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皮肉と魔術のフラジール  作者: 宇後 筍
一章:アリウム・ギガンチウム
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第2話:彼は如何にして冒険者となったか(1)


 警戒が甘かった。アトミがそう後悔するのは翌日のことであった。


「私は隣村のモンドの出身なのよ。ほら、うちの村の娘がそっちの村長の息子に嫁いだでしょう?」


「ああ? ……そういや、そんなこともあったか?」


「嘘よ。ビヨクの隣にモンドなんて村ないわ」


 女は周到だった。さも故郷恋しさに話しかけたような顔をして食事にでも、と近くの食堂へ誘うと無警戒なアトミの嘘をあっさりと暴いた。ビヨクという村の周辺について『思い出す』暇すらなかった。


 この場合、女が上手だったというよりも、アトミが考えなしに過ぎたと言うべきだろう。村から出てきた無教養な人間が魔術を使うなんてあり得ないことだし、そもそも本当に隣村の者がこうして訪ねてきたらすぐに分かることだ。その場しのぎの嘘にしても、お粗末である。いずれはバレるそのツケが、早々に回ってきただけのことでしかない。


「何モンだ、お前」


「アルビーナよ、よろしくね」


 アルビーナと名乗る女は、地球でいうところの東欧の女と容姿が似ていた。二十代半ばといったところだろうか、スレンダーな美女である。ウェーブしたブロンドの髪を伸ばし、怜悧な切れ長の目を更に細めて酷薄な笑みを浮かべる。毒々しい薄紫の口紅を見るに、諜報部隊に所属する女スパイと言われても不思議ではなかった。襟ぐりのぱっくりと開いた服を着て、扇情的な空気を漂わせている。


「俺はお前とよろしくするつもりはない」


 アトミも若い男である。平時であれば鼻の下でも伸ばしてその深い切り込みの入った服の胸元を覗き込み相好を崩そうものだが、唐突に現れた怪しげな女に警戒が勝った。自分の秘密を暴こうという人間である。外敵を前にした獣と評した方が正確なほどにその目付きは鋭い。


 だが、女はそんなものに怯みもせずににっこりと笑っている。それは暴力に慣れた人間特有のそうした匂いを隠すカムフラージュを含んだ笑みであった。


「あなた、魔術師でしょ? それもとびきり腕のいい」


「魔術師? 俺が貴族に見えるってのか?」


「ええ、肌は白く、手は傷一つなく滑らか。どこのお嬢さんかしらってくらいに荒れた様子がないもの」


「こいつは大した口説き文句だ。お嬢さんときたか」


「それに――あなたどこからか転移してこのタルカへ来たわよね」


「……ッ」


「見てたわよ、あの浮浪者との喧嘩も。でもあれは不自然なのよね。そんな綺麗な手をしてる割に余裕のある雰囲気だったし――」


 アルビーナは最早確信をもってアトミを追い詰める。捕らえた鼠を甚振る猫のように、口元に弧を描いて問うた。目的は不明。だが、確実に目の前の女の存在は自分にとって不利益である。


 アトミは、何の思考的空白もなく自然にアルビーナを排除する方法を模索した。恐らくはこれもサウラによる改造の一端である。最早彼は平和ボケした一般市民ではない。一体どんな魔術が痕跡を残さないだろうか、と思索を巡らせる


 途端、剣呑なものを感じ取ったのか女は慌てて両手を前へ広げて無抵抗をアピールすると、眉尻を下げた。


「ちょっと、ちょっと! 待ちなさいよ、こんなのお遊びみたいなもんでしょ!?」


 すると食堂が静まり返っていることにアトミは気付く。コック、給仕、客が何人かいるこの空間が皆こちらに聞き耳を立てているのだ。女の甲高い声に注意を集めてしまったか、と思ったのも束の間、そうではないことを悟り、瞬時に椅子を蹴飛ばすような勢いで立ち上がり出口へ向かう。


 この食堂にいる全員が、グルだ。


「捕まえろ!!」


 奥のテーブルで酒を飲んでいた赤ら顔の男が叫ぶ。一斉に客だと思っていた連中が立ち上がり、アトミへ殺到した。出口は既に塞がれている。誘導されていたのか、位置しているのは食堂の真ん中だ。じりじりと円を縮めるように迫ってくる男達に、アトミは最善の脱出方法を脳内で検索し続ける。この距離で詠唱をしていて見逃してくれるとも思えない。魔法は使えない。頼れるのは試したこともない改造された身体能力のみ。


 女がヒステリックに何かを叫ぶ。甲高い声は聞き取り辛く、男達の怒号で掻き消されアトミまで届くことはない。硬直状態に焦れたのか、男が一人輪から飛び出して襲いかかってくる。暴力に慣れた動きだ。岩のような拳がアトミの腹へ振るわれる。その俊敏な動きを見て咄嗟にアトミは後ずさりそこから逃れた。そのつもりだった。


「なッ!?」


 慣れない鉄火場の空気に飲まれ、間合いなんてものも分からずに全力で避けたその結果、強化された身体能力によって、アトミは殴りかかってきた筋骨隆々の男の対角線上にいた細身の優男までジャンプしていた。低空で弾丸のように自分の懐へ跳ぶアトミに男は唖然とした表情をしている。それは勿論、アトミ自身もそうだったが、ヒューマにおいてトップクラスの動体視力と反射神経は、その状況に対しての行動までのラグを劇的に減らしていた。


「うぐ!」


 バックステップにより背中から向かうような体勢を取っていたアトミは左足で着地。勢いそのままに回転し、スピードと体重を乗せた前蹴りで優男の腹を蹴っ飛ばす。男が腹部を抑え、どうと倒れるその前には囲みを突破すべく空いた穴へと駆けていた。


 残りは十人を下らない。まず間違いなく全員を倒すなどということは不可能である。アトミは今の攻防で、けして自分が戦闘の達人になった訳ではないことを悟っていた。いくら力が強くなろうと、動かし方がこうもぎこちないのでは宝の持ち腐れだ。


「一気に押し潰せ!」


 後ろから男達が殺到しているのが分かる。首元の皮膚がちりちりと焼けるような嫌な感覚から逃れるようにアトミは出口へ向けて真っ直ぐに向かう。置いてあるテーブルに飛び乗り、皿や酒を撒き散らしながら駆ける。


「ジョゼ! 行ったぞ!!」


 出口の前では、一人の男が待ち構えるように立っていた。囲みには参加していなかった男だ。どのみちここを通らねば出れまいと踏んだか、まんじりともせずにこちらを見ている。


「悪いな、兄さんよう」


 無手である。腰に下げた二振りの曲刀を振るうつもりはないらしい。レスリングスタイルのように腰を深く落とし、待っている。アトミを止めて後続の男達と共に押し潰す心積もりだろうか。実にこの状況に適った合理的な構えであった。


 どのみちアトミには止まることは許されない。真っ直ぐに突っ切るのみである。掴まれるまでに蹴りでも入れてこのスイングドアから出て行く、選択肢などは元よりない。僅かな逡巡もなかった。


 その時、アトミにはジョゼと呼ばれたその男の体の強張りが見えた。人体が動き出す前の一瞬の硬直。来る。タックルだ。アトミは既に踏み出していた右足の膝が突っ込んでくるジョゼの顔面に突き刺さるように歩幅を広げた。これは並外れた反射神経の賜物であり、同時にそれに頼り切り考えることをしなかった弊害でもあった。


 フェイント。来ると確信した動きはただのフリであり、本命は体が伸びきりすぐに攻撃へ移れないこの体勢を作ってからの抑え込み。アトミはあっさりと無防備な胴を掴まれ、地面へ引き倒される。力ずくで脱出しようとするが、次々とやってくる男達にのしかかられ身動き一つ取れなくなる。


「おい、魔術師じゃねえのかよコイツ!!」


「知らねえよ! そういう魔法かなんかだろ!!」


「誰か睡眠茸ブロ・マタンゴのスプレー持ってこい!!」


「店の中がめちゃくちゃだよう……」


 喧騒の中、アトミは怪しげな薬を顔へ噴射され、意識を闇の中へと手放した。





 目が覚めた時、アトミはロープで全身を簀巻きにされ、身動きが取れないまま食堂の床に転がされていた。


「……! 目が覚めたみたいですよ!」


 顔を覗き込んでいた若い娘が、周りにそれを知らせる。朦朧とした頭で、状況を把握しようと努めるが、どうにも頭も体もスッキリせず重たい。嗅がされた薬剤のせいだ、と原因はすぐ分かったが、それでどうなるわけでもない。


「おい、兄さん。聞こえるかい?」


 ジョゼと呼ばれていた男が気遣わしげに声を掛けてくる。彼は東南アジア系の浅黒い顔に黒髪と、日本人のアトミには馴染みのある顔つきをしていた。柔和な目元とは裏腹に、鍛えられ盛り上がった体は服の上からでも分かるほどだ。大男というわけではないが、圧力のある男である。


「悪いな、ホント。こんなつもりじゃなかったんだ。不幸な行き違いがあってよ」


 勿論、はいそうですかと納得するはずもない。現にアトミはお客様を迎えるとはとても思えないような扱いをされている。返事もせず敵意を漲らせてジョゼを睨む。


「まずは自己紹介といこう。俺はジョゼ、この食堂を拠点として活動する冒険者エクスプローラークラン『アリウム・ギガンチウム』のリーダーだ。兄さんはアトミ、で良かったよな?」


「何が目的だ」


「そう、それなんだよ。俺達はただ兄さんをこのクランに勧誘したかっただけなんだ」


「ほう、そりゃあ随分と豪勢な歓迎を受けたもんだな。お陰様でこのクランを大好きになれたぜ、有難うよ」


 アトミの皮肉に視界の端で給仕服の女が目を三角にして睨み付ける。


 自分の所属するコミュニティを馬鹿にされることを若者は嫌がる。それも豪快を絵に描いたような冒険者ばかり相手にしているこのような食堂の者ならこうした回りくどい言い回しは余計に癪に触るのだろう。女はコックの後ろへ隠れると顔だけ出して舌を出し挑発してくる。アトミは思い切り舌打ちをした。


「それに関しては本当に申し開きのしようもないな。そこのお転婆が説得なら任せろって吹いたもんでね。やらせてみたらこの有様だ」


 苦笑しながら顎で示した先にはアルビーナ。バツが悪そうに髪をいじり、俯きながらちらちらとこちらを気にしている。


「まさか、そこまで詮索されたくないなんて思わなかったのよ。確かに冒険者は詮索を嫌うけど、大抵の魔術師は自分の功績を誇るもんでしょう?」


「他の魔術師なんて知るかよ」


 事実、「こうであるらしい」という伝聞レベルの情報しか得ていないアトミには他の魔術師の態度など知る由もないのだが、不機嫌そうな声色と相まって周囲には不遜に見えたらしい。


「そういうところは魔術師らしいわね。まあ、とにかく悪かったわよ。私達は本当にあなたに敵対するつもりはないし、いい関係を築けたらと思ってるの」


「ああ、そうだな。俺が縄に縛られて転がされて、お前らは椅子に座ってる。実にいいパートナーになれそうだ。友好の印に靴でも舐めようか?」


 アトミは苛立ちを隠す気もなく晒け出し続けている。怒るべきタイミングでそれを露わに出来ない者は侮られる。日本にいたときから彼はそれを経験則で知っていた。人に縄をかけておいて解きもせず口先だけでどうこうと囀る目の前の人間の話など聞く気はなかった。


「アンドレ、解いてやってくれ」


 ジョゼが近くにいた赤ら顔の男に指示を出す。アトミを逃すまいと叫んだ男だ。彼は酒臭い息を吐きながらかけられた縄を解くと、へらりと笑って肩を組んだ。


「おうおう、アトミって言ったか? オメェもよお、男ならケツの穴の小せえことでグチグチ言うんじゃねえよ、タマついてんだろ?」


 片手に持った空の酒瓶を逆手に持つと、アトミの頭をこつこつと叩く。「聞こえてまちゅかー?」と幼児めいた口調で小突き続けるこの男は、正しく酔客。理屈などまるでない。ただ陽気になり、それに他人を巻き込んでいるだけ。


 本来であれば適当にいなして座らせていれば勝手に寝こけてしまうので、相手をしないのが手っ取り早い。だが、アトミは気付けばその超人的な握力で隣の男の顔面を掴んでいた。無意識、というよりも感情が思考を凌駕するスピードで行動を起こさせたのである。


 アトミは本来、穏やかとは言い難くも暴力的な人間ではない。腹が立ってもまず対話で解決出来るのであればそれに越したことはないと考えるタイプの人間だ。今回、それがこうも簡単に激昂するに至っているのには、理由がある。


 彼にかけられた精神プロテクトは、けしてその精神的ダメージを遮断しゼロにするものではない。本来一度に襲いかかるはずのそれを希釈し、少しずつ後に受ける形で分散させて勢いを殺していく仕組みになっている。当然不可解な現象に巻き込まれた不安も、人体を改造されるという悍ましい出来事も、知人が誰一人としていない孤独な環境に放り込まれたストレスも、けして帳消しにはなっていないということである。


 つまり彼は今、それらの負債が消えるまで恒常的に精神を汚染され続けている。不安定なところを、無神経に突けばこうなるのもやむなしと言えよう。


「何しやがんだこのクソガキッ」


「死ねジジイ!」


「俺ぁまだ40だ!」


「俺だってもうとっくに成人してんだよ!」


「んだァ? またやんのか? 俺ァ疲れたからパスだ」


「賭けようぜ、俺はアンドレに千フロル」


「ならあの魔術師に千五百だ」


「ああ、喧嘩は、喧嘩は良くないですよ……!」


「殺すッ」


「やってみろ小便漏らしが!!」


 かくしてアトミは精神の均衡を欠いたまま、その乱れた心の赴くままに大立ち回りを演じ、詫びを受け取るどころか食堂を半壊させたその代金を支払うまでは、クラン『アリウム・ギガンチウム』に所属することと相成ったのであった。



睡眠茸ブロ・マタンゴ


マナの多い森林、湿地帯に分布するマタンゴ種のキノコ。強い鎮痛・鎮静作用を持つ物質を含むため、医療目的で携帯する軍人や冒険者も多い。しかしその性質から悪事に用いられることもしばしばある。


人の美しきは勇気なり、人の愚かなるは智慧なり

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