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心ひらく鍵のありか  作者: 朝野とき
零れ落ちる時のありか
18/23

Friday 1

 

 二人で布団を並べて、清らかに夜が明けて、互いにちょっと寝不足気味な顔のままで「おはよう」と言った、金曜日の朝。


 明日には真雪が帰ってしまうのだと思うと、パジャマ姿で眠たげにあくびをしている横顔すら切なくて、心に刻んでおきたいと思う。前髪をかきあげる仕草も、布団をたたみ客間まで運んでゆく後ろ姿も、すべて。

 我ながらセンチメンタルに陥りすぎって笑い飛ばしたいけれど、昨晩の指先への口づけの熱さが残っていて、笑うに笑えないほど胸が痛かった。

 真雪は昨晩、『結婚したいと思ってる』……そんな風に結城さんの前で言ってくれた。驚いたけれど、あのときの真剣な声音を思い出すと、私も両親に気持ちを伝えないといけないと強く勇気が湧いてくる気がした。


「真雪……日曜の昼ころにはお父さんお母さん、北海道から家に戻ってくるんだよね」

「そう聞いてる」

「じゃあ、明日真雪が一足先に帰って……私も日曜の夜に家に戻るから、真雪、父さんと母さんに一緒に話そう」

「仕事は?」

「日曜の最終新幹線か、月曜の第一便の飛行機に乗れたら、出社時間調節してなんとかなるから」

「移動大変だろ? 明日、俺と一緒に帰るのは?」


 真雪がそう言ったけど、私は首を横に振った。


「駄目だよ。それだけでも困惑してる二人を、私と真雪の二人で出迎えたらきっとすごく戸惑うよ。それだけでも私、ここずっと帰省してなかったのに」

「……うん」

「ちゃんと、日曜日に、スーツ着て菓子折り持って家をたずねるよ。真雪くんを私にくださいって、二人に挨拶するぞって思ってるよ」


 私が冗談めかして真雪にそう言うと、真雪は目を見開いた。

 その表情に私は笑いかける。


「未来を二人で切り開こうね」


 私の言葉に真雪が、驚きの表情からふっと静けさのある表情になり、目を伏せるようにして頷いた。



 

 ***



 その数回ほどの着信履歴に気付いたのは、後回しになっていたお昼休憩をとった三時頃だった。

 ケーキセットなどが運ばれる時間帯のカフェで、私と安東君がオムライスとピラフ大盛りを注文した直後のこと。鞄からちらりと携帯電話のライトが見えた。

 外回りで忙しく確認してなかったプライベート用の携帯電話が、着信履歴を告げる点滅を繰り返している。


「あ、ごめん、安東くん。携帯電話に着信が入ってたみたい、ちょっと確認して来ていい?電話っぽいから」

「どうぞ、俺のこと気にしないで電話してきてください」

「頼んだ品運ばれてきたら、先に食べててくれたらいいからね」


 そう言いながら、私は携帯電話をもって店の外にいったん一人で出て、あらためて表示を確認する。

 画面に表示される小さな文字に、私は胸がつかまれた。

 母からの着信だったのだ。

 履歴を確認すると、朝から一、二時間おきくらいにかけてくれていたらしい。留守電メッセージは残っていなかった。

 でも、私はすぐに電話をかけなおすことができなくて、画面をじっと見つめていた。

 電話して話さなければという気持ちと、今、少しだけ知らぬふりをして先延ばしにしたい気持ちがせめぎ合ってしまう。

 携帯電話をにぎりしめつつ、真雪の真剣な声を思い出す。真雪がくれた率直さ、眼差し……。

 私はそれを糧にするみたいにして、勇気を振り絞り、母の携帯電話番号を表示させ発信した。

 数回のコールが続く間、指が震えた。

 もう留守番電話設定に切り替わるかという頃、電話の向こうの空気が変わった。


「はい、もしもし」


 話し始めからシャキッとした母らしい声に、受話器を持つ手に力が入る。


「……お母さん?美幸だけど。電話出られなくてごめんね」

『あぁ美幸。……仕事中に悪いね。言っときたいことがあって』

「なに?」

『今日の夕方には美幸の家に、行くから。もちろんお父さんも連れて』

「え……」

『美幸、出来るだけ仕事早く仕上げて、帰っておいて。真雪にもそう伝えとくように。家族会議、せなあかん』


 母の言葉に私は咄嗟に「何、どういうこと?」と繰り返した。


『驚くところやないよ。美幸もわかってるはずや。お母さんとお父さんに言わなあかんこと、あるやろう? 昨日は真雪の話があまりに突然で動揺したけど、お父さんもお母さんもだいぶ落ちついたわ。どうせあんたは仕事優先だろうから、私たちが美幸のとこに押しかけることに決めたん。じゃ、まだ電車の乗換あるから、切るわ』

「ちょ、ちょっとまって、母さん、旅行は?北海道にいたはずでしょ?」


 私が慌ててたずねると、母が電話の向こうで鼻で笑う気配がした。


『旅行なぁ……。そんなん、我が家の一大事を目の前にして、のうのうと続けられてられへんよ。まぁ見どころは見て回ったっていうのもあるけど……物事ってゆうんは、後回しにしたらあかん時がある。あんたは知らんけど、お母さんは、そう思うとる。譲られへん……あんたと真雪の本気、面と向かって、聞かせてみぃ』

「……」

 

 私が黙ると、母が息をついた。

 そのため息を耳にしたとたん、ずんと肩が重くなった。


『まぁ、なにはともあれ会ってからや。とにかくそっちに行くってことを伝えておきたくて何度も電話したんよ。金曜日で、なかなか仕事切りあげられへんかもしれんけど、頑張って、はよ帰っておいで。……逃げたらあかんで』


 最後にぐさっととどめを刺すような言葉に私はビクッと身体が震えた。

 母の西の訛りは、テレビで見かける関西弁とは違い、話すスピードはおっとりしている。だけど、母はその気性なのか、ゆっくりながら言葉ははっきりと言い切る人だった。……そう、昔から。

 ――あぁ、母はこういうゆるやかで明るくあるようでいて、実はじっくりと強い人だ。そんな母が昨日、真雪の電話で泣いたというのだから……本当に私たちのことが想いもよらなかったことだったからだろう。

 せっかくの旅行すら切りあげなきゃならないくらいに、父と母を動揺させてしまったことが申し訳なくて。私は何を言っていいのかわからなかった。

 ずっと黙ってる私に、母がまた小さく息をついた。

 今度は苦笑のような軽い息。その直後、


『じゃあ、美幸、また後で』

 

と母の方から、軽く声がかかり、返事するまもなくあっさりと電話が切れた。

 私はしばらくその場に立ちつくしていた。




 その後、気持ちを立て直すようにして安東くんがいる席に戻ると、彼は私の顔を見た途端言った。


「斎藤先輩、お先にいただいて……え、なんかやばい連絡入ったんですか」


 ピラフを食べ始めている彼を見返すと、安東君はスプーンを持つ手を止め、困ったように言った。


「顔色悪いですよ。さっきと全然違う」

「そうかな。まぁ朗報ってわけじゃなかったから……あ、でも仕事の用件じゃないから、安心して」


 私は必死に口角をあげた。それから、安東君から目をそらすようにして、オムライスのお皿を自分の方へと引き寄せた。


「なんかあったんなら……急用とかだったら、この後の書類送付と事務処理は僕の方で済ませちゃうんで、斎藤先輩は直帰してもらっても……」

「ううん」


 私は安東君の提案をさっと遮った。

 ちらりと彼の顔を見る。戸惑っている表情に笑いかける。


「まずは仕事、きちんと終わらせる。それは私の責任だから。……ただ、定時で出来るだけ帰りたい。……親が急きょ来ることになったの」

「親」


 安東君の返事に、私は頷いた。

 それからちょっと無理に顔に力をいれて、おどけるように顔を作った。


「それでつきあっている人を急きょ紹介するんだけど……でも、ちょっと今のところ親には反対され気味でね」

「あ、それはなんていうか……緊張する対面ですね」

「うん」


 私の言葉に安東君はすっかり納得したように頷いた。


「斎藤先輩にはいろいろお世話になってますから! 先輩が定時帰社できるように、残りの案件、サクサクっとこなせるように頑張ります!」


 安東君の私を励ますような口調に、私は苦笑しながら「ありがとう」と答えた。

 それから、私は押し込むようにオムライスを口にした。

 卵の黄色だけが目にはいったけれど、卵の風味もチキンライスやケチャップの味もすべてが何か遠い気がする。自分の舌の上にのっている感じがしなかった。

 それでも私は水を何度も口にして、飲みこむようにして食べた。


 負けたくない。

 自分の弱気に負けたくない。

 真雪を……せっかくつないだ彼の手を離したくない。


 私は胸につっかえるようになっても、それでもオムライスを咀嚼し飲みこんだ。

 すべてをエネルギーにしてしまいたかった。

 真雪と手をつなぎつづけるパワーが欲しかった。

 そして、両親にちゃんと伝えられる力が欲しかった。 

 強くあれるようにと願いをこめるみたいに、オムライスを食べた。


 それでもきっと、向かいに座る安東君の目には、強気に食べてるようでいて私の手が微妙に震えていることは……知られてしまっていたんだろう。

 いつも明るい話題を振ってくる安東君が、今日は気遣うように静かだったから。

 

 

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