悲しいものは悲しい
感情にまかせて書いた文章を読んでくださり感謝申し上げます。
今のところ毎日泣いている。
サブタイトルの通り、悲しいものは悲しいのだ。
ふとした瞬間に愛犬を思い出して涙が出てくる。
例えば帰宅したときだ。
そう、お出迎えだ。
尻尾をふりふりして「おかえりー」と出迎えてくれるのだ。
年を取ってからはお出迎えはなくなったが、必ずどこかで寝っ転がっていた。
どこかなー?と探して、愛犬にただいまを言っていた。
そして愛犬は鼻息で「フーン」と返事をしていた。
どんな感情だったのかは分からないが、いるだけでよかった。
それがもうないのかと思うと、涙が出てくる。
他には車だ。
愛犬は皆と出かけるのが好きだったので、車の後部座席は愛犬の席になっていた。
犬用のシートとシートベルトが設置してあったのだ。
しかし、今はもうない。
2人分の席を占領していた愛犬はもういない。
なんなら2.5人分だ。
私の太股に顎を乗せる事がよくあったのだ。
それももうないのだと思うと、視界がぼやける。
悲しいよ。
寂しいよ。
虚しいとも思うよ。
だけど悲しみに浸るのは体にも良くないだろうから、しない。
長生きしないといけないしね。
今の状況が収まったら、健康診断をしよう。
いつもよりお金をかけて隅々まで調べてもらおうかな。
健康といえば、私は耳鼻咽喉科に行くたびに「酷い鼻炎ですねぇ」と言われる。
そう花粉症なのだ。
花粉症で良かったのは、涙ぐんで目が赤くなっても、鼻声になっても「花粉症です」で済ませるところだ。
でなければ、そこら辺で泣いてたら情緒不安定の怪しい女と思われてしまう。
ああ花粉症でよかった……嘘です。嫌です。
愛犬が生きていたときは服に犬の毛が付いていると見つけ次第取っていたが、今はしていない。
「ははは、なんだい?ついて来たいのかい?」とか思い、付けたままにしておくのだ。
気持ち悪いね。
だって、そうすれば、まだいるような気持ちになれるから。
そう思えるから。
そして帰宅して落胆するの繰り返しだ。
ああ、悲しい!
こんなに悲しい事があるなんて知らなかったよ。
私はすでに母方と父方の祖父を亡くしているが、その時ほとんど泣かなかった。
ずっと入院していたのもあるし、自分よりずっと年上だから自分より先に逝くと思っていたからだ。
だが、愛犬は私より後に生まれたのに私より先に旅立ってしまった。
そりゃ、人間の年齢に換算したら90歳以上だがまだ10代だ。
先に死んでしまうのは分かっていたし、覚悟もしていたけど、悲しいものは悲しい。
何度も言うけど悲しくて悲しくて堪らない。
「時を戻そう」で何年か前に戻らないでしょうかね。
そうしたら写真と動画を撮りまくるよ。
冗談はさておき、本当に死んじゃったんだなと毎日思い、その度に喪失感に襲われて長いため息が出る。
長らくお別れしていた胃薬とも再開した。
胃が重たい。
胃が痛いのは嫌だけど、胃痛から解放された時の私の感情はどんななのだろう?
何を考えているのだろう。
こればっかりはその時にならないと分からないのだろう。