Thursday 5
ラッキーなことに、プライベートナンバーの携帯電話で、すぐに結城さんと連絡がついた。しかも、私が予想していたバーにいると言う。
話したいこと、会ってもらいたい人がいると話すと、すぐに結城さんは「あぁ、昨日、ピアノのレッスンの後にいっていた大事な人かな。いいよ、マスターと話してるから連れておいで」と笑った。
そういう勘の鋭いところが結城さんの素敵なところだと思う。
化粧を直して、真雪のスーツにつけてしまったファンデをメイク落としコットンでさっと落として、困惑気味の真雪も暗い家から引きだすようにして家を出た。
***
駅近くのビルの半地下にあるバーの木製扉を開けると、ふわっとお酒の匂いと雑談しているゆったりとした人のざわめきに包まれた。
居酒屋ほど騒がしくもなく、静かでムードのあるバーというほどに高級感があるわけでもない、親しみやすい駅近のバー。ちょうど結城さんの自宅と事務所が入ったビル近くということもあいまって、休みの日で社員が来ない日は、一人で夜はここに過ごすことが多いと聞いていた。私も何度か連れてきてもらったことがある。
私と真雪が店内に入ると、観葉植物の向こうから、軽く手をあげる結城さんが見えた。
いつもカウンターの奥が定位置の結城さんなのに、私たちたちがくるということで、先にテーブル席に移動してくれていたらしい。
「おくつろぎのところ、突然、すみません……」
そう切り出すと、結城さんはグラスを少しあげて、
「いいんだよ、僕も興味があったからね」
と軽快に笑った。その表情に安心し、私は隣に立つ真雪を見上げる。
思ったより表情は落ちついている。
真雪には、ここに来るまでの道中で、これから会う人が結城さんと言って仕事関係やピアノレッスンのご縁から時どき食事をしたりするのだと説明した。もちろんそこには男女関係はないし、どちらかといえば結城さんは私に会えない娘さんのことを、そして私は結城さんに早くに亡くなった実父を重ねてるところがあるかもしれない……とまで話した。
私が「こちら結城さん」と紹介すると、真雪が私の隣から一歩すすみ、
「斎藤真雪です」
と名乗った。その声が微妙に固くて、見ためは飄々としていても、真雪も緊張しているのだと感じ取る。
「結城です。かしこまらず、どうぞ座ってください。あぁ同じ”斎藤”なんだね。こちらの斎藤さんには仕事やピアノレッスンでよく顔を合わせていてね。僕みたいなおじちゃんの話し相手としてもお世話になってるんだ」
ゆったりとそう言って、結城さんは私たちに席をすすめてくれた。
予想していたとはいえ、「斎藤」という姓が同じことに気付かれて、私は胸がドキっとした。
これから結城さんに話すこと、私の親世代の人に自分達の関係がどう見えるのか……その先を想うと、すごく緊張する。それでも、私が仕事でもプライベートでもお世話になっている親世代の人という、友人に紹介するよりももっとハードルの高い相手を紹介するからこそ、真雪も私も逃げない覚悟がはっきりできると思った。
結城さんはいつものスコッチを飲んでいるようだった。私と真雪は食事をしていなかったので、軽くお腹をみたせそうな幾つかを頼む。料理やドリンクが運ばれるまでの間、真雪は結城さんに、自分の年齢や就職活動中であることなどを自己紹介兼ねて話していた。
その会話を傍で感じながら、結城さんが真雪という人間が私「斎藤美幸」にとってどういう存在であるか、思いめぐらせてるんだろうなと思った。「斎藤真雪」が弟なのか、たまたま姓が同じ恋人なのか、それとも実は二人は既婚なのか……。
いつ切りだそうと思っていると、頼んでいたメニューがテーブルに運ばれてきた後、結城さんの方からたずねてくれた。
「ところで、斎藤さん。話したいことって、なんだい?」
優しげな瞳で微笑まれて、私はテーブルの下でギュっと手を握った。
「それは……この真雪と私のことで……」
バーの中はそれぞれのテーブルで煩くない程度で賑わい、誰も私の話なんかに耳をそばだてていないだろうに、私の声は少し小さくなった。
「私たち……お互いに長い間、好きだったって確認して、恋人になったばかりなんですけど……」
結城さんが軽く頷く。私はさらに拳をにぎった。さっきまで強気だったはずなのに、緊張で目を伏せそうになる。
そのとき、テーブルの下の私の拳を大きな手が包んだ。見なくてもわかる、隣に座る真雪の手。
励まされるようにして、私はお腹に力を入れ、いっきに言った。
「でも私たち、世間から見れば、親が子連れ再婚して出来た義姉弟なんです」
こんなことを相談されても、紹介されても、結城さんは困るかもしれない。けれど、どうかどうか聞いて欲しいと願いを込める。
すごくわがままな願いだろうけれど。今までプライベートでピアノ演奏会や食事に行って、そこで作ってきた信頼のようなものにすがるようにして、私は言葉を続けた。
「結城さん、ごめんなさい。こんな形で紹介されても、きっと戸惑われると思うんですけど、私たち、まだ、誰にも自分たちの気持ちを明かしたことがなくて……誰かに……”私たちのこと”を知ってほしくて」
「それで、斎藤さんが最初に紹介する相手として、僕を選んでくれたの?」
「はい」
「それは嬉しいな」
俯き加減になりかけていた私に、結城さんがゆったりと声をかけてくれた。その声は、私の耳には、とても包み込むように優しく聞こえた。
私はテーブルの下で私の手を包んでくれる真雪の手に、さらに空いていた方の指先を重ねた。
――……真雪も、きっと緊張してる。
「斎藤さん……あぁ、同じだから困っちゃうね。これからは真雪くん、美幸さんと呼んでかまわないかな?」
結城さんが律儀に尋ねてくれる。頷くと、結城さんが口を開いた。
「真雪くん、美幸さん。僕はね、美幸さんも気付いていると思うけれど、美幸さんにどこか自分の娘のことを重ねて見ているところがあってね……実は、いつか美幸さんが結婚することになるんだったら、相手の男に会ってみたいなぁなんて、差しでがましいことを想ったりもしていたんだよ」
そこで結城さんがゆっくりとスコッチを口にした。お酒の匂いが微かにテーブルの上を過ぎてゆく。
「だから、今、嬉しいなぁと思っている。でも、同時にね……今話してくれたことを思って、心配もしている」
率直な結城さんの言葉は、飾らないからこそ、私の中にすっと入って来た。私の瞬きを捉えてか、結城さんが一度頷いた。
そしてこれまでの笑いを含んだ瞳から、ふっと真剣な目付きになった。
陰りさえおびる眼に緊張して息をのんだ。その瞬間、問われた。
「ご両親には?」
私はすぐに返事ができなかった。先に隣で真雪が口を開いた。
「まだ数日前に想いをたしかめあったばかりで、美幸は両親に何も言ってないんですが、いろいろ焦っていた僕が……美幸への気持ちが姉としてではないと話してしまいました……」
「その口ぶりからすると……まぁ、歓迎はされなかったのだろうね」
結城さんの言葉に真雪と私は頷いた。真雪はその後、言葉を続ける。
「反対された以前に、父は黙ってしまって母は泣いてしまって……少し時間をおいて落ちついてから後日話そうということになって、電話は終わりました」
真雪の言葉に、私は胸が掴まれた気がした。さっき私に話してくれた時よりも、今、ここで真雪の口から聞く両親の姿の方がより鮮明に思い浮かべることができる気がした。
「真雪くんと美幸さんは……これからどうしたいんだい?」
結城さんの問いに、私は答えを探そうと目を伏せた。
その時だった。テーブルの下の、私の手をつつむ真雪の手指に力が入り、私の手が握りこまれた。その仕草に驚いていると、耳に真雪の声が届いた。
「僕は、結婚したいです」
私は目を見開いて、隣の真雪の横顔を見上げた。
真雪は、真剣な眼差しで、向かいに座る結城さんを見つめている。
「……真雪くん、覚悟ある返事はかっこいいけれど、隣の美幸さんは驚いているよ?美幸さんと話し合った将来ではないね?」
結城さんの言葉に私が結城さんを見ると、彼もまた揺るぎない目で真雪を見ていた。
「美幸には……まだプロポーズしてません。僕が大学院生なので、卒業してからと思うので」
「そう。少し未来のことなんだね」
私は真雪がそこまではっきりとここで言うとは思ってなかったので驚いていた。『結婚』という二文字に、戸惑いつつも、そこまで真剣に考えてくれていたことへの嬉しさがうまれた。
けれど、そんな気持ちも結城さんの言葉で霧散する。
「もし僕が親の立場だとしたらねぇ……結婚には反対するだろうね」
「……」
「可愛い娘がさ、苦労するってわかってるのに、そこに真正面から突っ込んでいこうとするなら、止めたくなる気持ちにもなるよ」
結城さんがそう言った。自分の身体が強張る。結城さんの言葉はもっともだった。
なにも言えないまま、俯きかけた。
その時。
「でもね、二人が本当に想い合っていて、二人でやっていこうとしているんだったら、結局は受け入れるし、最後には応援するだろうなとも思うよ。幸せになって欲しいから反対するし、幸せになって欲しいから応援する。矛盾してるけど……僕ならそうなっちゃうだろうな」
はっとして顔をあげると、結城さんがいつものようにこちらを暖かく見てくれていた。
ただ、目尻に適度な皺が刻まれた笑みは、微笑みというより苦笑いに見えた。困った子を見守るような表情。
見つめていると、結城さんは苦笑をたたえたまま言った。
「必ずといっていいほど、ご両親は苦しむと思うよ」
私は彼のことばに「はい」と返事しながらも、微かに震えた。
「もしかしたら、ご両親の夫婦の間に亀裂が入ることだってあるし、親戚から非難を受けるのは君たちだけでなく、ご両親になるのかもしれないよ」
「……はい」
「でも僕が並べるそういう『哀しい状況』は、真雪くんも美幸さんも幾通りも想像したんだろうと思う。すくなくとも美幸さんは、今まで仕事でもそれ以外でも話をしてきて、周りへの想像力に欠けた人間だと僕は思ってない……だからね、僕は君たちを応援しようと思う。逆にいえばね、今まで大した関わりがなかった人間から今の君たちの状況を話されたら、どうしてそこまでして周囲を巻き込むような恋に身を投じるんだろうと批判的に見てしまったことだろう」
私は結城さんの言葉に胸がつかまれた。
同時に、その結城さんの深い眼差しから、これから私たちが漕ぎだす社会というものが決して甘く受け入れてくれる眼差しだけではないことを――はっきりと伝えてくれている気がした。
私が結城さんの厳しい励ましを噛みしめるようにして頷くと、結城さんは私と隣の真雪を交互に見ていった。
「いやなこという”おっさん”でごめんな」
その、ちょっと場をなごませようとする結城さんの言葉に返事したのは真雪だった。
「率直な言葉の方が、胸にしみます。言ってくださってありがとうございます」
「そうか……そう捉えてくれるなら、僕としても嬉しい。……真雪くん」
「はい」
「……美幸さんを守れよ」
結城さんの言葉に、真雪もまた先ほどの私のように、ゆっくりと頷いたのだった。




