アジェリレーエへ
敵の陣地。
涼しい夜風が吹き、魔物兵の死骸が、喉を斬られ、心臓を貫かれ、首だけのだの胴体だけのだのが、100……200、と転がっている。野営灯も全て倒れて灯かりもない。動くものは一つもない。
その真ん中を、どす黒い血がこびり付いた剣を手にぶら下げ、ミコシエが一人歩いていく。
「……踊りすぎた、か……。剣、もう、斬れんな。要らん。そもそも、こんなもの、もう……」
ミコシエは剣をその場に放り捨てる。
魔物の死骸の中に、一匹、片手を失いつつも生き残った魔物兵が蹲って、ミコシエを見て言った。
「う、うう、く……狂っていやがる!!」
「一匹残っていたか」
ミコシエはただそう言い、剣を拾おうともそちらを向くこともしなかった。
魔物兵は、ミコシエが今や丸腰なのに、立ち上がると、ぎゃあああああと叫び、闇の中へ消えていった。
「ああ。風が、涼しい……」
ミコシエは、味方の陣地に戻ろうというのか、ただどこへともなくなのか、とぼとぼと、そのまま敵陣を抜けて風に揺れる夜の草地へ歩み出していった。
夜の草地には方々で虫の声が小さく聴こえ、よく見れば蛍のような光が其処ここで舞っている。
「光、か……」
それを見るともなく、歩きながらミコシエは呟く。
羽虫のような妖精のような小さきものが、光を散らしながらミコシエの周りを飛び交い、アナタハナニヲサガシテイルノ……? アナタハナニカヲサガシテイルノ……? と囁きかけてくる。
「……」
ミコシエは答えない。ただ、まっすぐに歩いていく。
草地の精霊だろうか。其処ここに光って舞っているのは、このもの達らしい。
キイテモムダダヨ……コノヒトハサガシモノヲワスレタ……コノヒトハナニヲサガシテイタノカワスレタ…… 精霊達は囁き合いながら、ミコシエの周りを飛び交ってついてくる。
「……」
ミコシエの目は、ぼんやりただ前を向いている。
アワレ……アワレダネ……クスクス、クスクスと小さく笑いながら、精霊達はミコシエを離れてまた方々で舞い始めた。
中には、激しくぐるぐると気が違ったように舞っているものもあり、地面で折り重なって震えている光もあり、それは、精霊同士が交尾をして絡まりもつれ合っているのだった。キャッキャと甲高い声や甘い声、喘ぎや呻きがあちこちに聴こえている。
「……」
ミコシエの目には、そんな精霊達の乱交会の様子も映ってはいなかった。
足元で交わっていた二匹の精霊を靴の先で引っ掛け蹴飛ばしても、気付くこともなかった。
ギャッ! ナニスルノ! マジワリノジャマスルナ! ウスノロ! 怒った精霊が飛びついて頭を何度か引っぱたいても、ミコシエは気付きもせず、ぼんやりとその目の内に映っている灰色の土地を前へ前へ、歩いていく。
ミコシエが草地を横切り、精霊達の不思議な光も遠ざかると、大小の岩がごろごろと転がる荒れた土地が広がっていた。
ミコシエはそこを強く吹く風に頬をさすられ、ようやくふと気付いたように、辺りを見渡した。
すると幾らか離れた、岩が倒壊して傾いた柱のように立っているところに、何かが隠れているようだと気付いた。
殊更注意深くもなくそこへ近付くが、相手の方はこちらに気付くこともなく、その影で何かひそひそと、話している様子。
ミコシエはさすがにそこに堂々入っていくことはせず、その岩の反対側に周って、その声に耳を澄ました。
「散々だったな……」
「皆、やられちまった……隊長も討たれた……」
どうやら、さきの陣地を逃れた魔物兵か、二、三匹がここに隠れたものらしい。
「あの男、狂人だぜ……」
「強いというか、ただ、狂ってやがる……狂ったように、剣を振り回しやがって……」
「……どうせもうワント四州はだめだ……ニンゲンの手に落ちる……」
「ああ、そうだ、それより、……様は、逃げおおせたのか? ……」
「……ああ……様なら、無事、……」
「……様は、……ジェ……ーエ……行きなさる……」
「……そうか、あのお方は、ア……リレ……エ……に……」
「アジェリレ……エ……」
「……もう、ここには戻ってこんだろうな……」
ひそひそ……ひそひそ……
それから後は、ひそひそ声で何を話しているのか、全く聴き取ることはできなかった。
ミコシエは、「アジェリレーエ……」と、さき聞いたおそらく地名、を呟き、その生き残りどもはそのままに、そこを後にした。
一人またとぼとぼと荒野をただ歩いていく。




