9.ブリジットの秘密
その日はクロードの部屋で本を読んで過ごし、夕方近くになるとフィリップとは別の者がやって来て、夕飯の時間だからと部屋から出るようにと言われた。
どうやらブリジットがクロードの部屋で過ごすことは、この城の誰にも快く思われていないらしい。
どうしてなのだろうか、と考えながら城壁に沿ってある通路を歩いていく。通路は二階にあり、中庭を見下ろすことができて風が心地よい。
森の向こうに沈みそうな夕陽がブリジットの頬を照らしている。空に滲む橙を見ていると、なぜだか堪らない気持ちになってきた。
ブリジットは王妃ということになったが、それはクロードはもちろん、彼の配下の者も納得していないということなのだろうか。フィリップは長くクロードに仕えているというし、他の者もそうなのだろう。戦いの中で負った傷が原因で身体を動かすことができなくなった国王の身を嘆きながら、最後の時までと国王の側にいて、懸命に彼のために働いている。
急に現れた王妃である。そもそもそんなもの認めたくないのに、王妃面をして恐れ多くも陛下の側近くで過ごしている。それが許せないのだろうかと考えて……それが正解であるように思った。
クロード国王はあまり評判のいい国王とは言えなかった。それは敵に対しても、味方に対しても容赦がないからだ。畏怖されていた、と言うのが一番ぴったりとくる表現だろうか。
隣国ニルブルグ王国との激しい戦争が繰り広げられる中で、国内で反乱を起こしたフェネオン伯爵に対する対応は厳しすぎたと今でも伝えられている。かの一族の居城を夜襲して陥落させた挙げ句、その城に住む者、女、子供、使用人を問わず虐殺した。それどころか、城下町に住む者まで殺したのだという。また、彼に手を貸したと疑いがあった諸侯たちを申し開きの機会も与えずに処刑したとも伝えられている。
彼のおかげで隣国との戦争に勝利し、国内の争いも制圧できたのだが、やり口が残忍すぎると非難の声が常に付き纏う国王であった。
しかしその一方で、彼の側近くに居る者、特に彼が率いていた死神騎士団は彼のことを慕っていると、彼のためならば命を落としても惜しくないと思っていると聞いた。
そんな者たちはブリジットを疎ましく思っても当然である。
クロード国王の側近たちは、国王は全ての戦いが終結した後に、尊い家柄の美しく聡明な妃を迎え入れるつもりだと考えていたのだろう。病弱で、結婚できる見込みなどないブリジットではなくて。
「……まあ、仕方のないことよね……」
そうひとりごちた声は冷たさを帯びた風に流されていった。
★・・◇・■・◇・・★
クロード国王は部屋で食事を取り、ブリジットは食堂でひとり食事を取ることになっていた。
本来ならば五十人ほどの人が着席できる大きなテーブルの端にひとり座り、巨大なタペストリがかけられた壁を背にして、食事をするのは虚しいものだった。
だけれど仕方がない、と思いつつ食事を続けていくが、スープをいただき、オードブルである野菜のテリーヌをいただき、メインの鯛のソテーを食べ……すぐにデザートの果物のゼリーが出てきた。
(た、足りない……。まるで足りないわ……)
日中はクロード国王の部屋にいて、なにをしていたわけでもないが、それでも腹は減る。
この城に来てから感じていたが、運ばれてくる料理の量が少ない。腹の半分も満たされない。
「あの……ずいぶんと少ないお食事だけれど」
通りかかった給仕の男性に話しかけると、まさか自分に話しかけてくるなんて思っていなかったのか、とても驚いたような表情を向けてくる。
「あの……私は下働きでして。まさか王妃様とお話しすることなど許されません……」
「私が許せばいいのでは?」
「そのようなわけには参りません。お話したいのならば料理長を呼んで参りますが……」
「そんな大袈裟なことではないわ。……あのね、食事の量が少ないように思うのだけれど」
そう言うと、給仕の男性は奇妙な顔つきになった。
「王妃様はご病弱で、あまり召し上がることができないと聞いております……」
「なるほど、そうでしたか」
「ですから……お食事も残らず召し上がっているので、厨房の者たちは驚いております。もしかして、こちらに気を遣って無理して召し上がっているのではないか、と。それで更に量を少なめにしようと料理長が言っておりましたが」
「……」
確かにかつてのブリジットは小食であった。気持ちが悪くて食事を取れないこともあった。
だが、今は違うのだ。寝たきりの頃は腕も足も自分で嫌になるほど細かったが、今ではそれなりに肉がついて、健康的な身体になった。その分、食事量が必要なのだ。
「では、料理長に昨夜の夕食ほどの量がちょうどよかったとお知らせいただける? このところとても体調がいいのよ」
もっと量を増やせ、とは、いくらなんでもはしたないのではないかと考え、そう言うにとどめた。
「はい……分かりました」
給仕はとても奇妙な表情をして、ブリジットの目前にあった皿を提げていった。
★・・◇・■・◇・・★
「病弱だと聞いていたのにおかしいな。あれは本当にリシャール侯爵の娘なのか?」
予想は当たった。
深夜、昨夜と同様に眠れずに、城を徘徊していたブリジットはそう話す声を聞いて足を止めて壁に身を寄せて耳をそばだてた。
厨房近くの通路であった。明かりが漏れている部屋があり、気付かれてはいけないと足早に立ち去ろうとしてのだが、自分の名前を聞いてついつい足を止めてしまった。
「そうだよな、まるで病弱に思えない。痩せてはいるが、病的なものではない」
「頬もふっくらとしていて色艶もいい……まるで病人には見えない」
「昔と違って寝たきりになることはない、とは言っていたみたいだけれどねぇ」
「それにしても、まるで聞いていたのとは違う。弱弱しいところはほとんどないように思える」
「ああ、青白い顔をした、立っていることもやっとの儚げな女性がやって来ると思っていたのにな」
男女が交じった声である。使用人たちが集まって話しているのだろうか。どれが誰の声なのかは判別できない。
「……やはり偽者なのではないか?」
「そんな、偽者なんて」
「いや、考えられるだろう。なにしろ侯爵の娘だ。死にかけの国王に嫁ぐなんて我慢できないと、他の娘を寄越したのかもしれない」
「なるほど、身代わりか」
まさかそんな疑いがもたれるとは予想外であった。
(なによ、みんなそんなに私に病弱であって欲しいの?)
どこにぶつけたらいいか分からない、正体不明の憤りを覚えてしまう。
「いや、しかしシモン様は彼女のいとこで面識があったのだろう? シモン様が認めているのならば、本人なのではないか?」
「ああ、そうか……」
「まさか、シモン様もグルだなんてことは?」
「それはあるまい。あれほどクロード陛下に忠誠を誓っていたシモン様だ。クロード陛下を騙すようなことはしないだろう」
「それはそうだな……」
そんな話の流れで、どうやらブリジット偽者説は流れたようだった。
しかし、そんな疑いが再燃してはいけない。できるだけ病弱であることを装わないといけないのかもしれない。
(私だって……本当の事情を話して、もう病弱じゃなくなったのだって言いたいけれど)
やりきれない思いを抱えつつ、ブリジットはその場を後にした。




