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心ひらく鍵のありか  作者: 朝野とき
零れ落ちる時のありか
14/23

Thursday 3

 駅でも電車に乗る間にも、何処かに就活帰りの真雪がいないかなぁと目で探してしまいながら、いつもの帰り道をたどってゆく。

 そうして自宅マンションに着き、扉を開けると真っ暗だった。


「まだ帰ってないのか……」


 帰りが遅いと朝も言ってなかったのにな、と思いつつ玄関の電灯のスイッチをつける。そして目に入ったものに驚いた。

 玄関に、並ぶ真雪の靴。ビジネス用の黒の革靴も普段履き用にもってきていたスニーカーも、並んでいた。

 

「ただいま、真雪?帰ってるの?」


 廊下の電灯もつけて、奥に向かって声を放つ。暗いリビングから、ゆらりと人影がこちらに向かった。突然の人影にドキッとしたけれど、すぐに廊下の明かりで顔が照らされる。

 スーツ姿の真雪だった。

 

「真雪、どうしたの?電気もつけないで……」


 こちらに歩いてくる真雪はまだ帰宅してきたばかりのようなスーツの姿で、しかも右手には携帯電話を持っていた。まるで今まで電話をかけていたかのようだった。

 声をかけようとして、私は怯んだ。真雪の表情は暗くて、昨日出迎えてくれた時以上に、疲れ切ったような目をしていたから。

 就活途中の真雪に会社からよくない連絡があったのかもしれない……。私はそんな風に考えて、ひとまず玄関ドアを閉め、靴を脱いで廊下から歩いてくる真雪に近寄ってか言葉をかけた。 


「ただいま、真雪」


 私の声かけに真雪が目を伏せた。私がその表情を追っていると、真雪の形の良い唇が動いた。


「いま、ちょうど……本当に、いま、この直前に電話が終わったところで……話しながら家の中に入ったから、電灯つける余裕なくて」


 あぁやっぱり声のトーンも低い。きっと落ち込むような連絡だったんだろう……そう思いつつ「そうなんだ」と相槌を打つと、真雪がかぶせるように言った。


「電話、父さんと母さんからだった」


 私は目を見開いた。

 父さんと母さんと、今まで電話していた――……?

 私の胸がいっきに早鐘を打ち始める。


「お父さんとお母さんと電話って――……それって……」


 言葉を濁しつつたずねた私に、真雪が私の迷いを断ち切るかのようにはっきりと言った。


「話した」


 真雪の言葉にキュッと全身がこわばる。


「話したって……何を」

 

 私の問いかける声は震えていた。答えはわかる気がするのに――……この顔からわかりきっているのに、それでも、まだ、昨日のお隣の佐伯さんの義姉弟という言葉を否定できなかったような……そういう落ち込みであることを期待する自分がいた。

 けれど――……。


「決まってるだろ、義姉弟じゃないって……話したんだよっ」


 真雪の語尾も震えている。その嘆きがこもったトーンに、この直前までの真雪と両親との電話の会話が……話の状態が、暗に伝わってくるようで、私の脚は情けなくもガクガクと震えた。


「ちょっと……ちょっと待ってよ……どうして急に――……。せ、せっかくの旅行中の二人に、なに電話してるのよ、勝手に……」

「電話は向こうからかかってきたんだ。ちょうど家に着く直前にケータイに、母さんから元気かって電話が入った。札幌の方で父さんと楽しくやってるけど、そっちは美幸と喧嘩してないかって」

「そんなご機嫌伺いの電話で、こ、こんな大事なこと話したっていうの?」


 真雪が首を横に振った。


「別に俺だって……最初はそんなつもりじゃなかった。でも、母さんが、喧嘩してないなら、仲良くやっていけそうなら、東京で就職したとき美幸とそこに住んだらいいんやから……って気軽に言って。俺が返事を言い淀んでしまったら、”どうしたん?”って聞かれて……ごまかせなくなって」

「そんな……」

「でも、昨日、言っただろ?次に言う機会があったら、”恋人”だって伝えていいかって」

「そうだけど!そうだけど……どうして、父さん母さん相手なのよ。早計過ぎるにもほどがあるじゃないっ」

「わかってるよ、そんなこと俺だってわかってる。でも、もう、俺は気持ちも二人のことも、もうこれ以上ごまかしたくなかったんだっ!」


 真雪の声が響いた。

 声量は小さいくらいなのに、その声音は必死で、痛々しくて……。けれど、私も思わずにはいられなかった。

 ――どうして、どうして、もうちょっと待ってくれないのよ――……。


「――真雪のあほっ」


 思わずそう言ってしまった。

 そして、真雪のスーツを握り、意を決して尋ねる。


「それで……それで、二人は?」


 見上げる真雪の表情は見るからに苦しそうで。その表情のまま、真雪は小さく唇を動かす。


「電話かわってもらって、二人と順番に話したんだけど……父さんは黙って――母さんは、泣いてた」


 最悪だ。

 私は真雪のスーツを握りしめたまま、俯いた。自分の手が震えているのがわかる。目もどんどん潤んできた。私は化粧が崩れるのもかまわずに、右手の甲で目元をぐっとぬぐった。

 すると、真雪の声がぽつっと降り注いだ。


「美幸……なんで泣くんだよ」

「父さん母さん悲しませてるのに、涙くらいでてくるわよ、情けなくって哀しくって……」

「でもさ、歓迎されるなんて……最初から、お互い思ってないだろ? こうなるのわかってて、それでも、好きだって……伝えあったんじゃなかったのかよ」


 たしかにそうだ。真雪の言うことに間違いはない。

 ただ、伝えるにしても時期ってものがあるじゃないのって思わずにいられない。

 もっと私たち自身が絆を強くしてから両親に話したかった。まず私と真雪がもっと心を通わせたかった……。この気持ちを上手く言葉にしたいのに、うまく言葉がみつからなくて、私はただただ首を横に振った。

 そんな私に真雪は問う。


「泣くほど、いや? 知られたくないの、やっぱり……」

「そ、そういうんじゃなくて……」


 かろうじて返事をする。

 真雪の言う通り、こういう流れになることはわかりきっていた。だからこそ乗り越えていかねばならないと、覚悟しつつも怖かったのだ。

 その不安を……真雪とちゃんとわかちあいたかったのに。どうして、焦って明かしちゃうの……。

 ちゃんと私と真雪の気持ちがもっと強いきずなになってから伝えたかったのに。それを話したくて、今日帰ってきたのに――……。

 どうしてこんなタイミングで……。

 それに父さんと母さんに話すなら、私と真雪で二人ではっきりと伝えていきたかったのに……。


 私がそう思ったときだった。

 ふっと真雪の大きな右手が俯いている私の頬を擦った。そして、真雪は一度息をついた。


「泣くなよ……。俺だけしかいないときに話して悪かった。でも、俺が俺の気持ちを言っただけだから……今なら、美幸の気持ちは無かったことにできるよ」


 耳に届いた言葉に私は思わず顔をあげた。

 真雪と目があう。


「真雪?」

「泣くな……泣かれると弱い。……そんなに嫌なら、辛いならいいよ。美幸、父さんと母さんのこと、ずっと応援して、気にしてたもんな。今なら……俺の片思いで……俺が美幸に気持ちを押し付けたってことで始末しちゃえば、今なら……俺さえ退場しちゃえば、なんとかなるよ」

「な、に……言ってるの?」

「美幸は俺の気持ちに巻き込まれただけってことにして、俺が何処かに離れてしまえば、美幸は、父さんと母さんを失わずに済むだろ?」


 私は驚きで声も出なかった。


「美幸はさ、今まで、俺と一緒にいたら駄目だと思ったから、実家離れて一人暮らし始めて俺を避けて……。父さんと母さんとも距離をとらざるをえなかったんだろう? じゃあ、次は俺が……家族と離れるよ」

「ちょっと待ってよ。お手伝いを替わりばんこにするのと訳が違うのよ? そもそもどうして……そんな!」

 

 そんな思考になるのよ!

 そう言いかけた時、真雪が内から絞り出すような声でいった。


「仕方ないだろ? 好きになったって、お互い想いが通じあったって! 美幸が姉の立場捨てられないなら……もうどうしようもないだろ? でも、俺はもう弟のフリなんて無理だ、限界なんだ……このままじゃ、無理矢理にでも壊しちまう……家族の絆も、美幸自身のことも……。こんな俺達じゃ、堂々巡りだろう……?」


 絞り出される声は震えて、切なくて、私はスーツが皺になるのもかわらずに、ぎゅうぎゅうと真雪の上着を握った。


「ちょっと待ちなさいったら、真雪!どうして私が姉の立場捨てられないとか言うのよ?」

「だってそうじゃないか、父さんと母さんの前で義姉弟の関係でいつづけて、他では恋人ですって使い分けるのかよ? そんなの、俺は、もう、あざむきながら生きるのは無理だ! そもそも耐えきれないから、決着つけるためにここに来たんだから」

「もうだから、まって! 私は、あざむくつもりなんてなくて……お父さんとお母さんにだって、きちんと私たちのこと伝えるつもりで……」

「でも、美幸は結局、泣いてるじゃないか……。好きな女に心配かけたり泣かせてしまうしかできないなんて――……」

 

 呻くような真雪の言葉。目を伏せ、形の良い唇が今は噛みしめられて、その痛々しい表情を見ていられなくなる。

 俯き目線を落とせば、真雪は拳をぎゅっと握りしめて立っていた。

 その血の気を失っているような拳をつくり立ちつくす真雪に、胸が痛くなった。


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