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第四話 邂逅の怪盗H

「はあっ疲れたー」

 ホームズ帽とインパネスコートを脱ぎ捨て、少女はベッドへ飛び込んだ。たちまち灰色の綿が舞い上がる。

「ホ、ホームズさん。この家はほこりだらけでベッドも汚れているので、掃除してから寝たほうがいいと思いますけど……」

 ツインテールのメイド少女が、ホームズと呼ばれた少女のベッドの前に立つ。ホームズは面倒くさそうに手を振った。

「いいわよみかん、そんなの後で。五時間も運転して、ようやく隠れ家に着いたんだから。もう体が鉛のようよ」

 ホームズが大きなあくびを一つした。ほこりが多少吸いこまれたようだ。

「そうですか、分かりました。それじゃ、あたしは早速掃除を始めますね」

 よろしくー、というホームズの声を背に、みかんという名のメイドさんは鼻歌を歌いながら、ほうきを取りに外の倉庫へ向かう。

「あ、オレも手伝うよ」

 そう言って、がっちりした体を持つ長身の男子がソファから立ち上がった。

「レイさん、ありがとうございます」みかんはペコっと頭を下げる。そして髪をフルッと揺らし、ドアを開けて外へ出ていった。レイも彼女に続く。

「キディは何してるの?」

 二人を目で追っていたホームズは、部屋の片隅の机でパソコンをいじくっている少女を見た。研究者のような白衣を着ていて、頭には黒い子ねこを乗っけている。

「……カメラで撮ったみかんのかわいい写真を取り込んでるのよ」

 パソコンの画面には、メイド服姿のみかんがねこ耳としっぽを付けて、恥ずかしそうにもじもじしている光景が映し出されている。

「キディ、それをマニアに売るのもいいけれど、もう少し有効活用したら?」

「……どういうこと?」

「ええと、つまり……この探偵事務所の広告に載せるとか」

 ホームズは、少しかわいそうかな、と思いながら言うと、それいいわね、とキディがキーボードを叩き始めた。キディの目は真剣そのものだ。もしみかんがこの会話を聞いたらどう思うだろうか。

 話す相手がいなくなると、ホームズは急に睡魔に襲われた。無理もない。三人が爆睡している中、ホームズはずっと運転してきたのだ。彼女は吸いこまれるように意識が遠のいていった。


 『あなたのお宝を盗みに参上します。怪盗H』という予告状を見ながら、高級スーツを着たちょびヒゲで太り気味の中年男がうなっていた。

「それでホームズさん、私はどうすればよいのですか?」

 依頼者の屋敷に調査のためやってきたホームズは、怪盗Hの手口を相談されていた。

「そうですね、わたしの推理だと……」

 ホームズは彼に、でたらめの手口を吹き込む。探偵と称して屋敷を下見することで、お宝を奪ってからの逃走ルートを考えるためだ。

 話し終わると、今度はそのお宝を見せてくれることになった。ホームズは、長い廊下をずっと進んでいき、やがて一つの部屋へと入った。

 奥の壁には、一枚の絵が掛かっている。それは、天使と悪魔が戦っている絵だった。天使が上空から舞い降りながら剣をふるっていて、それを地上の焼け野原にいる悪魔が迎え撃っている。

「すばらしい絵ですね……」

 ホームズはひとり言のようにつぶやいた。これはお世辞ではなく、本当にそう思っていた。彼女は目を輝かせる。

「そうでしょう? この国で三本の指に入る画家によって描かれたのです。これ以上に美しく心躍る絵はありません」

 男は胸を張った。ただ、胸よりも腹のほうが強調されている気もするが。

「この絵をどのように守るつもりですか?」

 ホームズはそれとなく訊いてみた。

「それは申し上げられません。いくら探偵さんでも、外部の者に防犯システムについて話すわけにはいきませんよ」

 男は、とんでもないという風に首を横に振った。ホームズは舌打ちしそうになるのを無理に抑え込む。

 その時、午後四時を知らせる古時計の音が聞こえてきた。辺りを見回すと、絵とは反対の壁に時計が取り付けられているのが目に入った。

「すみません。これから娘の教育の時間なので、これで失礼します」

 男はホームズに頭を下げると、そそくさと部屋を出ていった。

「教育って……、娘さんは学校には行ってないのですか?」

 ホームズは、そばにいる執事に尋ねた。執事は二十代前半くらいの女性だ。

「いいえ。将来お嬢様は、この地方を牛耳っていらっしゃる名家の跡取りとご結婚をすることになっているのです。この家の血筋を残すための手段なのです。そのため、失礼のないよう今の内に色々なことを学ぶのです。ただ、お嬢様はそれに反対されているようですが」

 執事はホームズをまっすぐ見ながら言った。執事の目は、どこか悲しそうに見える。

 金持ちの家ばかりターゲットにしていると、こんな話はよくある事だ。ホームズは相づちを打っただけで、それ以上尋ねることはしなかった。


「何よあの仕掛け、あんなの見たことないわ」

 絵を盗み出す当日、ホームズは長い廊下を、苦しそうに息を吐きながら走っていた。

 給仕係の少年に変装して屋敷に忍び込んだホームズは、そうっと絵の展示室へ入った。そして絵を収めている額縁に手を触れた途端、防犯ベルが鳴り、絵がくるっと回転し、壁の中に収納されてしまった。

 セキュリティシステムのコンピュータをハッキングできればいいのだが、ホームズはそんな知識を持ち合わせていなかった。

 仕方ない。絵は諦めるしかなさそうだ。ホームズは、下見の時に発見した裏口へと急いだ。

 後ろから警備隊が、大声や奇声をあげて追いかけてくる。ちらっと見ただけでも二十人ほどはいた。

 一人や二人ならどうにかなるが、さすがに男二十人を相手にするのはかなり無理がある。

 廊下の曲がり角が見えてきた時、前からも自分を探している男共の声がしてきた。ホームズは足に思いっきりブレーキをかけて立ち止まると、近くの部屋へ駆けこんだ。ここは一階なので、窓から脱出もできる。

 ホームズは部屋に飛び込むと、すぐにドアを閉めた。そして耳をドアにくっつけて様子をうかがう。どうやら、突然怪盗が消えたことに同様しているようだ。

 ホームズはほっと一息つくと、後ろを振り返った。ピンク色のベッドに女の子が腰かけていて、こちらを引きつった顔で見ている。まるで、突然クマに出会ってしまったかのように、体を震わせている。

 少女はツインテールで、緑色のきれいなドレスを身にまとっている。歳は十一、二くらいに見える。まだ子どものあどけなさが抜けきっていないようだ。

「だ、誰ですか? 知らない給仕さんですけど……、もしかして怪盗ですか?」

 少女は、くちびるを震わせて声が裏返った。

「静かにして。あなたを傷つけるつもりはないから」

 ホームズは少女に詰め寄り、懐から出したナイフを首筋に突きつけた。少女は声も出せないようだ。

「驚かせてごめんなさい。すぐに出ていくから安心しなさい。捕まりたくはないから」

「お、男の子の顔なのに、お、女の子の声なんですね」

 少女は絞り出すように言った。ホームズはふっと笑う。

「そうよ。わたしは変装が得意なの。だから簡単に忍びこめたわ」

 ドアを開け閉めしている音が聞こえてきた。どうやら警備隊が一つ一つ部屋を調べているようだ。ここにいるのが見つかるのも、時間の問題だろう。

「そろそろ退散するわ。今回はわたしの負けと伝えておいて」

 ホームズはナイフを引っ込め、窓に手をかける。

「待ってください! あなたは色んな所へ旅をして盗みをしているんですよね?」

 少女はホームズの袖をつかんだ。この女の子、時間稼ぎするつもり?

「そうだけど、それが何?」

 この廊下には数え切れないほどの部屋があった。だからすぐに見つかることはないだろう。ええと、と声の調子を整えてから少女は話し始めた。

「あたしのお父様は自分勝手で、あたしの同意なしに結婚相手を決めさせられてしまいました。この家のためだけにです。外で楽しく遊んでいる子どもがうらやましくて、黙って外に出た時も叱られました。あたしは自由になりたいんです。こんな鳥かごみたいな所には居たくありません。だから、怪盗さんと一緒に旅をして、色んなところを見て回りたいんです。お願いします。連れて行ってください!」

 突然の告白に、ホームズは口をあんぐりと開けた。まさか自分に付いてきたいという人がいるとは思わなかった。

 ホームズの心臓がバクバクと動いていた。女の子にほれた、なんてことではなく、さすがにもうそろそろ逃げないと見つかってしまうと思ったからだ。

「絶対怪盗さんの迷惑になることはしません。それに……」と少女は言い、「それに、今連れて行かないと、思いっきり叫びますよ? 『助けて!』って」少女はホームズから目をそらした。

 ああ、もうこんな展開予想してないわよ。こうなったら、とりあえずここから連れ出すしかないじゃない。

「……服を脱ぎなさい」

 そう言ってホームズはドレスをビリビリに破いて、少女を下着姿にした。少女が叫びそうになるのを口を塞いで止める。

「走るのにその格好だと足手まといになるのよ」

 ホームズは目に落ちてきた汗を拭うと、窓を全開にして窓枠に乗った。そして少女の手をつかみ、引っ張りあげる。

 二人は窓から飛び降り、そのまま敷地を飛び出した。

 五分くらいあちこちを走り回って、ホームズは路地裏で立ち止まった。少女がペタンッと座りこむ。

「す、すみません。こ……こんなに全力疾走したのは初めてだったので、い、息がしにくいです……」

「ところで、あなたの名前は何?」

 走り慣れているホームズは、落ち着いた声で尋ねた。

「み、みかんといいます……」

 みかんという名のその少女は、ホームズを見ながらニコッと笑った。初めて見る笑顔だ。とても安心しきっているようで、目からは涙がにじみ出てきている。

「みかん、落ち着くのはまだ早いわよ。急いでわたしの車に向かいましょ」

 はい、とみかんはよろよろと立ち上がり、自分が下着姿であることなど気にせずにホームズの後に付いて走っていった。追われているというのに、みかんは笑顔だった。まるで、これから始まる新しい人生を楽しみにしているように見えた。実際そうなのかもしれない。

 翌日の新聞に、『あなたのお宝、確かに頂戴しました』という怪盗からのメッセージが掲載された。


「あとちょっとよ、みかん」「うーん……キディさんやめてください! これは、あたしじゃなくてホームズさんの選んだ人のほうが……」

 甘い匂いがしてくる。息のようなものがふっふっと顔にあたり、だんだん迫って来ていた。

 ホームズはうっすらと目を開けた。ああ、あれは夢だったのか。懐かしかったな。

 目を全開にすると、なぜか目の前が薄暗かった。

「何?」

 ホームズは、むくっと仰向けになっている自分の体を起こした。その途端、「チュッ」とおでこに温かくて柔らかく、湿っているものがあたった。「「あっ」」というレイとキディの声がした。

 慌ててベッドの上で後ずさると、そこには腰を曲げて顔を真っ赤にしているみかんが立っていた。

「な、な、何してるのよ……?」

 ホームズは、とっさに枕を投げつけた。ものの見事に、みかんの顔面に命中した。

「あ、あの、キディさんが無理やりあたしを押さえつけて、ホームズさんにキスさせようとして……」

 みかんは枕をギュッとつかむ。みかんの手も、絵具を塗ったように赤くなっている。

「キ、キス!?」

 ホームズもたちまち顔が赤くなった。

「キディー? またあんたのいたずらか! この!」

 ホームズは、みかんが持っている枕を取り上げてキディに叩きつけた。彼女の頭に乗っていた子ねこが吹っ飛び、床にポトリと落ちた。

「……気持ちよさそうに眠ってたから、気付かないと思って」キディの手にはデジタルカメラが握られている。

 ホームズはベッドを飛び出し、キディを捕まえようと手を伸ばした。キディはそれを察知したかのように玄関のドアに向かって走る。

「待てー! この変態が!」

 ホームズは奇声に近い声を上げ、鬼のような形相で追いかける。キディは素早くドアを開けて外へ逃げていく。

 みかんは相変わらず耳まで真っ赤にしてベッドに突っ伏している。

「平和だなぁ」

 レイは一言そうつぶやいた。

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