1.
バッドエンドなので、苦手な方はご注意ください!
ふと隣を見ると、父が目を細めているのがわかった。
今日も日差しが強い。正午には真夏日を観測する予報だ。
私はスカートの襞をつまみながら、軽自動車の背もたれに身体を預ける。
運転席側に降り注ぐ陽光が、助手席の私にまで届いて、肌を焼いた。
父は私を気遣って冷房の温度を高めに設定していた。
そのおかげでうっすらと汗が光って見える。
冷房の送風口が、彼の前腕の産毛に当たって、小さくひらひらとなびいていた。
いつもの見慣れた景色。通学路。
そこをエンジン音を響かせながら通り過ぎていく。
今年は熱中症による死亡者があまり語られていない。
信号待ちをしている間も、歩行者の姿は見当たらなかった。
理由は、明白だ。
新型のウイルスが、流行しているせいだ。
人々は、不要不急の外出をしなくなった。
今となってはインターネットが生活の基盤となっている。
私はそれを頼もしく感じたが、それと同時に、人間関係がより希薄になっていくような、そんな一抹の寂しさをも心に同居させていた。言葉はより短く洗練され、スタンプひとつで感情を表現するようになった。
世界中の誰とでも繋がれるからこそ、最も大切な存在が、近くて遠い存在に感じてしまう。
手が届く距離にいるのに、声が届く範囲にいるのに、心は届かない。
そんなことが現実に起こる。
近くにいるからこそ声は届かず、遠くにいるからこそ気持ちが伝わる。
意味不明なパラドックス。
まるで恋愛みたいだ。
好きな人に面と向かって、なんの照れも衒いもなく「好きだよ」なんて口にするのは、ためらってしまうけれど、スマートフォンの液晶越しの画面だったら、自分の気持ちに正直になれるっていうアレ。
「今日は早めに着いてしまったけど、まだ車に乗ってるか?」
父はシフトレバーを「P」に入れて、サイドブレーキを引いた。
ギッ! と歯車の噛みあう音がする。
そしてハザードランプを点滅させてから、私に顔を向けた。
車両は古くなった駅舎の正面に停まっている。
私は制鞄をぎゅっとつかんだ。
ハザードランプがメトロノームのように規則的なリズムで、カッチンカッチンと車内に鳴り響く。
「もう下りるよ。ありがとう」
そう助手席の扉を開けると、まとわりつくような熱気が身体中を包んだ。
気温だけではなく、湿度も高いようだった。
「うん。気を付けてな」
父はそう言うと、軽自動車を走らせて仕事に行ってしまった。
私は革靴でアスファルトの上を歩いた。
立ちくらみするような暑さだった。
ここの駅舎は無人駅で、自動改札機も導入されていない。
だけどICカードの出入場を記録する機械はあるから、そこで読み取りを済ませてから駅のホームに歩いていく。待合室の中では年配の女性が長椅子に腰掛けていた。つば広のハットを被っているため表情は窺えない。
私は黄色い点字ブロックの手前で電車が滑り込んでくるのを待った。
「正確には電車じゃないけどな」
そう彼の言葉を思い出す。
「ここの路線は電気機関車じゃなくて、ディーゼル式の列車を利用しているんだ。その証拠にほら、パンタグラフがないだろう」
線路沿いには、色彩豊かな花々が咲いていた。
「正確には、列車と呼ぶのが正しいな」
そんなことを教えてくれる彼の名前を、私はまだ知らない。
たまたま通学の時間が同じで、たまたま同年代だったから話しているだけ。
私と彼には、それ以外の共通点は何もない。
着ている制服だって他校の制服だし、出身の中学校も違うのだ。
ふっと、生ぬるい風が吹き抜けた。
暑苦しい不快な風だった。
汗をかいてもおかしくない気温。
日差しはその威力をさらに増しており、私はフェイスタオルで頭部をガードしていた。
とにかく暑い。
それなのに私は身震いをした。
なぜだか悪寒がしたのだ。
目の前の線路に、女の子がいた。