3 オーバーイーツの配達員に恨みあり?
寧鳥が極寒のカラオケのドアを開けると、外は高熱のサウナかと思った。しかし今はその温度を温かく感じる。
寧鳥の後ろについて河合も階段を降りる。
「で、なんで自殺したいんだっけ?」
寧鳥の質問は軽い。
「自殺したい、って訳じゃ無いんだよ。なんていうか時々もういっかな、みたいに思っちゃうんだよ」
「ふーん」興味なさそうな寧鳥は、階段をジャンプしながら軽快に降りていく。
「なんか他に聞くこととか無いの?」河合は階段を降りきって、
路地に飛び出すと寧鳥の前に回り覗き込もうとする。
その時、寧鳥が目を見開いて何か言おうとする。
その寧鳥の目が、自分より奥を見ていることに、河合は気がつく。
河合は振り返る。
そこにはフルフェイスのヘルメットを被った男が、
出刃包丁を振りかぶっていた。
「え!」
河合は思わず体当たりをして、男を突き飛ばす。
男は、短パンにTシャツにビーチサンダル。
すべてがくたびれて薄汚れている。
「何、こいつだれ?!」
フルフェイスの中にうっすら見える男の顔、40代くらいだろうか。
どこかで見たような、しかしどこにでもいるようなくたびれた中年だとも思った。
慌てていて頭も回転しない。
寧鳥が叫びつつ、もう走り出している。
「僕もまったくわからないー!そして何の見覚えもない!逃げるっきゃないでしょ!あんなの危ない中年だよ!」
寧鳥の逃げ足は早い。
「待ってくれ!俺も逃げる」
「うぐぐぐ」
男は何かうなり声を上げている。
振り返ったらやられる、そう思って河合は全力で走るが寧鳥になかなか追いつけない。
後ろで嫌な音がする。
バイクを吹かしている音だ。
走りながらちらっと振り返る。
配達のバッグを背負って包丁を構えた男がバイクで追いかけようとしている。
「なんなんだよ。何の配達なんだよ」
ふと、配達のバッグに見覚えがあること思い出す。
「オーバーイーツの配達員・・・」
河合は何か思い出せそうな。
「業務委託という名の奴隷で、もう無敵の人になっちゃったんだよ。ほっといて逃げよう!」
「待てー!お前を殺して俺も死ぬんだー!」
オーバーイーツの配達の中年男が包丁を振り上げながら追いかけてくる。
寧鳥は息が切れてきた。
立ち止まって肩で息をする。
「はあっ、はあ、無理だ、バイクには逃げ切れない。殺すしかない」
河合も止まる。そして驚く。
「え!殺しちゃうの!?なんで?」
「だって、あっちが殺すって言ってるんだから。正当防衛だ。この世は、殺るか殺やれるか、なんだよ。河合くん」
寧鳥は路地の工事現場に積み上げられていた配管用の細い鉄パイプを拾い握りしめる。
「これでぶん殴れば。バイクの勢いもあるし。良し。死ぬ」
「待って待って、やめて。寧鳥さん、それほんとに死んじゃうから」
「じゃあどうしろっていうんだよ。俺たち殺されちゃうんだよ」
三角コーンにかける黄色と黒の虎柄のプラスチックのポールが工事現場の入り口にかけてあった。
「これにしよう。これでぶん殴っても死にはしないはず」
「ほんと?」
寧鳥はプラスチックのポールを握り直す。
「うん、たぶん大丈夫」
「じゃあ、河合さんからやれって、教唆されたってことで」
バイクに乗ったオーバーイーツの配達員が突っ込んでくる。
「お前ー殺してやるー!」
「うるせー、お前が死ねー!」
寧鳥がプラスチックのポールを思いっきりフルスイングする。
そうすると男の首が遠くへ吹っ飛んでいった。
「終わった。刑務所行きだ」
河合はつぶやいた。
しかし吹っ飛んでいったのは、男の首ではなくヘルメットだった。
バイクはそのまま工事現場に突っ込んで止まり、男はその場にひっくり返って気絶している。
男の顔面にはヘルメットとプラスチックのポールの破片がびっしり突き刺さり、殴打された箇所は青く変色し、その上、鼻血、口、いろいろなところからダラダラと血を流している。
オーバーイーツのバッグが散乱し、その中からストーブバックコーヒーがぶちまけられていた。
その様子を見て、河合はハッとする。
「ストーブバックのコーヒー、オーバーイーツ・・・。こいつもしかして今朝、うちに配達に来た奴か」
「君、金払わなかったんじゃ無い?で恨みをかったんでしょ。まったく。
でも、一度この配達員をぶん殴ってみたかったからすっきりした〜。
さっ、早くポリが来る前にさっさと逃げようぜ」
「え、いいの?このままで大丈夫?」
「うん、どう見ても包丁持った男の自爆でしょ」
寧鳥は、猛ダッシュで遠ざかっていった。
誰にも見つかってないことを祈りながら襲われた現場を後にした河合。
寧鳥にくっ付いて走って行くと、繁華街のはずれにある家電量販店の入り口まで逃げてきた。走り続けてきた二人は息も絶え絶えである。
しかし、寧鳥は見かけ以上に脚が早い。追いつくのがやっとで河合は驚いていた。身体を鍛えているつもりだったが、こんな男に負けるとは、と肩で息をする小太りな中年を見下ろして思っていた。
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