第1話:娼婦と影
エピソード追加しました。ついでに他所も修正してますのでお暇があれば読み直していってください。
宿は巡礼者用のところを取った。流石は聖都、人の出入りが激しい分旅人に対する扱いは良かった。
――さて、これからどうするべきか。
アトミに内蔵された知識は多岐に渡る。だが、それらは常にアトミの中に存在するわけではない。調べたい事項について思考することで芋づる式に『思い出す』のだ。脳に負担をかけないための仕様だろう。まず腰を落ち着けなければ最適解も導き出せない。
――冒険者、か。
この世界に存在する仕事の中で最もリスクが低く、かつ各地を巡ることで実利を得ることが出来るのは、落伍者との境界も曖昧なアウトロー、冒険者という仕事だった。
この世界の冒険者のなり方は実に簡単だ。「俺は冒険者だ」とそう名乗ればいい。つまり逆に言えばそれは何ら社会的な保証のない人間であるということだった。
とはいえ、大半は冒険者互助組会に所属する。そしてそこで紹介されるか、自分で見つけ出したクランに入ることで冒険者としての活動は始まる。冒険者互助会に無所属なのはフリーでも仕事を獲得できる超一流か、名乗る名もない落ちぶれた人間だけだ。
――この目の前のクソみたいにな。
「ええ、おい!! どういう了見だァ!!?」
旅の用意など何もないアトミである。サウラから当分の支度金として貰ってある金で買い出しへと出かけたその時であった。
野次馬に囲まれ、表通りで恥も外聞もなく喚く男。まるで餓鬼のように落ち窪んだ眼窩から飛び出さんばかりに目玉を剥き、唾を飛ばして女に掴みかかっている。ところどころ禿げた頭を掻き毟り、襤褸切れを纏う姿は浮浪者そのもの。
「だから! 前払いで銀貨5枚よ!!」
「さっきの男には3枚だと言っていただろう!!」
「あんたみたいな汚い男、病気でも持ってたら大損でしょう!! 5枚で手を打ってるんだから感謝なさい!!」
女は娼婦であった。どうやら料金で揉めているようである。娼婦と浮浪者、社会的立場の低いその二者の争いは見る者の下衆な琴線に触れたのだろう。立ち止まりそれを眺める野次馬の群れが出来ていた。
女は正式な娼婦ギルドから支給されたローブを羽織っている。そして客にいくらで己という商品を売るか、それは『商売』として当然認められた権利であった。
むしろあれだけの不潔な男だとしても金さえ払うのであれば承諾するというのだ。筋が通っているのは女の方である。
――ただの揉め事なら放っておこうかと思ったけどよ……。
アトミはけして善人ではない。日本という恵まれた国に産まれながら、児童保護施設出身という他人よりも一つシビアな世界で生きたその経験と価値観は、真っ先に自身と身内の安全を優先させた。それがつまり弾き出したのは「危ない橋を渡ってまで助ける必要はない」という冷たい結論である。それに従ってアトミはこれまで生きてきた。
「な、なぁ、なめ、舐めてンじゃァねえぞクソアマが!!!」
男は頭を一層掻き毟ると、元がどんな色だったかも分からないコートの中から錆び付いたナイフを取り出した。物見気分で眺めていた野次馬の女が甲高い声で叫ぶ。それでも娼婦の女は顔色を青くするのみで悲鳴を上げたりはしなかった。
「謝るんならァ、今のうちだぜ嬢ちゃあん」
「私は間違ってないわ。銀貨5枚よ、私は私を安売りしない」
――こんな面白えもん見せられたらなあ!
顔面は蒼白。瞳は揺れ、体は震えている。だが、魂は誇りの柱に支えられ欠片も揺らいでいない。
アトミは野次馬を掻き分けてその中心へと向かう。ぽっかりと空いた台風の目へ。そこでは今にも男が踊りかかりそうなほどに激昂した姿があった。
「こっ、このォ、売女がァあああ!!」
振り被るその姿は、滑稽ですらあった。小さなナイフにすら振り回されているような、全く腰の入っていない動き。だが、産まれ持った膂力の差故に当たれば骨くらいは折れるだろう。運悪くナイフの錆びていない部分にでも触れれば肉が裂けるかもしれない。傷が残る、それはその日その日に身体を売る仕事をする女にとって致命的である。
「うおおおおおおお!!!」
アトミには、サウラから与えられた魔法がある。強靭な肉体がある。身を守るために最優先に『思い出した』この世界のあらゆる武術体術がある。
だが、そのいずれも使わない。あえて素人丸出しの動きで、恐怖を払うかのように叫び、いかにも必死という形相で男へ体当たりをする。
こんな腰の引けた小男くらいなら簡単に制圧する能力をもちながら、そうしないのは何故か。ひとえに目立つことを避けるためである。
今のところはっきりと所在の分かっている聖遺物はただ一つ。それがここタルカを不動の聖都と言わしめる結界を生み出す唯一無二の聖遺物、『女神サウラの聖骸』。いずれ回収するにしても、宗教的象徴であるそれを盗み出すことは即ち女神教の全てを敵に回す行為である。いずれ敵になる者に手の内を知られるのは不味い。
喧嘩慣れしていない不自然さを心がけてアトミは小男のマウントポジションを取り、あえて何発か効果の薄い場所を殴った後に、さり気なく昏倒させた。
「やるじゃねえかニイちゃん!!」
「さーて、仕事に戻んぞお前ら!」
「嬢ちゃん、俺が相手の時は2枚で頼まあ!!」
野次馬は散り散りに去っていく。彼らが何かを勘付いたような様子はない。細身の男が義侠心から女を救った、きちんとそう見えているらしかった。
「おい、大丈夫か?」
「ありがとう。ん………?」
「どうかしたか?」
「……何で私を助けたの?」
その目はアトミを真っ直ぐに見つめている。先ほどと同じ目だ。挑む目。自分を救った相手にすらこれである。アトミは思わず口角が上がるのを抑えきれなかった。
「女が危ないなら助けるのが男ってもんさ」
「嘘ね」
「ああ、そうだな謝るよ。下心だ。娼婦を助けたらお零れが貰えるかもしれないってね」
「それも嘘」
女の眉間に皺が寄る。偽ることを許さない。他人も、己も。真面目な娼婦。その落差をアトミは面白いと思う。
「嘘じゃないぜ、三割はそんな気持ちさ」
「残りは?」
「お前の物言いが気に入った。なあ、俺がお前を買うとしたら、幾らだ?」
「銀貨5枚よ」
「くく、そうかい。名前は?」
「ネミネ。あなたは?」
「アトミ。『冒険者』さ」
予定は狂ったがアトミは愉快だった。己もこうして自分の命を賭けて我儘を通すことが出来るのだから。
だからなのかもしれない。薄暗い通りの影で彼を見る者がいることに気が付かなかったのは――。