は出さないと了解したかのように手が離れた。


「……なにをしていたか、と愚問だったな。隣の部屋の会話を聞いていたのだろう?」


 目深にフードを被った男だった。顔はよく見えない。もしかして城にこっそりと忍び込んだ賊だろうか。


「私が聞きたかったのは……、そうだな、こんな夜にどうしてこんなところにいるか、だ。普通ならば寝ている時間だ。夜にお前の姿を見たのはこれで二度目だが」


「二度目……」

「一度目は塔の上で」


 塔の上、と聞いて思い出すのはあの一度だけだ。ブリジットの姿に気付いて塔から飛び降りた男……なぜならばそれ以来あの塔には行っていないからだ。


「もしかして、あのときの幽霊……」

「幽霊……か。なるほど。そうかもしれないな」

「そうかもしれない……? 幽霊、なの?」


 彼は黙したままなにも語らない。


 しかし、幽霊以外に考えられない。あんなところから飛び降りて無事で済むはずがない。彼は見たところ怪我している様子はない。それに、生きている人間だったらあんなところから飛び降りようとは思わないだろう。吸い込まれるような闇の夜、下は水流が早いテリズ川である。あの高さでは身体を包み込んでくれるような水面とはならず、鋼に向かって落ちるような衝撃があるとは誰でも分かるだろう。


「私、一度でいいから幽霊に会いたいと思っていたのだけれど……」


 あまりの出来事に呆然としながらも、そんな突拍子もないことを口にしてしまう。


「幽霊に……? お前のような娘ならば、畏れて逃げるのが普通だと思うが」

「もう娘というような年ではありませんし、一応、人妻でもありますし」


「人妻……? お前のような、こんなところで立ち聞きをしている子供じみた者が?」

「そんなに幼く見えますか……。実は自覚はあったのですが」


 二十歳まで生きられないかもしれない。

 そう言われ続けられたからか、それらしい淑女教育は受けていなかったし、人との接触も極端に少なかったから大人らしい振る舞いとか気遣いだとかは、自分にはできていないと思っていたのだ。ふたつ上の姉は、ブリジットよりもずっと思慮深く大人びていて、どこに嫁に行っても恥ずかしくないだろうと思われるような淑女だったのに。


「別に盗み聞きを咎める気はないが……。この城に居る者たちは、どうやら腹に一物も二物も持つ者たちのようだ。こうしてこっそり彼らの話なんて聞くのはよくない」

「よくおっしゃっている意味が分かりません。それより、私には幽霊に会ったら聞きたいことが……」


「子供は早く寝るがいい」


 そう言ったかと思うと、彼は素早く身を翻し、そのまま通路を歩いていってしまった。

 ブリジットはしばらくその場から動けず、果たして今のはなんだったのかとぼんやり考え続けていた。

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