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第五話 子ねことキディ

 今日も、キディお姉ちゃんの髪の毛は、いい匂いがする。

 お姉ちゃんの頭の上に乗っていると、いつもこの匂いに包まれて安心する。だから、気持ちよく眠れる。

 子ねこはキュッと目をつぶって、眠りの態勢に入った。なにしろ今はお昼前。夜行性のねこが眠くならないはずがない。

 子ねこを頭に乗せながらイスに座って電話をしているのは、キディという女の子だ。研究員のような白衣を着ていて、歳は十四くらいに見える。

「……そんな値段じゃ、安すぎて売れない。本人に気づかれないで撮るのは大変なんだから」

 キディは電卓をタタンと片手の指で叩いた。

「……これでないとダメね」

 キディは、自分が撮った写真に新たな値段をつけた。電話口から苦しい声が聞こえてくる。

「……まだ下げるの? これが限界よ」

 再び電卓の数字が小さくなった。二十秒くらい黙った後、キディはため息をついた。

「……あなたは私の大変さが分かってない。取引は無しよ。残念だけど」

 待ってください! という声を無視し、彼女は電話を切った。

「何が残念なんですか、キディさん?」

 後ろからメイド服姿の女の子が話しかけてきた。キディは慌て、起動しているパソコンの電源をすぐに切ろうとしたが、メイド少女に阻まれた。

「キディさん……? 何ですかこれ?」

 メイド少女は、ほおを赤らめた。画面には、ベッドで寝ているパジャマ姿の自分の姿が映し出されていた。体を丸くしていて、ねこ耳を付けられている。口が半開きになっていて、他人に見せるには恥ずかしすぎる。

「……私はねこが大好き。そしてみかんをねこに変身させるのも好き。これまであなたの色んな写真を撮ってきたけど、今まで寝姿は攻略できてなかったの。きれいに撮れたわよ」

「きれいに撮れたかが問題じゃないです! こんな写真を人に売ろうとするのはダメです」

 みかんと呼ばれたメイドさんが、写真を削除しようとマウスに手を伸ばす。しかしキディはその手を振り払った。

「……せっかくの写真を消すなんてもったいない。でもバックアップは完ぺき」

 キディは机の引き出しからメモリーを取り出した。

「そ、それをよこしてください!」

「……そんなのダメ。これは私の私物」

「で、でもそこに入ってるのはあたしの写真じゃないですか! 勝手に人のを売ったら犯罪ですよ」

「……そんな心配はないわ。裏取引だと絶対ばれないから。安心していい」

 そうじゃなくて、と二人は取っ組み合いを始めた。キディが立ち上がってメモリーを持っている手を高く上げ、みかんがそれを奪い取ろうと相手の腕に掴みかかる。

 安全地帯の危機を感じ、子ねこはキディの頭から床へ飛び下りた。ふう、危ない危ない。

 ふと、子ねこは玄関からの風の流れを感じた。ドアが開け放されていて、近くの壁にほうきが立てかけてある。どうやらみかんが掃除をしていた最中だったらしい。

 ケンカ、治まりそうもないなぁ。子どもならではの好奇心から、子ねこは外へ出ていった。まあ、避難という名目が成り立たなくもない……かな?

 青空には雲が所々にぽっかりと浮かんでいて、春の草花の匂いが乗ったそよ風が気持ちいい。子ねこは入り組んだ路地へと歩を進めた。


 子ねこは、いつもキディと一緒だ。彼女がパソコンで作業している時はもちろん、外へ出かける時もお風呂に入る時も頭の上に乗っかっている。さすがにトイレや寝る時はそうもいかないが。だから、こうして一匹で出歩くのは新鮮でわくわくする。

 やがて、せまい道にゴミバケツがいくつか並んでいるところに着いた。

 ん、なんだろうこの臭いにおいは?

 いつもキディからおいしいご飯をもらっている子ねこにとって、初めて嗅ぐにおいだった。

 それぞれのゴミバケツの上には、大人のねこが一匹ずついて、ゴミが入った袋に頭を突っ込んでいる。そして、「早くそこをどいてくれ」と他のねこたちが、うらやましそうに見上げている。

 そんなにおいしいのかなあ? 

 子ねこは、おそるおそる彼らに近づいた。

「なんだ、そこにいるガキは?」

 ゴミバケツの近くにいたねこが、煙たそうに子ねこを見ている。

「あ、あの。そこにある食べ物っておいしいの?」

 子ねこは、大人のねこに尋ねた。

「ああ、もちろんさ。おれたちにとっちゃごちそうだからな」

 ゴミバケツに乗っているねこが答える。顔がゴミで汚れている。

「なんだ、お前は人間に飼われてるのか? だったらここには用なんてないはずだぜ」

 最初に声をかけてきたねこが、鼻をひくつかせながら言った。

「そんなことないよ。ちょうどお腹が空いてきたから、それを食べようかと思って」

 子ねこはバケツに引き寄せられるように歩いて行く。だが、何匹かのねこに阻まれた。

「ふん、人間に飼われているやつにあげるものなんてないんだよ。寄るな寄るな。人間のにおいがおれたちに移っちまう」

 大人のねこが、子ねこに牙をむく。子ねこも毛を逆立てて威嚇するが、大人にとってはかわいいものにしか映らない。

「あっち行け! お前なんか人間に甘えてろ!」

 子ねこは体当たりされて、自分の体三つ分くらい飛ばされた。

 子ねこはカチンときて、大人にかみつこうとジャンプした。だが、軽くパンチをもらってしまった。

「諦めてさっさと消えるんだな!」

 大人が牙をむき出しにした。

「コラ! 弱い者いじめしちゃダメでしょ!」

 その声に、大人のねこは一斉に逃げだしていく。子ねこは、ゴミが散らかっているこの場所に取り残された。

「大丈夫? どこかケガしなかった?」

 そう言って子ねこを拾い上げたのは、人間の女の子だった。歳は十歳くらいだ。

「もう安心していいよ。あなたをいじめる子はもういないから」

 少女は、自分の手でゆりかごをつくり子ねこを抱くと、その場所を離れた。


 そのころ、みかんとのケンカが治まったキディは、頭の上の子ねこがいなくなっていることに慌てていた。

「どこ? あのもふもふな毛玉はどこ行っちゃったの?」

 いつもの冷静さからは考えられないうろたえ様だ。必死に机の下や本棚の上を探し回っている。その時、玄関から女の子の声が聞こえてきた。

「まったく、犬が迷子になったから探してくれって、そんなの警察に行けっての。一流の探偵としてもっと高度な依頼を引き受けたいわ」

 ホームズ帽とインパネスコートを着た少女が、玄関をくぐるなり文句をぶちまけた。

「ホームズさん、自分で一流って言うのはどうかと思うぞ」

 背か高くがっちりした体をした青年が、ホームズという少女に言った。ホームズが青年のほうを振り向こうとした時、

「二人とも、私の子ねこを見なかった?」

 と、キディが口をはさんだ。

「いえ、見なかったけど……どうしたのその慌てようは?」

 ホームズは、犬が道端で逆立ちをして歩いているのを見たような顔をした。

「いないのよ! さっきみかんと言い争っている間に、どこかへ行っちゃったの」

 ペタン、とキディは力が抜けたように床に座った。

「キディさんしっかりしてください。皆で探せばきっと見つかりますよ」

 みかんがキディの手をとって立たせる。

「それじゃどこに消えたのよ? この家を飛び出したとでもいうの?」

「このドアは、いつから開けっぱなしになっていたの?」

 ホームズが親指でドアを指した。あ、とキディとみかんが口をポカーンと開けた。

 キディは走り出した。あっという間にドアをくぐり、無我夢中で風を切り裂くように駆けていく。通行人が驚いて道を譲った。

 取り残された三人は、急いでキディの後を追った。


 子ねこが連れていかれたのは、土壁で出来た平屋建ての家だった。家の周りには、工事用機械がいくつも置かれている。

「お腹すいてない? ちょっと待っててね。今ミルクを持ってくるから」

 少女は自分の部屋に子ねこを降ろすと、小走りで台所へ向かった。

 少女の姿が消えると、子ねこは周りを見回した。部屋全体にじゅうたんが敷かれていて、隅には木製の机が置かれている。そしてその隣には、動物のぬいぐるみがいくつか並べられている。どれも少女の背丈の半分くらいある大きさだ。

「子ねこちゃん、お待たせ! おいしいミルクだよ」

 少女はミルクが入ったお皿を子ねこの近くに置いた。お腹を壊さないように、人肌と同じくらいに温められている。

 子ねこは、クンクンと豆粒くらいの鼻を動かした。そしてペロッとミルクを一なめする。

 安全なものであると分かったので、子ねこは元気よく飲み始めた。

「ふふっ、慌てて飲むとむせちゃうよ」

 少女はその場にしゃがんで子ねこを見つめた。楽しそうな表情をしている。

 それにしても、この子ねこはどこのだろう? 少女は額にしわを寄せた。

 この手入れされた毛並み、愛情込めて飼われている証拠だ。今頃飼い主が探してるのかなぁ。

「ただいま! トウコいるの?」

 まずい、お母さんが帰って来た! お母さんは決して動物を飼うことを許さない。「動物に自由を!」というのが、彼女のモットーだからだ。

「どうしようどうしよう」

 トウコは緊急事態に対応するべく、飲みかけのミルクを机の下に隠し、子ねこをぬいぐるみに紛れ込ませた。

 お母さんの足音が近づいてくる。トウコは、直立してその場に立つ。

「あら、トウコ帰ってたの。お昼ごはんを今作るから待っててね」

 ひょっこり顔だけ覗かせてそう言うと、お母さんは台所へ消えた。良かった、ばれなくて。

 もう大丈夫よ、と子ねこに声をかけると、その子ねこはぬいぐるみのもふもふが気持ちいいのか、体を丸くして眠っていた。

 キュッと目をつぶっている姿がとてもかわいくて、トウコはしばらく見入っていた。


 三十分くらいして、玄関のドアを強く叩く音がしてきた。トウコに緊張が走る。

 お母さんが応対に出た。そこに立っていたのは、作業服を着た若者だった。茶髪で、ピアスを両耳に二つずつ付けている。

「奥さん、何度言ったらわかるんだ。さっさとこの家を明け渡してくれ。そうしたら全て解決なのによ」

「だから、そのお話には断固反対だって言ったでしょ。この家を潰して鉄道を走らせるなんて、絶対許せないわ」

 すると、若者はずいっと家の中に入ってきた。そして壁に手をあてる。

「なんだこの家は? 壁はボロボロで住みにくいだろ? おれたちが移住先を用意して新築の家に住まわせてやるんだから、文句はないはずだぜ」

「この家は代々住み続けた大事なもので、この土地も必死に守ってきたの。今さら誰かに譲り渡すなんてできないの」

「あのなぁ、別にタダでよこしてくれとは言ってないぞ。それ相応のお金は支払う準備はしてるんだ」

「やめてください!」

 聞き耳を立てていたトウコが、お母さんの隣にやってきた。手には大事そうに子ねこを抱いている。お母さんは若者を追っぱらうことに神経を集中させているため、子ねこには気づいていない。

「もう出ていってください! 私たちは決してあなたのいいなりにはなりませんから」

 すると、若者はトウコの肩に手を置いた。

「お嬢ちゃん、おれらも困ってるんだよ。この家を取っ払わないと仕事が進まないから、給料も引かれちまうんだ。な、お願いだからお母さんを説得してくれよ」

 若者はトウコの肩に置いている手に力を入れた。彼女の体は震えていて、顔を引きつらせている。

「な、何してるんですか! 娘から手を離しなさい!」

 お母さんが若者に掴みかかろうとする。だが、そんなお母さんの手を若者は軽くはねのける。

「こうなったら強硬手段だ。奥さん、娘さんを離してほしかったら、この家を明け渡せ。おれたちは、もう限界なんだ」

 お母さんがちらっと窓から外を見ると、若者と同じ格好をした男が数人立っている。

「フギャ!」

 突然子ねこがトウコの腕から飛び出し、若者の顔に突撃した。「うわっ」と一瞬たじろいだ。子ねこは華麗に着地する。

 隙をついてお母さんが、トウコを若者から引きはがした。そして、「何しやがるこの……」とこぶしを振り上げた若者に、力いっぱいタックルした。若者は、ドアの外まで吹っ飛ばされた。

 予想だにしない攻撃に、若者は気が動転している。外に立っていた男たちも慌て始めた。

「お前ら、住民の言葉を無視するな! 今すぐここから立ち去れ!」

 異変に気付いた近所の人たちが、若者たちを捕まえようと一斉に走ってきた。その騒ぎを聞きつけて、さらに人が増えていく。

 くそっと言葉を残して、若者たちは退散した。近所の人たちが心配して家に入ってくる。

 子ねこは、自分が踏みつぶされる前に外へ避難した。そしてまた歩き出す。


 五分くらい歩いていると、後ろから女の子の声が聞こえてきた。子ねこは、はっと振り向く。

「子ねこちゃーん、どこ行ってたのよ? 心配させないで」

 キディが駆けてきて子ねこを抱き上げた。目には涙を浮かべている。

「騒ぎを聞いてやってきたら、運よく見つかったわね」

 後を追いかけてきたホームズがつぶやいた。

 キディは、子ねこをほおずりして、再会を喜んでいる。

 キディお姉ちゃん、ぼく今日はとっても楽しかったよ。

 子ねこは、キディのほおを伝い落ちてくる涙をペロッとなめた。あたたかくて優しい味がした。

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