Sunday
「心ひらく鍵のありか」その後
「……おい、おきろ」
耳元で、誰かが起こすの。
――……どうして起きなきゃならないの。
――……こんなにあったかいのに、ぽかぽかなのに。
――……懐かしいような胸がきゅぅっとするような香りにつつまれているの。
起こさないで……
「み、ゆ、き。起きろ!」
ん……真雪の声。
ま、ゆきの……?
「え?」
目を開ける。
ルームライトに一瞬目がくらむけれど、すぐそこにある端正な眼差しに驚いて、目を閉じることができない。
「真雪……」
私が呟くと、真雪は顰めていた綺麗な眉をもどして、ふっと息をついた。
「明日、仕事なんだろ?そろそろ風呂入って、ちゃんとベッドで眠らないと風邪ひくぞ?」
「……」
寝起きのぼんやりした頭で周囲を確認すると、ここはリビングのソファー、しかも真雪のひざの上でぽてりと胸に頭を載せている状態だった。もちろん互いに服は着ている。
ルームライトに照らされて、部屋のすみにある時計に目をやると、午後10時を過ぎたところ。
「あ……私、寝てた?」
ぽつりと言った私の言葉に、もういちど真雪は息をついて返事する。
「そ。好きだって告白して、合鍵くれて、ほっとしたように俺の胸に身体あずけて、ちょっと話しているうちに、ひとりでに寝た」
真雪のなんだかちょっと不満げな声に、身がすくむ。
私は真雪の服のすそをちょっと掴んでおずおずと顔を見上げた。
「あの……ごめん?」
「別に」
「なんだか……真雪が怒ってる気がするんだけど…」
真雪はちらっと私に視線を送って来た。軽くだけど、睨むような目つき。
「告白直後ですやすや眠られるとは思わなかっただけ」
「……う、ごめん。昨夜ほとんど寝られなかったから睡眠不足で……」
昨夜は、まさか私と真雪がこんな風になるとは思わなくて。
とにかく真雪がこの家にたずねてくることで緊張と嬉しさと困った気持ちでないまぜで、家中掃除して疲れていたのに興奮して眠れなかったのだ。
「あ、の、本当にごめん。なんていうか、いいとこで寝落ちって…なんだか、ねぇ?」
取り繕うように笑みを浮かべたものの、フォローしようがない。
そんな私の顔を、しばらく見つめていた真雪は、私の顔に長い指を伸ばしてきた。
すっと頬をさすったかと思うと、
「んっ」
突然、鼻を軽くつままれる。
「ふぁに、すんのっ!」
抗議の声をあげると、ぱっとはなされる指。
同時に、ふいに顔が近付いたかと思うと、真雪の唇が私のそれに降ってきた。
「んんっ」
間近に迫る、真雪の長いまつ毛。
塞がれた唇は、強く押しあてられ、唐突な行為に私は息が詰まる。呼吸ができなくて、「んくっ」とつまるような声が漏れ出る。
私が息苦しそうなことに気付いたのか、真雪は唇をずらして、息をする隙間を与えてくれた。
濡れ始めた唇の間から、ひんやりした空気をのみこみ、湿った息を吐く。
私が息をして落ちつくと、また、角度をかえてぴったりと合わされる唇。真雪が私の頭に手を添えて、隙間を埋めあわせるように口づけをすすめてくる。
――……ちょっと、キス、手慣れてるよね…。
一瞬、よぎる想い。
そんな自分の中に湧きあがる、苦いやきもちのような思いに蓋をして、私はぎゅっ目を閉じた。
しばらく互いに唇を味わうようなキスをする。
どちらともなく唇をはなしたとき、真雪と眼差しが交わった。
「……真雪?」
黙ってこちらを見下ろす真雪の唇は、キスした名残りで紅く艶めいていた。怜悧な真雪の顔にその紅い唇は色っぽくて、ぞくっとする。
呼んでも黙ったままの真雪に、私は小首をかしげてもう一度「真雪」と名を呼んだ。
真雪は少し目を細めた。そしてその艶やかな唇を開いた。
「これからは……無防備に寝るなよ」
ぽつんと真雪はそう言った。
その声色は、真面目なもので、キス直後の甘い睦言のようには聞こえない。
私はうかがうように、真雪の瞳を覗き込んだ。
真雪は私の瞳から逃げるように目を伏せた。
「もう……弟じゃないんだからさ。簡単に膝の上で寝顔をさらすな」
そう告げると、真雪はわたしを膝からおろしてソファに座らせると、自分はすっと立ちあがった。
私は次の言葉がでてこなくて、真雪の顔をただ見上げる。
密着していた頬や身体にすっとした空気が触れる。
今までそばにあったはずのぬくもりが、真雪の顔が……この瞬間、離れて遠いものになってしまったようで、私は胸がきゅぅと寂しくなった。
「そんな顔、するなよ」
真雪は私を見下ろして、そう言った。
眉根を寄せているのに、真雪の顔は険しくなくて……。それは、どちらかというと困ったような表情で。
誘われるように、私はたずねる。
「そんな顔って、私、どんな表情してるの?」
私の言葉に、真雪はまた目をそらして口を開いた。
「……もの欲しそうな顔」
「なっ……」
「……まだ足りないって顔」
「そんな顔、してないわよっ」
「……もっとキスしたいって顔」
「こらっ!真雪!」
私が声を荒げると、真雪が眉根を寄せたまま「嘘だよ」と呟いた。
そして、こちらを見ると、微かに笑った。
それは、あまりに自嘲的な笑い方で。
切ないような微笑みで。
「そんな顔してるのは……きっと、俺だ」
「!」
私が息をのむと、真雪は目を伏せた。
そして真雪は身をひるがえして「ごめん、先にシャワーかりる」そう小さく言って、リビングを出て行ってしまった。
ソファにへたりこんだまま、私は茫然とする。
――……真雪って、男だったんだ。
いや、そんなのは、わかってた。
『男』だと否応なく意識させられて、私は義姉の立場でいるのがつらくなったんだから。
声がわりした低い声も、節張った大きな手も、筋肉がほどよくついた腕の逞しさも、頼りがいがありそうな広い背中も、いつも私に真雪が男だと突きつけてきたんだから。
今、あらためて男だって実感したのは……。
真雪も――……私を女として見て、反応するっていうことを、初めて知ったから。
真雪にとって、私も「女」だったんだ……。
真雪が男であること、私が女であること。
それは「家族」として、姉弟としての関係の中では、こだわることを避けていたことだった。意識することをあえて、伏せていた。
でも……今日からは違うんだ。
真雪は「男」として、想いを告げてくる。私を女として扱って、触れてくる。
そして、私は……。
真雪が消えていったリビングから廊下に続くドアを見つめながら、自分の唇に指先でそっと触れてみた。
濡れた唇。私のものか、真雪のものか、もうわからないほど混じり合った、唾液。
――……私も女として、真雪に触れていくんだ。
――……夢見るころを過ぎて、現実に、恋が始まったんだ。
濡れた唇が、はっきりと私と真雪の新たな関係のスタートを告げていた。




