17.彼のことを知りたい
「もうすぐ亡くなってしまうだろう夫の元へ嫁ぐ覚悟はあったはずだったのだけれど……。せめてお話でもできたらよかったのに」
夕食を終えて自室に戻り、寝る準備を整えてくれている侍女のエリーズに向かって、ついついそんな本音を漏らしてしまった。
鎧戸を閉めいたエリーズは気の毒そうに眉尻を下げてこちらを振り返った。
「そうですわね、お話ができれば大分違いますわね……」
「そうなのよ。そうすれば、お世話のしがいもあるというものではない? あれをしたい、とか、これをしたいと言ってくだされば。できることはあるわ。私はクロード様のことをなにも知らないから、なにをして差し上げればお喜びになるのかも分からない」
「お世話……はなさらなくてもよろしいかと思いますが。陛下のお世話係は他におりますし」
「それは分かっているわ。でも、妻としてやれることが他にないのだもの……。妻という名前だけをもらって、ここで陛下が亡くなるまでの時間を過ごせばいいと周りの人たちは思っているとは知っているけれど」
ここで過ごすうちに、自分に求められていることはなにもないのだなと思い知った。
ただクロードの王妃という名前だけを背負って、騒ぐことなく、悲嘆にくれることもなく、ただ静かに過ごしてくれる者を求められている。そのために、病弱で大人しいブリジットが選ばれたのだろう。
それは分かっているが、それを求めているからと大人しくその役割を引き受けるほど、ブリジットは意志薄弱ではなかった。
「もし私が死んで天国でクロード様と会ったときに、妻と認識されていなかったら悲しいわ」
「あの……畏れながら申し上げますが」
エリーズは暖炉の近くに座るブリジットの横に立った。
「クロード陛下は……愛人を八人もお持ちのことからお分かりかと思われますが、その、女性に困ったことはない方で」
「そうでしょうね。私は一度だけクロード様のことを見かけたことがあるけれど、周りには多くの女性がいたわ」
「人が決めた王妃には……その、もし陛下がお元気だったとしても、見向きもしないかと」
「ああ、なるほど。そういうこと」
そして、もしクロードが以前のままだったとして、政略結婚で彼の元に嫁ぐことになったらどういうことになったかと想像してみる。
きっと彼は玉座に脚を組んで座り、妻だと紹介されたブリジットを一瞥だけして退室するようにと申しつけ、その後ブリジットの部屋を訪ねて来るようなことはなかっただろう。どこか辺境の城に追いやられて、そこで一生を過ごすことになったかもしれない。
「……となると、この状況はクロード様の政略結婚の相手としては恵まれているということなのかしら? 彼はなにも言わない、拒絶することはないから、お側に居させてもらえるから」
「あの……そこまでは申し上げておりませんが」
「あのね、あなたはクロード様のことを少しは知っているでしょう?」
「ええ、ほんの少し、ですが。王宮にあるクロード様の部屋付き侍女でしたので」
「クロード様がお好きなことってなんなのかしら?」
ブリジットが意気込んで聞くが、エリーズは戸惑ったように視線を泳がせる。
「お好きなこと、ですか?」
「そう、なんでもいいの。たとえばお散歩をするとか、お話を読むとか、日向ぼっこをするとか……」
「おおよそ、そんなこととは無縁のお方でしたわ。そうですね……クロード陛下がお好きなのは戦とお酒と女性でしょうか」
ブリジットは言葉を失い、口をぽかんと開けてしまった。そうなのだ、聞かなくても分かっていたはずだったのに、もしかしてクロードが好きなことと自分の好きなことがひとつでも一致すればいいなんて思って聞いてしまったのだ。愚かなことを聞いてしまったと後悔するブリジットを見つめ、エリーズは苦笑いを漏らす。
「あとは派手なことがお好きでしたね。戦に勝利した後は三日三晩宴を開いて……」
「分かったわ。今の生活とは想像できないほどの日々を送ってきたのね」
「ブリジット様にはお気の毒だとは思いますが……むしろ今のクロード陛下はなにも望んではいないのではないでしょうか?」
そう言われると、そうかもしれないと思ってしまう。ブリジットが外に連れ出していることも迷惑なのかもしれない。
(でも、迷惑かどうなのか聞くこともできないし……)
堂々巡りに感じてしまい、ブリジットは頭を抱え込みたい気持ちになった。
「もうお休みになってはいかがですか? きっと新しい暮らしに慣れずに、疲れてらっしゃるんですよ。慣れれば、どうお過ごしになればいいのかお分かりになるのでは?」
エリーズはそう言ってから部屋の燭台に灯った炎を消して歩き、辞去する旨を告げて部屋を出て行った。
暖炉の炎だけが部屋を照らしていて、夜風の音と、その風が揺らす鎧戸の音と、暖炉の薪が爆ぜる音だけが聞こえる。
さあ、自分の時間になった。
ブリジットはエリーズの足音がなくなったのを確かめてから、寝台の掛け布にクッションを詰め込んで、そっと部屋を出た。




