表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
心ひらく鍵のありか  作者: 朝野とき
心ひらく鍵のありか
2/23

 マンションの部屋に二人で戻り、真雪が泊まってもらう予定の部屋に荷物を置いた後、リビングで温かい飲み物を入れることにした。

 真雪が首にまいてくれたマフラーも、さりげなく部屋のハンガーにかけておき、真雪が客間にもどって来たら気付くようにしておく。

 ほんのちょっとの間だったけど、あたためてくれたマフラー。「ありがとう」とも言えなかった。

 ――……ま、そんな可愛らしい対応、似合わない私なんだろうけど。 

 

 そっとリビングに行くと、真雪はサッシ窓から外を眺めていた。

 こちらのマンションに来るのは初めてだから物珍しいのだろう。東京郊外に立つこのマンションは、高台に建っているせいか遠くに都心のビル、そして移り変わる街並みが見える。

 逆光となった広い背中の後ろ姿を見ていると、このマンションに女友達以外に来てもらったのは初めてのせいもあるのか、男性の気配に違和感があるような……遠い昔、父がいたころを思い出して懐かしいような、不思議な気がした。


「ここに、姉さんと母さんと……姉さんの親父さんが住んでいたんだ?」


 キッチンのカウンター越しに見える真雪が、私に話しかけてきた。

 私は、真雪のためにコーヒーをドリップする手に気持ちを集中するように心がけながら、さらっと返事をする。


「うん、父が遺してくれたマンションともいえるね。私が5才くらいで引っ越してきて、10歳で父が亡くなって。その後母さんと二人で住んだのも5年くらいかなぁ。真雪と父さんたちと新しい家族となってこのマンションを出ること決まった時も…思い出深すぎて引き払えなくて。人に貸してたんだけど、私が就職で実家を出る時に、母が使えるようにしてくれたの」


 ……一人暮らしに3LDKなんて贅沢すぎるけれどね、そう付け加えながら、私は真雪の前にコーヒーのカップを置いた。


「いつも使ってるマグカップでごめんね?おしゃれなコーヒーカップなんてなくて。」


 そう言ってから、私は真雪の前に彼が好きな琥珀色のコーヒーシュガーを詰めた瓶を置き、またキッチンに戻った。

 そして自分用にホットミルクをつくる。

 私はコーヒーや紅茶を飲めない体質だった。飲むとどうしても胃の調子が悪くなってしまう。


 あたたかいホットミルクの入ったパステルピンクのマグカップを手にすると、冷え切った指先があたたまる。私はふぅふぅ息をふきかけつつ、ソファにかけている真雪からは離れて、ダイニングの椅子にこしかけて真雪の方を向いた。

 真雪がコーヒーを飲んでいる。彼が使っているのは、私がいつも気分でつかいわけている色違いのマグカップの一つだ。

 淡い水色の大ぶりのカップも、彼の手がもつと小さいカップに見えるから不思議だった。

 水色のカップを使う真雪とおそろいの色違いのピンクのカップを使う私。

 本当は黄色もあって三色違いのセットなんだけど、なんとなくいまだけでも水色とピンクでまるでペアみたいに使いたくて、それだけを食器棚からだしてみた。


 ……あぁ。自分でも少女趣味だなって思う。ペアのマグカップを使って喜ぶなんて。

 でも、こんなこと、誰にもわかりはしないし、真雪も気付きはしないだろう。


 いつもは漂うことがないコーヒーの苦みを感じさせる匂いと、馴染みのホットミルクの甘い香りが混じり合ったリビングで、私は黙って熱いミルクを飲む。

 ふぅふぅと息を吹きかけてさましつつ、少しずつ少しずつ唇、口、身体をあたためるように飲んでいて、ふと、目をあげた。

 真雪がこちらを向いていた。 

 ――……その黒い瞳は…いつのまにか、私に照準があっている。

 

 ドキリ、とした。

 でも、それを感じさせるような動揺する気配をみせたくなくて、必死に心を落ちつかせる。そして、気持ちをかためてから、


「何、真雪?」

 

と、声かけて私は彼の瞳を、あえてまっすぐに見返した。

 真雪はじっとこちらを見る。真剣なまなざしのまま口を開いた。

 

「相変わらず、コーヒー飲めないの?」

「あ、うん」


 真雪の言葉に肯定の返事をして、私はハッと気付く。


 コーヒーを飲まないのに「コーヒー豆」があってわざわざドリップして出したのって変じゃない?

 これじゃまるで「真雪のために用意しました♪」って受け取られるんじゃないの……と思った瞬間、私はあわわわわと言葉を並べたてた。


「わ、わ……わたしは飲めないままだけど……。と、と、友達が、こ、コーヒー好きで!」


 どもりまくりながら言い終えた後、またこんなに慌てふためいて言うほどのことでもないということに気付いた。「お客様用に用意しているの」とさらっと答えれば良かったんじゃないか……。

 息をのんで真雪の様子をうかがうと、真雪はさっきの鍵をわたしたときと同様に、こちらを見透かすような瞳をした。

 胸が高鳴る。

 まるで、射止められるみたいに見つめられる。

 

 私が嘘ついてるって、真雪のために用意したってバレちゃうんだろうか。あぁ、その前に違う話題を出そう!

 

 私は真雪の視線から外れるように立ちあがり、そそくさとマグカップを持って流し台に立った。そしてさりげなさを装いつつ口を開く。


「今日の夕飯は、どうしよっか。東京にいる友人とかと出かけたりするのかしら?ここで食べるなら、一緒に作ってあげるけど?」


 ……『作ってあげる』なんて高飛車な言葉を言うのはなれなくて、口がもごもごする。というより、本当は食材買いすぎて「作らせてください」「食べてください」とお願いしないといけないくらい、冷蔵庫がいっぱいいっぱいなんだけど。でも、それは心にしまって、マグカップをカチャカチャと洗う。


 そのとき、流し台に影が降りた。


 顔をあげると、キッチンに真雪がマグカップを片手に歩み寄ってきた。

 カウンター越しにではなく、流し台の方に入ってきて、食器棚とキッチン台にかこまれた限られたスペースに、まるで私の出口をふさぐように真雪が立つ。


 見上げないといけない、黒い大きな影。

 見上げればきっと、また真雪の瞳と視線を交えないといけないことを恐れて、私は、目の前にまでちかよってきた真雪の胸あたりに視点を定める。

 そして手をだして、

「カップ、かして。洗うから」

と、早口に言った。


 私の言葉に、真雪はカップを持つ手をゆっくりとこちらにのばしてくる。

 それを受け取ろうとした瞬間。


 ……え。


 真雪はさっと、私の横側に左手をつき、私を囲うようにして右手のカップを流し台に置いた。

 私はキッチン台を背に、自分の両側を…真雪で囲われている。

 目の前に近づくのは、真雪のグレーのシャツの胸元。

 

「な、なにっ」


 キッチン台に囲われるように近づかれて、私は真雪の身体の大きさと逞しさに気付く。胸元から視線をあげると、シャツが開いて垣間見える鎖骨から、喉仏、顎に続く鋭い男らしいラインが目につく。

 それがキッチンの照明に陰りがでて、妙に色気があるように見えてどきどきする。


「ど、どいてよ」

 私は顎までしか視線をあげられなくて、口でまくしたてるように抗議した。

 どうしてこんなに近寄ってくるの。

 カップを返しにくるくらいで、私を捕えたようにかこってしまうなんて。

 真雪にとってはからかうような行動だったとしても、私にとっては心拍数がはねあがることだった。だって、真雪の息づかいが、大きな身体からほんのりと空気を伝わってくる熱が、香りが、私にふりそそいでくる。


 真雪は、そこでしばらくじっとしていた。

 そして、何を思ったのか、そっとかがんでさらに顔をちかづけてきた。ぎゅっと目をつぶると、真雪の髪が頬をなでた。

 そして真雪は、シュシュで髪をまとめあげて剥きだしになっている首筋に顔をふせてきた。

 触れてはいないけれど、真雪の髪の先が首筋や耳元をくすぐり、息がかすかに皮膚をなでる。


 その親密な行動に、私はさらにぎゅっと目をつぶり、真雪の髪からかすかにただよう嗅ぎ慣れない香りにドキドキする自分を封じるように唇も噛んだ。さっきマフラーからほんのりと香っていたかおりが、もっと濃く確実に私を包み込んで、気を抜くと、口から息がもれでてしまいそうだった。


 そんな私に真雪は耳元で、囁いた。

 耳たぶに微かにかかる真雪の息はあたたかくて、くすぐったい。


「コーヒー、うまかったよ」

「……」


 真雪はそれだけを言うと、すっと私を囲うようにキッチン台についていた両腕をはなし、姿勢をなおして離れていった。

 間近にあったぬくもりが消えてさびしい気持ちと、ほっとして脱力する気持ちが交差する。

 ふぅ…と気がぬけて息をついた。

 そんな私を見下ろしていた、真雪はほんの少し微笑むようにして言う。


「カップ返しにきただけだよ。なに、緊張してるの?」


 今度は、真雪は綺麗に微笑んだ。

 薄めなのに赤味が適度にさした形の良い唇が、優雅に弧を描く。つい見惚れてしまう、そんな艶やかな笑み。

 私は誘われるように、一瞬呆けて見上げてしまう。


 真雪……初めて出会った時は11歳の声変わりもまだの少年だったのに、あれから約12年……こんなに艶っぽく笑えるようになったの?


 私が見上げていると、真雪はさらに笑みを深める。長いまつ毛は黒くて、少し目尻のつりあがった瞳は澄んでいて……瞳をそらせない。


 そのとき、背後の流し台の蛇口からポタリとしずくが落ちる音がした。

 ハッと我に帰る。


 ――……駄目だ。真雪に見惚れてのみこまれてしまってた!


 私は一度息をのんでから、目を伏せる。

 そして、冷静さを装いつつ、

「それで……夕食はどうする?」

と、告げた。

 そして、真雪の視線から逃れるために、真雪の横をすりぬけて冷蔵庫を開け、食材を探す仕草をする。


 斜め横から、冷蔵庫を開ける私を真雪が見ているのを感じる。

 まさか冷蔵庫の中身が気になるわけでもないだろうし、なぜ見つめられるのかわからないものの、私自身も挙動不審な態度をなんどもとっている自覚があるから、いたたまれなくなって、私は自分から口を開いた。


「ここで、食べるの?それとも、誰かと食べに行く予定あるの!?」


 つっけんどんな言い方になってしまって、ここまでツンツンした言い方しなくてもいいじゃないの……と、自分に突っ込みをいれてしまうけれども、どうしようもない。

 私はそのまま冷蔵庫を閉めて、真雪の方を向いた。


「今、見えたと思うけど、冷蔵庫に食材もいっぱいあるし、遠慮は無用よ。今週、私も忙しいから帰宅も遅いだろうし……食べちゃわないと」


 ため息混じりにそんなことを言う自分が、本当に可愛い女じゃなくて、涙がでそうになる。

 でも仕方がない。


 変に近づいて真雪のことが好きだって言ってしまったら。

 この溜めこんだ気持ちをぶつけてしまったら……きっと、皆が困る。

 再婚して幸せに暮らしている両親も。真雪も、私自身も。

 子持同士で再婚するだけでも、両親は互いの親戚や知人から詮索やおせっかいな言葉をかけられることが何度もあった。やっと10年……そういうこともなくなって、私と真雪もそれぞれ成人して、両親も穏やかに夫婦旅行に行けるようにもなって。 

 そんなときに、万が一、私の想いが真雪や両親にバレて……そして気まずい雰囲気の家族になったら…。私の行動が、せっかく出来上がりつつ家族を壊してしまうんだったら、無い方がいい。

 両親の再婚で兄妹または姉弟になった場合、結婚もできるのは知っている……がむしゃらに調べまくった時期もあるから。

 でも、だからといって、好きな気持ちを一方的に押し付けて、そして、家族としての絆すら失ってしまうのは……嫌だった。

 

 そういう躊躇する気持ちと、自分の気持ちを押し隠そうとすることで、私の態度はますますツンツンしたものになってしまう。

 普通に、柔らかな「姉さん」としていられれば……それこそ、穏やかな姉弟になれるのに。そこまで気持ちをコントロールできなくって。


「いちおう、魚もある。ブリが安かったから」


 魚屋でわざわざ選んだことは伏せて、つっけんどんに言ってしまう。

 『真雪が魚料理を好むから用意したの』と素直に言ったって、何もおかしくないのに。久しぶりに会う弟の好物を用意したって、何も不自然じゃないのに。


 いちいち小さなことで包み隠したくてツンツンしたり、さけたりするのは……私の中でやましいからだった。

 『真雪が好き』『弟してじゃなくて、男として見てしまう』ということを悟られたくないだけ。

 それだけで、私は真雪にヒステリックな対応をしている。


  

「ここで、食べる」


 真雪がそう言った。

 私が顔をあげると、真雪はもう笑っていなかった。

 それよりも、まるでこちらを睨むような挑むような表情をして、


「昼は会社まわってて無理だけど、朝も夜も、ここで一緒に食べる。姉さんが仕事から帰るの遅いっていうなら、俺が作ればいい話だし。夕飯も待ってる」


と、言い放った。

 真雪はそのままふてくされるような顔をして、


「何か不服?一週間くらい、久しぶりに会う弟と、一緒にメシ食おうとは思わないわけ?姉さんこそ、外食や飲み会の予定がバンバン入ってるとか?」 

 

と続けざまに言う。

 さっきの艶っぽい微笑みとはかけ離れた、ちょっと子どもっぽい拗ねたような表情は、出会ったころの小学生の真雪を思い出させた。

 懐かしいのと、切ないのと…気持ちが交差する。

 昔、真雪がすねた表情を見せたのは、再婚して「姉」として存在する私との距離を決めかねてのことだった。すねつつも、結局はおずおずと私についてきてくれた。

 でも今は……あまりの私のツンツンした態度に、真雪もさすがにイヤになった上でのふくれっつら。自分の態度のせいだけど、胸がちょっと痛い。


「遅くなるけど……私も家で食べるよ。もともと基本、自炊だし」


 私がそう苦笑して言うと、真雪は表情を崩さないまま、目をそらした。鋭利な刃物のように煌めく目をそらされると、見つめられるのとは違ったつらさがあった。

 ――……本当に、見切られたような気持ちになる。


「じゃあ、夕飯作る頃になったら、呼んで。手伝うし」


 それだけ言って、真雪はすっとリビングを出ていってしまったのだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ