別れ
ミコシエは明け方、本隊付近に布陣していた一隊に合流した。
ミコシエは剣も持っておらず、一睡もせずに徒歩で戻ってきたようで、口数少なく青白い顔をしていた。すぐにテントで少しの睡眠と食事とを取ると、いつもと同じように元気を取り戻した、とのことだった。
本隊まで帰還していたホリルはそのことを聞いて、そこへ駆け付けた。
ホリルはミコシエの捜索隊を出させたことを話した。
「あまりまだ夜の深い内には発たせるわけにもいかず、編成や準備をして、四時半頃に出ました」
ミコシエが戻ったのは五時頃で、今、六時半になる少し前である。
「クーも、その一隊を率いています。今さっき、ミコシエさんがもう戻ったことを伝える伝令を出したところ。敵陣の方まで行くと言っていましたから、戻るにはだいぶ……昼頃になるかもしれませんね」
「うむ、そうか。それは、悪いな」
とミコシエは特に悪びれるふうもなく、さらりと言った。
ミコシエはそれから、アジェリレーエに行く、と言った。
「えっ。アジェリレーエ? というと……えっ。ここからけっこうまだ、南の……。ってしかし何故、急に。そこがどんなところはご存知なのですか?」
「いいや……まあ南の方にある国だか島だとかくらいは」
アジェリレーエは、幾つもの国を抱えるこの大陸から、南へ一つ海を隔たった小大陸と呼ぶにはもう少し小さな、豊穣な密林を抱く大きな島といったところだ。オーラスや砂漠を挟んで向こうのテイーテイルなどは砂漠帯、このワント四州の辺りは亜熱帯に属するが、アジェリレーエはもうほぼ熱帯といってよい位置にある。
「熱帯の島々……そこでは住む人の文明もまた違ってきます。怪物も魔王の手下とは別の、獣や、古の怪物も潜む……とも聞きます」
「まあ、そういうのは慣れている」
ホリルらは次、ワント四州最後の州、ここより西へ移動することになる(その更に西にガリグ山脈へ連なる山々が聳え立ち並ぶ)が、アジェリレーエへは南東へ移動し、大陸のはずれの港から南への船に乗ることになる。
「ミコシエさん、そう、ご自身の旅に……戻られるのですね?」
「うむ。そういうことかもしれん」
ミコシエはスープを啜りながら、曖昧なふうではあったがはっきりした口調で答えた。
「ミコシエさん……そこに、あなたの探すものが?」
「少なくとも、手掛かりが……いや、わからん。だが、それに関わる話を過去にちらっと聞いたことがあるのでな。別にあてにしているわけでもないが」
「……わかりました。深くは尋ねません」
ホリルはミコシエの話しぶりを見て、おそらく何をどう言ってもこの人の決心は固いのだろうと思った。
「うむ……ありがとう」
「えっ」
ホリルは、ミコシエがそんなふうに妙に素直に礼など述べるので一瞬面食らってしまった。
「いえ、そんな、……ここまで手を貸して頂いただけでも、本当にありがたいことなのです。
おそらく我々人間の軍は、ワント四州を間もなく取り戻すでしょう」
「うん。それは、間違いない。もう、私の出る幕も終わった」
「そうすれば僕もそこからは、僕の本当の……勇者としての試練が始まることになります」
「ああ」
そういうとミコシエとホリルはほんのしばし、無言で互いを見た。
「それで、具体的に、いつ発ちます? 必要な物などあれば軍に……」
「このスープを飲みを終えたら、行こうか」
「そっ、……そうですか」
ホリルはそこまで、急なものとは思いはしなかったのだ。せめて、明日とか、今夜とか……それに、とホリルはそこは言葉にして付け加えた。
「それに、その、クーは……いいのですか? いや、なんと言ったらいいのだろう。挨拶くらいは……。クーだって、ミコシエさんをあんなに慕っていたんだし……」
ミコシエはほんの一瞬目を閉じていたが、
「クーに引き留められたら、ここに留まってしまいそうだ」と言い、冗談のようにも聞こえたが、本心からのもののようだった。
ホリルは、ふとそこで、僕だって、引き留められるものなら引き留めたいんです……と言葉が漏れそうになる。暗い洞窟の中を、クー、ヨッド、シシメシ、それにミコシエが、一緒に付いてきてくれる。一緒に……そんなイメージがホリルの脳裏に浮かんだ。
困ったような顔をするホリルにミコシエは、
「まあ、ほら、今生の別れ、というわけでもあるまい」
と、それはいかにもミコシエらしくもない、とホリルにも思える台詞を言うのだった。
ホリルはそれに笑みをこぼし、実際にそうかもしれない。という不思議と希望に溢れる思いに駆られ、そうですね。と返事した。
そしてミコシエは空になったスープ皿を置き、二人は立ち上がった。
その後は、ホリルが港までオーラスの兵を付けさせると言うのを、ミコシエはエルゾッコだけ連れて行く。一人の気ままな旅がいい、と断った。ホリルはそこで気付いたのだけど、ミコシエは帯剣すらしていなかった。装備や道具だけでも持っていかれてはと言うのにも、この先々で調達する、とミコシエは答えた。
これがホリルとミコシエの、最後の別れだった。
*
その頃、クーは、十数名の捜索隊を率い、昨夜ミコシエが襲撃した敵陣にたどり着いていた。
そこで、百以上に上る敵が全滅しているのを見た。
逃げた者もどれくらいかいるのかしれないが、間違いなく敵の一部隊の数の魔物が死体になっており、陣地には動くものはなかった。
多くは一撃で仕留めているものだったが、三分の一くらいは何度も切り傷を与えたり、撲殺したようなものさえあった。
クーは、陣地の中央でミコシエの剣が落ちているのを見つけ、それは魔物の血のりがこびり付いて、刃毀れも酷く、もう斬れないほどになっており、ミコシエはおそらく最後の方はこんな状態の剣で敵を何度も斬ろうとしたり、殴るようにすらして倒していったんだ、と思った。
陣地内や周囲を探っていた兵も、生き残りは全くない、そしてミコシエ殿の姿もないと伝えてきた。
陣地を吹き抜ける風に吹かれながら、クーは、言葉にし得ない空しさにおそわれた。
クーには、ただよくわからなかった。
無論これは戦いなのだ。これまでも、人間軍はこのように幾つもの敵陣を壊滅させてきた。だけど何故、これをミコシエ一人がする必要があったのか。ミコシエはどういう気持ちでこんなことを昨夜、していたのか。ただ淡々と? それとも、楽しそうに? ミコシエがしなくたって、今日の内には人間軍がここを攻め同じ光景が広がっていたかもしれない。何かが、違っているんだ。こんなことは、ミコシエがしなくてはいけないことでは、なかった……。
ミコシエは、きっと、もう。
「――……」
この時、クーは突如として後ろを振り返り、ミコシエが去ってしまった、ということを知った。
南へ。
ミコシエは一人で、行ってしまった……行ってしまう。
クーはその方向へ、二、三歩だけ駆けようとして、立ち止まって空を仰いだ。
「ミコシエさま!!」
クーの、心の叫びが、空いっぱいに響き渡った。




