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第8話:「毎晩一緒に寝てあげます」と提案したら、夫が『神聖な儀式だ! 清めの塩と祭壇を用意しろ!』と大騒ぎし始めましたが、私はただのお小遣いが欲しいだけです

 チュンチュン、と小鳥のさえずりで目が覚めた。

 私は大きく伸びをして、天蓋付きのベッドから身を起こした。


「⋯⋯あれ?」


 見慣れた天井――私の部屋だ。


 確か昨夜はギルバートの部屋で「愛の告白実験」をして、気絶した彼をベッドに運んで⋯⋯そのまま私も一緒に寝てしまったはずだ。


 どうやら夜中に目を覚ました彼が、ここまで運んでくれたらしい。


「惜しいことをしたわ。あのまま朝まで一緒にいれば、暖房いらずだったのに」


 私は残念そうに呟いた。


 昨夜の実験で私は確信を得た。


 ギルバート公爵は極限までデレさせると発熱する。しかもその温度は、人肌より少し高めの「使い捨てカイロ」レベルで、冷え性の私には最適の温度だった。


 これなら凍死のリスクを冒さずに一緒にいられる。


「さて⋯⋯と」


 私はベッドから降りて鏡の前に立った。

 生存ルートは確保した。夫の攻略法(熱源化)も見つけた。

 あとは最大の懸案事項である「現金」だ。


 これまでの失敗を振り返る。


 ドレス作戦は嵩張りすぎて持ち出せずに失敗し、宝石作戦は夫の愛が重すぎて「鉱山」を買おうとされたため、換金不可能なレベルになり失敗。


 そしてなにより換金先の目処が未だに立っていない。


「やっぱり、物を売るなんて回りくどい方法はダメね」


 私は自分の頬をパチンと叩いて気合を入れた。


「もっと直接的に、お金そのものを動かす権限を手に入れるのよ」


 狙うは「家計の管理権」だ。


 貴族の夫人が屋敷の予算や出納を管理するのは珍しいことではない。むしろ「奥様の務め」として推奨されることもある。


 もし私が予算を握れば⋯⋯。


「食費や日用品費を少しずつ切り詰めて、浮いた分を『へそくり』としてプールできる。帳簿さえ上手く誤魔化せば、誰にもバレずに現金を貯められるわ!」


 完璧な計画、そう名付けて「悪徳妻の横領計画」


 しかし、あの過保護なギルバートが、そう簡単に私に仕事をさせてくれるとは思えない。「リリアの手がインクで汚れる!」とか言って反対するに決まっている。


「だから交換条件が必要なのよ」


 私はニヤリと笑った。

 彼が喉から手が出るほど欲しがっているもの。

 昨夜の反応を見れば一目瞭然だ。


「『毎晩一緒に寝てあげる』。⋯⋯これ以上の切り札はないわ」


 朝食の時間。


 ダイニングルームには今日も微妙な空気が流れていた。

 長テーブルの向こう側に座るギルバートは私の顔を直視しようとしない。


 昨夜の「大好きです」攻撃のダメージが残っているのか、耳の先がほんのりと赤い。


『⋯⋯昨夜のあれは夢じゃなかった。感触が残っている。リリアの声が。体温が。⋯⋯ああ、思い出しただけで体温が上がる。沸騰する。今すぐ氷風呂に入りたい』


 心の声もなんだかふわふわしている。

 よし、今がチャンスだ。思考力が低下している隙を突く。


 私はナイフとフォークを置いて、姿勢を正した。


「ギルバート様。ご相談があります」


「⋯⋯なんだ」


 彼は視線を泳がせながら、コーヒーカップを口に運んだ。


「これからのことなのですが」


 私は単刀直入に切り出した。


「これからは、毎晩同じベッドで休ませていただきませんか?」


 ブフォッ!!!


 盛大な噴出音が響いた。


 ギルバートが口に含んだばかりの熱いコーヒーを吹き出しそうになり、あわてて手で口を押さえて咳き込んだ。


「ごほっ、ごほっ、⋯⋯な、なんだと!?」


 彼の顔が一瞬で真っ赤になり、頭から湯気が立ち上る。

 使用人たちが慌ててナプキンを持って駆け寄るが、彼の脳内は大パニックだった。


『それは同衾どうきん!? 夜の!? 同じベッドで!? 毎日!?』


 ザザッ、ピーーーッ!!(放送事故のようなノイズ)


『つまりそれは⋯⋯子作り!? 継承者の作成!? いや待て、早すぎる! まだ心の準備ができていない! それにリリアに相応しい最高級シルクの寝具も発注していないし、部屋を浄化する儀式も終わっていない!』


(⋯⋯儀式?)


『神聖な行為だぞ!? 穢れなき女神に触れるんだ! 清めの塩と祭壇を用意しろ! 神官を呼んで祝詞を上げてもらわねば! いやその前に僕自身の心身を清めるために滝行に行ってくるべきか!? いや待てよ、そもそも僕は彼女に触れられないじゃないか! どうすればいい!?』


 ギルバートはナプキンで口元を拭いながら、ガタガタと震えている。


 どうやら「一緒に寝る=即座にアレ」という短絡的な思考回路になっているらしい。


 まあ、そこは誤解させておけばいい。どうせヘタレな彼のことだ、実際には指一本触れてこないだろう。


「⋯⋯あ、あの、リリア。それは、その⋯⋯」


「ご迷惑ですか?」


「め、迷惑なものか! だが⋯⋯私の体質のこともある。お前を凍らせてしまうかもしれん」


 彼は必死に理性を総動員して断ろうとしている。

 しかし今の彼からは冷気ではなく、ポカポカとした熱気が溢れ出ている。


「大丈夫です。昨夜も、とても温かかったので」


 私が微笑むと彼は「うっ」と呻いて胸を押さえた。


『⋯⋯もうダメだ、断れない! リリアが望むなら、僕は人間カイロにでも暖炉の薪にでもなろう! 人間発電所の建設だ!!! ヴォオオオオン! ヴォオオオオン!』


 よし、落ちた。ヴォンヴォンうるさいがやはりチョロイ。

 そして本題はここから。


「ありがとうございます、ギルバート様。⋯⋯ですが、一つだけ条件があります」


 私は身を乗り出した。

 ギルバートが「条件?」と眉をひそめる。


「私も、ただ守られているだけの妻ではいたくありません。公爵夫人として家のことを学び、あなたを支えたいのです」


 美しい建前を並べる。


「ですので⋯⋯屋敷の予算管理の一部を、私に任せていただけませんか? まずは食費や日用品の管理からで構いませんので」


 さあ、どうだ。


 お金の管理なんて面倒くさい仕事だ。「君はそんなことをしなくていい、遊んでいればいい」と言われるかもしれない。


 ギルバートは目を丸くして私を見つめた。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「⋯⋯金、か?」


 ああ、やっぱり。

 金目当てだと思われたか。まあ事実だけど。

 私が言い訳を用意しようとした瞬間、彼の心の声が爆発した。


『そうか! そういうことか!!』


 歓喜のファンファーレ。


『リリアは僕に「貢献」したいんだ! ただ愛されるだけの「お人形」ではなく、共に家を支える「パートナー」になりたいと言っているんだ! なんて健気なんだ! なんて聡明なんだ!』


(⋯⋯え、そっち?)


『お金が欲しいんじゃない、責任が欲しいんだ! 僕の重荷を分かち合いたいと思ってくれているんだ! 愛おしい! 呼吸が苦しい! 尊すぎて直視できない! もういっそ家令の仕事を全部クビにしてリリアに任せようか!?』


(やめて、こんなことで家令をクビにしないで⋯⋯)


 ギルバートの瞳が感動で潤んでいる。

 とんでもないプラス思考だ。私の「横領計画」が「献身的な妻の申し出」に脳内変換されている。


「⋯⋯リリア。お前の気持ちはわかった」


 彼は重々しく頷いた。


「好きにしろ。執事に言っておく。⋯⋯予算の枠など設けなくていい。家の金庫の鍵も、領地の権利書も、全てお前に預ける」


『全財産を渡そう! 僕の財布も! 隠し資産も! 全部君のものだ! 君が望むなら隣国を買収してプレゼントしてもいい! 使ってくれ、僕の稼いだ金を湯水のように!!』


(⋯⋯そこまでは言ってないけど、まあラッキー!)


 予想以上の成果だ。予算の一部どころか、全財産の管理権が謎に転がり込んできた。

 これなら、堂々と「家計のやりくり」と称して現金を確保できる。


「ありがとうございます、あなた! 精一杯、努めさせていただきますわ!」


 私は満面の笑みで答えた。

 これで安眠(熱源)と資金(権限)の両方を手に入れた。私の未来は明るい。


 ◇


 そして運命の夜がやってきた。

 私はお気に入りの枕を抱え、意気揚々とギルバートの寝室へと向かった。


「失礼します」


 ノックをして中に入ると部屋は程よく暖められていた。

 ギルバートが「リリア仕様」に空調を調整させたのだろう。


 彼は最高級のシルクのパジャマに身を包み、ベッドの端で硬直している。


 しかし私が注目したのは彼ではなくキングサイズの巨大なベッド――その中央に鎮座する異様な光景。


「⋯⋯あの、ギルバート様。これは?」


 私は指差した。


 ベッドの真ん中を分断するように積み上げられた大量の抱き枕と丸められた毛布の山。

 それはまるで堅牢な城壁のようにそびえ立っていた。


「⋯⋯境界線だ」


 ベッドの端でギルバートは真顔で答えた。


「ここからこちら側には来るな。私もそちらへは行かない」


『僕の寝相でリリアを潰さないための防波堤だ! それだけじゃない、万が一僕が寝ぼけて理性を失い、彼女に抱きついたりしたら切腹しなければならない! これは理性の防壁ウォール・マリアだ! 絶対に越えてはならない聖域の境界線なんだ!』


(⋯⋯めんどくさっ!)


 私は呆れてため息をついた。

 彼は本気だ。本気でこの壁で私をブロックするつもりだ。


「わかりました。では、おやすみなさい」


 私は大人しく「壁」の向こう側、空いているスペースに潜り込んだ。


 ふかふかのベッド。寝心地は最高だ。

 でも⋯⋯。


(⋯⋯温かくない)


 当たり前だ。間に分厚い抱き枕の壁があるせいで隣にいるはずのギルバートの冷気も熱も全く伝わってこない。


 これでは、わざわざ部屋を移動してきた意味がない。

 私は人間カイロが欲しいのであって、一人で広々と寝たいわけではないのだ。


(これじゃあ、契約違反よ)


 私は暗闇の中で目を凝らした。

 壁の向こうからはギルバートの緊張した呼吸音と、絶叫のような心の声が聞こえてくる。


『リリアが隣にいる! 壁一枚隔てたところに! 心臓の音がうるさい! 聞こえてないか? 大丈夫か? ああ、寝息が聞こえる⋯⋯天使だ⋯⋯。僕は今夜一睡もできそうにない。素数を数えよう。2、3、5、7⋯⋯』


「⋯⋯⋯⋯」


 このままでは安眠できない。素数を数え始めた夫を放置して私は行動を開始する。

 私は無言で起き上がると目の前の「城壁」に手を伸ばした。


 ガシッ。


 邪魔な抱き枕(長細いタイプ)を掴む。

 そしてベッドの下へポイッと投げ捨てた。


 ドサッ。


『!?』


 隣でギルバートがビクッとした気配がする。

 私は構わず、次々と障害物を排除していく。


 丸められた毛布、予備の枕、クッション。

 すべてベッドの下へポイ、ポイ、ポイ。


「なっ⋯⋯!?」


 ギルバートがベッドの上で飛び起きた。

 月明かりの中、私が「壁」を解体していく姿を見て、彼は恐怖におののいたような顔をした。


「リ、リリア!? 何を⋯⋯!」


『壁が! 最終防衛ラインが突破された! 巨人が! いや女神が進撃してきた! どういうことだ、バリケードの意味を理解していないのか!? そこから先は危険地帯(僕の領域)だぞ!?』


 私は最後の一つ、巨大な熊のぬいぐるみを床に転がすと満足げに頷いた。


 これで視界はクリアだ。

 目の前にはパジャマ姿で震えるギルバートがいる。


「壁があると狭くて寝苦しいので」


 私は平然と言い放った。


「それに、あなたの顔が見えません」


 ズキュゥゥゥン!!!


 ギルバートが胸を押さえて仰け反った。


『顔が見たい!? 寝顔を見たいってこと!? 僕の死んだ魚のような寝顔を!? ダメだ、幻滅される! でも嬉しい! 猛獣(僕)の檻に自ら入ってくるなんて、なんて無防備で愛らしいんだ!』


 彼の体温が急上昇していくのがわかる。

 部屋の温度が上がった気がする。よし、準備完了だ。


『食べられても知らないぞ!? いや食べたい! 頭からバリバリ食べちゃいたい! でもダメだ耐えろギルバート、お前は紳士だ、公爵だ、ただの変態じゃない! 素数だ! 11、13、17⋯⋯!』


 私はにじり寄った。

 ベッドの中を這って、震えるギルバートの背後へと回り込む。

 彼は私に背を向けて、必死に胎児のように丸まっている。


 そこへ。

 ピトッ。


 私は彼の広い背中に、自分の背中をくっつけた。

 背中合わせの状態だ。


「⋯⋯ッ!!??」


 ギルバートの体がこれ以上ないほど硬直した。でも岩のように固い背中から伝わってくる熱は、最高だった。


 ポカポカとした、温泉のような温もり。シルクのパジャマ越しに、彼の体温がじんわりと私の冷えた体を温めてくれる。


「⋯⋯温かい」


 私は満足げに呟いた。


「おやすみなさい、ギルバート様」


 私は目を閉じた。

 ああ、極楽だ。これなら朝までぐっすり眠れそうだ。


 しかし、私の背中越しに夫の魂の絶叫が響き渡った。


『ギャアアアアアアアアアア!!!!!』


 うるさい。


『くっついた! 背中に! 柔らかい感触が! 温もりが! リリアの背骨と僕の背骨がリンクした! 神経が接続された! 熱い! 溶ける! 心臓の音がうるさすぎてリリアに聞こえてしまう! 爆発する! 助けて! 誰か僕を気絶させてくれ! いっそフライパンで殴ってくれ!』


 ギルバートは必死に声を殺し、身じろぎもせずに耐えていた。

 少しでも動けば、私を起こしてしまうからだろう。

 なんて健気で、不憫な夫なのだろう。


『幸せすぎて朝まで持たない! 死ぬ! ああっ心臓を捧げよ! 今夜が僕の命日だ! ありがとう神様、ありがとうリリア、来世でまた会おう⋯⋯!』


 夫が昇天しかけているのをBGMに、私は意識を手放した。


(うん、これなら凍えずに寝られる。予算権も手に入れたし、計画通り!)


 こうして私は安眠と財源を手に入れた。


 翌朝、目の下に濃いクマを作ったゲッソリとした夫(でも幸せそう)が発見されることになるのだが、それはまた別の話である。

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