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第二話 病気と怪盗H

 果てしなく続く荒野だ。周りにあるのはちょっとの草と、ごつごつした岩山だけ。二月の弱い太陽の光が雲の隙間からもれていて、ステージを照らすライトのように感じられる。その荒野に伸びる一本の土色の道を、一台のジープが砂ぼこりを上げながら疾走していた。

 そのジープは迷彩色で、所々塗装がはげている。どこかの軍隊にでも配備されていそうな印象だ。

 運転手は十五歳くらいの少女だ。ホームズ帽とインパネスコートを着ていて、座席を前にずらして座っている。

「あ、あのホームズさん? ちょっとスピード上げ過ぎじゃないですか?」

 助手席に座っているメイドさんの格好をしたツインテールの女の子が、不安そうに運転手を見た。メイドさんは、運転手より年下のようだ。ホームズと呼ばれた運転手が、フンと鼻を鳴らす。

「百キロくらいどうってことないわ。こんな荒野で警察が見張っているわけないし」それに、とホームズは付け加える。「急がないと次の街に着かないのよ」

「この先に何か目的でもあるのか?」

 ホームズの後ろの座席にいる男子が尋ねた。彼はがっちりした筋肉質の体をしていて、背をかがめている。普通に座ると頭が天井についてしまうのだろう。

「遅くなるとホテルがいっぱいになって入れなくなるから。車中泊はあまりしたくないの」ホームズはちらっと彼を見る。

 オレは、みんなで車の中で寝るのは全然オッケーだけどなぁ、とその男子は少し鼻を伸ばした。

「レイ、あんたのその顔、ばっちり見えてるわよ」

 ホームズはバックミラーを見ながら、苦薬を飲んでいるような表情を浮かべている。

「いやいや。オレはいつもまともな顔をしてるぞ、ホームズさん」

 レイと言う名のその男子は、左手をホームズの座席の背もたれに置きながら弁明する。ホームズはその手を冷たく払いのけた。

「それがまともな顔なら、変な顔をしたらどうなるのかしら。テレビで放送するときは、絶対モザイクが必要ね」

 ホームズは冷静にそう言い放つと、レイに反論の隙を見せず、左手の親指でレイの横を指した。

「レイ、いくら隣で寝ているキディがかわいいからって、ちょっかい出しちゃだめよ。そんなことしたら、今すぐここから追い出すわ。外で干からびてしまいなさい」

 気付かれないようにキディという女の子のほっぺたをつつこうとしていたレイは、そっと人差し指を引っこめた。

 隣で気持ちよさそうにお休みしているのは、メイドさんよりは少し年上で、ホームズよりは若い感じの少女だ。クルクルした髪が肩までかかっていて、研究員のような白衣を着ている。

 なによりチャームポイントは、彼女のひざの上ですやすやと眠っている子ねこだろう。黒くてきれいな毛並みをしている。ティーカップにすっぽり入ってしまいそうな小ささだ。

 この光景を、ぜひ写真に収めたいレイだったが、そんな事をしたら間違いなく皆にさよならをする羽目になる。非常に残念だ。レイは、はあっとため息をついた。

 その時、ズボンのポケットに入っているホームズのケータイが騒ぎ始めた。黒電話の着信音が、異質な雰囲気を放っている。

「はい、ホームズジュニア探偵事務所です」

 本当は運転中の通話は禁止されているが、そんなルールを知らないふりをして、ホームズはお構いなく話し始めた。

 どうやら相手は依頼者らしい。ふんふんとホームズは相槌を打ちながら聞き入っている。

「――申し訳ないんですが、今わたしは移動中なので、あなたの依頼を受けることはできません。なので、最寄りの探偵事務所を紹介しましょう」

 ホームズは依頼者にとある住所を教えると、わたしの紹介があったことを探偵に伝えてください、と付け加えて電話を切った。

「なるほど、旅をしていても探偵業が務まる訳が分かったよ」

 レイは、首をホームズとメイドさんの間から出して納得顔をした。

「そう。直接依頼を受けられなくても、こうすることで紹介料がもらえるのよ。シャーロックホームズの時代と違って、今はネットワークで探偵がつながってるの」

 ホームズはそう呟きながら、ラジオをつけてボリュームを上げた。ニュース原稿を読み上げている男性の声が車中に流れる。

『――次のニュースです。インフルエンザの大流行によって、死者が増加しています』

 ニュースによると亡くなった人数は、小さな村一つ分くらいの規模らしい。レイの顔に緊張が走る。

「ふーん。これはちょうどいいわ」

 ホームズは、にやっと口のはしを曲げた。

「また何か盗むものを見つけたんですか、ホームズさん」

 メイドさんが大きくてくりくりしている目を向け、ホームズに尋ねる。

「みかん、インフルエンザが流行っているということは、何が一番お金になると思う?」

 ホームズに訊かれ、みかんと呼ばれたメイドさんがきれいな額にしわをつくってうーんとうなる。

 分からない? とホームズは、

「正解は、ワクチンよ」

 と前を冷静に見ながら答えた。

「この時期は、毎年お金持ちがワクチンを大量注文して、自分の家族や従業員にも注射させているの。だからそれを手に入れれば、かなり高い値段で売ることができるわ」

 後ろからカタカタと音が聞こえてくる。メイドさんが振り向くと、キディはとっくに起きてパソコンを立ち上げ、この周辺の地図を表示させている。

「……ホームズさん、この近くの街に病院の保蔵施設があるわ。そこに行けば、ワクチンが手に入るかも」

 キディは、ホームズに聞こえる最小限の声を出して報告した。

「分かったわ。キディはホテルに着いたら、ワクチンがどこに仕舞われているか調べて。わたしはそこに侵入するための衣装を用意するから」

 ホームズはふふっと笑みを浮かべる。彼女は、探偵から怪盗の顔へと変わっていた。


 翌日の昼ごろ、レイはホームズの運転する小型トラックに乗って、郊外の病院へと向かっていた。ホームズによると、警備が厳重になる夜よりも昼のほうが忍びこみやすいらしい。

「これが倉庫までの地図か……」

 レイは、病院の裏口からワクチンの保管場所への道のりを確認していた。

「正直もっと複雑に入り組んだ道かと思ってたんだが、意外だなぁ」

 目的の場所へは、入口からずっとまっすぐ進んでいった廊下の突きあたりにあるようだ。

「そんなもんよ。その病院は、これまで盗難にあった事がないらしいから。素早く患者にワクチンを運ぶためには一番かもね」

 ホームズは視線をそらさずに言った。

「それにしてもホームズさんのその格好、少し驚いたぞ。いったいどこからそんな衣装を仕入れたんだ?」

 レイはホームズをじろじろ見た。彼女は今、白衣を身にまとい、ダテメガネを低い鼻にちょこんと乗せている。研究員の格好だ。一部の人種にはかなり注目される姿だろう。

「キディが持ってたのよ。彼女、みかんにコスプレをさせるのが趣味でしょ? いつかみかんに着せるつもりなんじゃない?」

 ホームズは片手でえりを直しながらほほ笑んだ。きっとみかんのメガネ姿を想像しているに違いない。

 ホームズさんもかわいいけど、みかんの白衣姿も見てみたいなぁ。少しませて見えるかもしれない。

 鼻の下が伸びているレイをちらっと見たホームズは、突然ブレーキを勢いよく踏んだ。サルの吠え声のようなブレーキ音が響き、レイはおでこを車内のエアコン部分に思いっきりぶつけた。もしマンガだったら、お餅のようにたんこぶが膨らんでいることだろう。

「これから一仕事だというのに、気を緩ませちゃダメでしょ? しゃっきりとしなさい」

 彼女はそう言うと、再び車を走らせた。


 それから十分くらいして、病院の裏口へ到着した。清潔感のある正面玄関と違い、ここは寂しくて何もない場所だ。

 ホームズは、運搬用トラックが荷物を下ろす場所で車を止め、エンジンをつけたまま外へ出た。緊張感を取り戻したレイは、トラックを下りて荷台へと歩いて行く。

 ホームズは荷台の扉を開け、カートを一つ下ろし、扉をあけ放しておいた。レイが、カートに空の段ボール箱を四つ乗せる。

「さあ、行くわよ」

 ホームズは静かにそう言うと、カートを押しながら入口へ向かう。

 中へ入ると警備員の部屋があり、四十歳くらいの男性に呼び止められた。

「えっと……荷物の運搬ですか? 予定にはそんなの書いてないですけど」

 警備員は、有名な運搬会社の制服を着ているレイと予定表を交互に見ながら訊いた。

「はい、わたしと彼は知り合いなので、ここまで送ってもらいました」

 レイの代わりにホームズが答える。すると警備員はホームズに、IDカードを差し出すよう命じた。

 レイは、素早く警備員の胸ぐらをつかんで引き寄せた。透明のアクリルガラスに警備員の額がぶつかり、びっくりした声を上げる。

 サイレンを鳴らされる前に、レイはズボンのポケットから小型のスプレーを取り出し、睡眠ガスを相手の顔面に吹きかけた。とたんに警備員の力がゆるむ。レイはその隙に相手のIDカードを胸ポケットから盗み取った。ドタン! と派手な音を立てて警備員はその場に倒れる。

 この警備員以外の人間はここにはいないようだ。レイとホームズは、なるべく音をたてないように幅が二メートルくらいある廊下をまっすぐ進んでいった。

 目的の部屋の前まで来ると、『IDカードを提示してください』と機械の声が流れた。レイがカードを読み取らせると、すうっと横にドアがスライドした。ホームズは先に中へ入る。とたんに電気がついた。

 ここは学校の教室くらいの大きさがあり、薬品の種類ごとに段ボール箱が山積みされている。

「ワクチンってどれだ?」

 レイは背をかがめながら、段ボール箱に書いてある名前をチェックしていく。すると、ホームズが近くまで来てささやいてきた。ふわっと春の花畑のような匂いがする。

「しゃべっちゃだめよ。なるべくわたしたちが来た証拠を残さないようにするの」

 どういうことだよ? と訊くレイに、ホームズは部屋の片隅をあごで示した。防犯カメラが一台設置されている。

 レイは慌てて口を閉じると、ワクチンを探しに戻った。

 一分くらいして、ホームズがレイに手招きした。ワクチンを見つけたようだ。

 レイとホームズは、空の段ボール箱をふっとばしてワクチンをカートに置く。

 六つほど置くと、ホームズが出口を指さした。この辺で引き上げる、ということらしい。

 レイがカートを押しながら、ホームズと一緒に小走りしていく。

 廊下を半分ほど来た時、突如サイレンが響き渡った。入口辺りから警備員が三人こちらへ走ってくる。どうやら仲間の異変に駆けつけたようだ。

 二人は警備員の出現も気にせず、先を急ぐ。「コラ! 何やってるんだ!」と警備員が叫んでいる。

 すると、ホームズはレイより先へ走って行き、ポケットから取り出した催涙スプレーを射程圏内まで来た警備員に発射した。真ん中の警備員が、その場でうずくまる。

 続いてホームズは、右側の人にスプレーを打った。だが、警備員はそれを察知していたのか、しゃがんで避けてホームズの後ろへ回り込む。そして自分の両手を握ってこぶしをつくり、彼女の後頭部に打ちこんだ。

「うっ」とうめき声を上げ、ホームズはうつぶせに倒れる。さらにもう一人の警備員が、レイに迫ってきた。

 レイはごくっとつばを飲み込むと、パンチしてきた警備員の右手をつかみ、素早く相手の胸に自分の背中を密着させた。

 警備員は、レイに背負い投げされて硬い廊下に叩きつけられた。背中から落ちて頭も打ったので、すぐには動けないだろう。

 あっさり仲間が倒されたのを見て、ホームズを倒した警備員が慌ててレイのほうへ走ってきた。それに対しレイも、背をかがめながら駆けていく。

 レイは相手の腰にタックルした。警備員が尻もちをつく。そして相手のみぞおちにこぶしを打ちこんだ。

「ゲホッ」と言って警備員が仰向けになって失神した。レイはふう、と息を吐く。

 レイはカートのあるところまで戻って、カートを押しながらホームズに駆け寄った。

「おい! ホームズさん、しっかりしろ!」

 呼びかけるが、まったく反応はない。口に手を当てると息をしていたので、気を失っているだけのようだ。

 レイは、ホームズを両腕で持ち上げた。大きなねこを抱えている気分だ。そして、運んできたカートに乗せてある段ボール箱の上にホームズを寝かせると、ライオンから逃げるシマウマのように走ってトラックへ向かった。

 本当は助手席に乗せてあげたいが、そんな事をしていたら、追手がやってきてしまう。レイはカートの下に腕を入れてホームズごと持ち上げ、トラックの荷台に投げ込むようにワクチンと彼女を収納した。ホームズがゴロンゴロンと転がり、うーんとうなる。

 レイは運転席へ駆けこみ、ギアを動かして発進させた。昔、親の車を無断で乗り回していたので、一応運転はできる。

 幹線道路へ出るとレイはスピードを上げて、ホームズのジープが止められている山のふもとまで急いだ。

 五分ほど走っていると、突然『キャア』という少女の悲鳴が聞こえてきた。どうやらホームズが目覚めたらしい。

「悪いな、すぐにでも車を換えないといけないから、そこで我慢してくれ」

 レイが頭を下げながら謝るが、ホームズの声が止む様子はない。

 何かあったのか? そう言えばさっきから『ガタンガタン』という妙な音がするけど、後で確かめればいいか。

 レイは荷台で起きている事など知らずに、アクセルを強く踏みこんだ。


 地面がぐらぐらと揺れているのを感じたホームズは、はっと目を開けた。どうやらここは荷台の中らしい。レイのやつ、わたしを助けてくれたんだ。ホームズは少しレイの事を見直した。

 意識がはっきりすると、自分の足の上にカートが乗っかっているのが見える。ホームズは片足を抜くとカートを強く蹴った。

 扉に当たって止まるかと思ったら、カートはなぜか開いている扉から外へ出て行ってしまった。道路に落ちて派手な金属音がする。

「なっ……、なんで扉閉めてないのよ!」

 ホームズは叫びながら、荷台の奥に背中をくっつけて座った。よく見ると、六つあったはずの段ボール箱のうち二つが消えている。

 するとホームズの叫び声が聞こえたのか、レイが何か話してきた。『悪い』『我慢』という単語が聞き取れる。よくわからないが、このままトラックを走らせるつもりらしい。

「何バカなことしてんの! 荷台の扉が開いてるんだけど?」

 ホームズは精いっぱいの大声で、レイに異常事態を伝えようとしているが、運転に集中しているレイにはそれが聞こえていない。ホームズの額に汗がにじむ。

「コラー! 早く車止めなさーい!」

 ホームズは両手で、ドンドンと運転席との壁を強く叩く。

 一分半くらいそうしていると、やっと異変に気がついたのか、トラックは減速しながら路肩へ寄っていく。段ボール箱が意志を持ったかのように、荷台の出口へ滑っていった。

 完全に停車するとホームズは、はあっと息をついた。ようやく肩の力が抜ける。荷物は、扉のギリギリのところで落ちずに止まった。

「おいどうし……うわっ、なんだこれ? どうして扉開いてるんだ?」

 レイは、「開けゴマ!」と言って出口への扉を開いた魔術師を目の当たりにしたかのような顔をしている。

「あ、あんたが扉を閉めなかっただけでしょ」

 ホームズは、震えるくちびるをレイに見せないように口を隠しながら言った。

「そうだったかなぁ……閉めたと思ったんだが」

「『そうだったかなぁ』じゃないわよ! このアホ! わたしまで落ちたらどうするつもりだったのよ?」

「……すまない。でも早く逃げるのに必死だったんだ。ホームズさんを助手席に乗せてたら時間がなくなってしまうから」

 レイが必死に言い訳をするが、ホームズの怒りはまだ収まっていないようだ。

 ホームズは、これからは気をつけなさい、と言いながらも、

「……まあ、わたしを助けてくれたのは感謝するわ」

 と、そっぽを向いた。レイは、彼女が機嫌を少しなおしたのを見て、ふうっと安心した。

「さあ、一刻も早く車を換えるわよ」

 ホームズは、「オレが運転するけど」と言ったレイを押しのけ、さっさと運転席に座ってしまった。レイはしぶしぶ譲る。


「ところで、ホームズさんは手に入れたワクチンをどうするつもりなんだ?」

 山のふもとまであと一キロくらいのところで、レイが尋ねた。ホームズが目を少し大きくする。

「レイ、今日の朝に確認したじゃない。売るのよ。裏ルートっていうのがあってね、この手の商売に精通している知り合いがいるの。結構高額で取引されるらしいわ」

 彼女は、ふふっと笑みを浮かべた。だが、それとは反対に、レイの顔は曇り空のようにパッとしない表情だ。

「そのことなんだが、……売るのはやめにしないか?」

 最初、ホームズはどこか知らない外国語を聞いたのかと思った。それをたまたま誤翻訳してしまったのだ。でも何度脳内リピートしても、その文章は変わることはなかった。

「はあ? あんた何言ってんの? せっかく盗んだものを売らないなんてどうかしてるわ。それとも、自分で使いたいっていうの? それなら一本くらいはあげる」

「そういうことではないんだ」とレイは返答する。

「売るとかじゃなくて、どこかの児童施設にでも寄付したらいいんじゃないかと思――」

 ホームズが、ドン! とハンドルの真ん中を右手で叩いた。ある種の警報装置の音が鳴り響く。

「ふざけないで! それじゃ今日やったことが全てパーになるわ。わたしは慈善活動をしているわけじゃないのよ」

「で、でも。貧しくてワクチンも打てない子どもを救いたいとは思わないのか?」

 うぐっとホームズは言葉に詰まった。別に彼女は、子どもが嫌いではない。どす黒い社会の闇に染まってしまったそこら辺の大人より、よっぽどましだと思っている。でも……

「あんた、なんでそんなことを言うの? 普通だったらお金になったほうがいいと思うでしょ? レイの給料だって増えるかもしれないし」

 すると、レイは視線を落とし、両手をグーにしてひざの上に乗せた。それはまるで、親戚の葬儀に出席しているような感じに見え、いつもは大きな体が今は小さく思える。

「実はオレ、七つ年下の妹がいたんだ。ほら、二年前にもインフルエンザが大流行しただろ? あの時妹も感染して、寝込んだんだ。お金がなくてワクチンを打ってなかったから、どんどん熱が上がって汗びっしょりになって……。『頭痛ーい』って泣きながらオレにすがりついてくるんだ。首を絞められるくらい苦しかったよ、妹を見てるのがさ。何もできない自分が悔しかった。食欲がなくてやせ細っていく妹を見ているしかなかったんだ。そして死んだよ。のどが壊れるくらい泣き叫んだ」

 レイは一気に語ると、そこで息をついた。そして、

「オレは、あんな思いはもうしたくない。だからこそ、世の中で病気に苦しむ人を助けたいと思ったんだ。だからお願いだ、ワクチンを寄付してくれ! 仕事がチャラになる責任ならいくらでもする。一か月給料なしでもいい。だから……」

 レイは、それ以上言葉にすることはできなかった。涙声になりそうだったからだ。ホームズがちらっと彼を見る。

「レイにそんな過去があったとはねぇ……。でもわたしは怪盗よ? 皆から何もかも奪っていく悪者なのよ。なんでそんなわたしに付いてきたの?」

 すると、レイは笑みを浮かべてホームズを見た。涙で瞳が光っている。

「怪盗でも、ホームズさんは探偵という顔を持っていて、人のために尽くしてるから。極悪なその辺の泥棒とは違う。オレはそれにほれたんだ」

 ホームズはそれ以上口にしなかった。二人は車を乗り換えて荷物を黙って移すと、ジープに乗ってキディとみかんがいるホテルに戻った。

 ホテルに着くと、二人はそれぞれの部屋へ入り、ベッドへもぐりこんだ。

 みかんやキディが何かあったのかと問いただしても、二人は何も言わなかった。


 翌日の九時ごろ、四人はホテルを出てジープに乗り、その街を後にした。

 郊外まで来た時、ホームズはラジオをつけた。地元のニュースを伝える番組だった。

『次のニュースです。今朝早く、街の児童養護施設に一メートル四方の段ボール箱が置かれているのが見つかりました。中身はインフルエンザのワクチンで、昨日病院から盗まれたものと一致したということです』

 レイが、ハッと顔を上げてホームズを見た。

「そう言えばホームズさん、今朝早く部屋を出て行きましたけど、どこへ行ってたんですか?」

 ホームズの隣にいるみかんが尋ねた。

「た、体操よ。目を覚ますために外へ出ていたの」

 ホームズは顔を赤くすると、アクセルを強く踏み込んだ。

「キャア」という悲鳴が車内を響く中、レイはホームズにありがとう、と言った。ホームズは何も答えず、何もない荒野でジープを疾走させる。砂が巻き上げられ、タイヤの跡だけが刻まれていった。

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