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俺とHONEYとシロと涙

「陽子~どうしたぁ?お前だけまた、体育やんのかよ~ギッシュじゃね?」

「淳志~あたしの制服知らない?ポケットにお財布も入ってるのに…]

困惑し体操着のまま教室へ戻ってきた陽子が眼中に入ると、淳志は淡いピンク色のYシャツの胸元から覗かせたネックレスを触りながら、二ヤけ顔で体ごと振り向いた。

「俺が知ってるわけねぇだろ?女子更衣室で自分の脱いだとこ忘れてるんじゃねぇのか?…まぁでも、その体操着のままでもいんじゃね?なぁ、摩湖斗~」

淳志は一番後ろの席で突っ伏して爆睡している摩湖斗に近づき背中を揺さぶった。そして二ヤけ顔をさらに緩ませながら、もう一度、陽子を一瞬だけ見た。紺色の短パンに白いTシャツ。下着の線が見えそうで見えない微妙な感じが淳志にはたまらない。

「なぁ摩湖斗~いつまで寝てんだよ!もう昼だぞ!昼!飯だ!朝から昼までよく机で寝てられるよ~五月蠅くねぇのかよ!体痛くなんぞ!摩~湖~斗~!目~腐んぞ!」

10時に遅刻して来て以来、かれこれ2時間。そのまま頬を机にぴったり当てピクリとも動かない。長い髪が顔全体を覆いどちらの方向を向いているのか分からず、見ようによってはホラーのようで怖い。

「はぁ?」

心地良い睡眠を妨害され苛立った摩湖斗は少しだけ頭を持ち上げると薄目で鋭く睨みつける。唸るように低い一声にまわりにいる生徒たちは身を固めた。しかし淳志は怯えたりはしない。

「摩湖斗~今度は制服無くなったんだってよぉ~。ったく!どこのスト~カ~だぁ?」

「あぁ、うっせ~なぁ!知るかボケ!」

摩湖斗は眉間にシワを寄せ不機嫌に陽子を見る。一瞬眉間のシワが消えたかと思いきやまた、もとの不機嫌な険しい顔に逆戻り。

「陽子~いいじゃねぇかぁ、そのカッコのままで…可愛いぞぉ」

「はぁ?こんなカッコ嫌だよ!」

摩湖斗は肩まで伸びた髪をかき上げた。少しウェーブがかった髪から美しく整った顔が見えると、陽子は視線をそらした。

摩湖斗は両手を高く大きく上げ伸びをしながら教室中を見渡し、クラスメイトに指示を飛ばす。

「おい、角野!お前職員室に行って制服売ってるとこ聞いて来い!」

「あっ、はい!」

角野は貧弱な体を丸め神経質そうに眼鏡をおさえながらビクビクと教室を出ていった。

「一応探してやっけど…俺が制服買ってやっから気にすんなよ…」

摩湖斗は陽子に優しく笑いかけた直後、険しく他の生徒を睨みつける。

「おい、お前!今の話聞いてたか?」

「えっ、えぇ…」

「校舎中のごみ箱見て来い!そこのお前、掃除道具見て来い!」

「はっ、はい!」

教室にいた男子生徒はみな摩湖斗の指示で探しはじめた。その後、着替えを済ました女子も加わりカバンの中やロッカーの隅々まで探したが教室や更衣室だけでは見つかりそうになかった。

クラス中が探しているなか、摩湖斗はスッと立ち上がり廊下へと歩きだす。そして何を思ったか廊下で教室をうかがっていた下級生の女の子達に真っすぐに向う。

「君たち…何年生?」

「一年生です。」

「ふ~ん、君たち…今、俺のこと見てたっしょ?」

「はっ、はい!私…伊澤先輩のことが…」

「でも…君たち陽子にも憧れてんだろ?」

突然摩湖斗に話しかけられ、女の子達は緊張のあまり赤面し恐縮した。

「は、はい。長谷川先輩は中学の時からの憧れです!」

摩湖斗はドアにもたれ、女の子の顔を覗き込んだ。そして左手をポケットに突っ込んだまま、じゃあさぁ~と言って優しく微笑み右手で髪をかき上げた。またもや端正な顔があらわになる。まるでお茶でも誘っているかようにスマートで滑らかな口調で語りかけた。

「君たちの憧れの長谷川陽子先輩と…俺のために…制服探し手伝ってくんない…かなぁ?」

そんな摩湖斗を見た女の子たちはさらに顔を赤らめ恥ずかしそうにうつむき、そして頷いた。

「女子トイレ~見てきてくれるかなぁ?」

純情な女の子達にとっては、 俺のために…とゆうドキッさせられる言葉を言われてしまっては探さないわけにはいかない。ましてや好意対象者の直接的な言葉にたいして、一瞬で心を征服されてしまった。一年生の女の子たちはお互いに顔を合わせ廊下から楽しそうにいなくなった。

そんな様子を見た淳志は陽子の肩に腕を回しもたれ掛かり、まるで自分の事を自慢でもするかのように顔を近づけた。

「スゲェだろ?やっぱ摩湖斗ってスゲェかっこいい~なぁ~陽子~?」

「べ・つ・に!」

摩湖斗は淳志の頭を一発叩き、陽子のそばの空いている席に大股を広げ偉そうに座った。

「てめぇ、陽子にベタついてんじゃねぇ!おい、康太呼べ!」

「おう!」

淳志は即座に携帯で、2年生の康太を呼び出す。すると、ものの5分もしないうちにむさ苦しい仲間7、8人を連れ立ってゾロゾロと摩湖斗の前に整列した。

「伊澤先輩、ち~っす!」「ういっす!先輩!」

摩湖斗は可愛がっている後輩たちの挨拶を聞き一瞬口だけでニヤっとし、また険しい顔つきになった。2年生を仕切る康太に目が止まる。

「康太、お前~なんだ?その頭?」

摩湖斗の言葉にクラス中が康太の頭に注目した。

「淳志さんにやってもらったんっす。結構、気に入ってるんすけど~」

淳志は早速、康太の頭をいじり始める。

「コイツが~最近~レゲエにハマったっつうから~よ~。うちの店で~俺が~アフロにしてやったんだよ~超~絶うまいだろ~?」

レゲエでアフロ?ドレットの方がらしいんじゃねのか、もう少し短かきゃパンチだなプっと突っ込みそうになりながらも康太の満足そうな顔を見ると開きかけた口を閉じるしかない。

「淳志さんのおかげで、彼女も出来たんっすよ!」

摩湖斗は康太を手招きし頭をさげさせた。そしてその頭に片手を乗せると、まるで子供をあやすようにいい子いい子とフワフワの頭を撫でた。

「そっかぁ、よかったな…」

普段見ることもない摩湖斗の優しい表情に、康太は歓喜のあまり後ろを振り返り、陽子の友達で最愛の彼女となったばかりの麻紀にピースを送った。

摩湖斗は康太の連れだった野郎に険しい顔で指示を飛ばす。

「お前ら!昼休み終わるまでに陽子さんの制服探せ!校内の隅々までキッチリと!一番最初に見つけたヤツは、制服の匂い嗅いでもいいぞぉ~!わかったら散れ!」

「マジっすか?ういっす!」

陽子が不満そうな顔で摩湖斗を睨んでいると、連中は浮き足だって教室から散策に出かけはじめた。

「まじ?変態!」

「うひょ~陽子先輩の~早く探さなきゃじゃん?」

「嘘でしょ?やだって!」

「ウヒャ~!匂いくらい嗅がしてやれよ~探してもらうのに~。そうだ、こうしちゃいられない。俺も探しに行ってこよ~っと!俺が陽子の匂いぜ~んぶ吸い取ってやるもんね~!」

淳志はまるで宝探しのように目をキラキラさせ、楽しそうに走って行った。


---どうして…みんなして…陽子のどこが---


摩湖斗はおもむろにポケットから二つ折りにした札束を取り出し一万円札を人差し指と中指で挟み康太に向けて手を伸ばした。

「あぁ腹減ったぁ。悪いが飯買ってきてくんねぇ?陽子のぶんも…お前と彼女のぶんも買っていいから…屋上にいる…」

康太は「あざっス!」と返事をすると、お札を握りしめ足早に購買部に向かった。

「麻紀ちゃん、康太のヤツ持ちきれねぇと思うから手伝ってやってくんねぇか?」

摩湖斗が優しく言うと麻紀は、うんと頷いてニコニコして後を追った。


---私にも…何か…言って--


はじめはキョロキョロ辺りを探していた陽子だが、時間が経つにつれ半分諦めて自分の席でうな垂れた。今日は見つかるのだろうか。昨日無くなった筆箱はまだ見つかっていない。

「摩湖斗~お昼おごってくれるの?サンキューねぇ」

「昼ぐれぇ、いつだっておごってやるよ。それよか、今日は出てきても元の形?してねぇと思うぞぉ…」


---ざまぁ。コイツばっかり、ちやほやするから…こうなるんだ---


摩湖斗は椅子にのけ反り無表情で辺りを見渡した。生徒たちは目が合わないように下を向きだす。以前、寝起きの不機嫌な時にたまたま目が合っただけでボコられた教師はいまだ通院中だ。

「お前、かなり誰かに憎まれてんだな~。まあ、ここんとこ毎日何かあって楽しいけど…」


---ふっふっふっ…苦しめ---


「まあねぇ。なんか楽しいよ。普通の生徒みたいで~」


---まだ、足りないのか…これでも、懲りないのか---


「おい、陽子、屋上行くぞぉ…」

「え~やだよ~もう5月なのに今日は特別寒いじゃ~ん。お昼は教室がいい~よ~」

ったく。摩湖斗は自分のロッカーを探る。

「このジャージやるよ」


---またコイツだけ…どこまで調子に乗らせるつもりだ---


「いらないよ!摩湖斗だって使うでしょ?」

「いらねぇ。お前の…一昨日無くなったんだろ?どうせ俺は授業でねぇし、コレちっちぇからもういらねぇ。あんま着てねぇし、名前だって入ってねぇから…」

「え~だってコレ、いつからロッカー入ってんの~汚くない?」

「失礼な奴だなぁ。ちゃんとビニール入って札付いてんだろ?」

「はぁ?あんたジャージ、クリーニング出してんの?」

「うっせぇな~、文句言うなよ。行くぞ!」


---ちっ---


陽子は仲の良いグループに手を振り、摩湖斗の背中を追った。いつでも優しく頼りになる背中。

屋上に上がると早速、体操着の上からジャージを着てみる。

「やっぱ大きくない?」

摩湖斗は、隅のベンチに大股で座り、陽子をチラ見してから空を眺めた。

「いんじゃね?男物のシャツを素肌に羽織ってベッドから出てきたぁ~みたいで可愛いよ…」

「はぁ?あんたってホントどうゆう思考回路してんのよ?よく普通の顔してそんな事言えるよ!感心しちゃう!」

言葉では軽蔑してる素振りをみせながらも、最後にはニッコリ笑った笑顔を見せる陽子に見とれそうになった。摩湖斗は、この場に淳志がいなくてよかったと思った。淳志がいたら「陽子~超~可愛い~」とか言って抱きついたに違いない。あいつは昔からそうだ!陽子にばかりベタベタしやがって!本当は摩湖斗だってベタベタしたいのに…。でも、今の立場上へらへらとベタベタする訳にはいかない。

そう、摩湖斗こと、伊澤摩湖斗(いざわまこと)は、若干18才にして中高チンピラを問わず、関東一帯のいくつも生息している不良グループのリーダーを、更に取り仕切るグループの頂点に立つ男。そして、チャラチャラした男、堀内淳志(ほりうちあつし)は摩湖斗を支えているNO.2。その淳志も想いを寄せる長谷川陽子(はせがわようこ)は元レディースのトップ。しかしそのレディースのトップは中学卒業とともに引退。今は落ち着き、普通の可愛い女子高生をしている。常に男女、先輩後輩ともに可愛がられ、日に日に女らしく成長していく陽子を誰もが憧れや嫉妬の眼差しで見ていた。

摩湖斗と陽子の両親は若い頃地元仲間だった。お互いの家を毎日のように行き来するほど仲が良く、目と鼻の先に住んでいた。

摩湖斗が5歳の時父親は、会社の事業拡大の為病弱である妻を執事や使用人のもとに残し単身でアメリカに渡った。その後まもなく闘病のかいもなく妻は他界。そして摩湖斗は日本で孤独となった。

父親は我が息子の生活環境と教育の為、何度となくアメリカへ連れて行こうとしたが、何故か摩湖斗自身がそれを拒否し続けた。

決して離れたくない人がいたから。その人の側にいたかったから…だから…。孤独を承知で日本にとどまった。だが、孤独とはかけ離れた仲間たちがいつも摩湖斗を孤独から解放し、心の支えとなり本当の意味での孤独から救ってくれた。いつも摩湖斗の心には、頼りになる仲間たちが居座っている。それほどまで仲間と密に接していた。

そうしているうちに、いつしか陽子の母親が摩湖斗の母親代わりも果たすようになり、陽子と摩湖斗は二人はまるで兄妹のように育てられた。高校生になった今でも陽子の家に摩湖斗の部屋があるのは、寂しい思いをさせまいとする陽子の母親の優しさでもある。

摩湖斗が小学校高学年の時には段々生活が乱れ始め不良仲間が増えた。そして摩湖斗といつも一緒にいる陽子は釣られるように夜の街へと繰り出し悪の世界に染まっていった。

中2の後半ともなると面倒見のよい二人は、それぞれグループのリーダー格となっていた。

摩湖斗は誰よりも喧嘩が強かった。短気で威圧感が半端なく周りから怖がられていたが、弱者には常に優しく人々を引き付ける圧倒的なオーラをかな備えていた。いつでもクール。甘いマスクに隠れた鋭い目。男達はみな摩湖斗に従い、女達はみな摩湖斗に惹かれた。

「伊澤先輩~買ってきました!」

康太と麻紀が小走りで戻ると、陽子は麻紀の袋を受け取り摩湖斗の隣にちょこっと腰かけた。

「麻紀、サンキュー。一緒に食べよ?」

康太は摩湖斗の近くに机を用意し、買ってきた物を袋からパンやおにぎりを一つずつ並べお釣りを渡した。摩湖斗はどうしても康太の頭が気になる。まるで犬のようにフワフワして可愛い。屋上の日の当たる場所は、ぽかぽかして暖かく気持ちよく、ここが広大な草原ならばこの頭を思いっきり走らせてみてもいいだろうそして、真っ白なワンピースをまとった陽子が、長い髪なびかせ微笑んでいる姿などひとり回想した。

時折強く吹く風が陽子の長い髪に悪戯をし、ほんのりシャンプーの香と共に摩湖斗の腕を優しく撫でた。ちらっと、横を見ると陽子が美味しそうに焼きそばロールを頬張っている。何故か隣にいるだけで心が安らいでいく。このままゆったりとした時が続けばいい。そう思った次の瞬間、非常階段からの雑音に一気に眉間が寄った。そちらに視線を向けると淳志が騒がしく足音をたて、茶髪をゆっさゆっさと揺らし叫びながら走って来るところだった。なんて騒々しい奴なんだ。

「何だよ~もう~食ってんのかよ~ずりぃ~!おっ、陽子~メンズのジャージ?超~可愛い~じゃ~んかぁ!」

淳志は陽子の近くの地面に胡坐をかくと家から持ってきた弁当を広げた。陽子が覗き込むと淳志はもっと良く見えるよう顔の前に弁当箱を持ち上げた。

「陽子~食いたいのやるぞ~」

「え~まじ?いいの?じゃあ~卵焼き~」

淳志は箸でつまみ、陽子の口に運ぶ。

「あぁ~ん」

「ん~おいひぃ~」

「よっしゃ!間接キッス~」

摩湖斗は無言で素早く淳志の頭を思いっきり叩き睨む。ニヤけた淳志の顔が一瞬にして崩れ涙目になった。かと思うと、みるみるうちに真っ赤な顔で摩湖斗を鋭く睨み返す。

「痛って~何すんだよ!てめぇやる気か?」

ファイティングポーズをとる淳志を横目で見ながらしらっと摩湖斗は何事もなかったように黙々とおにぎりを口に運んだ。そして食事中に話すんじゃねぇとばかりに冷ややかな態度でお茶を飲む。

食事が済み屋上に注ぐ春の光とさわやかな風に体を預けていると、先ほど淳志が上がってきた非常階段が騒がしくなる。そしてクラスメイトたちが順番に恐る恐る顔を引きつらせ報告を始めた。

「伊澤君、ごみ箱にはありませんでした」

「掃除道具入れにもなかったです」

「そうか、サンキュ。飯にしていいぞぉ」

続いて1年生の女の子たちが血相をかえて、陽子めがけ息を切らせながらやってきた。その尋常でない表情にこの場にいる者たちに緊張が走った。

「長谷川先輩~征服ありました!」

「えっ、あったの?どこに?」

「体育館倉庫です。あの…それが…」

摩湖斗は優しく話しかけた。

「ありがとな、凄かったんだろ。あとは俺たちで取りに行くから。気分転換にほら、これ。帰りにでも行きな…」

摩湖斗が持っていたカラオケ無料券をポケットから渡すと、彼女たちはニッコリ笑いお礼を言っていなくなった。そして入れ違いに奈津美が姿を現した。奈津美は陽子と1年から同じクラスで、麻紀たち仲良しグループのメンバーの1人だ。昨日も学校帰りにゲーセンで盛り上がったばかり。

陽子は奈津美が見えると大きく手を左右に振った。名前を呼ばれ奈津美は微笑みを浮かべ、手を振り返す。

赤く染めた髪を二つに緩く結わき、ブラウスの第二ボタンまで外しリボンを付け、紺のハイソックスはだらしがなくシワをよせ、短すぎるスカートをわざとヒラヒラさせながら「私を見て」と言わんばかりに微笑み走り寄って来る。そんなだらしがない姿を見せられ、イラつく摩湖斗。

「伊澤君、角野君が制服売ってるとこ~聞いてきてくれたよ~」

陽子は摩湖斗が取るより先に奈津美からその紙を受け取った。

「奈津美~サンキュ~」


---私は伊澤君に話しているのに---


「ううん、全然。早く見つかるといいね」


---そう。見つかった時の顔が早く見たい---


「今ね、ちょうど見つかったって、1年生が教えにきてくれたんだぁ。あとで取りに行こうと思って~」

「そっかぁ、あれじゃもう着れないね」


---ざまぁ---


「えっ、奈津美見たの?」


---見てるに決まってるじゃない。だって私が---


「ううん、見てないよ!だって1年生ってトイレに探しに行ったでしょ?トイレだったら汚くてもう着れないっしょ?」


---マジ無理---


「まぁねぇ~」

陽子はいつものように明るく答えた。

「陽子、早くヨーグルト食っちまえよ!一応取りに行くぞ!まぁ、行っても意味ねぇと思うけど…」

摩湖斗は片手に煙草、もう片方には缶コーヒーを持って睨んだ。

「ちょっと待ってよ~。このプリン食べてから~」

「まだ食うのかよ!」


---調子こいてんじゃねぇよ---


「ん~美味しい~やっぱ幻のプリンは美味しいねぇ~」

「俺に一口くれ!」


---伊澤君にもっと近づきたい。そして今の陽子のように見つめて欲しい---


「てめぇ。今、俺は両手塞がってんだぞ!スプーンですくって食わせてくれたっていいだろうがぁ、タコ!」


---陽子のどこがいいんだ…もっと…もっと…ケンカになればいい---


「はぁ?こんな所で煙草なんか吸っちゃいけないんだぁ~。せんせ~この人煙草吸ってる~!もう、せっかくの幻のプリンあげようと思ったのに~文句つけるの?」

「じゃあ、いらねぇ!」

摩湖斗は煙草を大きく吸い込むと陽子の顔に向かって一気に吹き出した。この、バカタレガ!

陽子はむっとしながらもスプーンですくって摩湖斗の口に運ぶ。摩湖斗は、しばらくスプーンだけ

をじっと睨む。鋭い視線。その整った顔に一同見とれそうになった時、やっと口を開けた。

超ウマい!

続いて横から淳志が口を大きく開けると、陽子はまたスプーンですくう。淳志も同じようにそのスプーンをじっと見据える。

「え~っコレ、摩湖斗の唾付きじゃんか~、いらねぇ~」

摩湖斗は煙草をくわえ、バコッ!と頭から文字が飛び出してきそうな勢いで容赦なく淳志の頭を叩いた。

「つっ…痛ってぇ~陽~子~、摩湖斗が~摩湖斗がぁ~俺をいじめる~」


陽子の制服は体育館横の女子トイレに、見るも無残な状態で便器に捨てられていた。泥にまみれ刃物で切り刻まれたその上から真っ黒な液体がどっぷりとかけられている。

陽子たちが到着するまでの間、担任や他の教師と生徒たちが入れ替わり見物し、あからさまに嫌そうな顔をしてはその場の野次馬に加わっている。辺りは騒然としていた。

オロオロしていた担任教師は陽子を確認すると、困った素振りで腕を組み直した。

「こりゃ凄いぞ長谷川。こんな状態では着れないから…新しいのが用意出来るまで私服で。なるべく地味な服だぞ!」

陽子は担任教師に肩を叩かれ、一番奥の個室を覗いた。

凄い…誰がこんな事…。


---フフフッ…いい気味…絶望の顔をしろ!…泣き叫べばいい…---


陽子は便器を覗くなり目をまん丸にしながら飛び跳ね笑い出した。

「わ~凄っ、よくやるよ~」

その声に摩湖とも淳志も興味をそそられる。

「すげぇ~!久々めっちゃ悲惨なの見たぁ~なんだかワクワクすんなぁ~俺もやりてぇ~」

淳志は宝くじでも当たったような笑みを浮かべた。摩湖斗は相変わらず無表情のまま陽子を見ている。

「陽子、すげぇ暇な奴もいるもんだなぁ」


---暇な奴?私が?---


陽子はしゃがみ込み、じっと制服を見つめてから摩湖斗に振り返った。

「ねぇ、コレってさぁ~レベル低いよね~」

「中学レベルだなぁ。もうちょっとスマートに嫌がらせ出来ねぇのかよ。ダサっ」


---中学レベル?このあたしがダサい?なんで楽しんでいるのよ!もっと辛そうな顔をしなさいよ!もっと、もっと---


「先生、コレって掃除のおばさん片付けてくれるかなぁ」


---なぜ、悲しまないの---

---なぜ、片付けの心配なんかするの---


「あぁ。、そのままで。片付けてもらうから、君たちは教室に戻りなさい」




新しく開店したクラブのVIPルームは、怪しく薄暗い照明と煙草の煙に満ち溢れている廊下の中央階段を上がった場所にあり、部屋の中に入ると一面ガラス張りの壁からホールにいる下品な若者たちの、狂った様子が観察できる。

摩湖斗はVIPルームの重厚なドアを開けゆったりとしたソファに体を預けると、ガラス越しにホールではしゃぐ淳志たちを見下ろした。ゆっくり煙草を銜えると両側からゴテゴテのネイルアートをほどこした無数の華奢な手に握られたライターの火が灯される。そして、摩湖斗を狙う女たちが席の奪い合いを始めた。女たちは、みな同じキャバ嬢のようにケバく下品だ。

---うぜぇ---

摩湖斗は自分のライターで煙草に火を付けると、大きく吸い込み一気に天井へと吹き放つ。トレーを片手に定員は軽く会釈をして入ってくる。かつて摩湖斗が世話をした店員が水割りをチョコの入った皿と共にテーブルに音もたてずに置くと、もう一度丁寧に頭を下げ挨拶をした。

「ご無沙汰しております」

「よう、元気そうじゃん。お前チーフだって?」

「はい。学校辞めて、どうなるかと思ってましたけど、伊澤さんに紹介して頂いた店が自分にあっていたみたいです」

「よかったじゃん。頑張れよ。トラブったりしたら遠慮しないで俺に言えよ…」

「ありがとうございます。今日はゆっくりしていって下さい」

「あぁ、そうしたいけど…この状態、どうにかしてくんない?」

ケバい女たちに困っている摩湖斗の前に見覚えがある女が一人突っ立っていた。店員がその女も含め追い出そうとするが、その女だけは摩湖斗をじっと見つめ身動き一つせず、一向に部屋から出ようとしない。

摩湖斗は険しい顔で店員にその女だけを残すよう合図した。片手に煙草を挟んだまま摩湖斗は立ち上がり、その女を素通りしゆっくりドアを閉めた。

その女と二人きりになった室内の音はうっすらBGMが流れているものの、ある程度の話し声は聞き取れる程度に静かになった。真っ直ぐに見つめている欲情した瞳に摩湖斗の顔が映し出され、真っ赤な唇がうっすら開く。女は胸を強調するように谷間を作り、体をくねらせた。

「お前…」

女は微笑み、一歩前に踏み出した。

「お前…陽子のダチだろ?遊びに来たのか?名前…何だっけ?」

名前すら憶えていない摩湖斗。

「何かよう?」

女は、うつむき加減でバックを両手でしっかり握りしめた。摩湖斗は黙ったまま水割りを口にする。

「あたしは…奈津美です。伊澤君に話があって…あたし…あたし…あなたの事が好きです…」

「あっそ。そんで?なに?」

奈津美はみるみるうちに真っ赤になった。

「なにって。あたしと…あたしと付き合って下さい!」

「はぁ?なんで?相手間違えてねぇ?」

「間違えてなんかいません。あたしと…」

「えっ?ヤリてぇの?冗~談。洒落になんねぇわ。勘弁しろよ…」

摩湖斗は顔色一つ変えず、ただ冷淡な視線を注ぐ。そして不気味に低い声で言った。

「マジで鳥肌が立つ…」

「あたし…」

「お前が何やってるか、俺が知らないとでも思ってんのかよ。誰が犯人と付き合うバカいんだよ!」

「犯人って?」

「バックレてんじゃねぇよ。陽子に嫌がらせしてんのお前だろ?友達面して、性格悪りぃなぁ!」

「違う!」

「違くねぇだろ!」

奈津美は先ほどの表情から一変、目を吊り上げて摩湖斗を睨みつけた。

「だって!だって…陽子なんか、いなくなればいいのよ!みんなして、陽子陽子って!あたしが陽子の脇役なんて冗談じゃない!中学まではみんなあたしの事を可愛いって言ってくれたのに!あたしの方が陽子よりずっと可愛いのに!あたしの方がずっといいに決まってるのに!」

「ふ~ん。それは、目の錯角じゃね?お前なんか陽子の足元にも及ばねぇよ!そんで?やったのか?」

「だって、伊澤君は陽子の事ばかり見てあたしの事はちっとも気にしてくれないじゃない!あたしと付き合ってくれたら嫌がらせなんかしないわよ!」

「はぁ?ソレとコレとは話が違くねぇ?」

「一緒よ!伊澤君は陽子の事好きなんでしょ?陽子と付き合っちゃったらあたしが付き合ってもらえなくなるじゃない!」

「ばっかじゃねぇの?陽子と付き合わなくってもお前とは死後の世界だろうが付き合わねぇよ!第一、今は俺と陽子の事は全く関係ねぇ!」

「どうかなぁ~可哀想ねぇ。伊澤君がいくら陽子の事が好きでも…陽子には忘れられない人がいるもんねぇ」

「知らねぇよそんなの。どうだっていい!俺には関係ねぇ話だ!ったくいい加減にしろよ、付き合ってほしけりゃそんだけの色気出して来いや!だが、お前は俺の趣味じゃねぇ。どっちかって言うと嫌いな部類だ!だから付き合わねぇ!そんだけの事だ!簡単だろ?」

「もし、伊澤君が陽子の事が好きだってあたしがバラしたら、今の関係じゃいられなくなるよねぇ~。陽子ん家に行ったり、一緒にご飯食べたり~気まずくなるんじゃない?」

「ふん、くだらねぇ。気まずくなんてなんねぇから、好きなように言えばいい!その代わりお前とはマジ死んでも付き合わねぇ!」

「へぇ、それはどうかなぁ~」

「まだ、しゃべるのかよ。マジでお前きらいだわ!」

「伊澤君って、大企業の社長の一人息子なんだってねぇ。ドラックとかユスリとか?ヤクザみたいな事してるって~バレたら大変だよねぇ~」

「別に?それから?」

摩湖斗は顔色一つ変えず、口だけニヤっとした。

「マスコミに知られないうちにあたしと付き合った方が利口だと思わない?誰にも何もしないし、何も言わないから…」

「ソレって脅してるつもり?脅しになってねぇ。マスコミだって俺の息がかかってる奴だらけだよ?バッカじゃねぇの?脅してまで俺とヤリてぇの?お前みたいに頭を赤く染めてだらしないケバイ女が一番目障りなんだよ!」

「ひどい!陽子だって昔染めてたでしょ!」

「陽子のは髪金だ!お前みたいに赤が伸びて黒が混じった半端なのとは違って、気合が入ってる金なんだよ!黒いとこが全くねぇ真っ金、金なんだよ!赤髪が俺の隣にいるだけで、俺がバカに見えるじゃねぇか!帰れ!」

「ひどい!」

奈津美は泣きながら逃げるように走って店を去った。

っち。摩湖斗はグラスを一気に飲み干し、ホールで淳志たちと一時間ほど踊りまくった。

---陽子に会いてぇ---

摩湖斗は一人廊下の端で携帯を手にすると陽子からの着信に目が止まった。留守電に吹き込まれた可愛らしい声はいつもと変わらず愛おしかった。

『摩湖斗、今日はいろいろありがと。摩湖斗がいてくれてホント助かったよ。借りが出来ちゃった。今度返すね。おやすみ…』

留守電の声を聞いたとたん無性に本物の声が聞きたくなる。即座に番号を押す。

「陽子?留守電聞いた…」

「摩湖斗、今日助かったぁ。ありがとねぇ」

「ん~別に何もしてねぇし~」

「でも、飢え死にしなくてすんだ。それに…嬉しかった…」

「そうかぁ、お前留守電に借り返すって?なにで返してくれるんだ?」

摩湖斗は優しく微笑んでいた。肩に携帯を挟みその場にしゃがむと、壁に寄りかかりながら自分のブーツの汚れをポケットテッシュで拭いた。

「え?そのうち考える~」

「体で返せ!」

「はぁ?」

「体…」

「はぁ?」

「体で返せって言ってんだよ!」

「え~、高校生だよ~からだぁ~」

「そう、体!」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

「待たねぇ、後でそっちに帰る…」

「嘘っ」

「嘘っじゃねぇ」

「摩湖斗と?」

「……」

「摩湖斗?」

「はぁ?違げぇよ。ちゃんと働いてもらうから…」

「え~やだ、やだやだ~やぁだぁ~体売るのなんてやぁだぁ~摩湖斗の方がいい~」

---えっ?マジで?---

「はぁ?違うって!身体動かすんんだよ!お前何想像してんだよ…明日からお前ん家の俺の部屋を掃除して、弁当作って来い。それでチャラにしてやる…」

「なんだぁ。お弁当かぁ~。えっ、もしかしてあたしが作るの?掃除はともかくお弁当作るの?あたしが?」

「あたりめぇだろ。理香ママに作らせるじゃねぇぞ!」

「え~朝起きられな~い!」

「だぁかぁらぁ、後で起こしに行ってやるって~明日の朝は俺が起こしてやるから作って来い!」

「だって~摩湖斗いつ学校来るかわかんないじゃん。ねっ、ねっ!」

「明日は行くよ。弁当の時間までに行けばいんだろ?じゃ、明日からよろしくなっ!」

勢いよく電話を切る。愛しい声を聞くと明日の朝が待ち遠しくなる。楽しみで楽しみで、自然とテンションが上がりまくり、人混みの中踊っていた淳志に抱きついた。

その後逸る気持ちを持て余しながら仲間と夜通しツルみ、朝には陽子の家に行った。

気持ちよさそうの眠っている姿を見ると、起こすのが可哀想になった。気づかれないようにそっとおでこにキスをし、耳元で静かに声をかけた。そして自分の部屋のベットへダイブした。

---早く弁当食いてぇ。そうだ!俺は朝早く教室にいる。陽子が入ってくると、ニッコリ笑って「摩湖斗~おはよ~お弁当作ったよ!はいっ!」なぁんて可愛く渡してくれたりなんかして…俺は「ありがとぅ」ってギュッと抱きしめる。陽子も俺にしがみつき…ん~イイ~!そういえばさっきもっと押してれば…やっべぇ---

妄想が妄想を呼び、目が冴えて眠れない。摩湖斗は上がりきったテンションで、朝一番の誰もいない教室へ行った。


淳志が半分寝ながら教室に入ると、摩湖斗は窓側の席の机に座りすっきりとした顔で外を眺めていた。

朝日が摩湖斗の整った顔を照らし、まるで雑誌から抜き出たモデルのごとく他の生徒たちの視線を釘付けにしていた。

「おっ、摩湖斗。朝からいるなんて珍しい~」

「お前こそ眠くねぇのかよ。あんなに踊ってて…」

「眠み~し疲れてるに決まってんじゃん!寝てねぇ~もん。着替えてすぐ出てきた!欠席日数でビビんのヤダし~俺たち超絶真面目君だよなぁ~今日の一限大好きなキャサリンせんせ~の英語だしよ~。摩湖斗は何だよ、そのカッコ~さっきのまんまじゃん!」

「いいだろ?陽子だって私服だろ?俺がどんなカッコしてたって誰も文句言わねぇよ!」

「ちょっと~お前さぁ~、さっきから何ニヤついてんの?」

「別に…」

「あっ!もしかしてその腕時計貰ったから?昨日のお姉さんからのプレゼントだろ?やらしいなぁ~」

「どうせ50万位の安物だろ?」

「お前なぁ、高校生が50万の腕時計して学校にきちゃいけません!っつんだよ!えっ、何コレ?この前発売されたばっかの限定モデルじゃねぇ?いいなぁ~マジ?すげぇ~!」

「時計なんてどれも変わんねぇよ。時間がわかりゃいいんだよ。この服に似合うからアクセ代わりにしてるだけだって!」

「お前さぁ、何百万する真っ赤なケリーバックで通学してみたり百円のジーパン超~悩んで買って喜んでみたり?50万の時計アクセサリー代わりにしてみたり?お前の金銭感覚わっかんねぇ~っつうか~うわぁヤダ!まだニヤついてるし~摩湖斗かなりヤバいって!いっちゃってるぅ~」

「ほっとけ。口が勝手に緩むんだよ!」

「マジでイイ事あったんだろ?いいなぁ~俺なんて~昨日の女~超~最悪だったぁ~」

「あっ、陽子来た!」

摩湖斗は校庭を歩いてくる陽子の姿を目で追いかけながら、ときめく気持ちを必死で押し殺した。

「なぁお前、俺の話し聞いてる?」

「聞いてねぇ…」

「少しは聞いてくれよ~摩湖斗~昨日の女の背中にさぁ~」

摩湖斗が教室に入ってきた陽子を手招きすると、陽子は不機嫌そうにあくびをした。

「待ってたぞ、陽子!」

淳志は摩湖斗を覗き込む。

「マジで聞いてくれよ~」

「エンジェルのタトゥがあったんだろ?後で聞いてやる…」

「うっそ~知ってんの?マジで~?げぇ~お前が~先?」

摩湖斗は黙って右の手のひらを陽子の前に出した。陽子はボ~っとその手を叩く。

「ん?」

「ん?じゃねぇ。朝起こしてやっただろ?」

半寝の陽子は、またボ~っと歩き出し自分の席でカバンから布袋を出し、ㇺスッと手渡した。その直後、素早く机で寝る態勢を整えた。

陽子は一時限目の半ば過ぎにやっと頭を上げた。まだ覚醒しない頭のまま机に手を突っ込み教科書を出す。

淳志は可愛い陽子が顔を上げたのを見て胸が高鳴った。が、ふと摩湖斗を見やるとニヤニヤした顔で摩湖斗が布袋から弁当箱を出している。しかもそれはさっき陽子から受け取っていた布袋と同じ物だ。摩湖斗の顔の緩み具合とその袋の意味を悟った淳志は、授業中にもかかわらず大声で吠え出す。

「まっ、マジかよ!弁当だ~てめぇ陽子からもらったんだなぁ~マジずりぃ~!だからニタついてたんだなぁ!しかもこんなに早い時間に食おうとしているし~信じらんねぇ~超~死ね!」

淳志の雄叫びに教師も生徒も摩湖斗に注目した。陽子はとゆうと不機嫌極まりない横目で淳志と摩湖斗を交互に睨んだ。

「うっせ~なぁ!朝食だ!いつ食ったっていいだろぅ!」

摩湖斗に口出しするものは誰もいない。たとえ教師であろうとも。誰もが黙って様子を見守るしかない。

摩湖斗は楽しみにしていた弁当の蓋を掴む。いったいっどんな可愛い弁当なのか。おかずが色とりどりに入っている料亭風の弁当か。あるいは昨日の今日でおかずの用意が不十分のため、シックなシンプルのり弁なのか。はたまた、陽子のフォローをかねて陽子の母、理香ママご自慢のイタリアン弁当か。緊張しながら蓋を開け固まる摩湖斗。

「ん?何だ?コレ?」

摩湖斗と淳志は目を合わせるとお互いに目を瞬いている。

摩湖斗は今、自分の身に起きたことを理解するのに必死で、すぐに言葉が出てこないでいる。その代わりとばかりに淳志は勢いよく叫ぶ。

「すげぇ~。すげぇ~よ、コレ!マジすげぇ~!」

周りに生徒は静寂を保ちつつ摩湖斗の怒りに触れぬよう、最善の注意を払いながら、そっと覗きみる。誰もが見てはいけない物でも見てしまったような微妙な表情に変化する。

摩湖斗は教室中から見られていることを気にも留めず、真っ赤になって激怒し仁王立ちになる。そして陽子に人差し指を突きつけた。

「陽子~てめぇ~!」

摩湖斗の怒りが頂点に達したことは明らかだ。それが陽子に向けられるとたちまち教室に緊張が増し授業どころではなくなった。教師までもビクビクと目を泳がせる半面、弁当の中身が気になり近寄っている。

「てめぇ!この弁当腐って糸引いてんじゃねぇか!なに入れた、ボケ!」

怒りまくる摩湖斗とは逆に、陽子は冷静かつ面倒くさそうに振り向き返事をした。

「納豆…」

「なっ?なっとう?」

---やっべぇ声が裏返った---

「納豆なんか普通いれるかよ!」

後にも先にも、こんなふてぶてしい態度が許されるのは陽子だけだ。

「だって~冷蔵庫見たら、ところてんと納豆しかなかったんだも~ん…」

「だ、だからって、納豆いれるかよ!」

「ところてんの方がよかった?」

「バカヤロウ!そうゆう問題じゃねぇ!普通、弁当って言ったら、だし巻き卵とか、タコさんウインナーとか入れるべぇ?それが納豆かよ!見た目、スゲェ~地味弁じゃねぇか!」

辺り構わず喚き散らす摩湖斗に対し、陽子は平然とニッコリ笑って答える。

「へぇ~摩湖斗って、タコさんウインナー好きなんだぁ。じゃあ明日は頑張るねっ!」

---うっ、やべっ。可愛い---

「……」

摩湖斗は返す言葉を失い照れながら黙々と弁当に箸をつけた。

「うまい!」

納豆弁当は思いのほか美味しかった。


次の日も摩湖斗は朝から待っていた。

陽子の方もちゃんとした弁当を頑張って作ろうと昨夜は9時にベットに潜り、今朝はスッキリとした顔で登校すると摩湖斗の前でにっこり差し出した。

「摩湖斗、おはよう~。はい、お弁当!」

---おっ、今日は可愛く渡してくれた。ちょっといい感じじゃねぇ?---

摩湖斗は緩みそうな口元をキュッと閉め、眉間に力を込めた。

「おぅ、サンキュッ…」

「タコさんウインナー失敗しちゃって、カニさんにしたよ!」

---えっ、マジ?可愛い事してくれるじゃん---

「あぁ、別に何でもいいよ…」

「なんか、お弁当作るの楽しくなってきちゃった~。今度キャラ弁頑張るね!でも~いつまで作ればチャラにしてくれる?」

陽子は自分の荷物を取ろうと教室の後ろのロッカーに手をかけた。

---キャラ弁かぁ…いい~---

「ん~俺の気が済むまで、ずっと…」

「え~ずっとぉ?いつ気が済みそう?」

摩湖斗がそうだなぁ~と言いかけた時、突然、陽子の隣のロッカーで奈津美の尋常でない叫び声が響いた。誰もが鳥肌を立て振り返る。

陽子は奈津美の見ていた先を見た。奈津美の肩に手をかけロッカーを覗く。淳志も駆け寄り陽子の後ろから確認すると、鳥肌を立て背筋を凍らせた。ゾクゾクした感覚に無意識に身震いをする。

「酷い!誰がこんな事!」

奈津美のロッカーの中は血の海。血の匂いが漂う真ん中にウサギの死体。

ウサギの首には刃物の切り口があり、全身が針金でぐるぐる巻きになっていた。全身の毛は逆立ち、目は半分飛び出て状態で鼻や口からも血が滲み出ていた。ロッカーの中はもがいた跡が無数にあり、明らかに生きたまま閉じ込められたのだ。

誰が…いったい誰が。酷すぎる。こんなむごい仕打ちを誰が許せるというのか。明らかに人間のする事ではない。

「わぁ、やだぁ。気持ちが悪い…」

「酷ぇ、可哀想に!」

「誰だよこんな事する奴!人間じゃねぇ!」

教室がざわめき、誰もが憤りを感じた。

陽子が泣いている奈津美の肩を抱え近くの椅子に座らせた時、ちょうどチャイムが鳴り担任教師が入ってきた。そして、その異様な空気にたじろいた。

陽子は涙を浮かべ担任に振り向き、またロッカーを悲しそうに見た。唇を噛み締め、そっとウサギを抱き寄せ座り込んだ。

「可哀想に、いま外してあげるね。シロ…苦しかったよね…シロ…」


---そうよ。この顔が見たかったのよ---


陽子は涙を流しながら針金を外した。陽子の指は針金で、何ヶ所も傷ついた。

「可哀想に…このウサギ、陽子が可愛がってた奴だよなぁ…」

摩湖斗のつぶやきに陽子は頷くと、担任を強く睨んだ。

「先生、この授業抜けます。この子、埋めてあげたい…」

担任は頷くしかない。

陽子がウサギを抱えゆっくり教室を出ると、摩湖斗と淳志はその後ろを追った。

ウサギ小屋の近くの使われていない花壇まで来ると、シャベルを持った麻紀が走ってきた。

「陽子、手伝うよ。あたしもシロには結構、癒されたし…こんな事…絶対許せない!」

陽子はネイルしたての爪に土が入るのも気にせず素手で掘り始めると、麻紀は込み上げてくる涙を抑えきれず泣きながらシャベルを握りしめた。

摩湖斗と淳志は、そんな二人を近くの大きな木に寄りかかりじっと見守った。

「なぁ、摩湖斗。今度は奈津美を嫌がらせるつもりかなぁ?」

「いいや、違う。これは陽子にだ…」

ウサギを埋め終わると、みんなで手を合わせた。

---こんなに小さな命を---

その日、クラスでは臨時で命の大切さについて話し合いが行われた。


陽子は家に帰ると部屋に閉じこもり夕食もろくに取らなかった。摩湖斗は心配で仕方がなかった。

3年前、仲間の翔榮(しょうえい)がバイク事故で亡くなった時も酷く憔悴した。今回は小さな動物だが命の大切さは、陽子や摩湖斗の仲間なら痛いほど知っている。何人もの仲間を薬や事故、喧嘩で亡くしている。仲間だった翔榮もまたそのうちの一人だ。危険ドラックを使い、ハイ状態でバイクを運転したあげく、大型バスと正面衝突した。その時は即死だった。

「いやぁ~翔榮~起きて~!翔榮~!これからどうすればいいの!翔榮!翔榮!…」

陽子はぐちゃぐちゃの遺体を何度も揺さぶり続けた。今でもあの時の事が忘れられない。摩湖斗は胸が張り裂けそうに熱く痛くなったのを覚えている。薬に逃げる奴は嫌いだ。

深夜、摩湖斗は陽子の部屋をノックした。ドアをそっと開けると、陽子は机に向かい窓から何処を見るでもなく遠くの暗闇を見ていた。

「大丈夫?」

「うん…」

陽子は振り向きながら立ち上がる。摩湖斗と目が合うと堪えていた涙が込み上げ、どうしようもなく溢れ落ちた。

「俺の前で無理しなくていいから…」

摩湖斗が思わず抱きしめ優しく頭をなでると、陽子は堰を切ったように大声で泣き始めた。

「摩湖斗~嗚呼~なんで?なんで!シロが!あんな目に合わなきゃなんないの!口もきけないのに!あんなちいさな命が、なんで!何で殺されなきゃなんないの!酷いよ!酷すぎる…」

摩湖斗は込み上げる思いに胸が詰まり、上手く言葉がかけられない。だからこそ、抱きしめた腕に力を込めるほかなかった。

陽子は摩湖斗にしがみつき、深い悲しみと悔しさに泣き続けた。いつまでも涙が止まらない。摩湖斗はひたすら陽子の背中を擦る。いろいろな感情が絡み合い流した涙は摩湖斗のシャツを濡らし、深い悲しみとなって染み込んでいく。

ひとしきり涙を流し、ようやく顔を上げることができたころ、見上げた摩湖斗の目にもうっすら涙が光っていた。

「摩湖斗、ありがとう…」

「大丈夫か?」

陽子が離れようとすると、摩湖斗はもう一度強く抱きしめた。

陽子を守りたい。摩湖斗の中で、その想いが前よりもずっと強くなっていった。

「ホントにもう、大丈夫だから…行って…」

陽子はにっこりし、少しだけ摩湖斗の背中を押しドアを開けた。

陽子は摩湖斗の暖かな背中を見ると、もう少しだけその温もりに触れていたくなる。そして無意識に摩湖斗の白いシャツの裾をギュっと掴んだ。

ちょっと待ってろ…摩湖斗はそう言うと自分の部屋から布団を抱え戻ってきた。

「陽子、今日は側にいるから。いくらだって言いたいこと聞いてやるよ。泣きたくなったら泣けばいい。俺がいくらでも抱きしめてやるから…」

摩湖斗は陽子のベットの隣に布団を敷くと、陽子は自分のベットに入った。

「ありがとう…もう大丈夫。お休み…」

摩湖斗は電気を消すと、自分の布団に入り目をつぶった。

月明りが暗い部屋を照らし目が慣れてくると、陽子は摩湖斗の美しく整った顔を見ることができた。摩湖斗は真っ直ぐに仰向けに目を閉じている。陽子はその美しい顔をしばらく眺めた。

「ねぇ….」

「ん?」

「摩湖斗?」

「ん?」

「そっち行ってもいい?」

---マジかよ---

「ん~」

「何もしないから…」

---マジで?マジかよ。それは男が言うセリフだろ?何したっていいよ---

「ん~」

「手~繋いで寝てくれない?」

---いいに決まってるじゃん。やべぇ。ドキドキしてきた---

摩湖斗は緩みそうな口元に力を入れた。

「ん~ん」

「小さい時みたいに…」

---ん?小さい時って?---

「来いよ….」

摩湖斗は布団を開け横にずれた。陽子は枕を抱え横にすっと入る。すると、辺りにシャンプーの香がふぁと漂った。摩湖斗は陽子の右手にそっと触れ、そしてゆっくり握る。

陽子は仰向けに目を閉じると、また目から涙が一筋流れた。摩湖斗はそれに気付かない振りをし目を閉じた。

「陽子…本当は…」

---本当は誰がウサギをやったか知ってんだろ?---

「まぁ、いいや。今日はずっと悲しんでやれ…」

摩湖斗は掴んだ手をギュっと強く握り締める。

陽子はもう片方の手を繋いでいる摩湖斗の腕にそっと置くを頭を寄せた。

摩湖斗の鼓動が段々と早まる。体を動かさないように横目で様子を見ると、陽子は泣き疲れ安心したかのように規則正しく寝息をかいていた。

---マジかよ、寝るの早ッ。何も出来ねぇじゃん…っつうか、こんな時にヤベっ---

摩湖斗は悶々としながら目をつぶった。


朝日が射し陽子が目を覚ますと、摩湖斗はまだキチンと仰向けで寝ていた。横顔をじっと見つめ摩湖斗の長い髪にそっと触れた。

「人の顔じっと見てるなんて、趣味悪りぃぞぉ~」

摩湖斗は目を開けずにボソッと呟いた。

陽子は焦った。まさか摩湖斗が起きているとは思わなかった。大好きな摩湖斗が隣にいる。じっと見つめていると、その女の子のような綺麗な顔と、艶やかな髪に触れたくなった。なのに、不意打ちをつかれた。起きていた。ヤバい。髪を撫でたのもきっと気が付いているだろう。

「ご、ごめん。起こしちゃった?」

摩湖斗はゆっくり目を開け、天井の模様を眺めたあと、横目で陽子を見た。

「隣に女がいるのに何もしなかったのは、陽子が初めてだ…」

「はぁ?それって、自分を褒めてるの?それとも、あたしに魅力を感じないってこと?」

摩湖斗はニヤっとした。

「自分を褒めてんだよ。こんな時に変な事したら、陽子に嫌われそうだから、何もしない」

「な~んだ」

---な~んだって何だ?何かしてもよかったのか?---

摩湖斗は今の関係が一番だと思っていた。でも、他の奴には渡したくない。自分が陽子の側にいて守りたい。だから、この先に進ませるのが怖い。何かして陽子に嫌われるのなら、何もしない方がよっぽどましだ。

陽子の方は前から自分の気持ちははっきりしていた。でも、素直になれず、摩湖斗の本心も分からない。だから、いつも迷っていた。このままいつまでも一緒にいられるはずがないと…。

そして今、摩湖斗は今のこの状況…チャンスを逃すわけにはいかないと思っている。こんな密着している時なんて二度と来ないかもしれない。

---どうしよう神様---

そう、神様。チャンスの神様。チャンスの神様は前髪が長く後ろ髪は短いと言われている。神様が通り過ぎてからでは、髪を掴めないのだ。チャンスを掴みたかったら、神様が通り過ぎる前に前髪を掴むのだ。

摩湖斗は自分に言い聞かせる。今だ!俺をアピール出来るのは、今しかない!

摩湖斗は迷いながら、陽子の方に寝返りをうった。空いている方の腕を陽子にかぶせると、陽子は摩湖斗の顔が近づき真っ赤になりうつむいた。

「えっ、ちょっ、あっあたし、お弁当~。タコさんウインナー完成させるから~」

摩湖斗は起き上がろうとする陽子を引き寄せた。

---神様、もう少しだけ頼む---

「もうちょっと寝ようぜ…」

摩湖斗は陽子に顔を埋めた。さわやかな陽子の香りがした。

どきっ…どきっ…どんどん鼓動の速度が増す。

「やっ、でも、間に合わなくなちゃうよ?」

「お前が起こすからいけねぇんだろぅ。ガキん時だってこうやって寝てた時なかったか?」

「えっ、あったっけ?」

---ねぇよ!あるわけねぇ!---

「マ、ママに見つかったら、ヤバいって…」

---確かに理香ママに見つかったらヒステリーは確実だ---

「大丈夫、起こしに来た試しねぇじゃん。まだ寝てるって…」

陽子の行き場を失った手が、摩湖斗に優しく触れ背中にまわされると、摩湖斗は更に強く抱きしめた。

「陽子…」

---好きだ---

「ん?」

「何でもねぇ。もうちょっと寝るぞ…」

陽子は摩湖斗に抱きしめられ嬉しかった。

心の中で何度も繰り返す。

…好き…










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