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第9話:逃走資金を捻出するために「節約しましょう」と提案したら、夫が『僕の稼ぎが悪いせいでリリアにひもじい思いを⋯⋯!』と号泣し、最高グレードのカタログを呼び寄せました

 チュンチュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。

 私は重たい瞼を開けた。

 視界に入ってきたのは白い天井⋯⋯ではなく、最高級シルクのパジャマの胸元だった。


「⋯⋯ん」


 身じろぎしようとすると体が動かないことに気づいた。

 私の体は、まるで簀巻きにされたように太くて逞しい腕によってガッチリとホールドされていたのだ。


(⋯⋯ああ、そうだった)


 私は昨夜の出来事を思い出した。


 「毎晩一緒に寝る」という契約を取り付け、バリケードを突破し、ギルバートの背中にくっついて寝たはずだ。


 しかし、どういうわけか、朝起きたら私が抱き枕になっていた。


「⋯⋯あ、暑い」


 私は小さく呻いた。

 昨夜の「デレ実験」の効果は絶大だったようで、ギルバートの体温は一晩中ポカポカ――いや、どちらかと言えば灼熱のボイラーのように高かった。


 おかげで凍えることはなかったが、今は逆にサウナに入っている気分だ。


 私が脱出を試みてモゾモゾと動くと、頭上から感極まったような心の声が降り注いできた。


『⋯⋯朝だ⋯⋯!』


 野太く、深い感動に満ちた声。


『朝が来た! 世界におはよう! そして何より僕の腕の中にリリアがいる! 生きてる! 呼吸してる! 温かい! 夢じゃなかった!』


 ギルバートは寝たふりを決め込んでいるようだが、心の中では金ピカの衣装とチョンマゲでサンバを踊っている。


『ああ、この感触⋯⋯。柔らかい。折れてしまいそうだ。髪の毛一本一本が愛おしい。匂いを嗅ぎたい。吸い込みたい。肺胞の隅々までリリア成分で満たしたい!』


 ズズッ、と頭の中で鼻をすする音がした。

 どうやら私の頭頂部の匂いを(脳内で)嗅いでいるらしい。変態だ。


『仕事? 行きたくない! 絶対に行きたくない! このまま時を止めて、永遠にこの布団の中に閉じこもっていたい! 国が滅びてもいいから二度寝したい! 公爵なんて辞めて、リリア専属の寝具になりたい!!』


(⋯⋯相変わらず思考がうるさいわね)


 私は心の中で溜め息をついた。

 まあ少なくとも「凍傷になるほどの冷気」は完全に消え失せている。

 彼の魔力暴走(冷却)を止めるには、適度な「デレ」と物理的接触が一番効果的だということが身を持って証明されたわけだ。


「⋯⋯ギルバート様、起きていらっしゃいますか?」


「ッ!?」


 私が声をかけると彼はビクッと体を強張らせ、慌てて腕を緩めた。


「あ、ああ⋯⋯すまん。寝ぼけていたようだ」


 彼は顔を真っ赤にして、私から離れた。


 その顔には「抱きしめてしまって申し訳ない」という罪悪感と「最高に幸せだった」という恍惚感が同居していた。


「おはようございます。⋯⋯とても温かかったですわ」


 私が微笑むと彼は「うぐっ」と胸を押さえてベッドに倒れ込みそうになった。


 今日も攻略は順調だ。


 ◇


 朝食を終え、私は早速行動を開始した。

 昨日の交渉で勝ち取った「予算管理権」を行使する時だ。


 執務室にて私はギルバートのデスクの前に立ち、分厚い帳簿を広げていた。


「ギルバート様。少しよろしいでしょうか」


「⋯⋯ああ。なんだ」


 彼は書類仕事の手を止めて私を見た。

 その瞳は以前のような絶対零度ではなく、どこか甘い熱を帯びているように感じる。昨夜の余韻だろうか。


「家計の件でご相談があります」


 私は帳簿の一ページを指差した。


「拝見したところ⋯⋯このお屋敷の経費、少し無駄が多いように見受けられます」


 これは事実だ。

 公爵家は裕福すぎるがゆえに金銭感覚が麻痺している。

 食材は全て最高級品を取り寄せ、少しでも鮮度が落ちれば廃棄⋯⋯日用品も使い捨て感覚。これでは湯水のごとく金が消えていく。


「そこで提案なのですが」


 私は真剣な眼差しを作った。


「食費や日用品のグレードを少し見直して、節約しませんか? 無駄を省けば、もっと有意義な使い方ができると思うのです」


 もちろん、その「有意義な使い方」とは、浮いた予算を私のポケットマネー(逃走資金)に回すことだ。


 いわゆる「中抜き」である。

 悪いことだとは思うが背に腹は代えられない。私は生き残るために現金を確保しなければならないのだ。


「⋯⋯節約、だと?」


 ギルバートの声が震えた。

 カラン、と彼の手から万年筆が滑り落ち、床に転がった途端に冷気が漂い始める。


「そ、そうですね。少し贅沢が過ぎると思いまして⋯⋯」


 私が言い訳を重ねようとした瞬間、彼の思考が爆発した。


『せ、節約⋯⋯!?』


 悲痛な叫び。


『まさか、公爵家の財政が傾いていると誤解させてしまったのか!? いや、昨日の僕の態度が頼りなかったからか!? リリアに「この家はヤバい」と思わせてしまったのか!?』


(ええっ!? どういう思考回路?)


『なんてことだ⋯⋯! こんなに美しいリリアに、お金の心配をさせるなんて! しかも、自ら質素倹約を申し出るなんて⋯⋯! なんて慎ましいんだ! 贅沢三昧できる立場なのに、家の将来を憂いて、自らの生活水準を下げようとするなんて⋯⋯! 聖女か!? この世に舞い降りた女神の化身か!?』


 ギルバートは感動とリリアに我慢を強いてしまうという自己嫌悪でプルプルと震えていた。


 私の「中抜き計画」が彼のフィルターを通すと「美徳」に変換されてしまうらしい。


「リ、リリア⋯⋯」


 彼は立ち上がり、机を回り込んで私の前に立った。


「お前がそんな心配をする必要はない。⋯⋯公爵家はその程度では傾かない」


「へ? あの⋯⋯ちょっとだけ無駄をなくそうって話なのですが」


『僕の稼ぎが悪いせいで! リリアにひもじい思いをさせてしまう! 節約? させるものか! リリアには世界で一番の贅沢をしてほしいんだ! ドレスで鼻をかんで、ダイヤモンドで床を敷き詰めるくらいの生活をしてほしいんだ!』


(いや、それはちょっと引くわ)


「無駄ではない、リリア。金ならある。⋯⋯腐るほどある」


 彼の瞳に狂気じみた決意の光が宿った。


「お前に節約などという言葉は二度と吐かせん。⋯⋯見ていろ」


 彼はそう言い残すと執事を呼びつけ、何やら早口で指示を出し始めた。


 嫌な予感がした。

 ものすごく、嫌な予感がした。


 ◇


 その日の午後に嫌な予感は見事的中してしまった。


「失礼いたします、奥様」


 自室でくつろいでいた私の元へ、執事がやってきた。

 その後ろには数人のメイドたちが台車を押して続いている。台車の上には山のようなカタログと、いくつかの豪奢な木箱が積まれていた。


「あの、これは一体⋯⋯?」


「旦那様より『生活水準を下げさせるわけにはいかない。私の個人資産を切り崩してでも、リリアには最高級の暮らしをさせる』との仰せでございます」


 執事は恭しく一礼し、カタログをテーブルに広げた。


「こちらは、王都の一等地にございます別荘の権利書でございます」


「えっ!?」


「こちらは東方の皇帝が愛用している最高級家具セットのカタログです。お気に召すままにお選びください」


「ちょっ、まっ」


「そしてこちらは⋯⋯大陸中から呼び寄せた宝石商たちが持参した、伝説の職人による一点物のジュエリーでございます」


 パカッ、と木箱が開けられる。


 中から現れたのは目が潰れそうなほど輝くダイヤモンドのネックレスや、鳩の卵ほどもあるルビーの指輪だった。


 どれ一つとっても、城が買えそうな値段だ。


(⋯⋯なんでそうなるの!?)


 私は頭を抱えた。

 節約しようと言ったら、なぜか出費が百倍になって返ってきた。


『リリアアアアアアア!! ごめんよおおおおお!!』


 廊下の向こうから、遠隔で心の声が聞こえてくる。

 ギルバートは執務室にいるはずだが、魔力に乗せた絶叫がここまで届いているらしい。


『甲斐性なしの僕を許してくれ! 節約なんて惨めな思いはさせない! 金ならある! 唸るほどある! 札束だけでキャンプファイアーができるほどあるんだ! だから笑ってくれ! 欲しいものは全部言ってくれ! 月でも星でも買ってくるから!!』


 違う、違うの!!!


 私は心の中で絶叫した。物じゃない。不動産でもない。

 私が欲しいのは誰にもバレずに持ち運べて、すぐに使える「現金」なのよおおお!!


 こんな高価な家具が増えても逃亡の足しにはならない。

 一点物のジュエリーなんて、足がつきすぎて裏社会でも換金できない。


 私の「横領計画」は、夫の愛(と財力)の暴走によって、あえなく粉砕されたのだった。


 執事たちが去った後、私は虚ろな目でテーブルの上のカタログを見つめていた。


 別荘。家具。宝石。

 どれも素晴らしいが今の私には「換金できないゴミ」にしか見えない。


「⋯⋯はあ。どうすればいいの」


 私は力なく手元の帳簿をパラパラとめくった。

 ギルバートに「節約はするな」と言われた以上、食費を削って浮かす作戦は使えない。


 むしろ、私が「安い野菜を使いましょう」と提案したら「輸入物の高級野菜を空輸しろ!」と命令されかねない。


「何か⋯⋯何か方法はないの?」


 逃亡資金を作る方法は⋯⋯。

 このままでは、私は一生この「愛の重い要塞」に閉じ込められてしまう。


 帳簿の数字を目で追っている私は無意識に、数字の羅列をチェックしていた、その時。


「⋯⋯ん?」


 私の手が止まった。

 ある項目に違和感を覚えたのだ。


「修繕費として⋯⋯北の別邸の屋根修理に金貨五百枚?」


 私は眉をひそめた。

 北の別邸とは私が前世で死んだ場所⋯⋯あそこは確かに古かったが、屋根の修理にそんな大金がかかるはずがない。


 相場の三倍⋯⋯いや、五倍は吹っ掛けている。


 さらにページをめくる。

 庭園の管理費。馬車のメンテナンス費。

 どれもこれも微妙に高い値段が設定されているように思える。


「⋯⋯使途不明金?」


 私は目を細めた。


 前世では、私は屋敷の経営になど全く関心を持たなかった(というか隔離されていた)。


 ギルバートも「金ならある」と言う通り、細かい出費など気にしないタイプだ。彼は魔法に関して天才的なものがあるが、こと家計のミクロな管理に関しては無頓着すぎる。


 つまり――。


「⋯⋯この家、金銭管理がガバガバじゃない」


 私はニヤリと笑った。

 誰かが公爵家の金をくすねている。


 業者と結託して水増し請求をしているのか、あるいは担当者が着服しているのか。この「不正」を見逃しているのだ。


 私の脳内で新しいプランが構築された。

 名付けて「悪徳代官狩り」作戦。


「そうよ、経費削減(中抜き)が上手くいかないなら『不要な出費(不正)』を見つけて、それを正せばいいんじゃない?」


 不正を暴き、犯人を突き出し、無駄な出費をカットする。

 そしてギルバートにこう言うのだ。


 「あなたのために不正を見つけました。つきましては、回収した金額の10%を報奨金としてください」と。


 これなら正当な報酬だ。

 ギルバートも「リリアが家のために働いてくれた!」と喜ぶだろうし、私も堂々と現金を手にできる。


 Win-Winだ。犯人以外は。


「ふふふ⋯⋯面白くなってきたわ」


 私は眼鏡(伊達眼鏡だが、雰囲気が出るので引き出しから出した)をクイッと押し上げた。


「私の逃走資金のために、この屋敷のうみを全部出し切ってやるわ。⋯⋯覚悟していなさい、横領犯さん」


 愛の暴走によって一度は詰んだかと思われた私の計画は、思わぬ方向へと転がり始めた。


 次は「名探偵リリア」の出番である。

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