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心ひらく鍵のありか  作者: 朝野とき
心ひらく鍵のありか
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 真雪が好き。

 本当だったら、近寄って、その大きな手に自分の手を重ねてみたい。

 その胸に、ぽてっと自分の身体をあずけてみたい。

 許されるなら、だきついてみたい。

 その逞しいかたぐちに両腕を巻きつけてみたい。


 何をされても……許してあげられると思っていた。

 

 小さな頃から、真雪がいろいろとイタズラしても、忘れん坊だったりしても。喧嘩やいざこざでも。

 


「姉さん……そんな、清楚ななりして、枕営業もやってる……わけ?」


 その言葉が、真雪の掠れるような声で上から降ってきたときすら、最初はぼうっとしていた。

 真雪の掠れ声はあざ笑うような色なのに、どこか甘いように感じて。

 

 でも……その言葉の意味を頭が理解したとき……私は初めて、怒りを感じた。

 何かが振り切れるような、衝動と、突き抜ける熱。 


「馬鹿にしないで!」


 そう叫ぶと同時に、私は足を振りあげて、真雪を……。

 大好きで、大好きで、いつもすべてをあげたかった真雪を、渾身の一撃として蹴りあげた。

 まさか真雪も私が下から蹴り上げるとは思っていなかっただろう。無防備だった彼の下腹部に、私の足の膝がまさにがっつりとはまる。


「っっ……」


 私の上で、真雪が顔をふせるようにして崩れた。

 ずるずると下がってゆく真雪に、私は茫然としてしまう。


 ――……蹴ったのは私、なんだけど。

 ソファの上にただよう、沈黙。

 

「あ、あの……」


 私は、おずおずと声をかけた。

 真雪は片手で顔を押さえてガクッとソファに崩れている。


「ねえ、さん……」


 呼ばれて、ビクッとする。


「は、はい」

「……痛い」

「う、うん…。で、でも、あやまらないからねっ!」


 真雪は顔を押さえたままで表情が見えない。黒い髪がサラサラと揺れている。私はソファの隅でまるくなりつつ、真雪の様子をうかがう。


 『痛い』と言われて、胸がツキンとしたけれど、私はあやまる気はなかった。「枕営業」……性的な関係で業務をすすめているなんてこと……ちょっとでも思われたくなかった。

 さっきの結城さんや伊崎課長との電話で、何か妙な勘ぐりをしたにしても…飛躍しすぎだ。私は…私への侮辱とともに、結城さんや伊崎さんへの侮辱にもなることに、怒っていた。


 真雪はふせたまま、口を開いた。

 

「……姉さんがあやまらないっていうことはさ」

「う、うん?」


 少しの沈黙。

 そしてまた、言葉が続いた。 


「そういうこと、してないって思っていいんだよな?」

「はあ?」

「仕事上の人間と……」


 うつむく真雪のくぐもった言葉に、私はふたたびムッとして声をあげた。


「いいかげんにして!私は好きじゃない人と寝たりしない!仕事上だとかで身体をつかったりなんかしないっ!」


 大きく叫んで、息をついた。

 こんな声をあげて喧嘩みたいなこと……何年ぶりだろう。


「真雪……何を勘ぐってるの。どうして、そんな極端な解釈するのよ…」

  

 私はすこし声を落ちつけてから、真雪にたずねた。

 真雪はもそもそと動きだし……そして、ふっと顔をあげた。

 ふてくされた、顔。

 鋭い目は、まるで私を睨むかのようだった。


「……美幸…。姉さんの、恋人ってどんな奴なの?」



 ***


 

 ソファの上の端と端。

 右側は真雪、左側は私がいる。

 まんなかには微妙なすき間。


 そこに、空調は動いてないはずなのに、微妙な風が通り過ぎる。


「恋人……?」


 私がたずねなおすと、真雪はざっと長い脚を投げ出すようにして座りなおして、上半身は背もたれにどっかりとゆだねた。


「そう、恋人、彼氏、男」

「恋人?……彼氏?そんなの……5年前につきあった人はいるけど……」

 

 どんどん男っぽく色っぽくなる真雪を忘れたくて大学4年のときにしばらくつきあった大学の同窓。優しい人だったけれど、私も彼も就職したら忙しくなって、半年で自然消滅になった。

 もう5,6年前の人だ。それを今更、どうして?


 さっきの真雪らしからぬ「枕営業」って言葉や、とうとつな「恋人」とかの質問……。

 真雪の中で、「私」という人間がどうなっているのか困惑した。


「5年もつきあってるんだ……やっぱり結婚も考えてんの?」


 真雪の言葉に、私は頭のなかが疑問符でいっぱいになる。


「何言ってるの?つきあって別れた人、なんだよ。結婚?そんな予定、まったくないよ……」


 私が答えると、真雪はちょっとこちらを見て目を細めた。


「隠さなくていいよ?もしかして……母さんたちにバレたら困るつきあい?」

「は?」

「歳の差……とか、まさか不倫とか?」


 真雪の唇からこぼれ出る言葉に慌てる。

 

「待って、あの、真雪!?何いってるの、なんか、すごく誤解してない?私には恋人とかいないってば!」

「誤解?何が?」


 私は真雪に少し近づき、顔を覗き込んだ。

 黒い瞳と私の目線が合った時、真雪の方からすっとそらした。

 

「真雪?」


 その目のそらしかたが不自然で、私は後を追うように真雪の方に乗り出した。ちょっと身体が近くのが気恥かしいけれど、何か大きな誤解があるようで、それは取り去りたかった。

 ……だって、「枕営業」だとか「歳の差」「不倫」ってどうやったら私からその言葉が浮かぶのか、知りたくて。


 目線を追うと、真雪はさらに、顔をそむけるようにした。


「こら、真雪。こっち向きなさい!」


 つい、昔の……こどもの頃のように、私は真雪に言葉をなげつけた。

 しまった…と思ったものの、不思議なことに真雪はふてくされた顔をしながらも私の方を向いた。


「姉さんこそ……男がいるくせに、男に近寄って見上げてくるなんて……いいのかよ」


 すねたように言った真雪の目尻は微妙に紅い。

 まるで拗ねるより、照れてる?……と思うような表情に、私は首をかしげた。

 首をかしげたまま、真雪を見上げる。


「まゆき?」

「――っ」


 私が名を呼ぶと、真雪の頬がさっと赤らんだ。そして、また目をそらす。


「そ、れ、以上……近づいたら……」

「近づいたら?」


 私がたずねなおすと、真雪がごくりといちど息をのみこんだ。そして、ぼそっと言った。


「襲うぞ」


 ……。


 私はじっと真雪を見つめた。

 真雪は目線をそらしたままだ。

 私は……。


 私は、じり、と近づいた。

 上体をそっと真雪の方へ。


 真雪がビクっと震えた。


 次に私はそっとスカートのまま、ソファの上をにじりよった。


 ギッとソファが鳴る。

 私も真雪も黙ってる。


 なのに、耳から互いに響き、聞こえる。

 うるさいくらいの――……鼓動。

 息をつめているのに、ときどき漏れる吐息。


「襲うって言ってる!」


 二人を遮るように、真雪が怒鳴った。

 声変わりしてから、はじめて聞く真雪の怒鳴り声……男の声。


 でも、何も怖くなかった。


「さっき、私のこと、押し倒したじゃない」


 そう、平坦に言える自分がいる。

 ――……平坦?ううん、違う。ドキドキはしている。緊張もしている。


 ただ、違うのは。


 真雪のその表情。

 明らかに、私という存在を意識した顔。

 離れようとするのは、「私」を感じているから。



「真雪……」

「ね、え、さん!ちか……よるな」


 最後は気弱そうに顔をそむける、真雪。

 ねえ、さっき、キッチンで私を囲ったじゃない?

 大きな胸板、大きな手、しっかりした首筋、長い脚、綺麗な顔、深くよく響く……いい声。

 こんなに凄い素敵なものをそろえていて……何を怯えているの。


 私は。

 私は――……。



 いま、ここで迷いをふっきってしまった。



「真雪になら、いいよ……って言ったらどうする?」

「っ!」


 真雪は、私の言葉の真意をはかるように……そっとこちらを向いた。

 困惑している瞳。

 黒い瞳。

 でも、その中に私は明確に真雪の……欲を読みとる。

 『期待』している。私との時間を。


 ――……少しくらいは、私を女として見てくれてると思っていいの?

 



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