6.
雨粒がアスファルトに跳ね返って、黒のハイソックスを濡らす。
湿気で髪がまとまらなかったけど、今日はいいんだ。
彼がいないんだったらオシャレをする意味だってない。
制鞄が雨に当たらないように身体に密着させる。
革靴の中が蒸れて大変だけど、今はそれどころではなかった。
「あ、お姉ちゃん。おはよー!」
線路の少女が陽気にあいさつをしてくる。
ここで臆してはいけない。ちゃんと聞かないと。
「やっぱり。そう、なんだね」
彼女は傘を差していなかった。
それなのにあの長い髪は濡れていない。
セーラー服も乾いたままだった。
もう怖がってばかりもいられない。
彼女はこの世の者ではないのだろう。
私は彼女に直接触れたことがある。
だけどそれが、脳の思い込みだとしたら。
思い込みが人体に影響を与えることは、脳科学でも、心理学でも証明されている。
視覚が、聴覚が、触覚が、嗅覚が、味覚が。
脳の思い込みによって支障をきたすことだってあるのだ。
なんでいつも線路にいたの? それは線路で亡くなったから。
なんでいつもここにいるの? それはこの駅の地縛霊だから。
あまりにも荒唐無稽な推理だ。ウソだと言ってほしい。
「えへへ。そうって言われてもわからないな。私ってバカだから」
少女の赤いニキビがにぶく光る。
「あなたの本当の正体は、この世の者ではない。そうよね」
「え、何を言ってるの?」
全力で手を振って、彼女は否定する。
「違うんだね。じゃあ次に来る列車に一緒に乗りましょう。乗れるよね?」
「それは、ちょっと。でも私が指定する時間だったらいいよ」
「どうして乗れないの? それは、あなたが地縛霊だから」
「どうしちゃったのさ。急に」
「証拠は他にもあるけどさ。決定的なのは……」
私はぐっと唾を飲み込んだ。
怖い。言いたくない。
「どうしてあなたは雨に濡れていないの?」
「う、ぐっ……」
線路の少女は一歩後ずさる。
その空白のスペースを私は埋める。
もう逃がさない。徹底的に追い詰める。
「言い返せないでしょう。これこそが決定的な証拠。雨の日は私を避けていればよかったのに、あなたはそれが出来なかった。なぜならそれは」
「お姉ちゃんと話してるときが、一番楽しい、から」
目に涙をいっぱいに溜めて、彼女は声を絞り出した。
なんだか尋問しているような気がして、胸が痛んだ。
こんなことをするのは、本当は嫌だ。
私だって、いつもみたいに楽しく話がしたいよ。
でも彼を助けたいんだ。
これは千載一遇のチャンスなんだ。
「教えて、あなたは何者なの?」
「ゆうれい。幽霊だよ。お姉ちゃんの言う通り」
青白い肌にぽつぽつと点在するニキビが、闇夜に浮かぶ提灯のように見えた。
やっぱりそうだった。
彼女は、幽霊なのだ。
列車が滑り込んでくる。盛大なブレーキ音。
乗降口の扉が開閉する。
車掌さんが私に「乗らないの?」と声をかけてくれる。
私は黙って首を振った。
運転席から白い手袋が伸びてきて、進行方向を指さす。
出発進行。
警笛の合図がして列車が動き出す。向こうの橋で汽笛が鳴った。