終章
翌日放課後。
無事勝負も肩がつき──当然大角豆は1枚も入手できなかったので俺の勝ちであった──ブラジャーを返した流れで、ふたりは一緒に帰宅していた。
「信太っち……いやさ萌葱さあ、今、どこに住んでいるんだ?」
例の廃工場の前を通り過ぎながら、俺は訊ねた。
「うん、借りてもらってたマンションにも住めなくなっちゃったし、でも少しだけ蓄えはあるから、インターネットカフェにでも……」
「マジか……」
女子高生がネカフェ暮らし。これはいただけないだろう。
「これからどうするんだ?」
「わからない、お役所もクビになっちゃって行くところもないし……家族もいないし……」
俯く萌葱、しかし、チラチラと俺の顔をうかがっている。
「どうしよう、かな?」
チラチラ。
「元々そうだったけれど、これで正真正銘天涯孤独になっちゃった……」
チラッ。
自分を生かした以上、最後まで責任をとれ、と萌葱は暗に訴えているのだ。さすがの俺といえども察しない訳はない。とは言えよくある異世界から来た少女もののように自分の部屋に住まわせるわけにもいくまい。なにせあいつらは何故か風呂付大邸宅に一人住まいだからホイホイ家に置けるのであって、うちみたいなボロアパート、共同トイレの四畳半一間じゃちょっと無理だろう。
となると思いつくアテは一つしかない。
「わ、わかった……ちょっと待ってろ」
立ち止まって萌葱に手のひらを向ける。
ぴ、ぴぴ……スマートフォンを取りだして数少ない電話帳の一件にダイヤルする。
プルルルルル……。そうだ、今さらだが呼び出しの間に話しておこう。
「あの、萌葱、さん?」
「ん? どうしたの? さん付けなんかして」
「良かったら、後でアドレスの交換などお願いしたいのですが……」
「う、うん、もちろんいいよ!」
かちゃ。ようやく出た。おせーよ。
「あ、オヤジ? 俺俺」
『俺などという者は知らん……なるほど、これがオレオレ詐欺か。君ィ、どんな事情があるかわからないが、こんなことからは足を洗いなさい。親御さんを心配させちゃいかんよ』
「詐欺じゃねーよバカ、息子の声も忘れたのか!」
『わかってるわかってる。それがマニュアル通りの対応なのだろう。だがね、まだ若いんだ、今からでもやり直せる、さあ、レッツゴーハローワーク!』
今日日用心深いのは結構だが、自分の息子の声も判別できてねーのかよあの親父は……何がハローワークだっつーの! こうなったら誰も知らないネタで証明するしかない。
「いやだから銀四郎だって。オヤジの大事な写真は床の間のタンスの上から三番目の引き出しの二重底の下……何で知ってるって? 息子を舐めんなよ」
元カノか浮気相手か、はたまた親父世代の憧れのアイドルか、それは知らない。あまり深く詮索すると家庭崩壊を招きかねないからな。
『チッ……母さんには内緒だぞ。で、なんだ?』
「あのさあ、俺の住んでるボロアパート、部屋余ってたろ? うん、一つ貸してほしいんだ」
『おお、さすがは我が息子、もう嫁候補を見つけたか! お前ならやれば出来ると思ってたよ俺ぁ、くぅ~」
「嫁候補じゃねーよ!」
『じゃあ彼女か? どのみち同じだけどなっはっは』
「いや彼女ってわけじゃないけど……とりあえず女の子」
『お前ね、彼女と住むなら同じ部屋でいいじゃないの。リアル神田川の世界だよ? なんて羨ましい……いや、ムカつくからぶん殴っていい? 今すぐ実家帰ってこい』
敷居跨ぐなとか言ってたのはお前だろ!
「だからそんなんじゃないって」
『照れやがって……まあいい、それじゃちょっと話をさせてくれ、今そこにいるのか?』
「ああ」
『お手て繋いで一緒に下校かこの野郎! うらやま……もとい、けしからん』
「もうツッコミにも飽きた、で、いるけどそれがどうしたよ」
『俺は婆さんの代行とはいえ大家さんだよ? いくらお前の彼女だっていっても声も聞かずに入居させるのはいかんでしょ』
すっかり彼女認定だよ。そうあったら嬉しいかもしんないけど、まだそういう段階じゃないでしょ。告白イベントとか諸々を吹っ飛ばしちゃダメ、絶対。順番は守ろう!
「……わかった、仕方ねぇな」
はい、と電話を萌葱にパスする。
「え?」
「大家の面談、だって。オヤジだけど」
「ええっ!! お父さま……ど、どうしよう」
「馬鹿だから大丈夫だよ」
「えと、そういうことじゃなくてね……もうっ、わかったわ」
何か腑に落ちないといった風の萌葱だったが電話に出る。
「も、もしもし。信太と申します……ええ……ええ……いえいえ、そ、それはまだ……ええ……はい」
「本当によろしいのでしょうか……はい……ありがとうございます……ええ、わかりました……ふ、ふつつか者ですが、よろしく、お願いしますっ!」
電話を耳に当てたまま真っ赤になってその場でお辞儀する萌葱。日本的作法が身に付いている。
あの親父のことだ。何を吹き込まれたか不安であったが、他に頼るべき者もいない。こんな時くらい親の脛齧ったって構わないだろう。それに親父との約束である食費は自分で稼ぐ、には引っかかってないしな。
「オヤジは何て?」
「えっと……好きに使ってくれて構わないって。あと……」
「あと?」
嫌な予感しかしない。
「あとは……ヒミツ!」
「そ、そうか……セクハラされなかったか?」
「ううん、とっても優しそうなお父さんだった」
ええ、まあ、女の子には優しいんですけどね。主に下心的な意味で。
「ううん……あれ? あれれ……」
突然、笑顔のままぽろぽろと涙をこぼす萌葱。
「いいんだよね……好意に甘えても……えへへ」
「もちろん……でも本当にボロくて申し訳ないんだが、ここだ」
立ち止まり、恥ずかしそうに指さす。
「うわぁ……21世紀になってもこんな建物残ってたんですねぇ……」
築半世紀以上、昭和の遺物を見上げて萌葱が感嘆の声を漏らす。あまりのボロさに涙も一瞬で止まってしまったようだ。
「ですよねー」
「あの、不満とかそういうんじゃなくて、単純にすごいなあと……この街って最近開発された新興住宅地よねぇ? 周りの建物と比べても明らかに年代が違うし、いったいどういう……」
「確かに言われてみるとそうだな、全く気にもしなかったけど」
「むむむむむ。これはミステリーの匂いがしますよ!」
「ははは、その解明は敏腕記者に任せるよ」
好きなんだなぁ、こういう不思議話。あんな目に逢ってもそれはそれ、三つ子の魂百までとはよく言ったもんで。
我が家のことだから何らかの非常識が関係しているような気もしないでもない。だが深入りしてこれ以上浮世離れが進むのもご免なので、俺的には詮索しないのがベストと判断しよう。
「まあ、上がってよ、元々は婆ちゃんが管理してたんだけどボケちゃって」
「お邪魔します……」
「ただいまでいいんじゃね?」
「そう言われても……今決まったばかりだし、初めての場所だし……」
萌葱はちょっと考えてから笑顔で、
「お世話になります!」
◆◆◆
そんなわけで、信太萌葱はお隣さんになった。
立てつけの悪い扉をガラガラと開き、靴を脱いでミシミシいういつ板が抜けるかもわからない廊下に足を踏み入れる。
「よう、雫。帰ったか」
俺は盛大にズッコケた。床が抜けるかと思った。
何故かって、廊下にはパジャマ姿の大角豆がいたのだ。ウサギだか猫だかの混ざったようなキャラクターがプリントされた妙にファンシーな柄で、完全に顔と一致していない。ここまでアンバランスな組み合わせががこの世にあったとは。
「なんでお前がここにいる」
「は? 知らなかったのかお前、俺もここの住人だってばよ」
入学してからしばらく経つけど、見たことないぞ。若干の疑惑を抱きながらも、考えないことにする。どうせナントカ機関の陰謀に決まってる。
「信太ちゃんもよろしくな。ボロアパートだけどめちゃ安いんだよここ」
「うん、よろしく。大角豆くん」
「拝でいいってばぁ、たはは」
「たははじゃねぇよ」
なんかムカついたので、とりあえずスリッパで大角豆の頭を引っ叩いておく。
「いてて……皆まで言うな、お前さんの新婚生活を邪魔する気はねぇよ」
「違うってーの! 言っておくけど、部屋は別だからな」
特に反論するでもなく、頬を染めてくねくねしている萌葱を横目で見ながら、
「やれやれだぜ……」
ため息とともに肩を落としていると別の住人が帰ってきた。
「ただいまー。よう、友達!」
「花室朱理……なんでここに……」
「なんでって? 元からここの住人だけど?」
こいつもか! ここに越してきたときに住人の確認は済ませたはず……空き部屋ばかりだと思ってたのにこいつらが住んでいたなんて。ナントカ機関め、そのうち噛みついてやるからな。
「信太ちゃんもここに住むのか? まぁ、汚いとこだけどよろしくな」
どいつもこいつもひとんちをボロいだの汚いだの容赦がない。
「萌葱でいいですよ、じゃなかったらモエモエで」
あ、まだそのプッシュ続くんだ。
「よし、じゃあモエモエ、握手握手!」
モエモエ採用しちゃったよこいつ。
「は、はい!」
朱理は両手で握った萌葱の手をぶんぶんと振って満足そうに、
「よし、これで友達二号ゲットだぜ!」
「大角豆はカウントされないのか」
「そうだそうだ」
大角豆も同意する。
「ああん? こいつは宿敵でもあるからな、綱の子孫は友達じゃねぇ」
だってさ。
「真鍋は?」
「おお、忘れてた。あいつとも握手しておこう……よっしゃ~既に三人も友達ができたぞ。あと九七人だ。ふふふ、アタシの力を持ってすれば百人なんかすぐだな」
「どういうことです?」
「いい質問だモエモエ。アタシの目標は友達百人、なのだ。泣いた赤鬼知ってるかい?」
「ええ」
朱理の講義が始まる。座右の書、泣いた赤鬼に感動した朱理はみんなに好かれる鬼を目指しているそうだ。それで友達百人らしい。
「楽しくなりそうだな、おい、相棒」
ファンシーなパジャマ姿の大角豆が肩をぽんと叩く。
「誰が相棒だ。勝負に勝ったんだから俺の方が上だ」
「じゃあ、番長! とでもお呼びしましょうか、へへへ」
「いやそれは待て、せっかくまともな高校生活を送ろうとしている矢先にそれはやめてくれ」
「まともねぇ。お前、これで一件落着とでも思ってんの?」
「思ってねぇよ」
あの不思議な力を使う魔術師。委員長が来なかったらどうなっていたかわからない。あんな奴らがまだ他にもウジャウジャいて、俺に突っかかってくるかもしれない。
「でも、それはそれ、これはこれ。リア充を目指すって俺は決めたんだ!」
「んじゃあさあ、アタシとリア充しようか? 銀」
鬼っ子が馴れ馴れしく腕を掴む。実は意外とデカい夢の塊が、ぷにぷにと押し付けられる。地味な姿かたちとのギャップが……はうぅ。
「な、何言ってんだお前は! こら、しがみつくな!」
「友達以上の友達でもいいんだぜぇ?」
「ふ、不潔なのはダメですッ!」
反対側の腕にしがみつく萌葱。うわ、ちょっとこれ、俺のために争わないで! って奴なんじゃ……。
「ふむふむ、モエモエも友達だもんな、じゃあ友達同士の親睦を3人で……」
「俺も俺も!」
「お前はあっち行け!」
「銀、男はな、一匹狼が似合ってるのよ」
なんか言ってるよコイツ、意外に打たれ強いんだな。
しかし、俺の人生、どうなってしまうんだ??
銀四郎はふと思った。
人狼は最強で普通の人間とは違う、などと親父は言っていたが、この数日だけで様々な人知を超えた存在に出会った。俺よりも強そうなのも余裕でいた。化け物以上に化け物みたいな剣士がいた。魔法使いなんて手も足も出なかった。
彼ら以外にも世の中には、俺の知らない色々な超常の力を持った存在がいるのだろう。
ふふっ。なんだ、俺だけ俺の家系だけが異常な存在じゃないんだ。自分が孤高で無敵の存在でない可能性に気がついたとき、何故か銀四郎は楽しい気分になってきていた。
何か憑きものが落ちたかのような、肩の荷が下りたような、そんな晴れ晴れとした気分の雫銀四郎であった。
(FIN)
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。
改めて読み返すとアラが目立ちますなぁ。
次回はもう少しクオリティをあげてリベンジするぜ!
……と思う吉宗であった。