13.ブリジットの願い
「……クロード陛下を外に連れ出したいですって? どうしてそんなことを」
翌日。いつものようにクロードの部屋を訪れたブリジットは、フィリップにそう頼んでみた。渋い顔をされたが、それは予想通りだ。
「駄目でしょうか? 昨日偶然、城の物置に車椅子を見つけたの。これは私たちの結婚式のときに使った車椅子でしょう? それがあれば、陛下を中庭にお連れすることもできるのではない?」
「確かにその車椅子は、結婚式にクロード様をお連れしたときに使ったものです。まったく、このような状態の陛下を王都へと連れて来いなどと、皇太后陛下も無理をおっしゃる……と、それは今はどうでもいいか」
フィリップは恨みがましく言ってから、こほんとひとつ咳払いをした。
「陛下はこの城では部屋の移動をする必要がなくなったので、使っていなかった」
「そうなのね。あの……私も長く伏せっていたことがあるから分かるの。同じ部屋にいつもいるのは退屈なものよ。たまには外の空気を吸った方が……」
「陛下はご病気なのだ。外の風にあたられて風邪でも引かれて命を縮めたらどうする?」
「確かに今は春先で、寒い日もあるから、暖かい日の昼間だけにするわ」
「そのようなことではなく……。こんなことは言いたくないが、陛下は意識がないのだ。確かにいつも同じ部屋に座られるのは退屈だとは思うが、退屈と感じられるようなお心も最早お持ちでない」
「そうかしら……」
「陛下には……ああ、このようなことも言いたくないのだが、なにも期待しない方がいい。ブリジット様のお心を汲んで、昼間陛下の側でお過ごしになることは許しているが、外に連れ出すとなると……」
「なにがそんなに問題なのか分からないわ。中庭に連れて行くだけよ。この城のどこからでも中庭の様子は見えるじゃない。がっちりとした城壁に囲まれているから、誰かが入り込んで来るようなこともないわ。それに、中庭に出るにはこの部屋を出てしばらく通路を進んですぐじゃない。そこまでの通路も広いから車椅子で移動するのに苦労はないわ。私ひとりでもお連れできるわ」
ブリジットは彼女よりもずっと背が高いフィリップに、少しでも自分の意気込みが伝わるように距離を詰めようと背伸びまでしていた。
「ですが……」
「お願い。私はできるだけ、陛下に人間らしい生活をしていただきたいのよ。こんな人形のような生活ではなくて」
ブリジットは胸の前で手を組み合わせてフィリップに懇願した。
クロードのことを考えたとき、どうしても過去の自分と重ねてしまう。ただ死を待っていた自分のことを。そんな状況で不満もあったしやりたいこともあった。
クロード国王は意思表示ができないが、最後のときを閉じ篭もりきりではなく、きっと外に出て過ごしたいと思っているに決まっている。
「クロード陛下はそんなことを望んではいない」
「どうしてそんなことが分かるの? クロード様はお話しできないのに」
「ブリジット様がクロード陛下のなにを知っているというのです? 一度も顔を合わせたことがない、話したこともないのに」
「それは……そうですが」
そう言われると弱い。
ブリジットは彼の王妃でありながら、彼が国王であること以外なにも知らない。彼がどういう人なのか、なにを好きなのかも。
「我々は、クロード様に最後の時を穏やかに過ごしていただきたいのです。今まで波乱に満ちた人生でしたから」
そう言って視線を遠くに投げるフィリップを見て、彼は本当にクロード国王を慕っていたのだろうなと感じる。そこに、ブリジットが割って入る隙はない。
「でも……穏やかに中庭で過ごしたいだけなのですが……」
なおも言うブリジットに困ったような表情を送ってから、彼は肩を竦めて、自分の仕事に戻っていってしまった。
★・・◇・■・◇・・★
「ブリジット様、お手紙が届いております」
「あら……私に手紙?」
夕方になってから自室に戻ると、エリーズに手紙を手渡された。
長く伏せっていたブリジットには、友人らしい友人もおらず、手紙を受け取ったことなんて余りなかった。もしかして父親がこちらでの様子を気にして手紙を寄越したのかと思ったが、そうではなかった。
「レリア・ハンプトン……、ええっと」
微かに記憶にある名前だったが、誰だかはすぐに思い出せなかった。
「ああ、クロード陛下の愛人の」
エリーズがふと声を上げた。
「愛人……」
そういえばクロード国王は妃はいないが、愛人は何人か持っていたはずだ。
「なんでしょうね? お知り合い、ではないのですよね?」
「……いえ、そういえば一度だけお会いしたことがあるかも。私の親戚筋の女性で、陛下と恋人同士だと」
愛人と恋人ではずいぶんと響きが違うが、要は恋仲であったということだ。ブリジットが体調がいいときに出席した晩餐会で、私は陛下に愛されていて、という話を延々と聞かされた気がする。
「なにかしら……」
そう言いながら引き出しの中からペーパーナイフを取り出して封蝋を外した。
そんなに親しい間柄でもないはずなのに、五枚も便箋が入っていた。
ブリジットは暖炉近くの安楽椅子に腰掛け、便箋に目を落とした。
「どのような内容だったのですか?」
エリーズは手紙を渡したのだからもう用事は済んだはずなのにその場に留まり、そわそわとした様子で手紙を見ていた。きっと内容が気になるのだろう。
「そうね……まずは私がクロード陛下の王妃になるなんて許せない、というようなことが書いてあるわ。陛下のことをなにも知らないのに、と。あなたなんて家柄がいいだけじゃない、とも」
「……要は自分が王妃になれなかったので、そのやっかみでしょうか」
「そんな気持ちもあるのかもしれないわね。それから陛下に私たちの祈りが届いて陛下は回復されていることと思います、と。私たち……?」
「陛下には愛人が八人いらっしゃいまして」
「は、八人も?」
愛人が何人かいる、とは聞いたが、八人とは思っていなかったので驚いて手紙を落としそうになってしまった。
「英雄色を好む、ということでしょうか? その方たちは今は王都の外れにある教会で、一身に陛下の回復を祈られているとのことです」
病気になると悪魔祓いが行われるような時代である。
愛人たちだけでなく、各地の教会でクロード国王の回復が祈られているはずだ。
「こちらにいらっしゃるのではなくて? 陛下のことを愛されているならば、お側にいたいと望んだはずでは?」
「その辺りはいろいろと事情があるのでしょう。ブリジット様は、いざ嫁がれた先に愛人が八人もいらっしゃったらどういたします?」
「そうね、面食らったかもしれないわ。でも、クロード様は国王であるわけですし、お世継ぎのことを考えたら愛人の八人くらい……」
「しかし、こんな静かな城に愛人が八人と王妃がいらしたら、どんな騒ぎになるか。その辺りが考慮されたのだと思います。……詳しい事情を知っているわけではありませんが。では数を減らして誰かひとりでも、という考えもあるかと思いますが、八人のうちの誰かという争いがおきるでしょうし」
「そのようなことだったのね。ならば、レリア嬢が陛下のことを心配して、私に手紙を寄越した気持ちも分かるわ」
多くはブリジットに対する非難であったが、手紙の端々から陛下の様子を気にしていることが伝わってきた。あなたのような死にかけがいると、余計に陛下に死神が近づきやすくなるわ、など、クロード国王の回復を祈ってのことだろう。
「お返事を書かなくてはならないわね」
「……陛下の愛人にですか? それは難しいことですね。王妃として毅然としたところをお見せした方がよろしいでしょうし」
「そうなると難題だわ……どなたか相談できるような方がいらっしゃればいいのに」
ここがもし王宮ならば、そのような指南役の女性もいただろうが、本当にここには必要最低限の人しかいない。
このリュートブルグ古城に居る者は王宮に比べたら僅かだ。従者が三人、クロード国王の世話係が二人、警備兵が五人、料理人が二人、料理見習いがひとり、給仕がひとり、メイドが十人、ブリジットの部屋つきメイドがひとり、馬番がひとり、庭師がひとり。
「そうですわね、困りましたわ」
「私は王妃になるなんてことを期待されて育てられたわけではないから、そのようなことには疎いし」
「ですが、相手は愛人です。そうですね、特にお気になさらずに威厳あるところをお示しになればそれでよろしいのではないでしょうか」
その威厳を見せるのがブリジットには難しい。そして、エリーズは愛人だと侮るようなことを言うが、少なくともクロード国王にとってはブリジットよりもよっぽど親しい人なのである。彼の妻として、敬意をはらわなくてはならないと思うのだ。
「まずは丁寧に挨拶をして、陛下の現状をお伝えしましょう。どのような城にお住まいで、どのようにお過ごしか」
そう考えて執務机に向かい、羽ペンを取ろうとするが、きっと王宮と比べたらこちらの暮らしは寂しいものだろう。それをそのまま伝えていいものかと迷う。あまり心配させるようなことは書きたくない。
「ご夕食の後にごゆっくり考えたらいかがですか?」
「そうね、そうするわ」
そうして一旦ペンを置き、いつものようにひとりでの寂しい食事をするために食堂へと下りていった。
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