第六話 怪盗Hと怪盗Z
『怪盗Hへの挑戦を申し込む。一週間後、同封してある地図の所まで来るように。そこにある屋敷の応接室にお宝がある。それを制限時間内に盗むことができれば、あなたの勝ちだ。そうでないときは私の勝ちとなる。貴君の参加を心待ちにしている。怪盗Z』
ある朝、ホームズジュニア探偵事務所に一通の手紙が届いた。それは、怪盗からの挑戦状だった。
「怪盗Zって……たしかこれまで世界中の高価なお宝を二百個以上も盗み出したことがあるっていう、伝説に近い怪盗じゃなかったか?」
背が高くて筋肉質な体を持つレイは、少女が読んでいる手紙を覗き込んだ。少女は探偵の格好をしていて、書斎机にあるイスに座っている。
「そうよ。ここにこの手紙が届いたってことは、わたしが怪盗だって事を知っていることになるわね」
少女はつばを飲み込む。
「ホ、ホームズさん、この挑戦受けるんですか?」
メイドさんの姿をしたツインテールの少女が、不安そうに怪盗であるホームズを見た。
「もちろんよ。もしここで拒否したら、怪盗Zに秘密をばらされてしまうしね」
「……地図に書いてある場所、ここからだいたい一時間くらいで着くと思う」
研究者の白衣を着た少女は、パソコンのキーを打ちこみながら言った。
「分かったわキディ。こうなったら何がなんでもお宝を盗むわよ。伝説の怪盗と対決なんて楽しみだわ」
ホームズはニヤリと笑い、さっそく怪盗Zの資料集めを始めた。
一週間後、ホームズたち一同は怪盗Zが指定した屋敷へ来ていた。山の上に立っているお屋敷で、窓ガラスが割れていて壁もボロボロ。とても人が住んでいるとは思えない。
「あ、あの、こんなところにお宝なんてあるんですか?」
メイドさんが体をビクビクさせながら、ホームズにすがりついた。
「みかん、あなた怖がりすぎよ。怪盗Zは私と遊びたいはず。だから、ちゃんとお宝は用意してあるわ」
ホームズは自信満々に小さい胸を張った。
「……どうやらこの屋敷は、昔お金持ちの別荘だったらしいわ」
キディが、乗ってきた車のボンネットに置いてあるパソコンを操作しながら言う。
「――ということは、怪盗Zはこの屋敷を潰して、ホームズさんを消そうとしているのかもしれない」
レイの冷静な言葉に、みかんと呼ばれたメイドさんは「キャッ」と驚きの声を上げる。
「レイ、あのね、怪盗Zは、人の命だけは盗んだことはないのよ。決してそんなことはしないわ」
「あれ、ホームズさん? 相手の肩を持つんですか?」
レイが首をかしげた。
「もちろんよ。わたしの尊敬する怪盗だし、ライバルだとも思ってる。まあ、向こうはわたしのことなんて頭にないと思ってるだろうけど……思っていたのに、これはどういうことなの? わたしを良き相手として認めたということかしら」
ホームズは疑問の表情を浮かべているが、心の中では飛びあがりそうなほど喜んでいる。
ホームズたち四人は、足並みそろえて屋敷の玄関までたどり着いた。
「開けるわよ……」
ホームズは緊張した面持ちで、重いドアを開けた。
目の前に広がるのは、大きな玄関ホールだった。吹き抜けになっている天井のはるか上から、シャンデリアが吊るされている。床には赤いじゅうたんが一面に敷かれていた。
『ようこそ、来てくれた諸君』
突然、どこからか野太い男の声が響いてきた。機械的な声なので、どこかにスピーカーが設置されているのだろう。
『改めて自己紹介しよう。私の名前は怪盗Zという。今日は怪盗Hと名乗るお嬢さんに挑戦を申し込んだ。怪盗というのは、まるでシャーロックホームズのような格好をしたお嬢さんでいいのか?』
ホームズは、天井にカメラが取り付けられているのを見つけた。怪盗Zは、それを使って様子をうかがっているらしい。
「そうよ。わたしが怪盗Hよ。どうしてわたしが探偵と名乗っているのが分かったの?」
すると、スピーカーからフフッと笑う声が小さく聞こえた。
『そんなの簡単だよ。怪盗Hが犯行をする街には、必ず君たちが来ている。疑うのが当然ではないか?』
なるほどね、とホームズは額の汗を腕で拭った。
『さあ、時間がもったいないのでさっそく始めるとしよう』と怪盗Zが言った。ホームズはつばを飲み込む。
『この屋敷の中に、最高のお宝が隠されている。見事それを見つけたら、それは君に差し上げよう。探偵と名乗っているのだから、推理力はあるのだろう?』
怪盗Zの声に、ホームズはうなずいた。「分かったわ。それで制限時間はどれくらい?」
『三十分だ。それまで発見できなかったら、お宝は私のものだ。君がゴールまで辿りつけられるか楽しみだよ。――そうそう、挑戦していいのは、怪盗Hだけだ。君の部下たちにはそこで見守ってもらおう。分かったかね?』
三人はコクッと納得した。レイだけ未練がありそうな表情をしている。
『それでは、今から三十分間がんばってくれたまえ。スタート!』
ホームズは、横へと伸びる廊下を走っていった。
「何これ?」ホームズは困惑していた。壁に矢印が書いてある紙が貼ってあり、『お宝はこっちだよ』と誘っているのだ。
「……怪しすぎる」こんな罠、子どもでもだまされない。ホームズは矢印とは逆のほうへ歩き出した。
それにしてもずいぶん大きな屋敷だ。廊下の突き当たりが米粒くらいに小さく見える。
こんな広い所で迷子にならないかしら。ホームズは歩くスピードを速めた。
一分くらい歩いていると、前方から何か小さいものがトコトコ歩いてくるのが見えた。よく見ると、それはネズミだった。
まあ、こんなボロ屋敷だったらネズミくらいいるだろう。ホームズは構わず進んだ。
だが、次に絶対気にしなければならない相手がやってきた。これがハムスターだったらどれだけ癒されるだろうか。
大量のゴキブリが押し寄せてきたのだ。それはまるで、まっ黒いじゅうたんがひとりでに動きだしているようだ。
「キャー!!」
彼女は人一倍虫が苦手だ。触るのはもちろん、見るだけで気が遠くなる。ホームズの目は大きく見開かれ、歯をガチガチ鳴らしている。嫌な汗が体中から噴き出てくる。
ホームズはここから逃げようと必死に足を上げようとする。だが、床とひっついたように動かない。あまりの恐怖で体が固まってしまったのだ。
ゴキブリの大部分はホームズを通り過ぎていったが、十匹ほど彼女の足もとにやって来て、犬が相手の匂いを嗅ぐように様子をうかがっている。
ホームズが抵抗しないと分かると、ゴキブリは彼女の足から這い上がってきた。服の上からでも、肌にゴキブリの歩く感触が伝わってくる。
ホームズは助けを呼んだ。だが声は出ていない。声すら出すことが出来ないでいた。口をパクパクさせているだけだ。
彼女から意識が飛んだ。ホームズはその場に倒れ込んだ。何匹か潰してしまったが、既に意識が無くなっているホームズが知る由もない。
ホームズは、はっと目を開けた。灰色の天井が見える。
ああ、気を失っていたんだ。ホームズはむくっと起き上がった。
ここはさっきいた廊下ではなかった。どうやら書斎のようだ。といっても、本など一冊もなく、ずらっと空の本棚が並んでいるだけだ。誰かに連れてこられたのか。
くしゅん、とくしゃみを一つした。ボロ屋敷だけあってほこりが雪のように積もっている。
辺りを見回していると、床に敷かれている赤いじゅうたんの上に、一種類の足跡があるのを見つけた。大人の靴の大きさだ。
ホームズは懐からメジャーを取り出し、大きさを測る。そして元の場所へしまった。
「あれは何かしら?」
ホームズは、割られた窓の近くにある書斎机を見た。その上になにか四角い紙のようなものが乗っかっている。窓から怪盗Zが侵入して置いていったのだろうか。
それを見たホームズは、しばらく口が開けっぱなしになった。
「まさか、そんな……。どうしてこんなものが……」
『怪盗Hよ。よくそこまでたどり着いた。それこそがお宝だ。私の負けだよ』
この部屋にあるスピーカーから怪盗Zの笑い声が聞こえてきた。
「一体どこでこんなものを手に入れたの? これはわたしとパパが映っている写真よ」
『外へ出てみなさい』
その言葉とともに、ブツンとスピーカーの電源を切る音が聞こえた。
玄関のドアを出ると、レイたち三人のそばに一人の大男が立っていた。彼は黒いシルクハットの帽子と黒いマントを身につけている。そしてその顔は――
「パパ? パパなの?」
ホームズは信じられないという表情を浮かべている。
「久しぶりだね。まさか私と同じ怪盗になっているとはな。驚いたよ」
怪盗Zはふっと笑みをこぼした。
「やっと見つけた。パパが突然いなくなってから、わたしは怪盗になった。もし一流の怪盗になれれば、探偵と名乗っていたパパがきっと現れる。そう思っていたのに……わたしのほうが驚きよ。パパがあの怪盗Zだったなんて」
「表向きは探偵としていたほうが動きやすい。それに、たとえ家族にも、怪盗である事実は隠さないといけないんだ。秘密を守るためにね。家を離れたのは、正体がばれそうになったからだよ」
怪盗Zは無言でさっと手を挙げた。三十秒くらいすると大きな音をたててヘリコプターが現れた。
「本当は再会を喜び合いたいが、私たちは怪盗だ。そういつまでも一緒にいるわけにはいかない。またいつか会えるさ。それが運命なんだ」
滞空飛行をしているヘリコプターから垂れているロープのはしごを上っている途中、怪盗Zは大声で言った。「諸君、今日は私のいたずらに付き合ってくれてありがとう! またいつか会おう!」
「パパ待って!」と涙を浮かべながら手を伸ばすホームズに、さよならを言うように怪盗Zは手を振ってヘリコプターの中に入っていった。そしてあっという間に飛んで行き、木の陰になって見えなくなってしまった。
ホームズはその場に崩れ落ちた。あわてて三人が駆け寄る。
誰もが、悲しみの感情をむき出しにしているホームズを見たのは初めてだった。みかんとキディが、ハンカチや上着の裾でホームズの涙を拭っているが、いくら拭いても涙は止まらない。これまで蓄積されてきた想いが全てこもった涙だった。
レイが運転する車に乗ってからも、ホームズは涙を流し続けた。これ以上出ると水分不足になるだろういうくらいに。
ホームズが落ち着きを取り戻したのは、隠れ家のベッドに寝かされて十分くらいたった後だった。ホームズは天井を見上げ、これからの生き方を考え始めた。
次の日ホームズは、パパを超える怪盗になることを決心した。
これにて、このシリーズは完結となります。今までありがとうございました。次回作でまたお会いしましょう。




