シシメシ
ホリルは、たった二騎で、前線にいた。
「また、やってしまった……」
「そうござるなあ……」
もう一騎は、僧侶シシメシだ。今日は、ホリルに付いて共に戦っていた。
先へ先へ突出していくホリルを必死で必死で追いかけ、呼び止めつつ追いかけ、追いついたのだが、その時には後ろの兵達は誰も付いてこれていなかった。
敵将らしい影を追い、立ちはだかる敵兵を払いのけ払いのけ、駆けてきたのだが、幾らか前にその姿も見失ってしまった。
日は暮れつつあり、辺りの疎らな低木はほとんど影になっている。
「……すまない、シシメシ。また迷惑をかけてしまって」
「拙者だいじょうぶござる。しかし、兵達は、どうしてござろうか? 拙者らを探してござるか、それとも本隊に合流してござるか……」
「うん。不甲斐ない勇者だ。しかし敵ならあれだけ追い散らし多くを討っていたから、僕がいなくなったとて、やられるようなことはないと思いたいけど……」
「ホリル殿は、立派な勇者ござるよ。ホリル殿がいなければそもそも、こんなに勝ち進めてきてはないござろう」
二人は、敵を追うのは既に諦め、速度を落として元来た方向であろう方角へと馬を進めていた。
ホリルは、俯き加減だ。
「しかし、やはり今はまだ軍と軍の戦いだ、僕一人でどうこうなっているものではないし、軍の部隊長達や、それに策や的確な指示を出せるミコシエさんの力が、大きい」
ホリルはふと、早く軍の付いてくる戦いなど終わって、深い洞窟の奥へと入っていきたい。そう思った。そこでこそ僕は僕の敵と対峙する。そこにはもうぞろぞろと軍隊なんて付いては来ない。しかし、ミコシエさんは? ミコシエさんは果たしてそこまで、来てくれるのか?
「ミコシエ殿の力は、確かにござる……そういえば今日は隣の隊にクー殿といたはず。今頃、もしかすると探しに来てくれてござるかも?」
「いや、これ以上ミコシエさんにだって迷惑はかけたくないんだ。こないだ、こういうことを気を付けるよう、言われたばっかりだっていうのに! ああ、嫌になる……」
「そう、自己嫌悪になりござるな。軍の士気を上げているのは、ホリル殿ござる」
「そんなの、ただ僕が勇者だっていう、その肩書だけの話じゃないか。ああ、ミコシエさんに僕がまたいなくなったことを悟られない内に、戻るぞ! 急げー―」
とホリルが馬腹を蹴ろう、としたところ、シシメシがそれを遮るよう、ホリルの肩にぱっしと手を置いた。
「シシメシ……?」
「ホリル殿……」
汗で化粧が剥がれ落ちながらも真剣な眼差しでホリルを見つけるシシメシ。
「シ、シシメシ……な、何……」
その眼差しと巨体と手に込める力の強さに、圧倒されて言葉を詰まらせるホリル……
「ホリル殿、静かに」
シシメシは、ホリルを見つめているようでその眼差しの奥はどこか遠い場所を見ており、神経を研ぎ澄ませていた。
「! 何か、来るござる!」
シシメシは、ホリルを馬ごと近くの茂みへ引きずり込んだ。
「うわっ?!」
それから程なく、敵魔物兵三騎が、夕焼けに染まる平原を駆けてきた。
「この辺ではぐれた二騎がウロウロさまよってたってさ、本当かよ?」
「ああ。バリモエル様が、勇者をおびき寄せてきたってよ」
「たった二騎で、こんなところまで追ってくるか? 馬鹿か?」
うっ。ホリルは声を上げそうになるが、シシメシの大きな手がその口を塞いだ。うももっ。
「ウン……おまえ、なんか言ったか?」
「いいや? しかしよ、実際馬鹿なんだあの勇者よ」
「まだまだ、血の気の多いお子様なんだ」
うももっ。
「ム……?」
「で、二騎って、もう一騎は? 手練れじゃねえのか? ほら、あのミコシケとかいう勇者お付きの病気っぽい野郎……」
「やつなら厄介だがな、どうやらもう一匹のお付きの方……でっかいオカマらしいぞ」
シシメシの眉が吊り上がったのを見て、今度はホリルがシシメシの口を両手で塞いだ。もががっ。
「ぎゃはっ。あいつか、一騎打ちに出てきたはいいが、あの見た目によらず弱っちくて、ザコビッチシーフのクー? ってやつよりも早くノックアウトさせられた、オカマだぜぇっ!」
もががっ、もががっ!
「ケツの青い勇者と、でっかいオカマか。いいコンビだ!」
うもも! もがが!
「俺たち魔物の縄張り深くまで入り込んで、アホコンビ」
「見つけたら、すぐに討ち取ってやるぜえー」
「ぎゃはっ」
ぎゃはははははあ! 魔物兵達の笑いが、遠ざかっていく。
「もがが……っ、はあ、はあっ、ござる……」
「うももっ、うはっ、はあはあ、……」
互いに塞いでいた口から手を放して、必死で息を吸い込む。
「す、すまない、シシメシ……」
「いいござる。ああ、口を塞いでごめんござる。窒息しなかったござるか?」
「……窒息死しそうになったよ」
ははは! と二人は笑い合い、すぐにまた口を塞いで、茂みから辺りを覗いて敵影がないことを確認、ほっとした。
辺りはもう日が落ちて暗くなっている。
ここで少し休むござる……シシメシはそう言い、ホリルも頷く。二人は馬を降りて茂みの木につないだ。
「ホリル殿……」
改めて、シシメシはホリルをじっと見つめてくる。その眼力に、ホリルはたじろぐ。
「勇者である――それだけでは、軍の士気は上がりござらん。ホリル殿の熱い言葉、ホリル殿の熱い戦い、ホリル殿の熱い魂に、皆が触れたのござる……!」
「あ、ああ」
シシメシはホリルの両手をばっと握った。強く。
「その熱さの根底にござるは……温かさござる」
一層真剣な、眼差し。
「拙者も、その温かさに触れた人間ござる。いや……拙者、ホリル殿のパーティに加わるまでは、人間扱いすらされていなかったござる。この、見た目、汚れた心と体……いじめられ、除け者、はぐれ者にされてきたござる。そんな拙者を、温かみで、迎え入れてくれたござる」
「それは……そうだったな」
「あれも、もう、半年も前になるござるか……」
辺りは、完全に暗くなった。二人の馬も、静かに座ってシシメシの熱い想いに、耳を傾けているのか。
それからシシメシは、ホリルの足に擦り傷があることにはっと気付いて、治療を始めた。
「このくらい、傷とさえ言えない、ほっといていいよ」
「ほっとけぬござる。それにこれは拙者の役目。このくらいお安い御用ござる。ここから抜け出さなくてはならんござる。少しの傷も、命取りになるござる」
シシメシはホリルの足に手を当て、念じる。
「……すまない。だいぶ、らくになる」
「なァに。容易い御用ござ……るはっ」
「どうしたシシメーー」
シシメシはホリルの唇をシっと指で押さえた。
「むう……いかん。来たでござる」
ぎゃはっ。ぎゃははー。
少し遠くから、魔物兵の笑いが聞こえてくる。
「さっきのやつらか……」
「ござる。それに……」
笑いの数が、増えている。それはすぐに、近くまで来た。
「おぉい、やっぱりこの辺だぜー」
「さっきはまだ日が暮れる前だったから、見逃しちまったが」
夜になると、魔物達の目鼻が利くようになる。
「なんかあやしい息遣いが聞こえたようだったんだよな」
「じゃあそん時、言えよ!」
「言ったよ! てめーが聞かずに、下らん話をして遮ったんだろうが!」
「おいおい馬鹿。それこそ下らん喧嘩はよせ。大手柄がかかってんだ」
「ぎゃはっ。すまん、そうじゃ。よおし、この辺の茂みを残さず、探れぇぇぇい!」
ぎゃはっ。ぎゃはっ。
魔物兵達が、付近の茂みを片っ端から槍や斧やらでばさばさと伐採し始めた。
「……! シ、シシメシ……」
「ホ、ホリル殿……」
二人は目を見合わせる。
「も、もう隠れ通すことはあたわんござる。ホリル殿、どうかここを動かんでござる。ここは拙者に……」
シシメシはフレイルを手に取った。
「何を言う。分担で倒せば、やれる数だろう」
「一人、二十匹……二十五匹くらいずつ、ござる」
ホリルは少し、沈黙した。突破するだけなら、何とかできるだろうか。いや、もしかしたらそれも……
二人は軽い溜息を付く。
「よし。僕が四十やる。シシメシは十で十分……」
ばさっ。茂みを、小柄な醜い魔物兵がかき分け二人を見つけた。
「ぎゃほっ? ……ケツの青い勇者。……でっかいオカマ……」
「くっ」
「こ、ここまでござるっ」
「ぎゃほほーっ、おうい、見つけた、見つけたぞーっ!
みんな、来い! ここで、ケツの青い勇者とでっかいオカマが乳繰り合っていやがっ――」
ぎゃぼおおおおおおおおお
シシメシのフレイルが魔物兵の頭を一撃でぶっ潰した。
「ホリル殿を、ホリル殿を汚す発言を、撤回ござるううううううう!!」
どぅーん!! シシメシは魔物兵の体を、近くに来ていた他の魔物兵にぶん投げると、フレイルを振り回して飛び出した。
ぎゃっ! ぶぼうっ!
「三、四、……ござる!」
ぐぎゃっ! うぼうっ!
「五、六匹ぃぃ!! すぐ、すぐ片付くござるううううううう」
「はっ、はあ!」ごぎゃっ! どぼうっ!「ほら、これでどうだ?!」
ホリルも、シシメシと反対側へ飛んで駆け出し、目の前に現れる魔物を次々と斬っては捨てていく。
あっという間に周囲にいた二十匹近くは二人で片付けた。が……
「ひゃひゃあはぁ!」
「そぅこぅまでだぁはっ」
既に他の魔物兵は距離を置いており、弓を手にした者達が、二人に狙いを定めている。
「く、しまった……!」
「うっ、うう! 飛び道具とは、卑怯也!! 正々堂々――」
ヒュンヒュン。すぐに矢が次々と放たれる。
「く、くそうっ」
「フッフン!! フッフン!!」
ホリルは辛うじてかわし、シシメシも必死でフレイルをぶん回し、矢を弾いた。
しかし、かわすのがやっとで、距離を詰めよう、と思っても魔物弓兵は既に位置を変え、第二陣が別の位置で矢をつがえ、すぐに……
また、矢が来る。
「く、こんなもの……っ、っつう!」
「フッフン!! フッフン!! ……ッ」
懸命にかわすが、ホリルの足に矢が一本、シシメシの肩に二本と背に一本、矢が突き立った。
ホリルはもう、距離を詰めようにも走れず、足を引きずった。魔物兵は周到に、位置を移動している。第一陣が新しい矢をつがえている。
「ホリル……殿っっ」
シシメシは何とか立っているが、背に突き立った一本が肉を深くえぐっており、痛みに脂汗が伝う。
「お、おいっ、魔物兵ども!! 馬鹿!! どこを狙っているござる?!」
シシメシが、大きな声で乱暴に呼ばわる。
「シシメシ……?」
「はあ?! 何だ、でっかいオカマ!!」
「おうおうおう、当たってないござる! 全然、当たってないござる!!」
「ぎゃはっ。強がりはよせ。その背中に突き立った矢に、気付いてないのか、鈍感野郎!」
「はっは。背中に? 気付いてないござる」
シシメシはどん、っと自身の厚い胸を叩く。
「拙者、心の臓を射抜かれない限り、不死身でござるっ。痛くも痒くもないござるっ。当ててみろ、当ててみろまぬけどもっ」
「な、何ィ……」
射て! 隊長格がそう命じる命じないの内に、魔物達が怒りに任せてシシメシを狙い撃つ。
「フッフン!! フッフン!! フッフン!! フッフン!!」
奮迅の勢いで矢を弾くが、シシメシの肩に、腕に、足に、背に、矢が次々と突き立っていく。
「当たってないござる!! 当たってないござるっ」
ひとしきり矢の雨が降り注ぐと、その場にシシメシは尚屹然と立ち、言い放つ。
「どこを狙っているござるっ、間抜けっ」
シシメシは再び、自身の胸の心臓の上をどんどん、と叩く。
「ここござる~~簡単でござろう??」
魔物達が怒りに目を引きつらせ、全員が矢を引き絞る。
「シシメシ……」
ホリルには、シシメシが故意に魔物を挑発して、注意を自身に向けさせようとしているのは明らかだった。しかし、時間を稼いだところで、ホリルは、矢の突き立った足が痺れてしまっており、立つことができない。この剣を投げて一匹でも倒そうにも、距離が、ありすぎる……。
「フッフン!! フッフン!! フッフン!! フッフン!! フッフン!! フッフン!! フッフン!! フッフン!!」
シシメシが、ハリネズミのようになっていく。
「はあっ……はあっ……ござる……まだ、まだ心臓には一本も、当たってないござる……はあっはあっ……ああ、もう、疲れた、ござる……っ」
敵は無慈悲に、全員が次の矢をつがえた。
射て。言おうとした隊長格の頭をかすめて一本の矢が飛んでいく。
「お、おい、今俺を……どこを狙って……――?」
すると、矢が、あっちへこっちへでたらめに飛び交い始める。
隊長格は目を疑った。
矢は、あらぬ方向へ飛んだり、味方に突き刺さったり。あちこちで魔物兵の悲鳴が響く。そして暗闇の方々で、魔物兵が倒れていく。
「あっ……ミコシエ……さん……」
ホリルは、薄れゆく意識の中で、闇の中で光る剣を振るうミコシエの姿を見た。
ミコシエとクーは、魔物兵が獲物を捕り囲み矢をつがえているのを見て、二手に分かれ、ミコシエは斬り、クーは投げナイフで、ナイフを投げ切ると短刀を抜いて斬り、斬りに斬った。すぐに、味方の兵も後に続いてやってきて、残る魔物兵を斬った。
「お、おのれっ貴様、邪魔を……!」
残った蜥蜴頭の隊長格が長剣を抜き、ミコシエはそれに向き合う。
「……許さん」
「?! ……ひっ」
蜥蜴頭は、相手の冷たい目を見て、ぞっとした。
次の瞬間には、その頭は闇の中へ血しぶきを上げて飛んでいった。
「ホリル……ああっ、シシメシ!」
クーは、ホリルのもとへ駆け寄ろうとしたが、ホリルは何とか上半身を起き上がらせ、大丈夫と手で示して、闇の向こうでしゃがみ込むシシメシを指した。
クーは、すぐさまそちらへ駆け寄ろうと思ったが、うっ……と一声して、一瞬躊躇った後、よろよろと、駆け寄った。
「そんな……っ」
シシメシは、その全身に矢を突き立たせて血に塗れていた。
すぐに、ミコシエ、兵達も駆けてくる。
「シシメシ殿。……」
ミコシエはシシメシの傍らにしゃがみ込んだが、彼の様子を見てとった後、目を閉じて片合掌をした。
「う、嘘でしょ……!」
クーは、よろめいて、後ずさる。
「運んでやってくれ。後方へ……本隊も、近づいているはずだ」
ミコシエが周囲に来ていた兵に言う。
兵達が数人がかりで、シシメシを抱えていく。
「シ……シシメシ、し、死ん……」
「いや、死んでない」
「なっ…………えっ? 今……」
「何だ。気を失っているが、無事だった」
「ミコシエさま、自分、今、この、ポーズ……片合掌したじゃん」
クーは片手で合掌して、ミコシエが取ったポーズを真似た。
「ああ。お疲れ様、の意だ」
「紛らわしい!」
クーは拾った投げナイフをミコシエに向けて本気に投げる。
「うおっ、おい、おいおい?!」
「人生お疲れ様の意味じゃねー! シシメシを殺してんじゃねー、あんな奴でも、立派な仲間だよ!」
「あんな奴……勿論だ」
クーは、ミコシエに飛びついて、泣いた。
「死んだかと……本当に死んだかと、思った……」
「ああ。しかし、痛かろう。さすがにしばらくは戦えまい」
「痛かろうじゃないっ! あ、ホリル……」
クーは今度はホリルの傍へ、駆け寄る。
足に一本深く突き立っているが、後は流れ矢が数本かすめた程度だ。
「立てる? 歩ける? 私が、肩貸そうっか?」
かなりの血が流れ、頭が朦朧としているらしい。
「ちょっと、私の力じゃ……っ」
「私が、肩を……ををっと」
ミコシエがクーに代わってホリルの手を肩にかけ立ち上がろうとしたが、ふらつく。
「ミコシエさま、情けないよ。じゃあ、両側から抱えて……」
「うむ。せーの」
「……ああ……クー、それに、ミコシエさん。……情けないのは、僕です。仲間を……失いそうになった」
「ほんとだよ。馬鹿ホリル……!」
クーはまた、泣きそうになって言う。
「そうだ、あっちの茂みに馬がつないであります。兵達は、ミコシエさんが……?」
「うむ。ここへ来るまでに、ちりぢりになっていた兵をできる限り、まとめてきた。本隊の方へも連絡を取らせた。馬のことも兵に言っておこう」
「すみません……」
しばらく歩いたところへ、兵らが担架を持って戻ってきた。
「本隊も、もう近くにまで、来ております!」
「ああ。ありがとう。ではホリルを、頼む……」
「ミコシエさん……ごめんなさい」
「そうやって、成長していくものさ」
ホリルは、運ばれていった。兵に言い、茂みの馬も連れて行ってもらう。
ミコシエとクーは、闇の中、その後を追って歩く。もう、周囲に敵の気配はなかった。
「成長ねえ」
「似合わない台詞だったか。場の空気を読んで、ああ言うところか、と……」
「ミコシエさまにもああいう時はあったの? 馬鹿ホリルみたいな」
「うん……あった。あんなもんじゃなかった。馬鹿ミコシエなんてもんじゃなかった」
「あっはは。そうなんだ。大馬鹿ミコシエだったのね」
「……そうだな」
「あれ? ごめん、冗談よ?」
「うん……何も気にしていない」
ミコシエは何も言わず、闇を歩いていく。




