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苦手な方はご注意ください。

断罪シリーズ

オンリー・グッドバイ

作者: 雨夜 紅葉

トリックスター、『物語を掻き回す』。

この世界は、雑音で構成されている。


「いらっしゃいませー」

「もー、おっそーい」

「ごめんごめん」

「はい、では後ほど……」


街を少し歩けば

人の声や車の音、あるいは足音なんかが否応なく耳に入ってくる。

俺はそんな、人間がいるという証が大嫌いで

ーーーー大好きだったんだ。





「【・・】、帰るぞ」

「おう、今行く!」


鞄を片手に、振り返ることなく生徒玄関へ向かう無愛想な友人の背を追って教室を出る。あいつは足を止めて待っていてくれるような素直な性格はしてないから、俺は開いた距離を走って埋めた。


俺たちがこういう関係になったのは、小学生のとき。

お互い話す相手がいなくて、時間を潰すのに話しかけてみたら意外と気が合った、というしょうもない理由で

俺たちはもう10年以上一緒にいる。

だからと言って、放課後遊んだり休日出かけたり普通の友人みたいなことをしたのは一度もない。

要するに

『学校限定での友達』なのだ。俺たちは。

歪んだ友情のようにも見えるけれど、これが一番楽なのだからしょうがないだろう?

それに、互いの日常に踏み込まないと決めただけで他は普通の友情だ。

異常なんてものはどこにもない。


「なぁ、テストどうだった?」

「別に普通。つーかそこまで難しくもなかっただろ」

「うっそぉ!俺全然出来なかったぞ!?」

「お前……」


ありきたりな話題を振って

返ってきたありきたりな答え。

仲良さげに歩く俺たちはきっと

どこにでもいる高校生に見えているだろう。

まぁ、実際そうなんだけど。


「マジかよ……」

「勉強してなかったお前が悪い」

「えー」


靴を替えて玄関を出て、正門まで同じペースで進む。

だが反対にすれ違う人たちは皆、部活やら委員会やらで慌ただしく走っていた。

大変そうだな、と心中で呟くのと同時に

そんなに急いでなにが楽しいんだか、なんて言葉が浮かぶ。

それは一歩前を歩くあいつも変わらないらしく、ぶつかりそうになりながらボールを運ぶ野球部に、こっそり溜め息を漏らしているのが見えた。


どうして人間(ひと)は、こんなにも生き急ぐんだろうか。

どうせ100年も経てば、皆死ぬのに。

時間が惜しいとか、今しか出来ないとか

自分に嘘を吐いてまで。


「おい、【・・】」


少し思考を飛ばしていたら

不意に名前を呼ばれて顔を上げる。

するとあいつが、心底どうでも良さそうな表情で振り返っていて、俺は思わず辺りを見渡した。その後で、納得。

考え事をしていたせいで気づかなかったが

もうとっくに正門は過ぎていたのだと。


「じゃ、また明日」

「おー、じゃあな!」


俺たちの家は正反対の位置にあるから

ここで別れるのはいつものことだ。

そして

あいつと別れたら、俺がする『予定』のことも

今日だって同じ。

どちらも毎日毎日、繰り返して繰り返す『日常』なのだから。

急に変わらないのが当然

というか変えたくもない。

なんて思いながら

ぶんぶんと大きく手を振れば、呆れたように苦笑してあいつはまた歩き出した。

俺はその背を見送り

あいつが見えなくなったところで

薄く、薄く嘲笑(わら)ってみせる。


ーーさぁ、ゲームの始まりだ。


楽しい楽しいアレを想像するだけで口元は弧を描き心臓が高鳴った。

俺にとっては、何よりも快楽に浸れる行為であり

背負ったもの全てを忘れられる時間。

名付けて、【悪人ごっこ】。


「ああ、畜生。

めちゃくちゃ楽しみだ」


最低だな、などと冷静な理性が罵倒するけれど

言い表しようのない重い愉悦で満ちた脳内は、久しぶりに本能のまま動ける興奮を収めてはくれなかった。


所詮、人間なんてこんなものか。

倫理や道徳よりも欲求が勝ったとき、すぐに狂ってしまうほどに弱くて脆くて。

俺は、そんな自分も持つ人間の仕組みが少し気に入っているんだけど

割と異常な思考なのは自覚済み。

だから誰にも、秘密のまま。

親友のあいつにすら言ったことはない。


俺は他にも僅かにいる帰宅組に紛れ、自宅を通り過ぎて駅へと向かう。

【悪人ごっこ】の舞台は人の多いところでないと、魅力が半減するからだ。

特に今日のプランには、観客はできるだけ多い方がいい。


だんだん、想像すればするだけ

自然と足取りが軽くなるのを感じ、体まで理性を投げ捨てたことに笑いを堪えつつも不信に思われない程度に歩く速度を早める。

そして、無意識のうちにビルの屋上やマンションのベランダへと視線を這わせた。

当然ながら、飛び降り自殺を目論む女子高生も人生に絶望したサラリーマンもいないそこはまるで何かを待ち望んでいるみたいにすら見えて。

彼らの存在が一つ足りないなぁなんて、特異にも程がある考えが静かに浮かんでは消えた。



ここで、ちょっと話をしよう。

所詮暇つぶしだ、気軽に考えてくれていい。


君は、悪とはなんだと思う?

もしくは

正義と悪、どちらかを選ばなくてはいけないとしたら、君はどちらを選ぶ?

正義とか悪とかは立場によって逆転するのが当たり前で、明確でわかりやすい定義なんて存在しないんだろうけど

あえて例えるなら俺は、正義は天高くにあって悪は地上にあるのだと思う。

人は上を見て歩くのを好むから大抵の人間は空を目指す。逆に、上を見て歩く人を自分達のいる地上まで引きずり下ろそうとする者が、悪であると。

それから、ここで忘れてはいけない一番大切なのが重力の問題だ。

重力はいつだって下向きにかかる。それ故に上へ進むのは難しい。

だが、上から下へ落ちるのは簡単だ。道を踏み外してしまえばいい。

面白半分に、道のない場所へ足を踏み入れれば。少しの勇気があれば。

俺たちは地上へーー悪になれるわけだ。

悪が人間を引き寄せるのか

誰かが人間を落とそうとしているのか

人間が悪になるのを望んでいるのか。

その辺はよくわからない。

だけどもし、俺が最初の問題に答えるとしたら。

俺は、迷いなく即答するだろう。


「ーーーーーーーーーーーだ」と。



『臨時ニュースです。本日18時ごろ駅前で女子中学生が男子小学生を切りつけるという事件が起きました。少年は頚動脈を切り裂かれ死亡し、少女は錯乱状態で自殺しようとしたところを警官に取り押さえられました。少女と少年は姉弟でーーーー』



初夏の風が吹き抜けるグラウンド。

僅かに温度が上がった教室。

テスト終わりで安堵しきった生徒たちの行動範囲内は、どこもかしこも音で溢れていて。


「……うっさい」


だからこそ、俺の機嫌は最高潮に悪かった。


きゃいきゃいと鼓膜を震わせる声が、不愉快さを煽る。

昨日の放課後は非常に楽しくて、その上ようやく勉強疲れからも解放されたというのに。


「わからなくもないけど

なんでお前賑やかなの好きなくせに騒がしいのは嫌いなんだよ。大差なくないか?」


努力はしたつもりだったけれどやっぱりどうにも耐えきれなくて、眉を潜め机に伏せた俺を

ちらりと横目で見たあいつは言う。

流石、今回のテストが「たいして難しくもなかった」らしいあいつは

騒ぐどころか、むしろテンションは低そうに見えるぐらいの落ち着き様だった。


「全然違うんだよー、賑やかなのと騒がしいのは。皆で楽しめるのと一部の人間だけが楽しいの、の違いというか……

俺が好きなのは前者なんだよ」

「やけに哲学的だな、今日は」

「そう?」


ため息まじりに発せられたあいつの声は、少しだけ驚いていて。

そんなに真面目なことを言ったのか、と

自分が『明るい奴』の演技を、一瞬でも捨ててしまっていた事実に若干悔いた。

だがあいつはたいして気にも止めなかったようで、特に興味もなさそうにただ黒板の上の壁掛け時計を眺めている。

釣られて顔を上げれば、自然と目に入ったのは13時10分を示す時計の針。

この後HRが始まって

先生からの短い連絡を聞いたらやっと放課後だ。

騒がしい空間に耐えなければならないのも、それまでの間だけ。

そう思うと少し楽になった気がして

俺はようやく体を起こす。

その途端、タイミングよく教室のドアが開いた。




「【・・】」

「おう、帰るかー」


予想通りHRは素早く終わり

あいつが俺を呼ぶのを見計らって立ち上がる。

それからおそらく二番目か三番目に教室を出て

歩き慣れた廊下を進んだ。

窓から差し込む太陽の光が

痛いくらいに肌を刺す。

青く澄み渡った、雲一つない大空も

全てを反射する、磨き上げられたガラスも

俺の目には何もかもが眩しく映って

本当に


「【・・】?」

「ん?ああ、今行く」


うっとおしくてたまらなかった。




「さて、と」


校門の前であいつと別れた俺は、いつもと同じく駅前を目指す。

本来、今日の予定に『あれ』は無かったんだけど、想像以上に嫌いなものに襲われる日だったから

昨日に続き、本日も敢行することにしたのだ。

とはいっても、急に決めただけあって

プランも何も決定していない。

行き当たりばったりな『悪人ごっこ』は

やっぱり初めてで。


「まぁ、悪くないかな」


見上げた眩しい空が、湧き出す愉悦に呼応するかのように、黒い雲に覆われていく。

それに意地悪く口元を吊り上げた俺を

期待に酔った脳内が「早く早く」と急かしていた。



『悪とは何か。』


今までに

何人もの偉い学者達が追求し続けた問い。

だけど、出た答えは酷くチープなものばかりで空論の域を出ていない。

例えるなら

人殺しをする奴は悪人だ。間違いない。だがもしもその殺された奴が凶悪犯だったなら、おそらく善意で手を血に染めた奴を君は悪人だと言い切れるのか。

ーーなんて。

苦笑いすら貰えないだろう答えが、議論の末に出た答えの全てだ。

くだらないと思わないか?俺は、くだらないと思うね。

なぜなら皆、心のどこかで善意で殺した奴が悪人だと知っているからだ。悪意も無く人を殺せるような奴が、正義である訳がないと。

じゃあ悪とは何か?そうだなぁ……


俺みたいな奴こそが悪、かな。



人ごみの流れに、逆らうことなく流されながら標的を探す。いつもは大体、どことなく不幸そうでストレス溜まってそうな奴を狙うんだけれど何故か今日に限って皆が皆「不幸真っ盛りです!」って顔をしていてなかなか決まらない。似たような選択肢から一つ選ぶというのは、結構難しいのだ。となると、騙しやすそうな奴か誑かしやすそうな奴を選ぶしかないんだけれど、


とん。


「あ、すみません!」


と、腹部に生じた軽い衝撃に視線を下へ下げる。

そこにいたのは、俺と同じくらいか少し下ぐらいの歳の女の子だった。

これだけの人ごみだ、人の勢いに流されているうちにぶつかったのだろう。俺も考え事をしていたから、避けられなかったわけで。


「ああ、こちらこそすみません」


小さく頭を下げてできるだけ丁寧に謝罪すると、彼女は慌てたようにもう一度「ごめんなさい」と口にして、何処かへ走り去って行った。その姿を思わず目で追った俺は、また前を向こうとして


そこで視界に入ったある光景に、思考の全てを奪われることになる。


「ーーーー、」


先ほどの少女が走って行った先に、一人の少年が呆れたように立っていて。彼女はその少年に駆け寄ると、安心したように微笑んだ。

幼馴染か何かだろうか、恋人というには少しぎこちなくて、ただの知り合いというには随分と親しげで。まるで、お互いの心を察しあっているような。

そんな、俺が大嫌いな眩しい光景がそこにあった。


「あー、畜生。最低だな俺は」


形だけの笑顔すら作れなくなって

浮かんでしまった最悪の感情を罵倒する。

今まで沢山酷いことはしてきた、それでもこれはあまりにも酷すぎるだろう。

だけど、もう抑えられないんだ。だってこの汚い思いこそが俺の本心で、真実で。

羨望とか嫉妬とか、苛立ちとか逆恨みとか

そしてそれ以上にどうしようもない愉悦とか

ーー嫌いじゃないって、わかってるから。


「人間失格、ってか?」


そんなの、今更だな。


そうやって自嘲して、俺はゆっくりと人ごみを抜ける。

勿論、先ほどの二人を追って。



俺は別に、不幸な過去は持ってない。

虐待されていたとか、いじめられていたとか、何かトラウマになるようなことがあったとか、お涙頂戴な理由でこんな風になった訳じゃない。普通の家庭だったし、普通の友達だっていたんだよ。

ただ、いつの間にか道を踏み外してしまって。

悪が俺を呑み込んで、正義が俺を見放した。

それだけの話。

だから同情なんてしなくていいよ。

さっき、「悪意も無く人を殺せるような奴が正義なはずがない」とか偉そうに言ったけど、俺はたった今、そんな最低な奴になったみたいだし。上にいる人間を引き摺り下ろす快感(あくい)よりも、決められた物語をかき乱す快感(きょうみ)の方が深いからさ。



『電車が参ります、白線の内側までお下がり下さい』


機械的なアナウンスと、危険を知らせる警報音が響くホーム。

ひゅうん、と風を切る音も遠くの方で聞こえていて、すぐにでも電車が来ることは誰の目にも明らかだ。

だからこそ俺は気付かれないように前へと進み、跳ねる心臓を抑えて笑う。

ああ、眩暈がする。ぐるぐると視界が回って、回って。


そして、俺は先ほどの少年の背を押した。


完全に油断していただろう彼の体は簡単に人ごみから押し出されて、目を見開いた彼が俺を見る。おそらく彼は俺のことなど何も知らない。俺が彼を知らないみたいに。知らない人間にどうでもいい理由で殺されるというのはどういう心境なのか。俺には想像もつかないけれど。


背後の観客が、少年を見て悲鳴を上げる。きっと彼らには自殺にしか見えていないだろう。俺の存在は、視認されていないのだから。


すぐ近くで一部始終を見てしまった、あの少女以外には。


声を上げる間も無く彼は線路へと落ちて行って、その目で自分に迫りくる電車の姿を確認して。目撃して。認識した時。

ぐしゃりと、鮮血が、舞って。


赤いホームに、少女や観客の悲鳴が木霊した。


「……、り」


呆然と座り込んだ少女が、少年の名を呼ぶ。

何度も、何度も、狂ったように。壊れてしまったかのように。


そして不意に彼女の、涙に濡れた目が側に立つ俺を見上げた。


そこにあるのは、どうしようもない悲しみと燃え上がる憎悪。

殺してやるという意思のこもった、『嫌う』なんてそんなレベルではなく。単純に壊してやると叫ぶその両目が、俺を写していて。

そういえばこの子は、俺がしたことを見ていたんだっけ。他の誰も気付いていないから、きっと少年の死は迷惑な自殺として片付けられると思うけど。

この子は、どれだけ否定されても馬鹿にされても、「あれは殺人だ」と言い続けるだろう。

正論を武器にする大人たちの声を無視して、なんとかして俺を殺そうとするのだ。大切な人を殺した、悪役の俺を。


自分で手を出したのは俺も初めてだった。いつもは、もうちょっと回りくどい方法と他人を使うから。でも今は違う。

恨まれるのは俺で、憎まれるのも俺で。

だからこそこんなにも、愉悦で愉悦で。


「あぁ、やめらんないな」


俺は、こうして醜悪な楽しみを享受する。

正義なんか振りかざしたって逃れられない、絶対的な悦楽。

それでも皆が、正気という鎖でがんじがらめにして押さえつけてるソレに満足して浸りきっている自分が、狂ってるのなんてわかりきってるけれど。


ーーでも、こうやって普通に生きて普通に死ぬよりはマシだと思わないかい?少年。


もうとっくに『人』ではなくなっている彼に問いて、俺は背中に突き刺さる少女特有の殺意を感じながらパトカーのサイレンが近づいてくる駅を出た。




そしてこの後物語は、全く予想していなかった事態へと走り出すことになる。


『昨日、少年が線路に飛び降りるという事件がありました。少年は全身を強く打ち付け、現在脳死状態となっています。辺りの乗客の証言では「少年は自分から飛び降りた」というものが最も多く、警察はこの事件を自殺と判断しーーーーーー。また、今回の事件のせいで電車は一時緊急停止し、合計約3000人の市民が被害を受けーーーーーー。』




「本当災難だったよねー」

「自殺するなら他人に迷惑かけないで、一人で勝手に死ねばいいのにね」


朝から話題は、昨日のことばかり。

「迷惑だ」とか「信じられない」だとか何も知らない奴らが、批判し非難していた。

事実を知っている身としては大変滑稽で、思いがけない騒ぎに感動すら覚えるんだけど流石にそれを口にすれば自白しているようなものだから、心の中で嗤うだけに留めて俺は普通に学校へ向かう。


「おはよ、【・・】。なんか機嫌いいなお前」

「はよーっす。うん、まぁ機嫌は絶好調だよ」


ちょうど靴箱であいつに会って、お決まりの挨拶を交わした。

そう、あいつが言ったとおり今日の俺は気分がいいのだ。だから退屈な学校も気に食わないクラスも、平気で耐えられる。


「騒がしいの嫌いじゃなかったっけ、」

「そりゃな。でもこういうのは、賑やかっていうんだよ。


賑やかなのは大好きだ」


にいと口角上げて言えば、あいつは呆れたようにため息を吐く。


「違いがわかんねぇ」

「えー?」


一部の人間が楽しいか、皆が楽しいか。

とか言って見ても、違いなんて俺もはっきりとはわかんないけどさ。




それから。

時は変わって、あの日から二年後。



「あーあ、」


最近の俺は、少し困ったことになっていた。

昔から困るとか大変とかには慣れていたけど、それにしても散々だ。


「まさか、こんな手を使うとはねぇ。手段選ばな過ぎ」


たった今すれ違った女子高生が薄っすらと漂わせたまだ乾き切っていない血の匂いに、俺はため息を吐く。


二ヶ月前の金曜日(きょう)、唐突に始まった最悪のゲーム。

人の過去を根本から探りまくった挙句に悪だったら死刑を持って裁くなんて、どこぞの独裁者みたいな遊戯が。

あろうことかこの学校の、このクラスで行われているのだ。


狙いも、いわゆる【判決者】ーー裁く側の人物の正体もわかってる。


おそらく狙いは俺で、判決者はあの時の。


少女。


「さて、どうしたもんか」


俺は頭の後ろで手を組んで、鼻歌交じりに歩き出す。向かう先は、今期入学したばかりの高校。


あの子は俺の外見を知っていても、名前や居場所までは知らないのだろう。だからこうも手当たり次第に裁いて……いや、違うか。

ただ、同罪なだけだな。俺も、少年の死を「迷惑」と罵った奴らも。


悪い奴を殺すための『断罪教室』。判決は終身刑のみ。実際に手を下すのは、きっと全国に何人もいる【執行者】。

大人の作った警察なんて組織じゃあ手を出せない、性質(たち)の悪い子供のゲームなのだから、俺がどう手を尽くしても勝機なんて欠片もないわけだ。

指名手配犯っていうのはこういう気分なのかもしれない。そう思えるほど手も足も出ない状況に、歓喜で心臓が打ち震えた。


見つかれば死ぬかくれんぼ。

こんなに楽しいこと、他にはない。


「とりあえず、いつも通り逃げ回るとしようかねぇ」


肩から下げた鞄の中には、家にあった鋏が二本。

一本は、刃こぼれした時の予備に。

もう一本は、ーーーーーー


まぁ、大体想像つくだろ?



今朝発表された【容疑者】の中にあった、あいつの名前。俺が見てきた限りあいつが

死刑になるはずはないんだけれど、当の本人は「有罪、終身刑だろうな」と口にした。だから俺は、判決をいち早く確かめるために学校へ向かっている。

あいつが無罪で、ただ巻き込まれただけだというのはあいつ自身よりも俺の方が知っていた。でも「有罪だ」と思うだけの自覚があるのなら、その原因を知りたかった。


「親友だから。

……とかだったら綺麗かもな」


親友とか、このゲームとか、少年の死とか、少女の憎悪とか。

俺にとっては何もかもが喜劇で悲劇。ただそれを、特等席から誰よりも早く観たいってだけ。

それから脚本を掻き回すのだ。役者も全部巻き込んで気付かれないようにこっそりと、ハッピーエンドからバッドエンドへ。






金色の三日月が、地上這いつくばる人間をあざ笑って夜空に浮かぶ。そして暗い体育倉庫の中に、見慣れた後ろ姿が映し出されていた。

そう、何度も『悪人ごっこ』を始める前に見送った背中。


わざと音を立ててドアを開くと、あいつはゆっくり振り返って目を見開く。俺が殺した少年が見せたのと同じ、信じられないものでも見たような表情。


「お前、なんでここに」

「うーん、よくわかんないんだけどさ」


倉庫に入った途端に広がった、濃い血液の匂いにむせ返りながら足を進め後ろ手に隠した鋏を握る。

手のひらに伝わる冷たくて硬い鉄の感触が、快楽に浮かされた頭を冷ましていった。


いつも演じてる純粋な笑顔で、一歩一歩前へ。


「とりあえず、アレだな。うん。


ご愁傷様。」


え。とあいつの唇が動きかけたのを見て、俺はその腹部を蹴り飛ばす。突然のことに反応しきれなかったあいつは折り重なった体操マットへ倒れこんで、驚愕の表情を見せつつもポケットの中へ素早く手をのばす。

多分、本能かなにかだろう。きっとポケットには刃物か何かが入っていて。危険が迫ったら殺せっていう野生動物みたいな感覚と、罪人を殺すことを迷わないーー迷ったとしても従わざるを得ない、【執行者】としての衝動がこいつにはあって。

対して俺は、正真正銘の罪人で。

握りこまれたカッターナイフがちらりと視界に入ったけれど、気にせずマットの上に乗り上げてあいつを見下ろす。こいつをこんな位置から見るのもこうやって殺意を向けたり向けられたりするのも初めてで、溢れる愉悦が体を突き動かした。


真っ正面から争ったら【執行者】のこいつには絶対に敵わない。殺人のための人形と隠れてこそこそ企む小心者じゃその実力差は歴然だ。だけど。


騙し合いなら話は別。


「じゃあな、【執行者】」


ぴくり、とあいつの手が一瞬止まる。予想していなかったのか、それとも、まだ俺には隠していたかったのか。自分が【執行者】であること、人を殺せる人間であることを。

ただ、俺が欲しかったのはそんな葛藤ではなく、ほんの少しの勝機だった。


片手で肩を押さえつけて、別の手で鋏を振り上げる。月の光が刃に反射して、同時にカッターが俺の首筋へと真っ直ぐに迫っていた。

俺は、笑う。二度目だというのに未だになれない緊張感を笑い飛ばす。

それから、大した躊躇もなく鋏を突き刺した。

何度も、何度も、何度も。

もう生き返らないように。


「ーーーーーっ、」


なんて、小さな声があいつから聞こえたのは、最初の三回だけ。でも俺は、不思議なことに手を止めはしなかった。

死んでいるだろうに、刺すたび反動で跳ね上がるあいつの体。からんと床に転がったカッターナイフ。


「は、はは。

ははははははははははははは」


やっと手を離したときには服も顔も血にまみれていて、不快感と快楽に笑いが止まらなかった。ああ、殺した。殺した。殺したんだ。


「あ、ははははっ。はっ。

ーーーー……あーあ。殺しちまった」


自分自身でも軽く驚くぐらい低い声が、鼓膜を震わせる。

なるほど、刃物で殺すというのはこんな感触だったんだな、知らなかった。

とりあえず、好きな感じではなかった。

無論、嫌いでもないけれど。


「久しぶりに人なんて殺したよ」


悪いな、でも楽しかったよ。今までありがとう。どうも、お疲れ様。


あぁそういえば、放課後書き換えておいた『体育倉庫にて判決』の文字、消しにいかなきゃなぁ。


足を止める時間も勿体無くて、俺は思い浮かんだ『やること』を終わらせようと

動かないあいつに背を向けた。



さて、彼女が俺を殺すのはいつの日になることやら。とりあえず、見つかって殺されるまでの間は、思いっきり楽しむとしようか。


そう笑って、俺は体育倉庫のドアをきっちりと閉めた。


「バイバイ」


はい!読んで下さってありがとうございました、紅葉です。

今回で【判決者】の正体はわかりましたか?わかりましたね?

そして第一作目の『断罪教室』とリンクしておりますのでそちらもどうぞ!(宣伝かよ)


ご意見ご感想、いつでもお待ちしておりますー!

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[良い点] タイトルにひかれ、読ませてもらいました。 一人称なのに、最後まで主人公の「本当の心」が見えず、とても不思議な気持ちになりました。 [一言] ここまで素晴らしい文章を書けるのが羨ましいです!…
[良い点] 始まりから終わりまで引きつけられる作品でした…。 胸の高鳴りが抑えられません(笑) 紅葉さんの文章力がだんだん天に近づいている気がします。そのまま神様になってしまうのですか?←興奮しすぎて…
[良い点] ほんっとに、巧いですね……。 ゾクゾクしました。そして見事に外れる僕の予想←
2013/06/23 23:50 退会済み
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