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皮肉と魔術のフラジール  作者: 宇後 筍
プロローグ:Hello,World
4/16

幕間:カリルド・ケニーピートという男

次回からアトミに戻りますが、今回は別人視点です

「嫌ッ! 手を放して!!」


 前線都市カノーチス。大陸の東の果て。幾万もの人間を飲み込んできた人喰らい、魔の迷宮ダンジョンの鼻の先。


 人類を守る防波堤。勇ある者。そんな風にどんなに持ち上げられたところで、冒険者がやっていることは所詮形の違う暴力だ。暴力を扱う者の心構えを失くした瞬間から、冒険者はただのクズになる。


 だから冒険者の集まるこの街には、当然比例してクズも多い。今宵もほら、可哀想な犠牲者が街の闇に消えようとしている。


「つれねえなあ、おい」


「良いじゃねえかよ、なあ。こんな時間に出歩いてんだ。諦めってやつが肝心だぜ、お嬢ちゃん」


 夜を照らす青く大きな頼もしきプリオルは出ていない。小さく鈍いポステリオルの光では、街の悪事全てを照らすことなど、出来はしない。女を囲む悪漢は五人。その誰もが彼女を銀貨の詰まった袋か、獣欲の対象としか見ていない。突然女神の教えに目覚めて彼女を家まで送ってやろうと思う者は、残念ながらいないようだった。


「やめて! やめてちょうだい!」


「叫んだって誰も来ねえさ。ここらはスラムに近いからよ。『いつも』そうなんだ」


 その『いつも』の内の一例に彼女は名を連ねることとなる。その恐ろしい想像に、最早身を硬くすることしか出来ない様子である。


「そうそう、大人しくしてりゃあ、俺たちだって手荒な真似はしねえさ」


「嬢ちゃんが悪いんだぜ? 女の一人歩きなんざ攫ってくださいって言ってるようなもんだ」


 男達が女の腕を掴む。女は涙を浮かべ、俯くのみ。とはいえ、それを誰が責められようか。女の細腕で抵抗したところで、男五人に敵うはずもない。


「嫌ッ!! 誰か、誰か助けてッ!」


「だから来ねえって。見ろよ、こんな月明かりのねえ日に誰がお前を見つけてくれるってんだ?」


 男達はこぞって女を嘲笑した。馬鹿な女だ、有難い話だ、と。彼女に如何なる事情があってこのような夜に出歩いているのか、それは誰にも知れず、露と消える――――はずだった。


「月明かりがないだって? いいや、見てるぜ。(ポス)(テリ)オルが」


 スラムの暗がりが男が一人、歩いてくる。まるで影からずるりと抜け出たように、静かに。夜のように暗い髪、死人のように白い肌。冒険者が身に纏う革鎧や、帯剣をしてるにも関わらず暴力の匂いがしない異質な男である。ただ、それらの特徴は、見る者の印象に残ることはない。何故か。その男の目は、血のように赤かった。





 赤い目が闇夜を駆ける。石造りの街の裏通り、いつもなら誰も彼もが静まり返る丑三つ時に、彼は三人の「客」をぞろぞろ引き連れながら駆けていく。軽快に、楽しげに。腕の中に傷付いた少女を抱きながら。


「待ちやがれ!」


「何モンだてめェ!!!」


 真夜中の逃避行には無粋な怒声と足音が響く。腕の中でびくり、と身を硬くしたその娘に、彼はその犬歯を見せるように不敵に笑う。まるで楽しくて仕方がないという風に。


「チッ、こうなりゃ……」


 悪漢の中でも一番巨躯を誇る男が、懐から銃を取り出す。その大きな体は鍛えてあるというよりもぶよぶよと弛んでいて、太っているというのが正しいだろう。見た目通り不摂生なところに突然のマラソンで息が切れているようだ。


 銃から一発の弾丸が放たれる。走りながらという不確かな体勢から撃ったそれは照準がずれ、逃げ続ける二人から逸れて石畳を叩いた。


「馬鹿かゲドリー撃つんじゃねえ! あの女が死んだら意味がねえんだよ!!」


「あぁんな上玉! 無闇に傷が付いたら値が下がっちまうだろうが!!」


「ひッ……!」


 細身の男が似合わぬドスの効いた声で大男を怒鳴りつける。それに追従したネズミ顔の男の言葉に女は一層顔を青褪めさせる。それを見た赤目の男は女とはいえ人一人を抱えたまま走る辛さを欠片も見せずに再び笑いかける。


「安心しな。今お前のいるその場所は、世界で一番安全だ! 何せこの――――」


 言葉を続けようとした彼を遮るように、前方から先程撒いたはずの悪漢がやってくる。後方から依然追いかけてくる者と合わせて五人。その誰もが手に武器を持っている。かくて状況は振り出しに戻る。女を横抱きにしたたった一人が、敵うはずもない人数差だ。


「へへへ、バカが!! テメェ旅人だろ? こっちは裏通りなら庭みてえなもんなんだよ!!」


「さあ、その女をこっちに渡しな!! 今なら身包み剝ぐだけで許してやるからよお!!」


 じりじりと包囲の輪は狭まる。下卑た男達の視線から、少女を渡して良い未来が訪れると信じる馬鹿はいないだろう。絶体絶命の危機である。


 しかし彼は笑っている。少しも変わらず、毛ほどの動揺もない。赤目の男はさして巨躯である訳でもなく、武器といえば腰に差した細身の剣一本である。だというのに笑い続けている。虚勢だ、腕に抱かれたままの女はそう思い、己とこの善良なる男の未来を想い目を覆った。何の縁もない男だ。彼がその身を危険に晒してまで、私を助けなくてはならない理由などない。だから震える声でこう申し出たのだ。


「わ、私は、大丈夫ですから。ありがとう、逃げてください」


 もしも彼が自分を見捨てて逃げたら、彼を呪ってしまう気がした。だから女は自分から別れを告げたのだ。涙でグシャグシャのその顔で、彼女はにっこりと笑ってみせたのである。己の手で縋りたいはずの蜘蛛の糸を断ち切ったのだ。ああ、なんと健気であることか。この笑顔は間も無く消える。二度と太陽の下に出て胸を張ることはないだろう。萎れた花弁のように俯き、枯れてしまえばごみのように棄てられるだろう。


「嫌だね」


「……え?」


 故に。故に、それは為されない。天がそれを許そうとも、王がそれを望もうとも。何故ならそこに彼がいるからだ。理由などは、それだけで十分だ。


「恥を知りな、悪党共。寄ってたかって一人の女を……情けねえったらありゃしねえぜ」


「んだと、何チョーシこいてんだテメェ!! 数見てから物言えや!!」

「構いやしねえ、さっさと畳んじまえ!!」


「ひとつ」


 いきり立つ男達が一歩踏み出した瞬間である。何をしたのか、男達には分からなかっただろう。ただ理解できることは、赤目の男から正面の先頭に立っていた男がぱん、という軽い音と共に突然倒れたということだ。まだ相手は剣も抜いていないのに。


「ふたつ」


 背後から不意打ちを浴びせようとしていた男が何かに弾かれたように転がり、そして起き上がらない。魔術師か、と誰かが叫ぶが、こんな速さで詠唱できる魔術師などいるはずもない。


「みっつ」


 また一人、逃げ出そうとした男がつんのめり、倒れる。戦慄する残った悪漢たちのその目にはもはや鼠を甚振るような残酷さはなく、むしろ狩られる者の恐怖があった。そして間も無く、意識を失う。


「よっつ」


 その声が聞こえた時には、最早意識のある者は一人しかいなかった。それも、理解し難いものを見る目で、眺めているしか出来ない。


「殺してもいいけどな……怯える女の手前だ、勘弁してやる。ホントはこんな場面も見せなくなかったけどよ、お前さんらが追っかけてきたんだ、仕方ねえよな。ちゃあんと詰め所まで連れてってやるさ。その後どうなるかは、知らねえけど」


「ひぃぃ、どうか、どうかお許しを! どうせ吊るし首になっちまうよ!!」


「だったら今死ぬか?」


 男が全力で首を横に振るのを見ると、お伽話の魔法遣いのようにあっさりと解決してみせた赤目の男は未だ腕の中の女にこう言う。変わらぬ不敵な笑顔で、何事もなかったかのように。


「な、大丈夫だったろ? 何せ俺は、カリルド・ケニーピート。いずれ歴史に名を残す、英雄だからな!!」





 カリルドは冒険者エクスプローラーである。今日も今日とてあくせくと日銭を稼いでいる。冒険者といえば良くも悪くも両極端な職業なのは有名な話。何せ博徒よりも人生を投げ打っていると揶揄されるほどだ。強大な敵性生物モンスターを打ち倒せば英雄に。それが出来ぬのであれば、真面目に衛兵にもならず、手に職もない人間のクズという扱いだ。


 カリルドは、英雄を自称する男だ。実力もある。人類最前線の街であるこのカノーチスでも五指とまではいかなくとも、十の内には入るだろう。竜殺し、悪魔祓い、白狼堕とし等々の人外に、肩を並べようとする実力者だ。しかし、驚くほどにその知名度は低い。


 なぜなら彼の現在の仕事の殆どはモンスター退治ではなく、人を暗殺することであるからだ。所属するクランの意向により、彼はその後ろ暗い仕事の際には名を名乗ることを許されていない。勿論汚い仕事を請け負っていることが白日の下へ晒されればクランごと縛り首は免れないからだ。


 名乗りをあげることもなく、闇夜に紛れて人を殺す。英雄とは程遠い行為である。だが、彼は自らを英雄と言って憚らない。何故ならその汚れ仕事は彼にとって何ら汚点ではないからだ。


「『はい、ヨルデンです。なんの御用でしょう』」


「『シオンの風丘から依頼達成の報告に参りました』」


「今開けます。少々お待ちください」


 住宅街を歩いていたカリルドが一軒の小さな家の前で立ち止まり、ドアノッカーを鳴らすと、魔導具であるノッカーからくぐもった女の声が聞こえる。毎度符丁を変えたり、居所を細かく移すのは仕方ないとしてもどうせ既に監視しているのだから一々確認するのは勘弁してくれとカリルドは思うが、それを抗議したところでこの家の主は取り合いはしないことは分かっていた。


 玄関はそのままリビングと繋がっている。家というよりも大きな小屋のように吹き抜けになっていて、中央には樹が植えられている。植木鉢でかざられているのではなく、文字通り部屋の真ん中に土が盛られていて、そこにその樹は植えられているのだ。この拠点を構えてから短いから天井には当たっていないが、放っておけば大変なことになるのだろうな、とカリルドはいつも思う。部屋の壁は本棚になっていて、決まってこのクランの主は玄関から対角線上に机を置き、そこでタバコを吸い、コーヒーを飲んでいる。眼鏡を掛けたその顔はいつも通り顰めっ面だ。四十を越えたその人生の渋みが顔に出ている。


「今回もハズレだ」


 無愛想なこの男は単刀直入な物言いを好む。というよりもそれ以外を嫌悪している。カリルドとしては他愛ない世間話というのが嫌いではないので、時勢の挨拶から入っても良いのだが、そんなことをすれば舌打ちで帰ってくるのがオチだ。よって率直に述べる。


「……そうか」


「それから、今回の件とは直接関係ないけど仕事の終わりがけにチンピラとやり合うことになってね」


 男はとんとん、タバコの灰を落とす。話が気に入らない時のサインだ。無駄話はやめろとでも言いたいのだろう。カリルドは溜め息を吐いて続ける。これは無駄ではなく、彼らの渇望する重要な情報であるからだ。


「そいつらの内の一人が銃を持ってた」


 その瞬間、確かに空気が軋んだ。居心地が良く静かに時間の流れるこの屋敷が、悲鳴を上げているように錯覚する。カリルドは知らぬうちに粟立っていた首元を摩る。まさしく殺気というものであるのだろう、首を落とされるような錯覚に陥り、味方であるはずの彼に剣を抜きそうになった。流石は『死神』フォマー・ヤコヴレフ、と言ったら彼は怒るだろう。


「それで、どうした?」


「もちろん、衛兵に突き出した。あいつらの一味なら庇うなり内密に処理するなり何らかのアクションがあるだろうし、どちらにしても大義名分もなく俺が襲ったわけじゃない。あっちが襲ってきたからとっ捕まえただけ。俺の仕業ってのはバレてないさ。探る時間は十分ある」


「……」


 フォマーは目を瞑って情報を精査し始める。いくつの選択肢があってそれらのどこにリスクが転がっているか。メリット、デメリットの洗い出しと必要な手段。カリルドには彼の中でどういう計算が行われているのか分かりはしないが、少なくともフォマーがこうした思考に大した時間を使わないことを知っている。彼は事前に幾度も幾度もあらゆる状況を想定するからだ。今回も既に考えてあるケースのうちのどれにするか悩んでいる程度だろう。彼はけして聡明な人間ではない。努力家というのも違うのだろう。


 何故なら聡明な人間はあのカルデアーノファミリーに喧嘩を売ろうとはしないし、グスターヴォ・カルデアーノに復讐するために何度も思考を重ねることを、人は努力とは呼ばないからだ。





「『仕事』の話は終わった?」


 その後今後の動きや想定される相手の行動を話し合い、方針を固め終わってフォマーのコーヒーも冷めた頃、軽い調子の声が二人に掛けられる。エルサ・ヤコヴレフ。フォマーの娘で、このクランに所属するたった四人の内の一人だ。


「コーヒーのおかわりと……カリルドはエールで良いわよね?」


「ああ、ありがとうエルサ」


「全くもう! カリルドが仕事して来たっていうのに父さんってば労いの一言もないんだから!」


 エルサはフォマーの娘とは思えないほどに姦しい。それはしかし耳に不快なほどではなく、むしろそれはともすれば誤解を招く父を気遣う意味があり――そしてこの親娘が復讐を決意する理由と決して無関係ではないだろう。カリルドはこの二人のそうした仕草を見つける度、己のこの後ろ暗い仕事にも誇りを持つことが出来た。


「ほら、カリルド! 乾杯しましょう!!」


「……ああ、そうだな! 」


「エルサに色目を使うなよ、カリルド」


「過保護も大概にしないと嫌われるぞ?」


 誇りを持ったからといって、女神がカリルドをお許しになるかは分からない。そう、冒険者というのは皆等しくクズだ。暴力を振るい、それでその日を過ごす金を稼ぐ。カリルドは冒険者だ。けれど自分のことをマシなクズだと思っている。だから彼は自らを英雄と呼ぶのだ。女神に許して欲しいとは思わない。いつかは他の冒険者と同じように惨たらしく死ぬのだろう。


「それで? 話はどういう風に纏まったの?」


「今調べている件が片付いたら、タルカへ向かう」


「正確に言うと、今から調べることから推測するに、多分タルカに向かうことになる、だけどな」


「いつものことだけど父さんは断定口調で話しすぎだよ!」


「全くだ」


「だから色目を使うなと言っている……」


 だが、天罰を落とすのは少しだけ後にして欲しい。グスターヴォ・カルデアーノを殺し、彼らの復讐が終わるその時までは。

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