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歴史とDNA

続中国語の拡散について

作者: とびうお君

 以前書いたものの続編になる。以前より数段DNAの情報が集まってきた。まず大きな流れでは歴史時代以外に西方集団の流入は皆無。東アジアは偏って古来から変わらない集団になる。その中ではかなりぐちゃぐちゃに書き混ざってるようだ。そもそも勘違いしてはいけないのは中国にコーカソイドが来たって話じゃない。


 今更あまり良い類型パターンでもない。私の頭の中では地域集団としてみていて3大種族ってのは大雑把な身体的特徴だけに使う。その意味ではコーカソイドの話じゃない。西方にルーツを持つ遺伝的特徴を持つ集団って意味になる。このQってのは、実は中東と関係してる可能性がある。


 中東人が中国にやってきたのじゃない。コステンキ遺跡から出た人骨に欧州の3要素すべてそろったものが出たそうだ。1万年以上前になる。それら集団と近い関係にあるQはその要素を持ってる可能性が十分にある。その3要素とは、草原集団、中近東農耕集団、クロマニオン人となる。


 さてこのクロマニオン、欧州の原住民につけられたものだが、実際はロシア辺りまで広がっていた集団になる。なら草原集団とクロマニオン人が欧州に来る前にロシアで混血してるのはあまりに当たり前の話になる。そもそもコステンキとは関係がないが、草原集団は欧州で青い目のクロマニオンと混血する前から青い目である。


 その根拠はウイグルの祖先集団から青い目のDNAが見つかってるからだ。現代ウイグル人にもいるのかもしれない私は知らないけど。かれらは草原集団が欧州移動前に東へ分岐した系統になる。元居た集団が青い目じゃないと理屈的におかしくなる。


 問題は中近東だが、これは分からない。ただ、インド集団が新石器前から新石器時代のイラン集団とよく似た集団と混血していたという話がある。中近東の石器が北方に伝播してる話がちょくちょくあるので、新石器時代前から中近東の集団が移動していた可能性はある。


 ちなみにコステンキ人骨欧州人の直系の先祖ではないらしい。Y染色体がc1bと言う欧州に全くないハプロであるため、別集団と混血したものだろうと見られている。それがおそらく欧州人の祖先である草原集団。


 Qが古くから欧州集団と共通のものを持ってるのは日本に残るJCウイルスのハプロタイプからも分かるし、アメリカ先住民の古人骨にコーカソイドと間違えるような人骨が発見されている。ただここで重要なのは、Qは中央アジア人によくある中近東DNAを持っていたか?ならなんとも言えない。


 新石器に持っていたのは間違いないが、もっと前だと良く分からない。ただ中国のQーM120がいつ来たのか?はかなり難しいことになっている。分岐年代と古い人骨から5000年付近に誕生したものだろうと言われてたが、ペルーで見つかったのと、6000年前のヤンシャオでも新しく見つかった。


 いつの時代にやってきたのか?がかなりややこしい。それでもコステンキの時代からロシアの近辺には中近東要素がすでにあった。その集団と分岐したQなら持っていたのじゃないか?の可能性はある。


 それが中国語と何の関係が?たまってきたヤンシャオのDNAを見ていると正直O2は河南では中心ハプロではない。もちろんしっかり出る。だが竜山文化のころに比べるとO2の占有率はかなり低くて、N1Bが良く出るのと、次に1つしかないがM120も出ていて、後ちらほらO1系の南方系が出る。もちろんO2も出てるが、確実に出るわけじゃない。


 O2はヤンシャオ文化にはよそ者というわけじゃない。河南では中心となるハプロではない。ヤンシャオ文化は中原と呼ばれる省をまたがる地域のもので、山西省などと河南省では出てくるハプロに違いがある。西だと圧倒的にO2がしっかり出るが、河南では南方系ハプロまで出てしまう。


 ヤンシャオ期に中原で成立しただろう中国語言う見解は、どうも意味が分からないって部分がある。この中のどれが中心軸なのか?で明確な答えがない。それだとかなり困る。河南にとってどれにも共通するのがD4の母系になる。実際にヤンシャオ初期の河南省の遺跡では、父系首長的な文化が全くない。母系とは明確には言えないが、歴史時代の分かりやすい家父長制の集落ではない。


 ウラルとは言えないが、アルタイウラルに近いNの相方のDと言う言語だったのじゃないか?と見ている。以前から書いてるが、この付近と遼河では出てくる石器が違う。遼河はバイカル湖起源の細石器が多いのだが、中原は中国河北系になる。遺伝的にはほぼ変わらないが、文化的には別集団だった可能性がある。


 おまけに父系が強いウラル語と比べるとその辺りも全く違う。私は河南あたりの言語は謎の言語だったのじゃないか?と見ている。中国語は大きく見て西方のO2の色の強い言語なのでは?と見ている。細かく起源地が言えないと中国語のルーツはやっかいな問題を含んでいる。もちろんO2がそれらの集団に強く影響を受けた可能性もある。


 シナリオとしてはこうなる、河南集団に影響を受けたO2が後の時代に家父長制度の集団に移行して河南集団の名残がある中国語を拡散したとなる。または全く別の言語を持っていて最終的に複数あった中原の言語を統一してしまったか?である。


 散々前置きしたM120なんなん?なら3要素あると書いた。O2も混ぜてとなるが、多く見つかるのがNなのでO2は西部ではコンスタントに見つかるので、ここでは除外した。そのためO1系と、M120がその候補となる。だがDとの混血したものなので、根本的に南方から移住者だが主体はDだと思わるため北方系のDとM120と言う消去法になる。


 ただし、O1系の配偶者は南方系のBである。あくまでそれ以外はDばかりと言う話になる。遼河と黄河流域で言語が違うのに大きくは遺伝子が変わらないのはこのDの共通性があるからと思われる。ただし遼河は東に行くほどアムール集団の遺伝が強くなる。以前シナチベット語は南方系と言うのもあった、だが、南部集団はあくまで主体の集団とは思えないためここでは除外したい。


 南部集団がいつ北上したか?で早期ではあるが、起源と言えるか?なら怪しい。ヤンシャオ期はヒプシサーマル期のかなり温暖な時期なので、稲作の北上があったためだが、だからって黄河文明が長江文明を起源としたものだと言えるほどじゃない。黄河流域の農耕の起源はもっと寒い時期にさかのぼる。


 その時期に稲作の北上は無理がある。これは弥生人にも関係するややこしい事なのだが、ヒプシサーマル期の稲作の北上と寒冷期を挟んでその後の温暖化による稲作の北上は全く別の事象になる。それゆえ弥生人はどちらの遺伝集団が主体だったのか?が実は分からない。寒くなってまた南下したのか?なら確かにその時期南下してるが、それは北方民族の南下で、玉突き式に長江人は東南アジアに移住している。


 渤海付近の南方民が移住したのじゃない。それと言うのもそのままいついてしまっただろう?と思われる部分がある。渤海付近の南方系のY染色体ハプロは古くから拡大したのかじゃないか?と思える部分がある。人によってはそもそもあれは北方で変異した北方ハプロだと言う人もいる。


 だが実際は大きく分けて2度の稲作民の北上があっため、この一度目の北上で今の満州人にも影響を与えている南方ハプロが広がったと見ている。


 ただ、河南のヤンシャオ前の遺跡からは稲が見つかっていて、稲作の歴史と黄河の雑穀の歴史はほぼ同時と見ることも可能である。問題は同じような時期に遼河でも農作物の遺物が残っていて、あくまで河南省南方に起源時代に稲作の証拠があるだけにすぎない。それらが遼河まで北上させるのは無理がある。


 全くの偶然が思わぬミステリーを作り出してしまったと見ている。それぐらい中国語の南方説は簡単に否定できるものじゃないので丁寧に書いている。


 いよいよ本番のM120の話ができる。羊、青銅器、麦、すべて中東起源である。そのため中国文明と中東には関係があると見ている人が居て、その一部で中東人が直接やってきたって研究集団がいる。冗談じゃないのは、この人たち中国文明の謎のためにエジプトまで行っている。政府が良く金を出したと驚く部分…。


 ニチユ同祖説の何倍もマシだが、それでも学者がそこまでやるとは。説を唱えるだけなら楽だがエジプトに中華文明の起源を探しに行くってのはちょっと違うなこの人たちと思う。


 ただ私が書いたのは、中東人の拡散が石器の拡散であった可能性も十分にある。ひとつ前の時代の影響があるのじゃないか?と見てて、コステンキの話になる。QとRじゃ全くの別集団なのだが、今純粋なQ集団って残ってない。どれもこれもモンゴロイドで汚染されてる。こうやっていうと白人の差別主義者っぽいが、まあRと近かったQ集団はどこにも残ってない。


 実際は古い人骨で大体の位置は分かってる。問題はそれがすべてとは言えない。時期によっては中近東から来た集団との混血があったかもしれない。


 このことが良く分からないのは、今明らかになってる人類の移動は、9割現代と新石器時代のDNAを基にしている。旧石器時代はある事はあるが1割も満たないと思う。おまけに誤解を招くような問題のあるものがわんさかそろっている。その中で唯一ましなのが、Qになる。Qは分かりやすくロシア全体を覆った集団になってるためこの集団は欧州集団と東西に分かれた集団なんだろうなと分かる。


 ただ旧石器時代欧州では古いものがわんさか見つかる。問題は、そもそも人が居なかった点にある。見つかるのはDNAが取れるのはってだけで、人骨の量自体は少ない。欧州は欧州でまた問題があるDNAが取れるのが多いだけで基本人骨が少ないのが多少ややこしくしている。


 モンゴルが今と違って、NやQや中央アジア集団が強かった時期があるのだが、Qは確実だが中央アジアはいつからなのか?だとこれは新石器時代だと思われる。それ以前のDNAは多分出ていない。細石器からQだろうと予想してるだけで。


 細石器はQとC2が居ない手だが、元の発明者はQだけになる。後にアメリカ先住民に近い集団として混血した時C2が受け継いだだけである。そのためかなり西となるモンゴルの担い手がC2だったのか?私は疑っている。今のモンゴルから安易にC2だったと思わない方がいい。まあNも旧石器時代はおそらく違うのだが。


 内蒙古の北方からやってくる集団は、NかQにおそらくなると思う。Nは間違いなく東だが、Qはどちらから来たのか?またはモンゴルにいた集団はどっちの系統に近かったのか?なんとも言えない。かなり早い時期にNが西に拡散してるため旧石器にいたモンゴルの集団もNが優勢な集団になってる可能性がある。


 ただアルタイ辺りのQは純粋な集団がモンゴル付近で残っていたと思う。Q-M120はシベリア東方から来たのか?アルタイから来たのか?で大きく変わってくる。元からいたならそれはアルタイなどと同様の集団と見て良い。ただアルタイにはC2と混血してないQ集団がいたというのを聞いている。現代はNとC2の西方への移動のため残ってないだろうが、古人骨から旧石器時代のQ集団に近い遺伝集団が存在していたらしい。


 それとも新石器時代に羊をもって中東からやってきた集団がN集団と合流して黄河流域に南下してきたのか?これならもろ中東系の遺伝子が出て当然になる。全体からもN集団中心なのであまり西方の影響が目立たない。HLAと言うのはそういうのをとらえるのが上手い。


 さて、ここで本番、エニセイ語族を中心として、シュメールや中央アジアアジアの希少言語、バスク語、中国語をまとめた中近東言語集団と言う考えがある。エニセイ語族はアメリンド語族だろ?となるが、これはちょっと難しい。先ほど書いたのが生きてくるが、新石器に拡散した言語なのか?旧石器に中東から拡散した言語なのか?


 これが分からないと書いた。中国語に中近東の言語のルーツの可能性が有ることはあるのが出てきた。


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