日常
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程なくして、自宅である団地が見えた。長い階段を四階まで上がり、慣れた手付きで鍵を開ける。老朽化したドアが金属音の悲鳴を上げ、若戸は暑さから逃げるようにして自宅に入った。別に家に入ったとて、留守の家にクーラーなんて効いているわけも無いし、増してや外よりも中の方が熱気が篭ってとても暑い。
そう。これは、まだ夏の熱気が残っている九月下旬の話。
クーラーの効いた自室でベッドに仰向けになり、アニメソングを聴き流しながら、買ってきたラノベを読み漁る。趣味に費やすこの瞬間が、彼の何よりもの楽しみだ。誰にも邪魔されず、趣味に没頭できる瞬間こそ、心が休まる時間と言っていいだろう。
誰かよく勘違いする人間がいるが、趣味に使う時間と、仕事や業務に使う時間というのは、疲れを感じる度合いが違うのだ。絵師が絵を描くという仕事の休憩に絵を描くように、仕事という括りでする作業と、趣味という括りでする作業とは全く違う。なので、「休憩に絵を描くんなら、その時間を仕事に回せばいいじゃないか」という人間もいるだろうが、絵師は趣味が仕事になっただけで、矢張り仕事と趣味は違うわけだし、何より例として、一二時間絵を描いている時間があったとして、その内五時間を休憩で絵を描いていたとして、それを全て仕事に変えると一二時間労働。もう一度言うが、要するに一二時間労働だ。半日の仕事を毎日する羽目になる。流石にそれはきつい。
どれだけ仕事が大好きな社畜がいたとして、一二時間労働を毎日、は一箇月で死ぬ。死ねる。要はそういうことだ。趣味や休憩の時間は大事だし、それを否定できる人間は誰もいない。覚えておけ。
話は逸れたが一時間程、しばらくライトノベルを読み込んだ後、気休めに勉強机に設置してあるパソコンの前に座り、ディスプレイの電源を入れた。ただ、オンラインゲームをするだけのために、長時間も居座る。腰が痛くなろうが、目が乾こうが、今目の前で繰り広げられる、戦慄迸る一つの戦いの前では、大した障害物にもならない。
ヘッドフォンから大音量で流れるソーシャルゲームのBGMは、最早、自分の世界でも流れているかに等しいほど、何度も脳の無意識下にに刷り込むように聴いている。今では日常生活でも鼻で歌っている程だ。
ゲームとは、如何に課金をせず、強くなれるかが勝負どころだと、若戸の中では決まっている。誰に何度何と言われようが、この根本は決して覆ることはない(ただし例外を除く)。
学生に、しかも親に軍資金も貰えなくなった高校生に、課金は猛毒だ。一度すると、中々抜け出せなくなる。若い内にそれが脳に刷り込まれてしまうと、大人になって安定した収入を貰った頃、金を泥に投げ込むことすら抵抗がなくなり、破綻の道を歩むのは目に見えている。なので、娯楽が手に取れる現代社会で、今の内に欲求を抑える力を養うしかないのだ。
しかし、人間誰しも強くてニューゲームが良いわけで、強さを求めるのは男の性としか言えまい。だがチートをするのは何だか自分に、誘惑に負けた気がして、それ以前に楽しくもないから手を出さないのだ。何より、自分のキャラを順を追って確実に成長させることの楽しさを忘れては、ゲームの本質を楽しめていないのだと勝手に思っていた。
ガチャを回すこと、キャラを召喚することの緊迫感、ハズレが出た時の悲しみ、目当てのものが出た時の高揚感。強い敵に挑む時の無謀さ、それに勝てた時の達成感、弱い敵を薙ぎ倒していく快感、負けた時の敗北感。それらこそが、人を魅了するゲームの本質のだろう。いやぁたまらん。辛抱たまらん。
画面には、試合後のチャットが映し出されていた。矢張り、皆が皆、試合後の興奮を抑え得られずにいた。それは若戸も例外ではない。
MKR:いやぁ、最後のキルは爽快だった
たーま:それな
LOVEND:@輪廻 あの瞬間でよく決められたね。凄いよ
やっぱり、銃の知識とかがあるからかな
輪廻というのは、若戸がネットで使っているニックネームだ。
輪廻:@LOVEND そんなことない。大したことないさ。
銃の知識があったところで、
ゲームのシステムには勝てないさ
たーま : ヒューーカッコイーー
MKR : イケメン!!ダイテーーーー!!
輪廻 : 煽てんなよ
本当は、あの危機的状況でクリティカルヒットは奇跡的だった。簡単だと嘘巻いて見せたがその実、ただのまぐれだ。銃の知識は人以上にあるが、ゲームの中でじゃ何の意味も持たないからだ。
若戸がアニメオタクであるのは、最早周知の事実ではあるが、彼にはもう一つ、知られていない事実がある。それは銃オタクとミリタリー(軍事)オタクだ。
して、これは中々公言できないものだ。というのも、アニメオタク・銃オタク・ミリタリーオタクの三銃士が揃った彼の性癖を現代社会に公言したものならば、世間一般から距離を置かれること待ったなしだ。
ただでさえ気持ち悪がられているアニメオタクが銃に興味を持ってみろ。全国の保護者という保護者が皆一斉に、娘の警備を強化するだけだ。ただし近寄りはしない。
現代の子供は何かと当たりが強いし、何より怖い。平然と死ねだのなんだのと述べてくるその姿勢は、最早教育を疑うレベルだ。
壁に掛けてあったウィンチェスターM1897のモデルガンを手に取り、床に座る。はぁ、定番のショットガンとは言え、やはり小遣いを貯めに貯めて初めて買ったモデルガンは思い入れがあるものだ。ハンドガンの方がショットガンより幾分か安かった。中古でも買って満足しようかとも思った。しかし矢張り、心のどこかでは諦めきらないところがあったのだ。だからこそ、初めて自分の小遣いで買ったモデルガンを手にした時、誰にも理解しがたい興奮と、何にも形容しがたい幸福感に満たされていた。何よりも、自分の趣味を自分の尽くせる限りの権力で愛しているのが、何よりも堪らないのだ。