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第五章

「はぁ……はぁ……ここか……」

 チェーンで封鎖された門を飛び越え、小ぢんまりした廃工場の敷地に入る。

「萌葱!」

 錆付いた鉄の扉を開け、建物の中に入るなり萌葱の安否を確認する。

 彼女は何事も無く、独りでそこに立っていた。

「大丈夫か?」

「ありがとう……でも……ごめんなさいっ! 私にはこうするしかなかったの……」

「えっ?」

 びすびすっ、鈍い音とともに両脚が氷で貫かれたような、未知の痛みが広がる。

「いっってぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!」

 振り返ると、そこには消音器付きの拳銃を構える──。

「どうかな? 銀の弾丸の味は」

 拳銃を手にした覆面の男を中心に、警察の特殊部隊のような装備に身を固めた人間が数人、映画の中でしか見たことのないようなアサルトライフルの銃口をこちらに向けている。どう見たってカタギの連中じゃない。安全で有名な法治国家日本で起こっている光景とは俄かには信じがたい。

 いったいなんなんだこいつらは……しかも銀の弾丸と言った。俺のことを知っている!?

 血が流れる。傷口が塞がらない。身体の内側から凍り付くような痛みが広がる。力が入らない。

「よくやったな、信太」

 覆面の男がねっとりとした声をかける。どこかで聞いたことがあるような気がしないでもないムカつく耳障りな声だ。

「は……い……」

 萌葱が消えそうな声で返事をする。

「彼女は我々の仲間でね、君に近づき、信頼させ、ここに単独で連れてくるよう任務を帯びていたのだよ」

 どういうことなんだ? 知り合いなのか? つまりは俺は騙されておびき出されたってことか?

 せっかく友達が出来たと思ったのに──萌葱を見ると視線を逸らして血の気を失った顔をしている。

 訳ありのようだ。だってそうだろ? そうでも思わなきゃやってられないぜ。

「君は大そう珍しい体質だそうだね?」

 覆面の男が俺に問いかける。知ってて言ってやがるな。

「な、なんのことやら……」

「この国は強くあらねばならないのだよ。かつてのように、アメリカと環太平洋を分割統治するくらいの力がね」

「そんな大そうなことと俺と、何の関係があるんだ」

「だから言っただろ? 君の体質が……人狼の超人的な力が必要なんだってばさぁ。君のその出鱈目な生命力を持つ部隊があったらどうなるか、想像してみたまえよ」

「てめぇ……」

 軍事利用か!

 誇り高き狼の血をそんなクソ政治の道具にされてたまるかってんだ。

「もちろん、部隊設立の暁には君にも相応のポストを用意する。どうだい? 悪い話じゃないだろう。この就職難の時代に」

「もちろん断る!」

 冗談じゃない。

「ほほう、犬畜生の分際で生意気に……少し躾をしてやらなくちゃいけないかな」

 犬を舐めるなよ。その気になりゃ鎖を引きちぎって飼い主にすら噛みつくんだからよ。

「隊長、俺にやらせてくださいよ。多少痛めつけたところで死にゃしないんですよね、コイツ」

 フェイスガードを取った男の顔。見たことがある。公園で絡んできたゴリラ男だ。

「よう、ゴリポン君、こんなところで鉄砲遊びかい?」

「隊長!」

 しまった、いつもの癖でつい安い挑発をしてしまった。この性格は直さないとリア充にはなれないな。

「ふむ、どこまでなら死なないか、試してみる価値もありそうだな。教育してやれ」

 隊長と呼ばれた覆面の男は冷徹に言う。

 冗談じゃない。グッと睨み返すが両脚に力が入らない。立っているだけでやっとだ。痛みもあるが体力が吸い取られていくようだ。

「いくら人間離れしてるっていってもなぁ、両脚がそれじゃどうしようもねえだろ、ククク。信太の電話は全部狂言だが、俺の言ったてめぇをボコるってのは本当だからな?」

 どうする? 一人二人ならなんとかできるかもしれない。だが、銃を持ったこの人数から、この脚で逃げきるのは不可能だ。

 喧嘩が強いっていうのだけが取り柄だったのに、それすらままならないということになれば、自分はいったいなんなのだろう。矢張り無能な化け物に他ならないのではないか。

 ちらと横目で萌葱を見ると、光彩を失った瞳でぼんやりと立っているだけだった。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………」

 裏切られたのも辛いが、あんな表情をされるのはもっと辛い。

 ばすっ。ゴリラ男がライフルの引き金を引く。

 反射的に身を捩って弾丸を避ける。

 見えるな。さすがにこれまで銃を持った奴とケンカしたことなんかないから初めての経験だったが──人狼の視力と反応速度は弾丸をも超えるのか。

「クソッ、化けもんが……」

 ばすっ。再度避ける。

 確信した。弾丸は避けられる、だが。

「おいおいおい、いいのかよそんなことして、陵辱ビデオだぜ?」

「ま、まだ言ってるのか、お前らの仲間なんだろ?」

「仲間ねぇ……仲間というより道具だな。施設から引き取って血税で育ててやってるモルモットだぜぇ?」

「施設? どういうことだ? 父ちゃんがローンで一戸建て買ったんじゃないのか?」

「説明してやりたまえ、信太」

 覆面が嫌らしく促す。

「そ、それは……」

 俯き言葉を濁す萌葱、代わりに覆面が語りだす。

「この子はね、身寄りのない孤児なんですよ」

「それ以上……言わないで……」

「報酬と生活を保護するために自分から志願したんですよね? この研究チームに。なんとも立派な話じゃないですか。キミみたいにご両親の庇護の下、のうのうと暮らしているバカ学生に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい」

 覆面男はオーバーアクション気味に目元を片手で覆い天を仰ぐ。

「そう……だったのか」

 あの明るい笑顔の下にそんな背景があったなんて。

「……私は……」

 萌葱は何か言おうとしているが言葉にならない。

 いや、無理して話さなくていい。

「さあて、このくらい役に立ってもらわなくちゃな、喜んで身を捧げるよなぁ。端っから親に捨てられて、いてもいなくても良かった存在なんだからよ」

 このゴリラ男め、なんてこと言いやがる!

「くっ……」

 萌葱は涙をこらえ唇を噛む。

 そんなことはお構いなしとばかりに武装した隊員の二人が左右から萌葱の腕を押さえつけた。

「きゃっ……そんな約束と違っ……やめてっ」

 ゴリラ男は身動きの取れない萌葱の襟首を掴んで、

「雫ちゃんよぉ、この続きが見たいってんならいくら抵抗してくれてもかまわねぇが……どうする?」

「……それも演技じゃないという保証は?」

 と、カマをかけてみるが無駄のようだ。

「お前がそう思うんならいいけどよっ……」

 びりっ……制服を強引に破かれ、萌葱の下着が露わになる。

「いやーっ!!」

 本当の悲鳴か……演技か……わかるわけもない。今さっき裏切られたばかりなのだ。

「まずは左腕を殺す。動くなよ、いや、こいつの小便くせぇおっぱいが見たかったら動けよ?」

 どうする? どうする? そんなもん、答えは決まってる。嘘だろうがなんだろうが、女の子の悲鳴は聞きたくない。

 ばすっ。

「うぐぁッ!」

 左肩を氷のつららが貫くような痛み。

「そんな……銀四郎、なんで……」

 信じられない、といった顔で眼を見開く萌葱。

「ははは、おっぱい見るなら自分で脱がせないと……な」

 やせ我慢を言ってみるも血が止まらない。銀弾が弱点というのは本当のようだ。だが撃たれた途端、煙のように肉体が消えるわけでもなさそうだった。ははは、さすがの親父もこんな体験したことねぇだろう。

「ほほう、なかなか根性あるじゃねえか」

「まぁな、銀の弾が本当に効くのかどうか、一度試してみたかったからな。勉強になったぜ……」

「じゃ、お勉強の続きだ……次は右腕な」

 ばすっ。右肩に銀の弾丸がめり込む。

「くっ……」

 神経を直接掻き毟るような痛みが広がる。両手両足からは力が抜け、鉛のように重い。ここで膝を付くのはムカつくので根性で立ってはいるものの、いつ気を失ってもおかしくないぜこりゃ。

「ひゃーっはっは、たまんねぇな、イキがってる奴をボコるってのはよお」

「てめぇ……いつかぶっ殺す」

「はっ、脳天ぶち抜かれて生きていたらやってみな」

 眉間に突き付けられた硬い感触。いくら脅威の回復力を持つとはいえ、脳を破壊されたらどうなるか、前例がないのでわからない。

 俺は死ぬのか。奴の言う通りイキがってはいたが、こうも簡単に殺られてしまうものなのか。井の中の蛙、無能無力。自嘲気味に唇の端を歪める。

「もういいよ……もういいって、私なんかどうなってもいいから……」

 絞り出すように言う萌葱。

「うちの中学、舐められちゃマズい、だろ?」

 この前語ってくれたイジメの話、あれくらいは本当だと思う。

「そんなことどうでもいいっ!」

 まあいいさ、騙されても、それでも最後まで信じる人間がいたことを萌葱に伝えられるだろう。それくらいの希望を残せたのなら、無能にも生きた意味があるってもんだ。

「終わりだ犬っコロ……」

 ゴリラ男が引き金を引こうとしたその時、予想外の闖入者があらわれた。

「よく耐えたな、雫よぉ」

 目つきの悪いチビが工場の二階通路に腕組みをして立っていた。

 ──大角豆!? なんでお前が。

「やっぱり俺の見立て通り、タイマン張るのにふさわしい奴だぜお前は」

「なんだてめぇは!」

 武装した連中が銃口を一斉に大角豆に向ける。

「そいつはうちの管轄なんでな、勝手に持ってかれると上に叱られるのよ」

「もしや……」

 何か心あたりがあるのか、余裕の見物人を決め込んでいた覆面男が警戒の素振りを見せる。

「おっと、お前らの相手は俺じゃないぜ」

 廃工場の隅、暗闇の中から姿を表したのは銀四郎たちと同じ高校の制服を着た女子生徒であった。長い黒髪をポニーテールにまとめた日本人形のような顔立ち。手にした大ぶりの日本刀が、その容姿に奇妙にマッチしていた。

 忘れもしない、資料準備室で着替えをしていた羞恥心ゼロの奇妙な女子。

「やあ、雫君。ずいぶん痛めつけられたようだが、ついに性犯罪の末に報復を受けたのかい」

 緊張感の無い声で片手をあげる。

「どこをどう解釈すればそう見えるんだよ!」

「違うのか。残念だ、君を斬る大義名分が出来たと思ったのに」

 斬る? 冗談か本気かわからない。そもそも何者なんだ? どうしてこの場にいる? 大角豆とは知り合いのようだったけど、俺を救援に来たのか?

「まぁお楽しみは後にとって置いて、まずはゴミ掃除か……」

 彼女は武装した男たちの方に向き直り、長大な鞘を左手で掲げ、右手で柄を握る。

「なんだぁ姉ちゃん、ヤッパなんか持って、どうするつもりだ?」

 ゴリラ男の震える声を無視し、少女は鞘走りの音すら立てずに抜刀する。月明かりを受けて刀身が怪しく輝いている。いかにも斬れそうだが長すぎる。あんな刀を巨人でもない彼女がまともに扱えるのであろうか。

「お、おい、やんのかよ、こっちは銃持ってんだぞ……と、止まれ」

 抜き身の日本刀を携えた少女は臆することもなく、ダルそうな表情のままゆらゆらと武装隊員たちに近づいていく。

「止まれって言ってんだろ!」

 ぱすっ。脚を狙って撃った銃声と同時に、まるでそこに着弾することがわかっていたかのように、少女はふらりと身体を横に逸らした。目標を失った弾丸は空しく地面に穴を穿つ。

 何事もなかったかのようにゆらり、ゆらりと歩を進める少女。おおよそ剣士の動きとは思えない力のこもらない緩慢な動き。

「何をしてる。一斉に撃て! 威嚇などいらん」

 彼女が何者か知っているらしく、覆面男が叫ぶ。知らないのは俺だけかよ……当事者っぽいのに理不尽だ。

 ばばばばっ!

 隊長の号令で一斉に発砲する隊員たち。

 だが、少女の身体に銃弾が届くことはなかった。目の前には見えない壁があるかのように銃弾がはじき返されている。

 獣の動態視力を持つ俺には見えていた。彼女は手にした刀ですべて弾き落としている。ただ当てて防ぐのではない、弾丸を動的に弾いて軌道を逸らしているのだ。しかもあの長刀でだ。

 全員が撃ち尽くし、弾漕が空になって予備マガジンに手を伸ばした瞬間、サッと刀を軽く持ち直し、

「ひふみよいむな……秘剣、箒星ほうきぼし

 ボソッと呟いて、見たこともないようなゆったりとした構えから剣を一閃させる。ガキンという金属のぶつかる音と同時に、アサルトライフルの銃身が次々に切断された。

 金属製の銃をキュウリのように切断したのも驚いたが、少女と隊員たちの距離は五メートルはある。いくら規格外の長刀でも刃が届く訳がない。だが、現実に切っ先は届いていた。

 門外漢の俺にもわかる。ただの剣術じゃない。何か異能の力か、獣の眼を持ってもその剣筋は見えなかった。

「…………!?」

 ゴリラ男たちは目の前で起きた我が目を疑う現象に、声も戦意も完全に失って硬直している。

「……えい」

 少女はやる気なさそうに、ゴリラ男とその仲間たちの頭を刀の鞘でぽぽぽぽんと叩く。糸の切れたマリオネットのように昏倒する完全装備黒尽くめの集団。

 強い……世の中にはこんな常軌を逸した強さの人間がいるものなのか。

 人質をとられるようなことがなければ最強である、などという自負はあっさりと打ち砕かれる。はは、世の中舐めていたぜ。世の中想像以上だぜ。俺は何故か嬉しくなっていた自分に気が付き、心が高揚する。

 しかしそんなガツンと脳髄を揺さぶられるような感動に浸っていられたのもわずかな時間。

 お次は、とばかりに寝起きのような三白眼で俺を見据えると、ニタアと三日月形に口を歪める。うわ、ちょっと怖いんですけどマジで!

 そしてつかつかと目の前まで歩み寄ると、刀の切っ先をこちらに向け、水平になるまで顔の位置まで持ち上げて刺突の構えをとる。

「って、おい……何する気」

「弾を取るから動かないでくれたまえ」

「ああ、ってまさかそれで……ちょ、待……」

「ひふみよ……秘剣、流星ながれぼし

 ズガッ、ズガッ、ズガッ、ズガッ。

 三白眼の和風美人は、ひとのことを真剣で突き刺しながら眉毛一つ動かさない。腕の良い外科医のピンセットのような精密な動きで切っ先が正確に銀弾を貫き、俺の体内から抜き取っていった。

「痛いぞコンチクショー!」

 とは言え、銀弾から広がっていた麻痺性の毒のような痛みは消え、ゆっくりだが傷口が塞がっていくのがわかる。

「ふう……任務完了、撤収する。じゃまた」

 俺の泣き言など馬耳東風。仕事は終わったとばかりに、長刀を器用にくるりと回し、ぱちんと鞘に納める少女。

 そして、来た道を逆にたどり、暗闇の中へ消えていくポニーテール。

 ……え、自己紹介も無しに帰っちゃうのかよ!? 結局あんた誰だったんだよ!

「さあ、あとはお前さんだけだぜ」

 高いところから偉そうに覆面男に呼びかけるが、何もしてないよな、大角豆。

「ははは化け物どもめ……災い転じて福となす。面白いデータが取れそうだ」

 俺すらビックリの化け物女は帰っちゃったけどな。

 覆面男は不敵に微笑み、萌葱に近づく。

「ここが働きどころだぞ信太……お前を飼うにも予算がかかっているのだからね」

「い、いやっ、放してっ……これ以上私に……!」

 プシュ。何か液体の入った拳銃のようなものを萌葱の腕に押し当て……無針注射だ。

「う、うぁあ……うあああああっっっ……」

 萌葱の悲痛な叫びが心を穿つ。

「なにしやがった!」

 尋常じゃない雰囲気。何らかの薬物投与か。

「なに、心のリミッターを外すだけの、なんてことない向精神薬さ」

「てめぇ……」

「言ったよね、彼女は志願して我々の研究チームに入ったと」

 それって……つまり……。

「能力も無いただの学生が協力できることといえば、スパイと……モルモットくらいだろ?」

 なんてこった、人体実験までしてやがったのか!

 考えてみれば、俺んちの能力を使って無敵の兵隊を作るためには臨床実験は欠かせない。それが……よりによって萌葱だったっていうのか。

「見せてやれ、信太」

「あ……あああ……ダメ……見ないで」

 萌黄の身体が見る見るうちに変化していく。筋肉が盛り上がり、鋭い爪と牙、虎縞の体毛、血走った眼つき。

「助け……て……雫……くん……」

 萌葱が切れ切れの意識で俺の助けを乞う。

 でも、どうすりゃいいんだ!

「回復力は君ほどでもないが戦闘力は相当なものだぞ。遺伝子工学の粋を集めた人造のあやかし。虎の遺伝子だから人虎といったところかな」

「てめぇら……人間に……信太になんてことを」

「こんなこと聞いたことないかな? 同じ大きさならネコ科とイヌ科、ネコ科の方が圧倒的に強いってこと」

「うおおおおんッ!」

 萌葱だった何かは咆哮し、腕を振り上げて俺に向けて一直線に向かってくる。

 咄嗟に身をかわす。ひゅん、と風を切り裂く音が耳元で聞こえる。振り向くと鉄柱がバターのように裂けている。

「マジか……」

「うぅ……ああああああッッ!!」

 ギリギリのところで避ける。回復が十分じゃない。時間をかければかけるほど危険度は増していく。しかし、暴走しているとはいえ、相手は信太萌葱だ。

「チクショウ、目を覚ましてくれ……」

 学校で楽しそうにスクープを追いかける彼女の記憶が走馬灯のようによみがえる。

 少し気が反れた瞬間、床の段差に躓き、体勢が崩れる。

「しまっ……た」

 虎の爪が脳天めがけて振り下ろされる。ヤバい。死ぬかどうかわからないけど行動不能に陥るのは確かだ。ダメか……俺、助けに来たつもりで、さっきも今も結局何もできない間抜けだったな。

 ごすっ。

「助けに来たぜ、友達」

 萌葱の手首を軽く受け止めて、振り返ってニヤリと微笑む眼鏡におさげ髪の少女。

「お、お前は……」

 強烈なインパクトを残し、勝手に友達設定して去っていった、あの超ヘディング女だ。

 しかし、鉄骨を引き裂く萌葱のパワーを受け止めるなんて、この華奢な身体のどこにそんな力が?

「友達を守るのは友達の役目だからな」

「ちょっと待ってくれ、そいつは……」

 降りおろされる腕をひょいひょいとかわしながら、

「お前の友達か?」

「……ああ、だから殺さないでくれ」

「なるほど、友達の友達ならアタシの友達でもあるからな、死なない程度に拳で語るとしよう、友達ならば」

「でもお前の方も……」

「お前じゃない、花室朱理はなむろ・しゅりだ」

 やっと名前を教えてくれた。

「虎、か……」

 眼鏡を外し、三つ編みを留めていたリボンを解く。そして嬉しそうに笑みを浮かべ、

「ねえ、知ってるかい? 鬼のパンツってのはさあ、虎の皮で出来てるんだぜ。さあ、かかってきな」

「あおおおおおんんッッ!」

 空振りした萌葱の腕を掴み、背負い投げの要領でひょいとぶん投げる。

「マジか……」

 俺が唖然とするのも無理はない。見た感じ体格差は2倍、それをあんなに軽々と投げ飛ばすなんて、物理法則を舐めたような現象だ。

 ぶんぶんと首を振るい、萌葱であった人虎が瓦礫の山から立ち上がる。パワーだけでなく、タフさも半端ない。

「援軍ですか……少し予定外ですね」

 覆面男がゴリラ男を蹴っ飛ばす。

「う、うう……隊長、すんません」

 よろよろと立ち上がり、ペコペコと頭を下げている。

「退きますよ。このままでは分が悪い」

「了解っ、お前ら戦略的撤退だ!」

 ゴリラ男が手榴弾らしきもののピンを抜いてを投げる。

 ヤバい! 咄嗟に伏せるが爆発は起こらず、辺り一面がもうもうとした煙に包まれる。煙幕って奴か。

「逃げられたか」

 煙が晴れると、いつの間にか大角豆が降りてきて俺の背後に立っていた。

「大角豆、お前はいったい……」

「雫ちゃんよぉ、ずいぶん派手にやられたなぁ、ま、放っといてもすぐに治るんだろうけどよ」

 言われるまでもなく、だいぶ傷は塞がっている。あの女が弾丸を摘出してくれたおかげでもあるが。

「つかなんでそこまで知っている?」

「お前はお前が思ってる以上に色んなとこからマークされてんだぜ? そのせいで今もこのザマじゃねぇか」

 確かに、他の場所にも情報は流れているようだ。黙っていれば気づかれない、なんてのは甘かったな。

「すまない、友達を逃がしてしまって」

 花室朱理、そう名乗った少女が眼鏡をかけなおし、申し訳なさそうに頭を下げる。

「いや、あの場はしのげただけで良かった……ていうかお前も何者なんだ?」

「これ見てもわからない?」

 朱理が自らの側頭部を指さす。そこにはドリル状の突起がある。

「コスプレ?」

「ちっがーう、鬼だよ鬼。現代に甦った茨木童子とはアタシのことさ」

「鬼、しかも茨木童子だって? ……ははは、何バカなこと言ってるんだ。造り物だろこれ?」

「不死身の狼男に言われたくないね。つか触んな!」

「一つ聞きたいんだけど」

「なんだい?」

「電気とか出せる? こう、ビビビビビビって」

「はぁ? 頭湧いてんのか?」

「いやいいんだ、済まない……そうか、鬼っ娘といえば電撃が定番だと思ってたんだがなぁ」

「それはカミナリ様だろ」

「あ、そうか」

 はぁ……頭を抱える。やっぱりいるんだよな、薄々はそんな予感がしていたけれども。鬼って、マジか。

「待てよ、てことは花室の実年齢って……」

 確か綱の茨木童子退治って平安時代の話だよなぁ。千年以上生きてるんじゃね?

「友達にそんなことを聞くなんて……やれやれ、見損なったよ。甦ったって言っただろ。封印されてたんだよ、千年以上」

「あるのか、そんな非常識なこと」

「銃で撃たれた傷がもう治ってる奴に言われたくはないね」

 うん、話している間にも治癒は進み、腕をぐるぐる回してみても平気だ。

「封印されたのは十四のとき、解かれたのが去年だからまだ十五なのさ」

「そうか。浦島太郎もびっくりだな」

「わかってくれるかこの苦労。さすが友達だ」

「そういえば、もしかして、大角豆も何か特殊な?」

「俺様はな……」

 いつものように偉そうに腕を組み仁王立ちして話し始めようとするが、

「こいつは鬼太郎だよ鬼太郎、鬼太郎の妖怪アンテナの部分、だけ」

 鬼こと朱理が口を挟む。去年甦ったにしてはやけに現代文化に詳しい。

「だけ?」

「だけ」

「それだけ?」

「それだけ、しかもいまいち精度が低い」

「使えねぇ」

「ああ、ほんとに使えないんだよ」

「おいおいおいぃ、言ってくれんじゃねーかよ、俺様の妖怪アンテナのおかげでこの場所に見当がついたんじゃねーか」

「俺、妖怪扱いなのか……」

 ショックだわ。普通のリア充高校生を目指していたのに妖怪か……いや、自分でもまともじゃないことはわかってたつもりだけど。

「で、本題だ」

 核心部分を聞くためにそう切り出す。

「おう」

「なんの目的があって俺を助けた」

「それが仕事なんでな」

「バイトか」

「まぁバイトみたいなもんだ。民俗学博物館外局飛鳥山機関、関東第二十二支部第二班、班長大角豆拝様よ」

 ドヤァ、と胸を張る大角豆。常に偉そうである。

「いや、さっぱりわからん」

「民博、知らん?」

「知らん」

「民博っていうのはよ、民族学博物館、各地の民族学の資料を保護したり収集したりしてる機関なのよ。大阪の万博記念公園にあるんだけど……まぁお前なら知らなくてもしょうがねぇかな、ははっ」

 クソッ、知らねぇっつーの。しかも大角豆が知ってて俺が知らないというのは微妙にムカつくな。

「で、そのナントカ機関がどうして」

「遠野物語あるだろ、あ、これも知らねぇかなぁ」

「知ってるわ!」

 名前だけな。

「河童とか、座敷童とか、日本昔話みたいな奴だろ?」

「まぁそんなとこ、あれに出てくるの、だいたい実在してるから」

「んな馬鹿な。河童って、頭に皿載せてキュウリ食ってるとかどこの法螺話だっつーの」

 と訝しがる俺に、朱理と俺を順番に指差して、

「鬼、狼男」

 はぁ……そこを指摘されるとぐうの音も出ねぇ。

「まぁ、本当に居ると知れ渡ったらパニックを起こしかねないし、迫害を受けるかもしれないだろ」

「そうだな」

 俺だってビビる。

「そういう表に出せない不思議や妖怪を担当するのが飛鳥山機関の役割、怪奇現象の保護と隠蔽、場合によっては退治もする」

「退治!?」

「心配するな。あくまで人的被害が拡大しそうな場合に限る。民博の方針では保存やデータ収集はしても、なるべく関与せずにありのままにしておくのが大前提だからよ」

 そんな組織の存在など俄かには信じがたいが、今日は信じられないことの連続だ、あっても不思議じゃない。

「あいつもそうなの?」

「あいつ? ああ、藤のことか。あいつはただの人間だよ」

「ただの人間にしちゃものすごい腕だったぞ」

「あいつはその……プライバシーの問題もあるから本人に聞けや」

「うむむ、確かに」

「でも、お前らと違って遺伝子的にはただの人間なことは確かだ。ちょっと訳ありだがな」

 本人の素性はこの際どうでもいいから、性犯罪者扱いはなんとかしてほしい、しかもすんげぇ俺のこと斬りたそうにしてるし。

「しかし、これからどうすりゃいいんだ、俺は……」

 自分が襲われるのは構わない。銀弾のお礼もしなくちゃいけないからな、むしろ来るなら来やがれって気分なのだが、萌葱はどうなってしまうんだ。できることなら救ってやりたい。あいつが奴らの仲間で、俺は裏切られたとはいえ、あんなに悲しそうな顔してたもんな……放っとけるわけがない、同じ中学のよしみだし、友達だ。

「今日は帰って寝とけ」

「でも、萌葱が……」

「あいつらも体制を整えるに時間がかかるはずだ、今日明日に動きはないさ。文字通り虎の子の信太をどうこうすることもないはずだぜ。なんせお前に対する餌にもなるし人質としても使える」

「俺のせいでまた利用されるのか……」

「逆にお前がまだ手に落ちてないから処分を免れてるともいえるんじゃねーの?」

 気休めでもありがたい言葉だった。

「大角豆……お前、実はいい奴だな」

「騙されるなよ友達、こいつはバカだが悪知恵だけは働く男だからな」

 こそっと耳打ちしてくる朱理。

「失礼な、俺様はリーダーとして、お前ら脳筋のメンタルケアをだな」

「こいつの旧姓は渡辺拝。そしてその先祖はあたしを騙し討ちした渡辺綱なんだから」

「ば、バカっ! 壮大なネタばらしすんなよ!」

 旧姓か。そういえば萌葱の情報で大角豆の父親は浮気がバレて別居中なんだっけ。あんなどうでもいい情報がここに来てつながるとは。

「じゃあ花室とは因縁の仇敵なのか」

「朱理でいいぜ、友達。それに因縁っていったって本人が生きてるならその首刎ねてやりたいところだけど、はるか子孫なんか殺ったところでなぁ、何人いるかもわからないし」

「そうそう、綱の家は分家しまくって今や日本でも五本の指に入るくらい多いだろ、渡辺さんなんて。いちいち首狩りしてたら何万人もやらなくちゃいけねぇ、な!」

「なんかあの家が繁栄してんるがムカつくな。やっぱ拝、百回くらい死んでおくか?」


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