野辺
一、温泉
湯けむりが夜風に煽られて、私の顔へと吹きつける。まるで霧に包まれた、見知らぬ渓谷を歩いているようだ。
湯の跳ねる音がした。私は、夢を見ているような、ぼうっとした状態の自分に気がつき、慌てて、昼間、現実に美術館で観てきた絵のことを考える。
黒田清輝の『野辺』。
女性が草のうえへ寝転がって、左手に持った小さな花を見つめている。女性の顔は、憂いに満ちていて、花を見つめる眼の、白眼の脇の紅いところが、何ともいえず、美しかった。
この絵が描かれたのは、西暦一九○七年、明治四○年のことなのだが、そのことを知ったのは、今回の旅行の後だった。温泉の湯けむりは、私の抵抗を逆手にとって、さらなる空想へと私を導いていったのだが、その空想の物語は、この絵よりも後の時代のものということになる。
二、空想
春の午後、西に傾きかけた陽の光が、芳子の肌を刺すように照らしていた。風は、芳子の従順なのをいいことに、薄明かりのなかを飛び回って人を苛つかせる蝿のように、芳子の耳へ吹きつけたり、首筋へ触れたりを繰り返す。
芳子は、自分の甘い考えを呪っていた。市へ出るときは、真昼のような、きらびやかで精気の溢れるものを見たくて仕方なかったが、帰ってきて思うことは、くたびれた黄昏のような、また、味気なく乾いた土埃のようなものが、妙に愛おしく感じられるということだった。
昨日、ここへ着いて、幼馴染みの結婚話を母から聞いた。父は、もともと無口な性格ではあったが、「疲れただろう」というその一言以外の言葉は、頭に残らなかった。嬉しいのか、嬉しくないのか、気遣っているのか、そうでもないのか、何を考えているのか測りかねる妙な表情が、彼の言葉を娘の頭からさらっていってしまう。
顔を左へ向けると、小さな花が咲いているのを見つけた。相変わらず、しつこく風が吹きつけてくる。腕を伸ばして、花に触れる。細い茎を指で捻り、髄を断つ。容赦なく染みてくる故郷の大気に身を任せ、芳子は花を見つめた。
芳子が市へ出て、一年が経った頃、並木の桜の花が終わり、青々とした葉桜になっている時季だったが、ちょうどその葉桜の並木道を芳子と並んで歩いていたのが、博之だった。毎朝、停車場で顔を合わせるうち、博之のほうから挨拶をするようになった。その日は、たまたま帰りも一緒になったようなので、二人で歩いて帰った。妙にゆっくり歩く人だな、というのが、芳子の博之に対して抱いた、そのときの印象だった。
それが、たまたまでなかったことは、後で知った。彼は、華やかな桜の退いた時季を選んで、わざわざ芳子を誘ったのだった。岸田國士の戯曲に、縁談のある男女が、日暮れ時の葉桜の並木を歩くという話が語られている。博之は、岸田國士の短編を好んで読んでいた。
休日、互いの都合がつくと、博之が芳子の部屋へ来て、何をするでもなく、一緒の時を過ごした。初めのうちは、本当に何をするでもなくであったのが、いつ頃からか、戯曲の読み合わせが始まった。岸田國士だ。
芳子はともかく、博之も、芝居に関しては無知で、実は観たことさえほとんどなかったのだが、どういうわけか、彼は芝居が巧かった。芳子は、いまだに覚えている。「お芝居が好きなの?」と訊ねたときに、彼の見せたぽかんとした表情。「なぜ?」と訊き返す、処女のような混じりけのない疑問の瞳。彼が本を感心そうに見つめて、「お芝居の本だなんて、知らなかった」と言ったときには、危うく信じてしまいそうになり、恥ずかしくなった芳子は、彼の背中をしたたか打った。
戯曲を読んでいると、外の音がよく聴こえる。芳子の部屋は、通りに面したアパートの二階なのだが、ちょうどよいところで鳥の羽音が聴こえたり、夏であれば、蝉の声が止んだり、また、鐘が鳴って、余所の子供の駆けてゆくのが聴こえたりすると、二人で顔を見合わせて、笑う。そんなことをして休日を過ごすのが、芳子にはとても幸福なことに感じられた。
秋。それも、萎びた葉が落ち、冬の迫る晩秋。
芳子と博之は、夫婦の役を読むことが多かったが、このときは違った。
『チロルの秋』
博之は、この話を気に入っていたのだが、設定が「晩秋」のため、その時季を待っていたのだった。ただし、忘れていたのか、気にかけなかったのか、時刻は劇中とは異なり、午後、秋の陽の傾きかけた頃だった。
第一次世界大戦が終わり、二年が経った秋。場所は、チロル・アルプス(オーストリアとイタリアの国境近く)にある、ホテルの食堂。博之は、日本人の宿泊客、アマノを、芳子は、国も過去も、自分の身の上を話したがらない宿泊客、ステラを読む。特に気をつけるべきは、この女性が喪服を着ているということと、二年もの間、「思い出」を抱えながら、一人で旅をしていたということ。一人で旅をしていたのはアマノも同じだ。
アマノは、二人がそれぞれ抱える過去の思い出を「夢」と名づけ、ステラにある提案を持ちかける。
アマノ [……]旅人同志の心は、約束に縛られない友情で
結びつけられるものです。
また握れるかどうか、わからない、そう思いながら握る手に、
旅らしい自由な力が籠るんじゃないでしょうか……(間)
このチロルの山奥で、お互に身の上話さえしたことのない二
人が……
二度と再び会わないという誓いを立てた上で、
久しく別れていた恋人のような一夜を明かしてみたら……
どんなに、面白いでしょう。(間)
よう御座んすか……
あなたは、夢を見ておいでになる……
もう一人、夢を見ている男がいる……
二人の夢が、重なりあう……
ただ、それだけ……(間)
[……]
ステラ それじゃ、飯事ね……
お芝居ね……。
(岸田國士『チロルの秋』より、原文旧仮名)
アマノ あなたが愛していらっしゃる男が、僕だとします。
ステラ あなたが愛しておいでになる女が、あたし……?
アマノ 僕とあなたとではない……
あなたの恋人と、あなた……
僕の恋人と、僕……
とが、今、ここにいるわけです。
ステラ (笑いながら)それから……?
(先に同じ)
「夢ごっこ」が始まり、ステラはアマノを相手に、「夢」と称した自身の思い出を見る。その夢は、目の前の男、現実のアマノにさまされそうになるが……。(この二文は引用にあらず)
アマノ (苦笑しながら)眼が覚めた時です、遊び相手が欲
しくなるのは。
ステラ あなたも、せっかくの夢をさまさないようになさい。
(先に同じ)
ステラの夢、過去……。時代背景や登場する地名などから、いろいろと推測することはできる。しかしそれは、実際に科白を読むときには、芳子自身にとって、それほど大切なこととは思えなかった。きらきらとした、それこそ夢のような言葉をアマノへかけながら、彼を演じる博之の顔をちらちらと窺っていた。
芳子は幸福だった。
読み終えると、ちょうど外で、母親が子供の名前を呼ぶ声が響いた。空はだいぶ、紅く染まってきていた。
思い出……。
摘み取られた花を見て、芳子は小さく呟いた。
きらびやかな、精気の溢れるようなものは、今は要らない。ただ、黄昏や、土埃のようなものに身を委ねていたかった。
今思えば、戯曲の読み合わせをしていたとき、相手のほうでも同じことをしていたのかもしれない。役の仮面を利用すること……。芳子が自然にそうしていたことを、相手はより明確な意志を持ってやっていたのではないか。
「また握れるかどうか、わからない、そう思いながら握る手に……」
「目が覚めた時です、遊び相手が欲しくなるのは……」
それは、芝居などではなかった。あの人自身の、率直なところだった。
そして本当に、あの人は、自分の夢へと戻っていってしまった……。
春の午後、相変わらず陽の光は、芳子の肌を刺すように照らしていた。風は、蝿のように肌へと触れる。芳子はそれに身を任せ、長いこと、横になっていた。
春の陽が沈むには、時間がかかった。