第三話 まやかしの森とホームズ
奇妙な森だ。季節通りの春の花が咲いている木々の根元に、夏の草花が生い茂っている。少し離れたところの木には、秋になると見られる実があちこちでなっている。落ち葉が風にすくいあげられては、地面を滑るように転がっていく。春夏秋冬の植物のにおいがいっぺんに襲ってきて、頭がクラクラしそうだ。
この森には、車がやっとすれ違えるほどの道が一本走っていて、今夕日が沈もうとしている地平線の向こうまで真っすぐ続いていた。
その路肩に、迷彩色にカラーリングされている一台のジープが止まっている。ジープのボンネットは開けられており、その前で一対の男女が言い争いをしていた。男のほうは、背が高くてがっちりした体つきをしている。女は十五歳くらいで、背が男の胸くらいの高さしかない。彼女は、ホームズ帽にインパネスコートを身にまとっている。顔立ちからは、清楚な印象を受ける。
「あんたのせいよ、レイ!」
彼女は、運転席のドアに寄りかかりながら、つばを飛ばしていた。
「レイが噂になっている森を通ろうって言ったばっかりに、こんな事になっちゃうのよ」
彼女は、運転席のメーターを指さした。燃料が空である事を示している。
いやいや、それはオレの責任と違うぞ、とレイという男が反論する。
「あらかじめ燃料を満タンにしておかないのが悪い。旅に出るのなら、それくらい常識じゃないのか? ホームズさん?」
うぐっとホームズと呼ばれた少女は言葉を詰まらせるが、必死に言い返す言葉を考える。
「し、仕方ないでしょ。今回盗みに入った所は意外と警備が厳重で、早く街を出ないと危なかったんだから」
「そういうアクシデントも想定しておくのが、プロの怪盗というものだろ?」
正論を突きつけられて、ホームズはもはや自分の考えを通すことはできなかった。だが、いつも目下の存在であるレイに言い狂わされるのは、我慢できなかった。
「うるさいわよ! これでもくらいなさい!」
ホームズはそう言って、ズボンのポケットから小型のスプレーを取り出した。『催涙ガス』と書かれている。
「うわっ、暴力は反対だぞホームズさん!」
レイは夕日の方向へ走って逃げ、ホームズはそんなレイを、鬼のように犬歯をむき出しにしながら追いかけている。
「や、やめてください二人とも!」
助手席のドアが開き、メイド服を着た少女がくちびるを震わせながら、ケンカを止めようと二人に向かって叫んだ。ミルクチョコレートのような色をしたツインテールの先が、風に揺れる。
「ケンカしたって何も解決しません! お互い協力しないとダメです」
メイドさんの言葉にレイは振り向き、申し訳なさそうに元の所へ戻ってきた。ホームズはスプレーをポケットに入れ、レイの袖をつかんで後を追う。
「……そうだ。ケンカはやめろ。おろかな人間どもよ」
研究者のような白衣を着た少女が手のひらサイズの子ねこを両手で持ち、メイドさんの横に立ってホームズとレイに向かって突き出している。その子ねこは何が起きているのか分からないようで、不安そうに目をキョロキョロさせている。ホームズがプッとふき出した。
「キディったら、冗談はよしてよ。そう言っても……これからどうするの? もうすぐ夜になるわよ」
ホームズはピッと指を地平線の向こうに向けた。夕日は半分くらい沈んでいて、空の高いところは既に暗くなり始めている。小さく光っている星も見える。
「野宿するしかないんじゃないか?」
ジープの所まで走ってきたレイが、お菓子をもらった子供のような笑顔で言った。左腕は、がっちりとホームズにつかまれている。
「なんでそんなににこやかにしてるのよ?」
ホームズが、気持ち悪そうに手を離した。
「いや、一度皆とキャンプみたいな事をしたいと思っていたんだ。大丈夫。テントの設置は任せてくれ」
レイは、鍛えられた胸を張って誇らしげに言った。
「テントなんていらないわ。ここで寝ればいいし」
ホームズは、ジープのボンネットを閉めた。
「……本当にここで一夜を過ごすの? 色々悪いうわさがあるのに」
キディと言う名の白衣少女が、子ねこを頭の上に乗せた。子ねこはやっと居心地の良い場所に戻れたらしく、目を細めて「ニャー」と一声鳴いた。
「わ、悪い噂ってなんですか? キディさん」
メイドさんは、キディの左手をギュッとつかんだ。メイドさんは、一人ぼっちになっているウサギのようにこわばった顔をしている。
「……この森にいると、人は狂ってしまうの。去年、体に大量の引っかき傷がある男の死体が、道の真ん中で見つかったそうよ。色々調べたら、それは自分で付けた傷だったらしいわ」
いやー! と叫んで、メイドさんはキディに抱きついた。子ねこは落っこちないように、キディのクルクルした髪を噛んでいる。
「……大丈夫よみかん。その人は、元々麻薬中毒だったらしいから。普通の人が皆あんなことになっていたら、大事件になっているはずでしょ」
キディは、みかんというメイドさんの頭を優しくなでる。
「それじゃ、人が狂うっていう話も嘘なのか?」
レイが、そばに寄ってきながら尋ねる。キディは、首を横に振った。
「……それは本当みたい。周りを見て」
レイは辺りを見回した。春夏秋冬の草花が咲き乱れている。
「確かにそうね。春の花のにおいがすると思ったら、落ち葉が舞っているんだもの。わたしでも狂ってしまいそうだわ」
ホームズは鼻をつまみ、背中まで伸びるつやつやしたストレートヘアーを揺らしながら車の後ろへまわり、荷台のドアを開けた。
「仕方ないわね。車も全然通らないし、今日はここでお泊りよ」
そう言ってホームズは、携帯食料が入っている段ボールを抱えた。そしてレイを、さっそく荷物運びに任命する。力仕事はいつもレイの仕事だ。
こんな時は、レイがとても役に立つわ。ホームズはフッと心の中で笑った。
ホームズの腰くらいの高さまで生い茂っている草をかき分けて森の中へ入っていくと、二分くらいして学校の体育館くらいある広さの空き地に出た。短い草が敷き詰められていて、たき火をするには絶好の場所だ。
食糧やビニールシートを運び終えたレイは、辺りから枝や落ち葉を拾ってきて、木と木を擦るという原始的な方法で火をつけようとした。だが、テレビで見たようにはなかなかいかない。
二十分たってレイがいったん休憩していると、それまで彼の後ろでニヤニヤしながら立っていたホームズが、すばやくマッチを取り出して火をつけた。あっという間に全ての枝に燃え移った。
「なんでマッチがあるのに黙ってたんだ?」とレイが訊くと、「だって無駄にがんばるレイの姿が面白くって」と、ホームズは笑いすぎて出た涙を拭く。
また二人が追いかけっこを始めた。みかんはもう二人を止めるのは諦めていて、ビニールシートに女の子座りして様子をうかがっている。キディは周りの声が聞こえていないかのように、ビニールシートの端っこにしゃがんでケータイをいじくりまわしている。
「……やっぱり圏外ね。ここじゃ使い物にならないわ」
キディは残念そうに、ケータイを胸ポケットにしまった。
「だれかにメールでもするつもりだったんですか?」
みかんがそばへやって来て座り、キディの頭の上に乗っている子ねこのあごをなでる。「ニャン」と気持ちよさそうに声を出した。
「……そうよ。あなたの写真をケータイで撮って、マニアに高く売るの。最近相場が上がってるんだから」
キディは、隠していたねこ耳としっぽをみかんにそっと見せた。そのとたん、みかんがあわてて立ち上がる。
「い、いやです! とても恥ずかしいんですよ。これまで何回も撮ったじゃないですか」
「……世間は、常に新鮮さを求めているの。みかんの新たな一面が見たいのよ」
みかんの腕が、カメラマンにつかまれた。みかんは「助けてー」と、シカが狼に追いかけられているときに発しそうな声を上げ、顔を真っ赤にしてキディの手を振りほどき、逃走した。
キディは、「……もし写真が売れたら儲けの一割をあげるわよ」とアメをちらつかせ、ねこ変身グッズというムチを抱え、後を追う。
真ん丸な月に照らされ、四人が追いかけっこをするという奇妙な光景は、十分くらい続いた。
空気がピンと張り詰めてきた。皆たき火に手を当て、はあはあと白い息を吐く。女子三人は風の通り道がないほどくっつき、お互いを温め合っている。本当はレイもその中に飛び込みたかったのだが、ホームズがネズミを追いはらうかのように拒否したので、彼女たちとは反対側で寂しく缶詰めを箸でつついている。
「もうキディさん、くっつきすぎです」「あっ、どこを触ってるんですか! やめてください!」「……みかんの成長記録をつけないと」
燃え上っている炎のせいでよく見えないが、ホームズたちがいる向こう側は今頃パラダイスだろう。
「オ、オレもそっちへ行っていいか?」
レイは腰を上げかけるが、
「ぜっったいだめ! どうせみかんやキディにくっつきたいだけでしょ?」
とホームズに空の缶詰めを投げつけられた。まったく、何て言い草だ。そのとおりだけど。
それぞれが食事を終えたころみかんが、たき火で沸かしたお湯で食後のお茶を入れてくれた。今まで森の中にメイドさん、というファンタジーの世界のような光景を見せてきたが、今はよく映えている。
みかんは段ボールに入っていたマグカップにお茶を入れ、お盆に乗せてホームズとキディに配っていく。
最後にレイへ渡そうと近づいた時、突然みかんの足がもつれ、お盆をひっくり返した。
マグカップが宙に浮き、傾きながらレイのほうへ落ちていく。もちろんレイは、瞬時にお茶をこぼさずにそれをキャッチする能力など持ち合わせていないので、何かをする術なく頭から七十度近い液体をかぶってしまった。
「うわっちっちっち!」
レイは弾丸のように飛び出し、空き地を走り始めた。頭から湯気が上っている。
「ふふっ、今のレイ、まるで頭の回転が悪い人みたいに見えるわ!」
ホームズは腹を抱えて笑っている。キディもくすくすと口を押さえていた。
「みかんちゃん、どういうことだよ? 火傷するじゃないか」
頭を抱えながらレイが戻ってきた。この寒さで回復が早かったようだ。
「んっ、どうしたみかんちゃん? 大丈夫か?」
レイが様子をうかがうように尋ねる。みかんはその場にうつぶせで倒れたままだ。
「ちょっと、みかんどうしたのよ?」
ホームズがみかんに駆け寄って正座し、彼女を仰向けにして自分のひざにみかんの頭を乗せた。みかんの顔からは血が引いていて青白く、体中から汗が噴き出している。
レイはうらやましいなぁと一瞬思ったが、すぐにそんな妄想は取っ払い、みかんの横にしゃがんだ。
「熱はないようね」とホームズがみかんのおでこを触る。
「す、すみません。ちょっと吐きそうなんです……」
みかんがキディに手を伸ばした。キディはその手を取り、しゃがんで肩を貸してやる。
「……ホームズさん、森の奥で吐かせてあげましょう」
ホームズは、分かったわと緊迫した表情をし、自分の肩にみかんの腕をまわして彼女を立たせる。
「缶詰めの消費期限は切れていなかったから、食あたりじゃなさそうだけど」とホームズは歩きながら推理する。
「……みかん、何かアレルギーでもあるの?」
キディの言葉に、みかんは力なく横に首を振った。
「森の植物の中に、みかんの具合を悪くするものを飛ばしているのがあるのかもしれないわ」
ホームズはひとり言のようにつぶやくと、「大丈夫?」とみかんを励まし、森の奥へと歩を進めた。
レイは、一人たき火のそばでたたずんでいた。さすがのレイも、今みかんを助けようと近寄れば、「レイは来なくていいわ」とホームズに拒否されることは予想できた。
みかんの具合が悪くなってからすぐ、一同は早めに寝ることにした。
火を消して道具を車に運び、歯磨きも早々に終わらせ、車の中に入った。
最初ホームズは、「レイは外で寝なさい」と後ろに積んである寝袋を指さしたのだが、「それじゃ、レイさんがかわいそうです」とみかんが震える手で止めたため、ホームズは仕方なくいっしょに寝ることを認めた。
皆が眠りについて二時間くらいたったころ、レイは目を覚ました。膀胱が満タンになりかけているのだ。
レイは、隣で眠っているキディをじろじろ見た。彼女のひざの上には、体を丸くしている子ねこがいる。キディの両手が、子ねこを守るようにかぶさっていた。
まるで親子みたいだな、とレイは目の前の光景に癒された。運転席と助手席では、ホームズとみかんがそれぞれ静かに休んでいる。
レイはドアを開けて外に出た。鼻の中に、冷たくて新鮮な空気が入ってくる。月が大きなダイヤモンドのごとく森を照らしていた。そうすると、空に散らばっている無数の星はクリスタルかパールだろうか。
怪盗の助手なのに宝石と言ったらそれぐらいしか知らないレイは、さっさとたき火をした空き地の手前まで急いだ。
それにしても、地面から生えている植物が邪魔でしょうがない。手のひらサイズの無駄にでかい葉っぱが、体にまとわりつく。どうやら粘液が出ているようだ。
用を済ませたレイは、車に戻ろうと足を元来たほうへ向ける。すると、
「誰かー助けてー」
という女の子の声が聞こえてきた。レイはその声をたどる。
空き地の真ん中に誰かが倒れている。ちょうど木の影になって月の光が届いていない。
「誰だ?」
レイはおそるおそる声の主に近づく。
「レイさんですか? このロープをほどいてくださーい!」
この声はみかんちゃんじゃないか!
「どうしたんだ! 大丈夫か?」
相手の顔がはっきり見えるまでレイは目を凝らした。確かにみかんだ。
「あ、あたしトイレをしていたら、突然後ろから誰かに肩を掴まれてロープで縛られて……ここに捨てられたんです」
みかんは腕を後ろに回されて、胴体と足を縛られている。
レイは力任せに結び目を引っ張ってほどいた。みかんがほっと胸をなでおろす。
「ありがとうございます。お礼にひざまくらをさせてあげます」
月の光が木々の隙間から差し込んできた。みかんは正座をして自分のひざを指さしている。
レイがこれを断るはずがない。さっそく頭を乗っけようと仰向けに寝っ転がる。
すると、突然誰かが手でレイの顔をつかんだ。レイの視界が奪われる。
「みかんちゃん、なにするんだ?」
しかし、その手の主はみかんではなかった。
「あんた、ここで何してるの? まさか、気分が悪くてぐったりしているみかんを無理やり連れて来てみだらなことを……」
レイの頭の横に立っている足を見上げると、怒りでプルプルと震えているホームズの顔があった。
「え、一体どういうこと……ぐはぁっ!」
ホームズが手を離し、レイのみぞおち辺りを足で思いっきり踏んだ。レイは晩に食べた物が出そうなほどむせかえる。
「エッチで変態な男への制裁よ! おとなしく従いなさい!」
そんなわけにいくか、とホームズの足をつかもうとした時、その手がまた別の手に掴まれた。
「……あなたはまるで悪魔のようね」
キディが体重をかけて、レイの手を押さえつける。
「……やっちゃっていいわよ」
キディがそういうと、何か毛むくじゃらで小さく暖かいものが顔に落ちてきた。
「バリバリ!」
「いってー!」
子ねこに、ほっぺたを力強く引っかかれた。
「み、みかんちゃん、助けてくれ!」
「無駄よ。みかんはとっくに安全なところまで避難しているわ。これで魔の手から逃れたわけね」
ホームズがニヤッと口のはしを曲げる。
「お、おい! 話を聞いてくれ! ご、誤解だよ。オレが来た時既にみかんは縛られて……ぐはぁっ!」
再びみぞおちを蹴られた。レイは体をねじって脱出しようと試みるが、なぜか金縛りにあったように体が動かない。
「くそっ、動け、動け!」
レイは歯を食いしばって力を全身に込める。しかしまったく言うことを聞かない。
「都合がいいわね。今ここで懲らしめておけば、二度と変な目でわたしたちを見たりしないでしょ」
三度ホームズが襲いかかる。まるで闇を駆けるバンパイアのように。
「やめてくれぇぇっ!」
レイの絶叫が、深い森にこだました。
朝日が木々の間から漏れてくる。レイは太陽光線に反応して目が覚めた。
「……ここは、どこだ?」
車の中ではなかった。昨日の晩にたき火をした空地と車の間にある草花の中だった。濃い草のにおいが目覚めを促進させる。
「あれって、夢だったのか?」
思い出すのも嫌になる。ホームズに腹や肩を蹴られ、キディには腕を押さえつけられた。
「そうだよな。あれは夢だよな」
ぜひ夢であってほしい。
レイは、なぜか痛みを感じる腹や肩をなでながら、ホームズたちのもとへ戻った。
雑草をかき分けて進んでいると、車の前でホームズがストレッチをしていた。レイは、つばをごくっと飲み込んだ。
あ、あれは夢だったんだ。もし「昨日オレの事殴った?」なんて訊けば、「バカじゃないの? 夢と現実の区別もつかないわけ?」と罵倒されるに決まってる。
「お、おはようホームズさん」
レイは、いたって平穏を装って笑顔をつくる。
「あれ? こんな朝早くからどこ行ってたの?」
ホームズがきょとんとした顔で尋ねる。
「ト、トイレだよ」レイは頭をポリポリかく。
「それにしては、ずいぶんいなかったようだけど」
ぎくっ、なんて観察力だ。
「あ、ああ。思ったよりアレが出るのに手間取ってな」
今はこれくらいの言い訳しか思い浮かばない。
「ふーん」とホームズは急に興味をなくし、「朝ごはんをここで食べるから準備しなさい」と車の後ろを指さした。道具を出せということらしい。
「お、おう」
深くつっこまれなくて良かった。たぶん、ねぼけてそこらを徘徊していただけだろう。小さいころからよくあったことだし。ほっとレイは安堵の息を吐く。
ふと、みかんちゃんの様子はどうだろうと助手席を覗き込んだ。すると、彼女は無防備で平和な寝顔を見せてくれた。レイは思わず見とれてしまう。
「ちょっと、早くこっち来なさい。わたしだけじゃ荷物持ち切れないのよ」
ホームズは、こっち来いとあごで示した。
ハイハイと返事したのを「ハイは一回だけ!」と訂正され、レイは彼女に腕を引っ張られていく。
ちらっとキディの寝顔が見えた。夢の中で、無表情のまま腕を押さえつけてきたのが恐ろしかった。
寒さなのかそれ以外が原因なのか、レイは体を震わせると、ドアが開けられた荷台から食糧が入った段ボールを取り出す。
ふと、ジープの後ろから白色のワゴン車が一台走ってくるのが見えた。これはなんて幸運だろう!
「おーい、おーい、助けてくれ! 車の燃料が無くなったんだ」
レイは両腕を大きく振りながら合図する。すると、親切にもジープの後ろに止まってくれた。レイとホームズはワゴン車の運転席の駆け寄る。
「すいません。わたしの車が燃料切れになってしまって……良ければわたしたちを街まで連れて行ってくれませんか?」
ホームズは、かわいそうな女の子をイメージさせるように言葉を投げかけている。なんて世渡り上手なのだろう。
彼女の甘い声につられたのか分からないが、二人の男が車から降りてきた。
運転席から出てきたのは丸坊主で小太りの中年男で、助手席から降りたのは長身で頭がツンツンしている若い男だった。二人とも作業着と軍手を着用している。
「なんだお嬢ちゃん? おれたちはここの植物を採りに来たんだ」中年男が口を開く。
「植物? ここにあるのって、なんか無駄に大きい葉っぱくらいしか……」ホームズは首をかしげている。
「それっすよ。おれたちはそれを採取しているんすよ」
若い男がそう言うと、突然胸ポケットからナイフを取り出した。
「な、なんのつもりだ?」
レイが、ホームズを守るように前へ出る。
「決まっているだろ? その探偵さんを始末するためさ」中年男も同じようにナイフを手に持った。「どうせ、販売が禁止されているこれを見張っていたんだろ?」
「売買禁止って……知ってるかホームズさん?」
レイがこそっとホームズに尋ねるが、彼女は植物に関してはそれほど詳しくないらしい。
「……それはまやかしの葉っぱよ」
いつの間にか、キディがレイの横に立っていた。
「……この植物は、木に寄生して栄養を吸い取って生きているの。その時に、まやかしの成分を葉っぱから出して木に吸わせることで、自分を木の一部だと思いこませるのよ。ここの木の季節感覚が狂っているのは、その成分が過剰に出ているためよ。ようやく思い出したわ」
「頭がいいなお嬢ちゃん。そしてこの成分を人間が吸い込むと、自分の妄想が目の前に投影されたような気分になるんだ。だから裏で高く売れるのさ」中年男がニヤッと笑った。
「なぜそこまで詳しくわたしたちに話すの?」とホームズが訊く。
「さっきも言ったろ? 探偵として名が高いお前を始末するからさ。ついでにお仲間も片づければおれたちの事がばれる心配はない」
中年男がホームズにじりじりと歩を進めた。若い男もそれに合わせて彼女に詰め寄る。
ふふっとホームズは笑うと、ポケットから催涙スプレーを取り出し、中年男の顔に吹きかけた。
「うわっ」と男はその場にうずくまり身もだえる。
「くそっ」と若い男が、ホームズの持っているスプレーを奪い取ろうと彼女の細い手首をギュッと握った。ホームズは歯をギリッと噛みしめ振りほどこうとするが、力の差がありすぎてなかなか離せない。彼女の手がプルプルと震える。
「おい、ホームズさんに手を出すな」
レイの低い声で男が後ろを振り向いた。レイは男の両肩をつかんでホームズから引き離すと、ワゴン車のボンネットへ仰向けに男を押し付けた。
「なにする――」男に最後まで発言する余裕を与えず、レイは相手のみぞおちへこぶしを叩きこんだ。
「ぐふっ」と鶏の首を絞めた時のような声を出し、すぐに男は気を失ってしまった。
レイは若い男を地面に投げだすと、ホームズのほうを向き、
「大丈夫か、ホームズさん?」
と、子どもを心配する父親のように声をかけた。
「あ、当たり前でしょ。レイが助けてくれなくても、自分でなんとかできたのに。よ、余計なお世話よ」
さすがにレイはカチンときた。
「そんな言い方はないだろ。あのままだったら、ホームズさんはあいつの好きなようにされてたはずだ」
「好きなようにって何よ?」
ええっと、とレイはためらった。まさかそんな質問が来るとは思わなかった。
「い、いやー。た、例えば、つ、つまり不純異性交遊とか……」
何よそれ、と返されてレイが困っていると、
「……そいつらが目を覚ます前に縛って車を奪って逃げましょ」
と、キディがロープを持ってきた。ほっとレイが胸をなでおろす。
その辺の木に二人を縛り付けると、ホームズは荷台からポンプのようなものを取り出した。
「車から燃料を盗み出すのよ」
さすが怪盗だなぁとレイは感心した。
燃料を移し終えたホームズは、「朝ごはんは車の中で」と言ってすぐに出発するよう皆を促す。
車に乗ると、相変わらずみかんは苦しそうな表情をして寝ていた。
「街に着いたら、すぐに病院を探すわよ」
ホームズはアクセルをフルパワーで踏みこんだ。
「うーん、これはアレルギー症状ですね」
二時間かけて街へ到着したホームズたちは、あちこちを走り回ってニ十分後にようやく大病院を見つけて駆けこんだ。そして検査を受けて医者が診断結果を述べた。
「アレルギーって、一体何のですか?」
ホームズが額にしわを寄せた。みかんは、自分にはアレルギーなどないと言っていたから不安なのだろう。
「あなた方が泊ったというあの森に、粘液を出す手のひらサイズの植物がありましたよね? おそらく彼女はそれに触れたため、体調を崩したのでしょう」
医者は、診断書とベットで点滴を受けているみかんを順番に見た。
「……確かその植物は人をまやかすらしいけど、精神的な問題はないの?」
キディが、寝ているみかんの頭をなでながら尋ねた。病院に動物を持ち込むのは禁止されているので、頭に物足りなさを彼女は感じている。
「それは大丈夫です。個人差で程度は異なりますが、自分の妄想が目の前で起きているかのように錯覚するだけなので。販売が禁止されているのは、妄想に浸って仕事や勉学に支障をきたす人が増加したためです。ちなみに、あの植物の影響は、ひどくストレスを抱えているかよほど強い欲望を持っている人が受けやすいと聞きます」
「みかんは清純な心を持っているから大丈夫だったんだな」
レイが安心したように、丸イスに腰掛けた。
「ちっとも大丈夫じゃないわ。アレルギー症状はどうなの?」
ホームズが医者の肩を揺らす。それをレイがあわてて止める。
「落ちつけよホームズさん」
「落ち着けるわけないでしょ。昨日の晩、みかんのあんなに苦しそうに吐いていた姿を見たのよ?」
ホームズは医者から手を離し、レイの胸ぐらをつかむ。
「大丈夫ですよ皆さん。今打っている点滴が終われば体も軽くなるでしょう。それにあの植物は、その森周辺にのみ生息しているので、今後立ち入らなければ問題ないです」
医者はくいっとメガネを上げた。
「そ、そうですか。良かった……」
ホームズの肩の力がようやく抜けた。
「後三十分くらいしたら点滴が終わるので、そうしたら帰ってもらって構いません」
「皆さん、ご迷惑かけてごめんなさい」
みかんが退院してジープで郊外を疾走している中、みかんはいつも通りのメイド服姿で運転席のホームズや後部座席のレイ、そしてキディに何度も頭を下げる。
「いいわよそんなの。旅をしていれば、こんな問題はつきものだから。気にしなくていいわよ」
ホームズが前を見ながら答える。すると、キディが前の席の間から顔を出した。
「……そうよ。それに、これを着ける元気がないと困るし」
キディはねこ耳としっぽを取り出した。みかんがヒイッと声を上げる。
「それにしても……」とレイが口をはさんだ。
「オレが見た夢はなんだったんだろうな。なんか夢じゃなかったような気もするんだけど」
何それ、というホームズの問いに、レイは昨日見た夢を洗いざらい話した。嫌な目にあったみかんを元気づけるためには、自分が恥をかいてもいいだろうと思ったのだ。
「ふふふっ、それってもしかしたら本当かもよ」
ホームズが目をきらっと光らせる。
「実はね、わたし昨日変な夢を見たのよ。レイをボコボコにする夢だったの。『今までの無礼に、オレを好きなだけ殴ってくれ』ってレイに呼び出されたの。こぶしの感触とか妙にリアルでスカッとしたわ」
ホームズは不敵な笑みで、一瞬レイのほうを振り向く。
「……私もおかしな夢を見たの。『みかんの撮影会を空き地でやるから来てくれ』ってレイが言うものだから私、みかんの具合が悪いことも忘れてはりきってデジカメとケータイを持っていったの。そうしたらみかんの等身大の張りぼてだったのよ。私怒り狂って殴りかかろうとしたら、ホームズさんが突然現れたの。そしてレイを蹴り始めるのものだから、ちょうどいいと思って加勢したわけ。現実でそんなうそを言ったら許さないわよ」
キディは、クマにエサを盗られた狼のような目でレイをにらむ。二人の女性のオーラに、レイは冷や汗をかいた。
「――ってことは、朝起きた時オレの肩や腹が痛かったのは……」
「「私が殴ったのかもね」」
二人の声が偶然重なった。
オレ、こんな女の子に囲まれてやっていけるのか?
ふとホームズは空を見上げた。季節外れの雪が降ってきた。そしてあっという間に風に乗って舞い上がる。ホームズはぶるっと体を震わせ、暖房をつけた。
先の見えないこの一本道を、雪が覆い隠してゆく。
遅筆ですみません……。




